百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ミュージック&タイミング。

2024年01月11日 | 百伝。

昨日は、父 の生誕百年。
今日は、父の命日。

思えば百年前の1924年(大正13年)は、どんな時代だったのだろう。

関東大震災(1923年)の翌年に生まれ、1929年の世界大恐慌に少年時代を過ごし、やがて、1941年の太平洋戦争の時に青春期。

船乗りとして、夏は、ベタ凪の日本海まわり、冬は、太平洋まわりの北前船のように、荒海を避けながらの人生航海だったようです。

さて、1945年の終戦後。

震災の被害の大きさを並べると、東日本大震災、阪神淡路大震災、その次に甚大な被害を受けているのが1948年(昭和23年)の福井大震災です。

戦後間もなく当時、子供だった福井の高齢者の皆さんが言うには、「あの頃はテレビも電話も無い。今の時代と違い誰も外から助けに来てくれなかった。それぞれの地区、集落で助け合って生き延びた。」と、言います。

奥能登の震災発生10日が過ぎました。

惨状を見るにつれて、日本という国家は豊かになったのだろうか?

あるいは、75年昔同様に未だに貧しい国家なのか?

貧しき家庭に子沢山は、夢があった昔話。

政治家は自らの裏金作りのシステム構築を考えるよりも、国家の社会的弱者を救うべきシステムを素早く構築、実現する、これこそが国家百年の計。

さもなければ、日本の限界集落ならぬ限界国家へ。

職場の施設には能登半島先端海沿いの出身の方が暮らしています。

福井にお嫁に来るまで、21歳まで能登の海岸沿いで暮らしていたそうですが、今は認知症。 

テレビで故郷の能登の悲惨な現状を観ても、認知できないようです。

認知機能低下、認知症であった方がよいのかも知れない、日本の後期高齢者の人生縮図です。

ケセラケセラ♪・・福井から眺める今日の夕陽を浴びる白山連峰です。

はて、内憂外患とは、国家もしくは個人にも当てはまります。

去年暮れ、大動脈の太さを測った際、すい臓に影があるとの事。

今日は、その為に造影剤を入れてCT検査、結果は大丈夫だとの事。

帰りは、嬉しくて、いつも使うエレベーターではなく駐車場の階段を上っていたら、躓いて転倒しました。

痛い、今は右脚、右腕を庇いながら歩いています。

人生、油断大敵です。

痛くて、歩きながらも、耳に残るのは、細かいリズムを刻むような大晦日の紅白歌合戦でのAdoの唱、Yoasobiのアイドル。

外国人が日本語を話すような速いテンポ❗

圧巻でした❗

この場合のアイドルは、偶像の(idol)ではなく、中間ギア、遊び歯車のアイドルギア(idle gear)で使う怠け者の(idle)なのかな?

若い頃にファンだった女性ロッカー、スージ・クアトロを連想しました。

職場でテレビ録画している昨年大晦日の紅白歌合戦は、利用者さん、職員と一緒に何度も観る事が出来ます。

驚く事を言う人有りです。

紅白歌合戦、今までに応募葉書が当選して、福井から大晦日に上京して4回も生放送を観劇したという高齢者ご夫婦。

20年ほど昔、僕も親孝行の為、50枚ほど往復葉書で応募したけど落選した記憶が甦りました。

演歌歌手、竹島宏さん(福井市出身)が、今回も紅白歌合戦には出場できないと悔しがる人、馴染みの子なのか、自分の孫みたいに想うのでしょう。

ルビーの指輪を歌う寺尾聡さん、父親の宇野重吉さん(福井市出身)の思い出を語る人。

職員のある人は、身内に「ゆず」の北川悠仁さんと従姉がいると言う、北川さんの祖母が福井の方だとか。

今年は話題性が多く、職場で盛り上がった紅白歌合戦でした。

今年の大晦日、石川さゆりさんには、出世作の「能登半島」を歌って貰いたいものです。

個人的な感想。

25年前のブラックビスケットの「タイミング」の♪ズレた間のワルさも君のタイミング、♪ヒトも街も宇宙も まわるまわるタイミング♪

ハマいく「 ビートdeトーヒ」の♪ずっとずっと鳴り止まないでミュージック♪

ミュージック&タイミング・・そっくりなリズムだなぁ❗

来月、クイーンの日本公演予定、家内は観に行くとの事。

そのタイミング、僕は、百島で草刈りをしていた方が楽しみです。

今想う父の後ろ姿。



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