十数年ぶりに宮崎の日向市に出かけました。お祝い事に出席のためです。今、宮崎は口蹄疫の猛威の中、畜産業が壊滅的状況になってしまっています。宮崎空港から特急にちりんで一路北へ向かいました。
日向市駅に着くまでの約1時間。車窓からは日向灘が見え、明るい日差しに海が遠くまで光っていました。温室栽培も沿線一体に広がり、田植えも済んで稲が伸びて、大きな屋敷の庭にはたくさんの大きな鯉のぼりがひるがえり・・・。いたってのどかな田園風景が広がっています。
でもよく目を凝らしながら外を眺めていると、牛舎らしき建物はありますが、牛の姿がまったくない。そんな建物をいくつか見かけました。速いスピードで走っている車窓からですから、しかと確認できたわけではありませんが、日向が着いてそのことを知人に話すと、ここから南の方が壊滅的だと聞きました。あれらが、その一部なのかと思います。
駅のホームで売っている地元の新聞でも大きく扱っています。東京でのテレビや新聞からではなかなか分からない、深刻な事態が進行している・・・、義援金も集まってきているとか。
生き物の生きているはずの姿がない、ちょっとショック。馬は平気なのでしょうか、乗馬クラブがあって、そこには馬の生き生きとした姿があっただけに。命あるもの、動くものが動かなくなってしまった、死んでしまうことほど切ないものはありません。
しばらくすると、海側に一本の長い直線の軌道がずっと続きます。リニアモーターカーの実験線だった。山梨にその役割を移されて、そのまま放置?結構長く続きますが、太陽光のパネルが線路上に置かれてあったり(これは何かの実験なのでしょうが)、コンクリートも薄汚れたままで、雨風にさらされている様子でした。このまま、朽ちていくのでしょうか。撮りたかった写真ですが、高速で走る電車からでは無理でした。
線路は単線で、駅によってはホームがすでに使われなくなって、線路も外され、小さなお花畑のようになっている駅の光景も目につきました。写真は、すでに使われなくなった線路と動かなくなって放置された気動車。
帰り。空港の近くに、「宮崎特攻基地慰霊」の大きなモニュメントが見えました。宮崎空港は、かつての基地。ここから特攻隊が帰ることの出来ない突撃に出発したそうです。「鎮魂碑」というものでしょうか、ここにもまた若くして、命を捧げた人たちがいた・・・。生きとし生けるもの、それらが若くして命を終える、おおげさですが、人の命、生き物の命を感じた旅でした。
大きな犠牲を払う代償として、何とか穏やかな平穏な暮らしを取り戻してほしい、とも。もともと「海幸山幸」の国土なはずですから。他人事ではなく、何か出来ることはないだろうか。
使われなくなったホームとお花畑
大淀川の流れ
ちょっとレトロな列車「海幸山幸」号
日向市駅に着くまでの約1時間。車窓からは日向灘が見え、明るい日差しに海が遠くまで光っていました。温室栽培も沿線一体に広がり、田植えも済んで稲が伸びて、大きな屋敷の庭にはたくさんの大きな鯉のぼりがひるがえり・・・。いたってのどかな田園風景が広がっています。
でもよく目を凝らしながら外を眺めていると、牛舎らしき建物はありますが、牛の姿がまったくない。そんな建物をいくつか見かけました。速いスピードで走っている車窓からですから、しかと確認できたわけではありませんが、日向が着いてそのことを知人に話すと、ここから南の方が壊滅的だと聞きました。あれらが、その一部なのかと思います。
駅のホームで売っている地元の新聞でも大きく扱っています。東京でのテレビや新聞からではなかなか分からない、深刻な事態が進行している・・・、義援金も集まってきているとか。
生き物の生きているはずの姿がない、ちょっとショック。馬は平気なのでしょうか、乗馬クラブがあって、そこには馬の生き生きとした姿があっただけに。命あるもの、動くものが動かなくなってしまった、死んでしまうことほど切ないものはありません。
しばらくすると、海側に一本の長い直線の軌道がずっと続きます。リニアモーターカーの実験線だった。山梨にその役割を移されて、そのまま放置?結構長く続きますが、太陽光のパネルが線路上に置かれてあったり(これは何かの実験なのでしょうが)、コンクリートも薄汚れたままで、雨風にさらされている様子でした。このまま、朽ちていくのでしょうか。撮りたかった写真ですが、高速で走る電車からでは無理でした。
線路は単線で、駅によってはホームがすでに使われなくなって、線路も外され、小さなお花畑のようになっている駅の光景も目につきました。写真は、すでに使われなくなった線路と動かなくなって放置された気動車。
帰り。空港の近くに、「宮崎特攻基地慰霊」の大きなモニュメントが見えました。宮崎空港は、かつての基地。ここから特攻隊が帰ることの出来ない突撃に出発したそうです。「鎮魂碑」というものでしょうか、ここにもまた若くして、命を捧げた人たちがいた・・・。生きとし生けるもの、それらが若くして命を終える、おおげさですが、人の命、生き物の命を感じた旅でした。
大きな犠牲を払う代償として、何とか穏やかな平穏な暮らしを取り戻してほしい、とも。もともと「海幸山幸」の国土なはずですから。他人事ではなく、何か出来ることはないだろうか。
使われなくなったホームとお花畑
大淀川の流れ
ちょっとレトロな列車「海幸山幸」号