おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「ジャック・デロシュの日記―隠されたホロコースト」ジャン・モラ作(岩崎書店)。「ショアーの歴史―ユダヤ民族排斥の計画と実行」ジョルジュ・ベンスサン(白水社)

2024-08-04 16:36:47 | 読書無限

           

 「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」

摂食障害になったエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカの死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知る。

その日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。フランス人でありながら、ドイツナチズムに共鳴、志願兵としてドイツに赴く。ドイツ人としての偽名を用い、ナチSSの幹部候補生として、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、そして絶滅収容所に関わっていく・・・。

※「ソビブル」

実在した絶滅収容所。1942年5月に稼働し、25万人ちかいユダヤ人、数が不詳のソ連軍捕虜が殺された。43年10月、施設で働かされていたユダヤ人300名が反乱を起こし、200名ちかくが殺され、30名が生きのびる。43年11月以降に解体され、痕跡を消すための植林によって松林となった。

日記には、ジャックの恋人として、祖母アンナの名前が登場する。

嘔吐と過食を繰り返し、身も心もぼろぼろになりながら、エマはジャック・デロシュの日記を読み続けた。

現在と過去(日記)を織り交ぜて話は進んでいきます。ミステリアスな話の進め方は、最後まで飽きさせない。

「サスペンス仕立てで巧みに構成」された物語。

ホロコーストを若い世代に伝える秀逸の新作物語として、お勧めする。

そして、もう一冊。「ショアの歴史―ユダヤ民族排斥の計画と実行」。

ショアーとは、災厄、破壊、悲嘆を意味するユダヤ教の祭儀用語である。ゲットーという呼び名は、1516年のイタリアはヴェネチアが最初である。第一次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパには900万人から1000万人のユダヤ人が暮らしていた。その中にはポーランドの300万人、ルーマニアの100万人がいた。ソ連にも300万人がいた。

1920年代から30年代にかけて、ヨーロッパ全域で、ユダヤ人排斥の勢いが高まっていた。ドイツにおける反ユダヤ教主義の伝統は古く、厳しいものがあった。1933年、ドイツの国会議事堂の火災を口実としてドイツ共産党は禁止となり、4000人の幹部が逮捕され、ダッハウの強制収容所に入れられた。ドイツのユダヤ系公務員が解雇されるのは1933年4月から。ユダヤ人弁護士は所属する弁護士会から除名された。1934年末、弁護士の7割、公職人の6割が職務遂行不能に陥った。1939年にはユダヤ人の運転免許証が取りあげられた。1933年に50万人いたユダヤ系ドイツ人のうち、15万人が1938年までにドイツを出た。1939年9月、ナチス・ドイツはポーランドを占領した。数ヶ月のあいだは、ユダヤ系住民はまだ一過性の嵐にすぎないと考えていた。ワルシャワのゲットーには、1941年に47万人のユダヤ人が住んでいた。学校などの教育組織があり、舞台劇が演じられ、地下新聞が47紙も発行された。ユダヤ人評議会は罠にはまった。自分たちの殺戮までも引き受けることになった。そして、評議会制度は、利権と腐敗の温床ともなった。

「T4作戦」は、1939年1月に占領下のポーランドで始まった。ポーランドでも、ドイツ本国でも、精神病患者が大量に殺害された。ヒトラーは、反対勢力の結集を危険とみて、処分目標を達していたこともあり、1941年8月、「T4作戦」の続行を断念した。アメリカのユダヤ人指導者には、ユダヤ人殺戮の情報は伝えられていた。1942年に犠牲者は100万人だとされていたとき、実際には300万人が殺されていた。アメリカ政府は、1944年春にはアウシュヴィッツの詳細な航空写真をもっていたのに、収容所への空爆を拒んだ。同じく、イギリスのほうも空爆することはなかった。それぞれ、国内に反ユダヤ主義があったことと、何十万人という難民が入国するのを危惧したことによる。

ドイツの銀行はユダヤ系市民の口座を閉め、一般市民はユダヤ人の商店や会社、アパート、家財を買いたたいた。ドイツのデグザ社は、被害者から奪った、死体の歯から搾取した金冠を溶かして純金のインゴットをつくり、ナチスはそれを国家資産とした。ナチスの犯罪は、ごく少数の酷薄な変質者によるものではない。「勤め人の犯罪」、つまり普通の人間、民間あるいは軍人、ナチス党員などによる犯罪である。

元ナチの大多数は、身元を隠そうともしなかった。戦後のドイツやオーストリアにおいて、隠健な勤め人や企業主として豊かな暮らしを取り戻していた。法律家で元ナチスの高級官僚であるハンスは、戦後は、アーヘン市財政部長、1953年にはアデナウアー首相の官僚長となった。

どうしてこの悲惨な出来事を止められなかったのか?

彼らは家畜のように死んでいく、まるで肉体も魂もないように、死が刻印を押せたかもしれない表情さえない。そんな友愛も思いやりもないおぞましい平等のなか―猫や犬なら分かちあえたにちがいない平等―それはあたかも地獄の情景を映しているかのように見える。 「医学と人道に対する罪」(ハンナ・アーレント)

「今の時代の政的な存在とは、破壊し尽くされた文明の記憶を新たにする作業を経ることである。集団殺戮について、そして大衆社会、つまりわたしたちの社会がもはや「人間であること」の資格さえ脅かされるようになった各個人をそのまっただ 中に置き去りにしたあの荒廃、それについて熟慮することなのだ。」(p154)


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