おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

日本三大美人。卒塔婆小町。待ち針。数寄屋橋交番。・・・。

2013-07-23 19:50:10 | 世間世界
 悪乗りついでに。

・日本三大美人=衣通(衣通郎姫)姫・小野小町・藤原道綱母
・世界三大美人=クレオパトラ7世・楊貴妃・ヘレネー(日本では「小野小町」)

衣通(衣通郎姫)姫=そとおりひめ(そとおりのいらつめ)。允恭天皇の妃。日本書紀・古事記に美人と表記されている。
藤原道綱母=蜻蛉日記の作者。尊卑文脈(公家中心の系図集)に「本朝第一美人三人内也」と書かれている。
そして、「小野小町」。

 これもついでに。

三大美人(の産地)=秋田、京都、博多(石川=加賀が入ることも)
三大ブス(の産地)=水戸、仙台、名古屋
 と一般的には言われている(私が言ったわけではない)。これはどうなのですかね。もちろん、「秋田美人」とは、秋田県出身の「美女」を指す。ちなみに「小野小町」は秋田県雄勝町小野の里の出身といわれる。「あきたこまち」は、お米のブランド名。

「小野小町」にまつわる伝説。(京都市の観光協会のHPより)

①深草の少将百夜通い
 小野小町に思いを寄せる深草の少将。「私の所に100夜通い続けたら、思いを遂げさせてあげる。」との小町の言葉を信じ、深草から小町の住む山科・小野の里まで約5km、毎晩通い続けた。小町は榧の実で少将の通った日を数えていた。ところが99日目の雪の日、少将は99個目の榧の実を手にしたまま、死んでしまった。小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔いたという。

②はねず踊り
 山科の随心院に伝わるはねず踊りの歌詞は一般的な百夜通いとは少し違う。少将は小町愛しさで深草から毎日小野の里まで通う。日数を榧の実で数えるまでは同じ。ところが99日目、雪があまりにもひどかったので代人に通わせた。気が変わった小町は「百晩はまだでもまあお入りなさい。」と招き入れるが、少将とは別人ということがバレて愛想をつかされてしまった。その後小町は少将のことは忘れ、老いてなお、里の子達と楽しい日々を過ごしたという。少将は振られてしまって少しかわいそうだが、亡くなりもせず、小町の方は老いても幸せそうな人生を送っているので、他の百夜通い説話よりも明るい結末というべきか?

③深草の少将秋田へ
 小町は秋田県雄勝町小野の里の出身。13歳のとき京へ上り宮仕えするが36歳で故郷の秋田へ帰る。深草の少将は小町を追って何と秋田へ!疱瘡を患っていた小町は「毎日1本ずつ近くの土手に芍薬を植えて。100本植えたら会いましょう」と提案。そのうちに疱瘡も治るだろうと考えていたが、100日目の雨の日に渡っていた橋が流されて、少将は亡くなってしまう。小町は少将が仮の宿としていた長鮮寺に住んで92歳まで少将を弔って暮らした。

④『妙性寺縁起』
 晩年の小町は天橋立への旅の途中で、三重の里・五十日(いかが・現在の大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、辞世の歌を残して亡くなったという。村人達は小町を篤く弔い、村の一等地に葬った。後に彼女を慕って深草の少将までもが現れて、この地で亡くなったという。

⑤草紙洗小町
 大友黒主と歌合せをした小町。黒主は小町の歌の評判がいいのをねたんで、草紙に歌を書き込み、「小町の歌は万葉集の盗作だ」という。小町は落ち着いてその草紙を近くの井戸で洗うと、後から書き足した歌が洗い流れ、汚名を晴らした。

⑥小町針
 絶世の美女なのにもかかわらず、男を寄せ付けなかった小町は実は男を受け入れられない体であった。穴のない「まち針」は「小町針」からなまったものだという説も。

⑦温泉で疱瘡を治した小町
 京都のとある温泉町(今の福知山市)に疱瘡を患った女性がやってきた。村薬師如来に祈りつつ温泉につかっていたところ、たちまち疱瘡は治り、輝くばかりの肌になった。実はこの女性、小野小町だった。

⑧老いた姿を嘆く小町
 年老いた小町は小野一族ゆかりの地に辿り着き、井戸などに自分の醜くなった姿を写し、嘆きつつ、余生を送った。行き倒れになったという話も。

 なんといっても謡曲には題材として格好のお方。多くある中で、なかでも
・「卒都婆小町(そとばこまち)」。観阿弥作。小野小町を主人公とする「小町物」の代表的作品。
 乞食の老女が卒塔婆に腰掛けているのを、高野山の僧が見咎め、説教を始めるが、逆に法論でやり込められる。驚いた僧が彼女の名を聞けば、かつては才色兼備を謳われた小野小町の成れの果てだという。彼女は自らの来し方を語り始めるが、彼女にあこがれて通いつめながらついに願いを果たせなかった四位の少将の霊にとりつかれ、苦しめられる。

・「あなめ小町」
 ススキ野原の中で「あなめあなめ」(ああ、目が痛い)と声がするので僧が立ち寄ってみると、どくろがあって、その目からススキが生えていた。抜き取ってやるとそれは小町のどくろだった。

 小野小町には言い寄る高貴な男どもを振ったせいか、晩年になって容色が衰え、生活に困り、乞食となってちまたをさまよった、というお話が受けた、らしい。美人も晩年は気の毒。今どきの美人はそうでもなく高齢で亡くなるまで「絶世の美女」のたたずまいを醸している。

 昔から有名で知っている方も多いと思うが、⑥「小町針」の伝説が面白い。

 待ち針は縫い針とは違い、頭の部分に穴が無く、代わりに球型または薄い花びら型の飾りが付いている。これは裁縫の際に、待ち針を打った位置を分かりやすくするためと、待ち針が入りすぎる事を防ぐためである。
 一般的な使用方法は、仮止めしたい布地に対し一定間隔で待ち針を打ち、仮止めしたところを縫い合わせ終わったら、順次その場所から待ち針を抜いていく、というものである。
 待ち針の名称は小野小町に由来するという話があるが定かではなく、この説は名前から話が作られた可能性が高い。
(さすが「Wikipedia」。真面目に論証しています。)

警視庁築地署数寄屋橋交番
築地警察署が管轄する交番。屋根のデザインを決める際になかなか決まらなかったため、作成した交番の模型に冗談半分で待ち針を刺したところ、そのまま交番の屋根のデザインとして採用されたという。


 冒頭の絵に描かれた小野小町の歌。(「三十六歌仙」)

 色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける

 ちなみに「百人一首」中の歌。

 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに  

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