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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

走りながら歌いながら生きた人。

2024年08月27日 | 百伝。

走るフォークシンガー、メッセージ・フォークの旗手と呼ばれた高石ともやさん(82歳)が亡くなられました。合掌

高石ともやさんが一躍有名になったのは「受験生ブルース」。

中学1年生の頃だったかな?ラジオから流れる♪受験生ブルース・・・受験生の悲哀なんか全く理解できませんでした。

当時の大学受験なんて、僕には、縁の無い、関係の無い人生でした。

高校1年生の頃かな、兄の親友で版画家になった良ちゃんが、高石ともやさんに会うために福井県の田舎まで行って来たという話をしてくれました。

福井県?

当時はピンと来なかった福井県です。

高石ともやさん、17年間暮らした福井県名田庄村から名前を付けたナターシャセブンというフォークグループを率いて活動もしていました。

走るのが好きで、福井県各地のマラソン大会にも参加して何度かお見かけもしました。

有名なエピソードは、日本初のトライアスロン大会での優勝、その時、ゴール前で2着の選手を待って同時ゴールして二人優勝したとの事。

福井のマラソン大会では、ゴールした後、ゼッケン番号を外して、再び逆走して奥さんと同時ゴール。

バルセロナ、アトランタ五輪のマラソン大会メダリスト有森裕子さんが、「自分を褒めて上げたい」と言った言葉。

有森さんが若い頃、駅伝大会の補欠参加した時、高石ともやさんが、挨拶で「参加できる自分を褒めて上げてください」と言った言葉を、ずっとメモして残した大事な言葉だったとの事。

ナターシャセブン、高石ともやさんのご冥福をお祈ります。

自分を誉めましょう。

他人を褒めましょう。

褒め称えたい高石ともやさんの生涯でした。



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