おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

日本橋。道路元標。魚市場跡。・・・(「日本橋」から「品川」まで。その1。)

2015-09-14 21:44:26 | 旧東海道

 「旧東海道」歩き。思いついたのは、去年の2月頃。はじめは宿場巡りをしてみようか、ということで、東京付近の宿場を何かのついでに立ち寄りました。だから「品川」「川崎」「神奈川」については、最寄り駅に降りて、宿場に因んだ名所、旧蹟を散策して、また最寄り駅から戻る、というようなカタチ。
 実際、一番最初は「川崎宿」を散策し、しばらく置いて「品川宿」、「神奈川宿」と順番が異なっています。
 そのうち、「一里塚」にも興味を持ち、今どうなっているか探索しよう、とそんな欲が出てきて、それなら東海道そのものも続けて歩いてしまおうか、と。その頃の探索は、行ったり来たりの旅です。
 あるとき、「日本橋」から「品川」まで(その間に最初の一里塚―日本橋から4里―があるはず。)と歩きましたが、特に写真を撮ることもなく(「一里塚」跡はなかった!)、歩きました。
 その後、「神奈川宿」まで、何とか「旧東海道」がつながり、それから「保土ケ谷(程ケ谷)宿」以降は、順々京・三条大橋を最終目的地にして歩くようになります。
 ただ、「戸塚宿」までは先達の案内を参考にすることがなかったので、下車駅を間違えたり、違うバスに乗ったり、違うところで降りたり、道に迷ったり、(「権太坂」のときは大変でした)・・・。
 交通機関も東海道線を利用、日帰りが中心。やっと「旧東海道」歩きらしくなったのは、「戸塚宿」あたりから。東京駅から東海道線在来線を利用し「金谷」までは一日で往復。その後は、新幹線も利用しながらの一日旅。さらに、「岡崎宿」からは、泊まりがけで出かけることになります。
 泊まりがけになってからは、1ヶ月に1回のペース。今、「亀山宿」まで何とかたどりつきました。ここまでで、約1年半。

 気がついたら、日本橋~品川は、写真がないまま。そこで、大雨が落ち着いた晴れ間にそのコースを改めて行ってみました。

 まだまだ大雨による甚大な被害を受けたまま、行方不明者の捜索などままならない、茨城、栃木、宮城の現状をTVでは放映しています。また、国会はそうした民の嘆きをよそに、アベ自公政権は、強行採決を虎視眈々と狙っている状態。風雲、急を告げている情勢ですが・・・。

 9月11日(金)。約8㎞。時間にして、約2時間15分。

日本国道路元標。橋をくぐった歩道沿いの広場にあるモニュメント。

 本物は、道路(車道)の真ん中に埋まっています。車が来ない隙に少し近づいて。さすがに真上には・・・。

「日本国道路元標」。

 日本橋は1603年に創架され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。現在の日本橋は1911年に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、四隅の親柱の銘板に刻まれた「日本橋」及び「にほんはし」の文字は最期の将軍・徳川慶喜公の揮毫によるものです。1972年、日本橋中央の「東京市道路元標」がこの広場に移設・保存されました。その据えられた跡には、内閣総理大臣佐藤栄作氏(後にノーベル平和賞受賞)の揮毫による「日本国道路元標」が埋設されました。この複製も同時に制作・設置されたものです。東京市道路元標は、1999年に米寿を祝う日本橋とともに国の重要文化財に指定されています。
 
「東京市道路元標」。

「里程標」。  
         南西方向(鹿児島まで)。                  北東方向(札幌まで)。    

 現在、日本橋を始点としている国道は、以下の7本。

・国道1号(終点:大阪市・梅田新道)
・国道4号(終点:青森市・青い森公園前)
・国道6号(終点:仙台市・苦竹IC)
・国道14号(終点:千葉市・広小路交差点)
・国道15号(終点:横浜市・青木通交差点)
・国道17号(終点:新潟市・本町交差点)
・国道20号(終点:長野県塩尻市・高出交差点)

国道1・15・20号が橋の南方向へ、国道4・6・14・17号が北方向へ伸びています。



国指定重要文化財 日本橋

 日本橋がはじめて架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603)と伝えられています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する点として江戸経済の中心となっていました。橋詰には高札場があり、魚河岸があったことでも有名です。幕末の様子は、安藤広重の錦絵でも知られています。
 現在の日本橋は東京市により、石造二連アーチの道路橋として明治44年に完成しました。橋銘は第十五代将軍徳川慶喜の筆によるもので、青銅の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表しています。橋の中央にある日本国道路元標は、昭和42年に都電の廃止に伴い道路整備が行われたのを契機に、同47年に柱からプレートに交換されました。プレートの文字は当時の総理大臣佐藤栄作の筆によるものです。
 平成10年に照明器具装飾品の修復が行われ、同11年5月には国の重要文化財に指定されました。装飾品の旧部品の一部は中央区が寄贈を受け、大切に保管しています。

