おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その2。佐原宿・古い町並み。土蔵造り・看板建築。忠敬橋・小野川。鯉の作り物(山車)。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-12 20:15:47 | 銚子往還

看板建築の一つ。木造モルタル造り。

              なかなかおしゃれです。

メインストリートに向かいます。

蔵造りのお店が並んでいます。

この界隈は、以前来たときに歩き回りました。今回は、あっさりと歩きます。

観光客もたくさん。外国人の姿も結構見かけます。

          

(伊能)「忠敬(ただたか)橋」。

「小江戸さわら舟めぐり」で有名な「小野川」。

利根川の支流である小野川は、江戸期より水運の集散地として佐原の町を発展させた。農業用水としても古くから利用され、香取市牧野地先にを造り、樋橋を介して市内関戸方面や本宿耕地方面に水を引いていた。1951年(昭和26年)に国鉄佐原駅北側に小野川から掘り込み式の佐原が完成したが、船の需要がなくなったため1970年(昭和45年)に埋め立てられた。2004年(平成16年)には市街地の洪水を解消するため香取市牧野地先から本宿耕地地先利根川までを流す小野川放水路が完成した。

※「佐原港」の今昔

              

1970年代のようす。駅の北側に堀割の港。       現在のようす。千葉県香取合同庁舎などの敷地に。

※「樋橋(とよはし)」。

 樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。
 もともとこの橋は、人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。
 橋の名は、大樋でつくられたので樋橋といい、また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので「ジャージャー橋」とも呼ばれました。
 昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。(「解説板」より)

最近のCMで登場しています。

割烹 宮定」。

これから、佐原は、「あやめ祭り」で賑わいます。

この先は、「佐原銚子街道」を歩くことになります。

「さわら十三里屋」。

         栗(九里)より(四里)うまい芋製品。

※「くりよりうまい」は、埼玉・川越が江戸(中山道・板橋宿)より13里(半)の距離があることになぞらえたうたい文句ですが、このお店の屋号にもなっているわけです。

重厚な土蔵造りの建物が連なります。「癒しの雑貨 らぱん」。

「佐原三菱館」。

レンガを積みあげて建てられた2階建ての洋館で内部は吹き抜けになっており、2階周囲に回廊がある。屋根は木骨スレート葺きで、正面建物隅にドームを設けてある。川崎銀行佐原支店(開業明治13年)として大正3年に建設され、現在は市に寄贈され、千葉県有形文化財に指定されている。

左に「蜷川家具店」。

       左奥が看板建築。意匠がすぐれています。

ここまで来ると人通りも少なくなります。

ここにも見事な看板建築。「サクマ薬局」。

「下仲町」バス停脇の旧家。

         

「香取街道」とあります。

八坂神社・山車(だし)会館のところに大きな鯉が。

八日市場区の麦藁細工でできた鯉の飾り物。

GW中に特別に各区の山車の引き回しがあるそうです。※佐原には5月3日に訪れましたが、このときには遭遇しませんでした。

跳高欄を廻した山車の天上部には、日本神話など様々な説話から取材した歴史上の人物の大人形や作り物が飾り付けられています。

 大人形は、身の丈4~5mにおよび日本最大級の大きさを誇っています。

 この大人形は、江戸時代から明治・大正時代にかけて名人と呼ばれた人形師達によって技術の粋を集め制作されたものです。

 また、作り物には、麦藁細工の鯉や稲藁細工の鷹等、町内に住む人達の手によって制作される昔ながらの飾り物もあります。

(この項、「香取市」HPより)


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