HARD HEAD

旅行 社寺

八王子 千人同心ゆかりの地 散策

2015-06-07 13:58:49 | 寺院
2015.06.06 JR大人の休日倶楽部パスで7/2~7/6北海道根室半島、納沙布岬まで

      日本百名城、アイヌの城跡を見学の為の、指定席券購入為、発売1ヶ月前

      八王子の駅に8時前に着き予約を済ませ、時間があるので西八王子まで

      千人同心ゆかりの寺を散策して来ました。



  観音寺 南方医 秋山家の墓がある。墓石にAの文字が刻まれている。



  同上 山門 千人頭.中村家の屋敷門を移築したものと言われている。



  本立寺 門



  同上  本堂



  同上  千人頭 原胤敦(たねあつ)の墓がある。



  法蓮寺 千人同心組頭.並木以寧(いぬい)の墓がある。医業も行う。私塾を開き

      弟子も多く、墓には「筆門五百余人造立之」と刻まれている。



  同上 並木以寧(1769~1844年)の墓。



  念仏院 時の鐘



  同上  時の鐘



  金剛院 門



  同上 本堂 都指定の有形文化財である、江戸時代の「紙本着色高野山図絵屏風」、

        狩野春笑筆の「紙本着色西王母図屏風」が保管されている。





  大久保石見守長安陣屋跡(産千代稲荷神社)

      大久保長安(1545~1613年)は、武田信玄に仕え、武田氏滅亡後に徳川家康に

      召し抱えられた。八王子城落城後、小門宿に陣屋を置き、関東十八代官、

      千人同心を統括した。新八王子宿の建設をおこない、町を浅川の氾濫から守る

      石見土手を築いた。また街道の伝馬制や一里塚を整備した。

      石見銀山、佐渡金山、伊豆の金山等奉行となって増産をおこなって、江戸幕府の

      財政基盤を作り、破格の昇進ををとげた。

      神社は当時の邸内にあった社と伝えられている。



  同上 陣屋井戸





  信松院 松姫尼公墓(1560~1616年)がある。

      武田信玄の四女で7才の時、織田信長の長男.信忠と婚約するが、三方原の戦い

      (1572年)で同盟がやぶれたため、破棄。武田家滅亡時(1582年)に、

      兄仁科信盛の娘小督(こごう)らと甲斐から山づたいに逃れ、下恩方.心源院で

      出家する。その後信松院の場所に移住。住まいを寺にする遺言により、

      後に信松院となった。



  同上  本堂



  同上 禅語 ”本来無一物”



  同上 手水場にあった。 四諦.八正道の手洗石。なぜか最近気になる言葉が多い。



  興岳寺 官軍板垣退助に日光を明け渡して、八王子で自害した

               千人頭.石坂弥次右衛門の墓がある。



  同上  石坂弥次右衛門の墓。



  同上  石坂弥次右衛門の顕彰碑



  甲州街道 いちょう並木 大正天皇の大葬(1927年)を記念して追分町から高尾町

       迄約4km(763本)植樹された。





  追分の道標



  八王子千人同心屋敷跡記念碑。碑のあるあたりから千人町にかけて、甲州街道ぞいには

            千人頭が幕府から拝領した屋敷と同心たちの屋敷が立ち並んでいた。

            碑は千人頭.原家の屋敷(約7000坪)の一角に建てられている。



  八王子千人同心 千人頭一家あたり10人の組頭と90人の平同心から成る組織。

          これは、徳川家康が江戸に入る際に組織された、半農半士の武士集団で、

          関ヶ原の戦いを前にした時期にはその数が千人に上ったという。

          三代将軍家光が亡くなった後は、幕末まで「日光火の番」を務めた。



  宗格院 門



  同上  本堂



  同上 千人隊組頭、松本斗機蔵の墓がある。



  同上 石見土手 案内はあったが、新しくなったお寺の境内には

                  それらしい土手は見つからなかった?。



  同上 千人隊事顕碑



  付近案内図



  南浅川



  地図に載っている(付近案内図)メタセコイヤ林化石ははっきり解りませんでした。

   北浅川の中央高速橋下付近が解りやすいらしい。

   西八王子駅からJRで八王子まで戻る。無事指定券は取れました。