(11:21)しばらく休んで出発。左手に「風穴」。
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刎石溶岩のさけめから水蒸気で湿った風が吹き出している孔が数か所ある。「刎石山」は、火山でした。お椀型なのも納得です。瓦礫が道にごろごろ転がっています。
静かな山道をのんびりと上って行きます。
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その先で、後ろから足音がしてきたのでびっくりして振り向くと、女性が後ろから近づいてきます。
さっき坂本宿の「デイリーヤマザキ」に立ち寄ったら、一人先に行きましたよ、と言っていたので・・・、と。この方、「西松井田」駅から歩いてきたのだ、とも。さすが健脚のようで、山道にも慣れているようすで、さっと追い越して行きました。
これ以降、誰にも会わずに黙々と歩きます。
右手奥の方に「弘法の井戸」という標識がありましたが、何だか荒れ果てていたので、立ち寄らずにそのまま通り過ぎました。
ここで、道に迷います。落ち葉がびっしり敷き詰められた杉林の中にあちこち踏み跡(のようなもの)があります。南側の、日差しが差す奥には墓石のようなものも建っていて、そっちの方へ進んでしまいました。かなり下ってこれはおかしいと再び「弘法の井戸」付近まで戻り、ようやくそこで本来の道に出会いました。
平らになった道を進んで行くと、かつて4軒の茶屋があった広いところへ出てきます。
(11:39)
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刎石茶屋跡
ここに四軒の茶屋があった。現在でも石垣や墓が残っている。
四軒茶屋跡
刎石山の頂上で昔こゝに四軒の茶屋があった屋敷跡である。今でも石垣が残っている。(力餅、わらび餅などが名物であった。)
奥に石垣が見えます。
(11:44)「碓氷坂の関所跡」。
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晶泰2年(899)碓氷の坂に関所を設けたといわれる場所と思われる。
左手に東屋があって休憩に最適なようですが、さっき道に迷った分、そのまま通過。明るい道筋。落ち葉と石を踏みながら。
尾根伝いの道。
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(12:03)しばらく進むと、両側がすっぱりと削れた道になります。人為的に切り取って崖状にしたようです。
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掘り切り
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所で、道は狭く両側が掘り切られている。
その先の南側が切り立った絶壁となります。
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この切り通しを南に出た途端に南側が絶壁となる。
昔、この付近は山賊が出たところと言われ、この険しい場所をすぎると、左手が岩場となり、そこにまた馬頭観世音が道端にある。
寛政3年12月19日 坂本宿 施主七之助
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馬頭観世音のあるところは、危険な場所である。
一里塚の入口から下ると、ここに馬頭観世音が岩の上に立っている。
観世音菩薩
文化15年4月吉日
信州善光寺
施主 内山庄左衛門 上田庄助
坂本世話人 三沢屋清助
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座頭ころがしの坂を下ったところに、慶長以前の旧道(東山道)がある。ここから昔は登っていった。
その途中に小山を切り開き「一里塚」がつくられている。
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急な坂道となり、足下には小石、落ち葉もたくさん。うっかりすると、足をくじきそうな道筋。
(12:22)
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座頭ころがし(釜場)
急な坂道となり、岩や小石がごろごろしている。それから赤土となり、湿っているので,すべりやすい所である。