おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

荒川沖~中村~土浦~中貫~稲吉~府中。その5。(「水戸街道」をゆく。第4日目。)

2016-12-27 19:51:35 | 水戸街道

 「中城通り」から東に向かいます。かなり古びた建物。

「ほたて」。天麩羅屋さんが右の角に。

2015年8月1日(土)放送 出没!アド街ック天国 「茨城 土浦」
【7位】ほたて食堂(茨城 土浦)
 明治2年(1869)創業。予科練生が家族との面会にも使ったお店。当時は鮮魚店で丼ものを出していたが、現在は天ぷら専門店として営業している。
                    (HPより)

 そのお店の角のところに「桜橋」の柱と「土浦町道路元標」、「解説板」があります。
    
桜橋跡  [うんちく板]
 大正13年(1924)頃、旧土浦警察署(現日本生命ビル)の火の見櫓から川口川に架かる桜橋を望んだもの。
 手前左側に豊島百貨店、その先に木造3階建ての丸勢旅館が並び、桜橋の右の松庄旅館の後方に土浦町役場が見える。
 昭和10年(1935)、川口川を埋め立て祇園町が誕生するまで、桜橋には船がのぼり、水陸交通が交差する地であった。右岸にはバラックが並び、亀城通りはまだ開通しない頃の街並みである。

「亀城通り」。土浦城へ向かう道。

通りの反対側に「桜橋の跡」碑と解説板が設置されています。
    

その近くにしゃれたお店。宿場町を意識した造り。

角にある「三菱UFJ銀行」の脇に旧町名の解説碑。

本町 由来
 東﨑分集落の中心として、その名のごとく中城と共に土浦宿の代表的な町人町で、二つの本陣(山口家、大塚家)もここにあった。問屋も中城と本町の問屋が交代で務めた。また川口川を通じ霞ヶ浦水道の要で船宿もあり、水陸交通の要衝であった。

 (12:09)その先の「土浦商工会議所」が「大塚本陣」跡。
    

ここで旧道は左に曲がります。

足元には「土浦宿」のタイル絵。

ここにも「旧仲町 由来」碑。  

 (12:17)しばらくまっすぐ進み、「常陽病院」のところで左に曲がり、すぐ右に曲がります。宿場の北に位置する「桝形」。
                          「橫町 由来」碑。

 その道もまた左に曲がります。             
    

そろそろ土浦宿の北の外れ。  「北門の跡」碑。

その先で振り返って望む。

 その先にも「土浦城北門の跡」碑があり、そこに「馬出し」の図が記されています。
    

 (12:24)その先の「新川橋」で「真鍋宿」へ向かいます。「真鍋宿通り」という掲示が橋の欄干に。
    

 「真鍋宿」は、間の宿だったのでしょうか。宿場らしいおうちが続きます。

 (12:27)「関東鉄道本社」の手前には「りんりんロード」。かつての線路跡があります。
    

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