おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR安食駅~布佐駅。その5。手賀川・手賀沼干拓・浄化事業。我孫子(あびこ)市。(利根川を歩く。第14回目。)

2022-01-28 21:20:21 | 利根川を歩く

                対岸は、「利根緑地運動公園」。

上流に向かいます。

「手賀排水機場」。

本施設は、国営手賀沼干拓事業により昭和31年に完成した排水機場です。降雨時には流域約160km2※1(柏市、印西市、我孫子市、鎌ケ谷市、白井市、流山市及び松戸市)から手賀沼に流入する洪水を手賀川の流末にて毎秒40m3※2で利根川へ強制排水することで、受益地3,400haを保全しており、近年では、流域の都市開発や道路等の浸水対策にも効果を発揮し、農地以外の社会共通資本の防災対策上も重要な施設となっています。

しかしながら、築後50余年経過し、老朽化が目立ち、平成21年10月にポンプ1台が損傷し、排水機能の低下を来しています。このため、当事務所では本施設の維持管理を行うとともに、基幹水利施設ストックマネジメント事業として、ポンプの復旧と他のポンプの老朽箇所、不良箇所の補修、交換整備を行い、本施設の機能を保全することで、農地や地域社会の防災対策に寄与するとともに、長期的な維持修繕コストの低減を図っています。

現在では、手賀排水機場の改修を含めた国営総合農地防災事業の令和3年度からの事業化に向けて、国や関係各市、各土地改良区等と調整を図っています。(「千葉県」HPより)

「利根川」側。

手賀川。

        遊覧船の船着き場もある。

手賀川

手賀沼東部に源を発し、東に流れる。流路に柏市我孫子市印西市がある。印西市発作付近で下手賀沼の水・下手賀川と合流する。途中、印西市大森で流路が2つに分かれる(北が六軒川、南が弁天川)。その後、印西市木下(きおろし)付近で再び合流し、利根川にそそぐ。手賀川の水深は15m(浅間橋付近)である。

手賀川は手賀沼の干拓により流路が伸びた。昔の手賀川は、今の手賀川本流と下手賀川との合流点付近が源であった。

手賀沼では、大きな干拓が2度行われている。第一干拓では、現在の下手賀川付近、第二干拓では今の手賀川北岸が埋められた。これにより、ほとんどが水田となり、残った部分が手賀川となった。

ところで、「手賀沼」は、全国の湖沼汚染度「ワーストワン」として有名になりました。近年は少し改善されてきたようですが。

手賀沼の水質は、昭和50年代に入って急激に悪化し、一番悪いときで54年度にはCOD27(mg/l)を記録していました。それから徐々に改善傾向にむかうものの、平成7年度のCOD年平均は24とまた悪くなり、平成12年度には再び14まで下がってきました。
そもそも湖沼の汚れは、人間がそこにどう関わっているかで決まるもので、湖や沼のせいではないのです。ちなみに湖沼水質のベスト・ワンは、周囲をすべて自然に囲まれた北海道の支笏湖で、COD年平均0.7です。これと、まったく同じ基準で比較するのも、周辺の田畑がどんどん宅地化し首都圏のベッドタウンになってきた手賀沼には気の毒というものです。
この手賀沼のCODの経年変化に、なにか明確な原因や背景がないかを探る試みもありました。結局、はっきりとした原因を求めることはできませんでした。ただ、間違いなく言えることは、周辺の宅地化、人口増といった水質を悪化させるマイナス要因と、下水道や合併処理浄化槽整備といった水質を浄化して排水するプラス要因のせめぎあいの結果として、COD経年グラフに表れているということでしょう。

手賀沼の場合、COD排出負荷量は一日あたり4.4トンと計算されていて、その内訳は家庭からの生活雑排水の占める割合が62%、市街地や農地などからの自然排出が32%、工場からの排水が6%、となっています。・・・一番大きな影響を与えている生活雑排水の内訳は詳細にはわからないのですが、一般に家庭から排出される台所、お風呂、洗濯、トイレなどの排水もすべて生活雑排水です。したがって、公共下水道が完備されていれば、これらはすべて下水処理の過程で浄化されたうえで、汚物は最終処理され、きれいな水になって自然界に排出されているので問題はありません。千葉県全域の公共下水道普及率は58%で全国平均の62%には及ばないものの、手賀沼の指定地域内だけでみると約73%と、決して低いという数字ではありません。
にもかかわらず、「日本一汚れている湖沼」という汚名を27年間もかぶらざるを得なかったのは、やはり下水道につながっていない生活雑排水が相当量あったということでしょう。下水道未普及地域の対策としては、合併処理浄化槽の普及がありますが、単独浄化槽から合併処理への切り替えが思うように進まないこと、生活や事業からでる汚水を直接雨水排水口に流し込んでしまうケースや、下水道エリアに入ってもつながないケースもあるということです。
それになによりも、市街化が急速に進んだ結果として自然系負荷や産業系負荷も増え、これまで森や林だった丘陵が住宅地になるということは、負荷を減らす要因だったものが逆に増やす方になってしまうわけで、そのバランスがとれなくなったためといえます。

(この項、「」HP参照)

手賀沼の地元も水質改善のための事業を行っています。以下はそのHPより。

約1,000年ほど昔の手賀沼は手下水海と呼ばれ、香取海という内海の一部であり、海水が流れ込んでいました。

当時利根川は、東京湾に注がれていました。江戸時代初期、江戸を洪水から守ることや、食料増産のため、利根川東遷という、利根川を東京湾から銚子で太平洋に注ぐ川に変える工事が行われました。

このため、利根川から運ばれた土砂で香取海は陸化し、手下水海は湖沼化していきました。

その後も、利根川の度重なる氾濫で手賀沼に逆流した水により、流域の人々は苦しめられました。

そのため、昭和21年から約20年かけて干拓事業が行われ、当時の手賀沼の面積の約4割が水田となり、現在の手賀沼・下手賀沼に分かれた形になりました。

手賀沼の干拓。

かつては底が透き通って見えるほど水が澄み、夏には子供たちが泳いで遊んだほど美しく豊かな沼でした。

過去の写真。

手賀沼の流域

流域内から出た生活排水や雨水は、手賀沼に流れ込みます。手賀沼からはなれていても、手賀沼に汚れを流してしまう可能性があります。

この項「」HPより)

1880年代のようす。手賀沼が大きく広がっている。

2010年代のようす。手賀沼の干拓によって農地が拡大されている(特に東南部分)。

「今昔マップ」より、「干拓前後」。新田開発と住宅地化。

「海から75㎞」。

「いんざいうぉーくオススメコース」。

我孫子市に入ります。

 


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