おやじのつぶやき

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読書「幽霊 近世都市が生み出した化物」(髙岡弘幸)吉川弘文館

2016-09-09 19:13:15 | 読書無限
 夏休み期間中に両国・「江戸博」で開催されていた『大妖怪展』。つい行きそびれてしまったので。無論、「幽霊」と「妖怪」とは異質なもの。そのあたりを。

 ところで、小池さんの『たまもの』。その「たま」は、人魂(ひとだま)というように「魂」、「霊魂」も意味しています。また、「もの」も「物の怪(もののけ)」というように、化け「物」を意味することも。すると、小池さんの小説『たまもの』の「たまもの」は、「霊魂」や「物の怪」を指していたのか、とも。ま、そんな雰囲気はありませんでしたが。

 この書は、「歴史文化ライブラリー」の一つ。この叢書は民俗学、文化人類学、考古学、近世史など、歴史・文化にちなんだ話題を一般の人にもわかりやすく、かつ、学術的に追求したシリーズです。「吉川弘文堂」らしい企画物。

 「幽霊」の正体とは何か。いつ、いかに生まれ、さらに可視化されてゆく(目撃される、描かれる)ことで、世にも怖い存在(畏怖の対象)になっていったのか。そして、現代になり、現世と来世、死者と生者とが断絶する中で、かつて怖い存在だった幽霊がすっかり現代の人々の目には見えなくなってしまった(怖れの対象ではなくなった)のか。

 筆者は、近世以前の「鬼」「化物」とは異なって、はからずもこの世を去らざるを得なくなった(死んだ、殺された、非業の死を遂げた)死者が、その恨み、悲しみ、執着などによって、再び生者の世界にさまよい出て「幽霊」として可視化されていく過程、それは近世社会になり、次第に都市化(ムラからマチへ)していく中で、強固な武士社会の確立(身分制度)、家制度(家父長制)の徹底、さらに貨幣経済の進展などがその根底・基盤にあったことを丁寧にひもときながら、「幽霊」の本質に迫っていきます。
 古今の文献的な史料にのみ依拠するのではなく、柳田国男などの先人の手による民俗学の成果の上に立って、実証的に迫っていきます。「幽霊」への迫り方は謎解きのような切り口で、とても精緻で、巧妙です。

 日本人は「喜び」や「悲しみ」「怒り」といったさまざまな感慨を、幽霊すなわち死者に託して表現してきた。だからこそ、私たちは、幽霊が沈黙し、姿さえ無くしてしまったことの意味を深く考えなければならないのである。幽霊は、いつ、再び姿を現わし、かそけき声ではあるが、何かを語るようになるのだろうか。それは、私たち「生者」がどのように社会と向きあうかによって決まるのである。(P234)

 近年の、阪神淡路大震災、東日本大震災などの相次ぐ自然災害や子殺し、親殺し、障害者殺人などの凶悪犯罪が頻発する中で、多くの人々の非業の死が度重なる。そうした状況の中から、新たな「幽霊」が登場することもありうることでしょう。
 一方で、たとえそうなったとしても、目撃される「幽霊」の正体、現象がたんなる「都市伝説」として葬り去られるとしたら、今、この世に生きている、私たち自身の「生」に対する実感の希薄さとも重なるのではないでしょうか。また、社会に対する感性の鈍化につながっているのではないでしょうか。

表紙の絵は(伝)円山応挙「幽霊図」。

「ニッポンの妖怪文化」(《ユリイカ》7月号)

 こちらこそ、「江戸博」の企画に合わせた特集。多士済々、多岐に亘って「妖怪」を俎上にのせています。水木しげるの世界、「妖怪ウオッチ」の世界まで、漫画文化から春画まで、サブカルチャーとしての括りを批判的に乗り越えて、ニッポンの文化にとっての「妖怪」の世界に迫っていきます。

 2冊が期せずして「妖怪」「化物」「幽霊」のそれぞれの位置づけと関わりについて探求する、興味深いものでした。

 すでに「江戸博」での特別展も終わり、「谷中・全生庵」での円朝ゆかりの幽霊画の公開も終了しました。

 そうそう、ずいぶん前に(いつごろだったか)TVを見てたら、そのときにスタジオに掲げられていた絵の幽霊の目が動いたのをしっかり見たことがありました。
 その衝撃は今でもはっきり覚えています。けっして都市伝説の類いではありません。いつ頃、どのチャンネルのどういう番組かは忘れてしまいましたが。 
  

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