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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

お遍路

2006年11月13日 | 千伝。
NHKの土曜日ドラマで「ウォーカーズ ~迷える大人たち~」という番組が始まりました。

四国八十八ヶ所を巡る「歩き遍路」のストーリーですが・・

それにしても事実は、ドラマよりも奇なりです。

実際、何十年も四国をグルグルと数百周もしながら、托鉢しつつ生きている「お遍路さん」がいるのにもびっくりです。

また、行けない人の代わりにビジネスの代行業者がいるというのもびっくりです。

商売上手な寺院もいっぱいあると聞きます。(笑)

昔、故郷から四国の山並みを遠く眺めていました。

あの空の下に、弘法大師(空海)の世界は、今も息づいています。

日本には、郵便局2万4千。コンビニ4万。寺院数8万弱。

この他神社も同数の8万社。

つまり、あわせて16万の神社仏閣があるそうです。

そして、神社仏閣の方が、コンビニよりも経営が安定しているという事実もあります。

この世の思想体系には観念論とか唯物論とか弁証法とか・・いろいろとあります。

哲学、宗教というのも、まさに人間の「心の煩悩」と「心の救い」を橋渡しとする手段かもしれません。

ロンドンの北部にある墓地には、資本論を著したマルクスのお墓があります。

マルクスの巨大な頭部の像があって、その周りを幾重の観光客が取り囲んでいました。(ソ連が崩壊する以前ですから、今はどうなっているのやら・・)

当時の共産圏の人々にとっては、レーニンやらマルクスは、新しい神のような存在だったのかもしれません。

ただ歴史が証明しているように、唯物論的な人間(思想家・政治家)というものは、拷問とか迫害に遭うと案外簡単に転向してしまいます。

逆に、観念論的な人間(宗教)は、ひどい拷問に遭おうとも、なかなか「信じる」ことをあきらめません。宗教の神聖さでもあり、また不可解な部分です。

先日のドラマを観ながら、ポルトガルの山深い所にファティマという聖地を訪問した時の事を思い出しました。

マリア様が、この世に降臨したという場所です。

そこで、身体の不自由な方々が、這い蹲ってぐるぐると腕と肘を使って前に進んでいる光景が目に浮かんできました。

「生きる」という一心の祈りでしょう。

「生きる」という意味は、「生かされている」という意味なのだと思います。

自分の命や身を挺して、たとえ家族や身内や友人知人を守ることができても・・他人を守ることができますか?

永遠の課題として、神や仏は、その宿題を人間に与えているのかもしれません。