 平成12年3月  中央区教育委員会



 日本橋ハ江戸名所の随一ニシテ其名四方ニ高シ。慶長8年幕府諸大名ニ課シテ城東ノ海浜ヲ埋メ、市街ヲ営ミ、海運ヲ通シ始メテ本橋ヲ架ス。人呼ンデ日本橋ト称シ遂ニ橋名ト為ル。
 翌年、諸海道ニ一里塚ヲ築クヤ本橋ヲ以テ起点ト為ス。当時、既ニ江戸繁華ノ中心タリシト推知ス可ク橋畔に高札場等ヲ置ク亦所以ナキニアラズ。𦾔記ヲ按ズルニ元和4年、改架ノ本橋ハ長サ37間余、幅4間余ニシテ、其ノ後、改架凡ソ19回ニ及ベリト云フ。
 徳川盛時ニ於ケル本橋付近ハ富賈豪商甍ヲ連ネ、魚市アリ酒庫アリ、雑閙(=雑踏)沸クガ如ク橋ニ貴賎ノ往来晝夜絶エズ。富嶽遥ニ秀麗ヲ天際ニ誇リ、白帆近ク碧波ト映帯ス、真ニ上図ノ如シ。
 明治聖代ニ至リ百般ノ文物日々新タナルニ伴ヒ、本橋亦明治44年3月新装成リ今日に至ル。 茲ニ橋畔ノ碑を建テ由来ヲ刻シテ以テ後世ニ伝フ。

 昭和11年4月 日本橋区

日本の橋100選の碑。

道の起点としての日本橋

 日本橋は古来街道の起点として広く親しまれ現在も交通の要衝として知られている。慶長8年に日本橋が架設されて以来、火災などで改築すること18回を経て、明治44年3月石橋の名橋として生まれ変わった。また日本橋から銀座にかけての中央通り一帯は近代的な街並み稀代的な町並で日本経済の中心地として今なお活況を呈している。一致は

 なお、1945年(昭和20年)3月10日の「東京大空襲」による焼夷弾跡が残っているそうです。

 さらに、前回の「東京オリンピック」開催に合わせて、1963年(昭和38年)、「日本橋川」の上に首都高速道路が建設されたため、「日本橋」の頭上には首都高が覆い被さっていて、かなり景観を損ねています。そこで、来る「東京オリンピック」に向かって、頭上の高速道路を地下化して、本来の「日本橋」に戻そうという運動が起こっています。

関東大震災直後のようす。

1933年(昭和8年)。

1946年(昭和21年)。

(写真は、「Wikipedia」より)。橋の中央に「東京市道路元標」があります。 

 橋の東側のたもとには、

        

日本橋魚河岸跡

 日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市場は、江戸時代初期に佃島の漁師達が将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川贈沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町1丁目・本町1丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。
 なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の良い取引が飛び交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
 江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けにした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売り場を開いて売買を行ってきました。
 この魚河岸は、大正12年の関東大震災後に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。
 現在、魚河岸のあったこの場所には、昭和29年に日本橋魚市関係者が建立した記念碑があり、碑文には、上に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの三百余年の歴史が刻まれ、往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。

 平成19年3月 中央区教育委員会

 背後にあるのは、竜宮城に因んだ「乙姫像」。

そこから望む「日本橋川」。



東海道五十三次之内 日本橋 朝之景 / 歌川 広重

 日本橋は五十三次の出発点であり、ここより京都までは124里半(約492km)である。鐘が七ツ(午前四時)を打つと木戸が開かれ、一日が始まる。朝焼けの空を背景に、日本橋の近くの肴市場から威勢のいい魚商が魚をかついでゆく。大名行列が橋を渡ってくる。犬が遊んでいる。塀や甍の直線に日本橋の力強い曲線の構成が、街の活気をさらに強調している。そして橋の中央から高く立つ毛槍が爽快な旅立ちを表わしている。

(「知足美術館」HPより)

    
    大正期の日本橋。                  現在の日本橋。

 いよいよ京へ向かって出発です。




 1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。「日本橋」からほぼ南に向かう広い道が「旧東海道」。


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