25年前の阪神淡路大震災の1月17日。
あの日の事は、よく覚えています。
当時は、外資系企業に勤務していました。
神戸から単身赴任されていたHさん、大阪から出張で来られていた方。
職場では全員、朝からずっとテレビに釘付け状態で、昼前に誰かが「神戸がチェチェンのような戦場みたいだ。」と呟いたのを思い出します。
Hさんが、神戸のご家族と連絡が取れたのは翌日だったかな?
実家は崩壊したけど、家族全員の命は助かったとのこと。
僕にも、神戸に身内いとこが暮らしているから、心配したものです。
心丈夫だったHさんが、涙していたのをみて、もらい涙をしたのを思い出します。
そして、4年前の1月17日・・・個人的には、忘れられない当日の朝。
大動脈解離発症で、背中にナイフが刺さったような激痛が発生。
救急車に乗せられて緊急入院。
集中治療室で11日間、絶飲絶食の始まりでした。
両腕から、鼻からも、男性器からも、全身チューブのルートだらけ。
でも、物言えずとも、意識はしっかり残っています。
時々、真っ暗な世界、宇宙の無重力のような世界にいて、どうすればいいのかな?
どこに行こうかな?と考えていると、天体のような真っ暗な世界から針の穴のような小さな穴から灯りがこぼれ出て見えるのです。
その光が放つ小さな穴に向かって、そこの小さな穴から下を覗き見します。
すると、ナント❗・・・自分自身が、ベッドの中で、もがき苦しんでいる姿が見えるのです。
「ああ、戻らないと❗」と溜め息。
戻ると、涙か、笑いか、よく分かりません。
「この事は忘れるな❗」と、心に刻み込みました。
命というのは、輝いていて、燃え尽きても、現実と非現実の世界を自由に行き来できるものかもしれません。
救われるもの、救うもの、命の重みです。
合掌。
あの日の事は、よく覚えています。
当時は、外資系企業に勤務していました。
神戸から単身赴任されていたHさん、大阪から出張で来られていた方。
職場では全員、朝からずっとテレビに釘付け状態で、昼前に誰かが「神戸がチェチェンのような戦場みたいだ。」と呟いたのを思い出します。
Hさんが、神戸のご家族と連絡が取れたのは翌日だったかな?
実家は崩壊したけど、家族全員の命は助かったとのこと。
僕にも、神戸に身内いとこが暮らしているから、心配したものです。
心丈夫だったHさんが、涙していたのをみて、もらい涙をしたのを思い出します。
そして、4年前の1月17日・・・個人的には、忘れられない当日の朝。
大動脈解離発症で、背中にナイフが刺さったような激痛が発生。
救急車に乗せられて緊急入院。
集中治療室で11日間、絶飲絶食の始まりでした。
両腕から、鼻からも、男性器からも、全身チューブのルートだらけ。
でも、物言えずとも、意識はしっかり残っています。
時々、真っ暗な世界、宇宙の無重力のような世界にいて、どうすればいいのかな?
どこに行こうかな?と考えていると、天体のような真っ暗な世界から針の穴のような小さな穴から灯りがこぼれ出て見えるのです。
その光が放つ小さな穴に向かって、そこの小さな穴から下を覗き見します。
すると、ナント❗・・・自分自身が、ベッドの中で、もがき苦しんでいる姿が見えるのです。
「ああ、戻らないと❗」と溜め息。
戻ると、涙か、笑いか、よく分かりません。
「この事は忘れるな❗」と、心に刻み込みました。
命というのは、輝いていて、燃え尽きても、現実と非現実の世界を自由に行き来できるものかもしれません。
救われるもの、救うもの、命の重みです。
合掌。
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