おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「関東鉄道常総線」+「真岡鉄道」。その5。真岡(もおか)鐵道。下館二高前。久下田(くげた)。トウモロコシ畑。真岡・SLキューロク館。(関東ローカル私鉄の旅。その4。)

2023-08-14 20:17:33 | ローカル鉄道の旅

出発です。

沿線には、益子焼で有名な「益子」があります。

                     「益子焼上り窯(益子町)」。

「下館~茂木」。

              途中15駅、所要時間1時間13分。11:10発、12:23到着。

下館二高前。

見えている校舎は下館中学校。

田園風景が広がる。

「折本」。

上り列車と行き違う。

            

       

「久下田(くげた)」。

              

駅舎内には多目的施設「さくらホール」が併設されています。「久下田」の「くげ」とは白鳥(鵠)のことで、白鳥が付近の水田に住み着いたことを由来とする地名です。(「真岡鐵道」HPより)

※「境川」歩きの時、「江の島」近くに「鵠沼(くげぬま)」という地名がありました。同じ謂われがあるようです。

刈り入れを終えた田んぼ。

この付近も、早場米の産地。

トウモロコシ畑。

田んぼとトウモロコシ畑と。

親子連れが前方で行く手を見つめる。

                   どこまで行くのでしょうか?

この付近はトウモロコシの産地。

                  

          遠くには「筑波山」から続く山並み「八溝山地(やみぞさんち)」

・・・前方に蒸気機関車をかたどった駅舎が。

          

「真岡駅」に到着です。

                 

親子連れはここで下車しました。お目当ては?

真岡駅はSLを形取った複合施設で、真岡駅子ども広場、真岡駅前交番、真岡鐵道株式会社の本社が併設され、関東の駅100選にも選ばれています。
また、真岡鐵道の車両基地があり、東口には2013年にSLキューロク館がオープンしました。(「真岡鐵道」HPより)

1912年明治45年)4月1日に、下館 - 真岡間の官設鉄道真岡軽便線が開業し、真岡駅が開設された。翌年1913年大正2年)7月11日に、真岡軽便線は真岡駅から七井駅まで延伸された

・・・1987年(昭和62年)4月1日に、日本国有鉄道(国鉄)が分割民営化され、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となった。翌年1988年(昭和63年)4月11日に、JR東日本真岡線第三セクター真岡鐵道になった。同時に真岡駅は呼称を「もうか」から「もおか」に変更した

1997年(平成9年)3月30日に、SLの形の新駅舎が完成し、供用開始された。同年、関東の駅百選に選出された

真岡市では、2012年現在井頭公園で展示されていた9600形49671号機を駅東口に移設展示し、廃車車両も外観整備をした上で移動させ真岡駅全体をSLミュージアムとして新たな観光名所を計画。2012年7月には、展示車両のひとつであるスハフ44 25が駅構内へ搬入2013年(平成25年)4月28日に、SLキューロク館が開館した

               

真岡駅西口を入口とし、駅構内西側の側線群、SL格納庫、転車台、展示車に沿った歩道を開放して真岡まるごとミュージアムとしている。

(この項、「Wikipedia」より)

施設の名称は、館内に展示している9600形蒸気機関車が大正時代の代表的な蒸気機関車の一つであり、太いボイラー、短い化粧煙突、低い二つのドームにかたどられた雄姿で、「キューロク」の愛称で多くの人々に親しまれたことから「SLキューロク館」と名付けました。

(この項、「」HPより)

車窓から。

        

              

               親子連れは、喜々としてホームに降り立ちました。

※真岡市は北関東にある栃木県の南東に位置し、東に連なる八溝山地、西に流れる鬼怒川を抱える自然豊かな都市です。
首都東京から90キロメートル圏内に属し、東京駅から東北新幹線を使えば約1時間40分の距離にあります。
年間の平均気温は13.0度(最高19.0度、最低7.7度)、平均降水量は1275.9ミリメートル。
雪はときどき降りますがそれほど多くはなく、比較的温暖で暮らしやすい気候です。
市の面積167.34平方キロメートル、人口79,539人(平成27年国勢調査より)。
かつては農業を産業の基盤とするまちでしたが、現在は91社におよぶ企業が操業する大規模な工業団地を有するハイテク都市として発展を続けています。農業・商業・工業がバランスよく調和した理想的な地方都市です。

平成21年3月に二宮町と合併したことにより、いちごの生産量が日本一になり、また茨城県との県境になりました。
名前の「真岡市」の由来には、鶴が舞い降りた丘、「舞丘(まいおか)」と呼ぶようになって、舞丘が「もうか」といわれるようになり、「真岡」と書かれるようになったなど諸説あります。

                                        (「真岡市観光協会」HPより)

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