おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR安食駅~布佐駅。その6。布佐網代場跡。生(鮮魚)街道。栄橋。布佐駅。(利根川を歩く。第14回目。)

2022-01-30 19:56:22 | 利根川を歩く

               左前方に我孫子の町が大きく広がっています。

河川管理境界「←取手出張所 安食出張所→」。

対岸(利根町)。

「栄橋」が見えてきます。

             「海から76㎞」ポスト。この付近に網代場があったらしい。

「生(鮮魚)街道」の起点・網代場付近にある「馬頭観音堂」が眼下に。

「鮮魚街道」は、ここから終点・松戸河岸まで歩きました。(2020年9月)

解説板。

          布佐「利根川」河岸から松戸「江戸川」河岸までの道筋。

「鮮魚」の「せん」は、「魚」を三つ重ねたもの「鱻」が本字。

現在示されている地図ですと、布佐の「利根川」上陸地点からすべて陸路をたどったようになっていますが、以下の記事のように、「手賀沼」を経由したルートも紹介されています。現在と異なり、手賀沼が大きく広がっていた当時はそういうルートもあったようです。現在、手賀沼周辺は開拓によって広大な田んぼになっています。

「なま(鮮魚)街道」は、銚子沖で獲れた海産物を陸路江戸へ運ぶための交通路で、明治の中頃まで盛んに使われていました。そのルートは、銚子から船で利根川をさかのぼり、布佐(我孫子市)で陸揚げされ、発作(印西市)を経て、手賀沼を船で船戸(白井市)に入り、富塚(白井市)から藤ヶ谷台町を通り、金ヶ作、日暮、松戸新田、陣ヶ前(以上松戸市)を経由し、松戸の河岸から江戸川を船で下って江戸の魚河岸に着きます。藤ヶ谷台町は木下・松戸間の中間地点です。

「馬頭観音堂」は、網代場の所にありました。観音堂は、駄送馬慰霊のため問屋・馬主が建立しました。

鮮魚(なま)街道・網代場・布佐河岸跡

『利根川図誌』によりその味利根川一と賞された布川鮭の網場。網代場はやがて利根水運の中継地ともなり、布佐河岸ができた。江戸時代、銚子や九十九里方面から運ばれる鮮魚をここで荷揚げし、一刻も早く日本橋市場に出すため松戸河岸まで馬で陸送する鮮魚(なま)街道の起点となった。盛時、1日4干籠の鮮魚を130~150頭の馬で運び、七里半の街道には馬子唄も流れたという。古い街道筋に見かける石造りの馬頭観音が、往時の繁栄をしのばせる。

(この項、「」HPより)

もともと急流箇所である布佐・布川間の狭窄部下流にあたり、海から昇る魚が一旦留まるため、網、投げ網の漁場となりました。後に水運の発達と共に船着場も出来て栄えました。

                                      

2010年代のようす。                          1880年代のようす。

現在は、網代場もすっかり住宅地になってしまい、「観音堂」だけが唯一面影を宿すのみです。

※網代(あじろ)

  1. 網の代わりという意味。
  2. 定置網の漁場。また、いつも魚群が集まってくる場所。
  3. 湖や川に柴や竹を細かく立て並べ、魚を簀の中に誘い込んで獲る仕掛け。

          かつての街道?

※以下、「鮮魚街道」松戸・江戸川河岸(ブログ記事を再掲)のようす。

かつての船問屋「青木源内」家の復元された塀。

  

銚子の鮮魚は船で利根川をさかのぼり、布佐等より駄送され、ここから船で江戸(日本橋河岸)に運ばれました。江戸時代、松戸の主産業は船運であり、ここが重要な基地になっていました。

 

松戸の河岸は「源内」(青木家:納屋河岸)と「太兵衛」(梨本家:下河岸)の二軒の船問屋が中心となって発展しました。宝暦5年(1755)1~2月、布佐河岸源左衛門から納屋河岸源内あての鮮魚輸送量は<1月>897籠(約10t)、<2月>4509籠(約50t)という記録が残されています。※当時の「一駄(馬一頭に乗せる貨物)」は三十貫が限度で約110kg、鮮魚では10籠に相当。船一隻あたり鮮魚300籠に相当。

 松戸河岸を出た船は、江戸川~新川~小名木川を経て水路で直接日本橋の魚河岸に入りました。
○付近が、「納屋川岸」。

 

(この項「」https://sites.google.com/site/matsudosyuku/home/suiun-to-kawagishi より借用)

栄橋。

  • 1930年(昭和5年):布佐町(現在の我孫子市)と布川町(現在の利根町)の間に開通
  • 1971年(昭和46年):現在の橋に架け替え工事が終了し、供用を開始

「布川観測所」。

栄橋から上流を望む。

            

下流方向。

今回はここまで。布佐駅に向かいます。

我孫子市のマンホール。

    我孫子市のシンボルである「手賀沼」と、市の鳥「オオバン」、市の花「ツツジ」、をデザインしたもの。

オオバン

頭をフリフリ泳ぐ真っ黒い鳥    白い額がトレードマーク

全長39cm。全体は灰黒色で額とくちばしは白色です。足は緑青色。「キュイッ」と聞こえる声を出します。陸上を歩くこともありますが、水上生活が多く、すばやく水上へ逃げていきます。「水鶏(にわとり)」と書いてクイナと読みますが、名の通り、その種類の多くは水辺の草やアシの中にすんでいます。このオオバンも、クイナの仲間ではいちばん大きく、太っています。黒いからだに白いおでこ、というモノトーンのしゃれた配色で、西洋では、その色彩やら身のこなしから美や雅(みやび)のシンボルとなるいっぽうで、白い頭部の連想から、英語で「額がハゲあがっている」ことをas bald as a coot(オオバン)といいます。池沼に生息していて、40年前は関東より北で繁殖していましたが、近年増加の傾向にあり、日本中で見られています。「|日本の鳥百科|サントリーの愛鳥活動」HPより)

                 (「Wikipedia」より)

布佐駅。

ここまで来るとがぜん都会的な駅の雰囲気(ここまでの駅は、それなりの趣はありましたが)。


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