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品格道

2006年11月17日 | 千伝。
「国家の品格」の著者 藤原さんは、武士道に重きをおいて「恥・卑怯な行為」を述べている。

どんな嫌な野郎でも、一人を多勢で攻撃するのは、卑怯という行為であるとの事。

都知事の石原さんは、自分の子供に喧嘩のやり方を教えたことを例にして、今の子供達に「ファイティング精神」の必要性を説く。

国会議員の長男は、少林寺四段だとも自慢していた。

あるお坊さんの話を訊いた。

「自分の子供には、剣道など人を殺せる武道を絶対にさせません」と説いている。

もし、人に殺されそうな事件に遭遇した場合には、「許してくれ。助けてくれ」と叫べ、と教えたと言う。

さらに「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも何でもいいから題目を唱えろ、と教えたとのこと。これこそ、「慈悲」と「覚悟」の「悟り」であり「心の救い」だと言う。

これでは、臆病者の謗りを免れない「恥」では?という小生の問いに、それは、煩悩だと答えられる。

人に殺されても構わない「泣きながらの覚悟」を持って生きる人間は・・

弱いのでしょうか? それとも強いのでしょうか?

その反面、「葉隠」という武士道もあるが、武士道とは「潔い死に方」でもある。

仏道とは、「潔い生き方」だという。

人間というものは、涅槃という極楽世界まで創り出す代わりに、同種の人間をいとも簡単に殺せる。

拷問という苦痛を考えたのも人間である。

地獄の底まで掘り出す生き物である。

他の動物は、空腹時に多種の生き物を食う為には殺生をするが、満腹時には無用な殺生をしない。

同種内での喧嘩争いはあるが、決して殺生をすることはない。

空腹時でも満腹時でも、同種の仲間を殺生できるのは、人間という生き物です。

孤高な人間というのは、戦いを好みません。

古代から、度胸とか勇気とかの鼓舞という形で、罵(ののし)る人間、誹(そし)る人間が、概ね人の上に立ちます。

彼らは、いつものように精神的にも常時戦闘態勢で自分の存在エリアの拡大に努めます。

人間の業としての、それこそが競争社会です。

「幸せごっこ」という競争・戦争があれば、是非参加してみたいものです。

品格のない時間になりました。