百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百歳の門。

2018年12月05日 | 百伝。

今日の午前中は、春江(坂井市)の運転免許センターでの更新。

今回は、バイクでの進入禁止違反しているので、2時間の講習でした。

その講習会の間、仲良しの百島の同級生のことを思い出していました。

人生の階段は、何とも言えないなぁ。

百島の名木? 

広島県の県木は何だろう?

「栢」だといいね。

木の肌は、葉と幹。

人の肌は、皮と肉の袋。

彼が小学生の頃、お盆か、お正月、親戚中が百島へ日本各地から集まったようです。

親戚の長老である叔父さんが、そこにいた子供たち全員に将来の夢を語らせたようです。

その中に同い年の従兄弟なのかな?優秀な男の子(百島2世か3世?)がいたそうです。

その優秀な百島2世の男の子は、学者とか、政治家とか?立派な夢を語ったとの事。

わが友の同級生は、「将来の夢は・・・釣り師になりたい」と答えたとの事。

僕らは、昭和を31年生きて、平成も同じく31年生きてきました。

あと30年近く生きれば、90歳代になれます。

この歳になると、同年代の生き方は勿論、年長者である高齢者の生き方、考え方に学ぶことが多いです。

はてと、話を戻します。

何十年間も続いたゴールド免許も、3年間更新の免許証となりました。

白内障手術後、免許の顔写真が、眼鏡付帯では無くなったので、自分の免許証ではないような感覚です。

高齢者の免許返却を要望されるのかもしれないという不安な現実も、このままでは迫ってきます。

午後から、文芸春秋12月号の五木寛之先生の「孤独のすすめ」を読書。

そうそう、その優秀な百島2世か3世の同級生は、その後、東京大学卒業後、自治省(現、総務省)に入り、50歳前後にとある県の副知事として活躍しましたが、残念乍ら、闘病中とのこと。

そして、わが友は、漁師にはならなかったですが、百島に帰省するごとに、ちゃんと釣りを楽しんでいます。

その「孤独のすすめ」の五木寛之先生ですが、逆説的なことばかり言います。

「断捨離はしない、未来を想うよりも、その物を見て、過去を懐かしむ大切な時間がよい」

「週に二回ぐらい、よく噛まないで呑み込むようにして食べる。そうして胃の溶解力を鍛える」等々。

五木先生は、どこかの国の禿のいない種族と接して以来、「あまり風呂にも入らないし、頭も洗わない。だから自分は健康で髪の毛も多い」と自己自慢?

先生の出世作「青春の門」のイメージとはほど遠い・・・説得力です。

先日観た・・・NHK教育「ドキュランドへようこそ・・・人間の成長」

ブライトン、サンフランシスコの風景が懐かしい・・・人間の寿命、細胞の活性化を追うドキュメントでした。

金門橋・・・トライアスロンに参加する87歳の高齢者。

人生百年という言の葉が、やたらに目に入る時代です。

百歳まで生きるノウハウというのも、やたらにメディアに登場します。

もう10年ほど昔になりますが、ほのぼのした思い出があります。

介護の仕事に接した頃、近代漫才の祖と言われる花菱アチャコさん(福井県勝山出身)の従兄妹だったという90代半ばの方のお世話をさせていただいたことがあります。

漫才師のような面白い女性で、いつも文庫本の小説を読んでいて、あの小さな文字がほんとに読めるのかな?と疑問を持っていましたが、ある日、ふと気が付くと、逆さまに本を持って読んでいました。

そう、読んでいるフリをしていたのです。

「ほんとうのことを教えてあげるわ・・・実は、私はハタチ」と言っていました。

以来、20歳の若者の気持ちよりも、90歳の高齢者の気持ちの方に寄り添う理解ができるようになりました。

人は、死ぬまで不安なもの、特別だと思うもの、感情的なもの、利己的なもの、理解してほしいもの。

人は、あの世に逝くとき、家族みんなに見守られ見送られるのが、幸せな人生の終焉というのは、ナンセンスです。

病院の集中治療室で二度死にかけたぼくの体験から言うと、「裸のまま独り生まれて逝く」しかないのです。

父は、80歳過ぎても、バイクに乗っていました。

母は、85歳まで、バイクに乗っていました。

親類の長老であった薮の丘のオッサンは、90歳過ぎてもバイクに乗っていました。

百歳までバイクに乗れたら、将来の夢、人生は大願成就です。

今日のニュース・・・「パリ燃ゆ」

あの凱旋門のあるパリのシャンゼリゼ通りが燃えていました。

この暴動が、燃料費への課税アップという単純な理由ではないとのこと。

フランス社会への所得格差、貧困問題、絶望という根深いものがあるのでしょう。

日本の社会にも、近い将来、ああいう騒動、暴動が起こるかもしれません。

多くの若者が希望を持てない社会は、年寄りが、若い安い労働力を使おうとしているからです。

施設、病院が、年寄りの姥捨て山と呼ばれるのは、若者の支えがないからです。

 

百歳の門へ。

人は、よりよい明日を求めるものです。

人は、よりよい意義ある人間関係を求めるものです。

老後のすべての不安を軽減するのは、やはり「動く」「働く」ということだと確信します。

百島1世は、子へ孫へと楽しく可笑しく、2世、3世へと地道に、尾道に。

百島に、元氣になるの百歳の門を。

百歳まで生きる術の伝道師となりましょう。



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