今日7月12日は、人間ドックの日だとの事。
身体は乗り物だから、人間にも、車同様に点検、車検は必要です。
40年以上過ぎても、この時季は、いつもドキドキ、ワクワクしています。
学生時代、母校亜大の夏期休暇は7月10日がスタート、長い2ヶ月間の夏休みが始まりました。
その際、最大の関心事は百島への帰省を含めて、何をして、どのように過ごすかという事でした。
あの若い頃は、百島に橋が架かればいいのにとか、事を起こそうとか、日常生活の便利さを求めていたのでしょう。
我々の百島の親世代の子世代への教え、口癖は、「風(ふぅ)が悪りぃ事をするな」でした。
つまりは、世間体に対する風評を気にしていたのです。
親世代になった今、やはり子供には「風(ふぅ)が悪い事をするな」と言い、付け加えて「学業の成績が悪くてもいいから、破廉恥な事をするな。女部屋を覗いたり、下着泥棒などするな」という代々続く教育方針でした。
来年から65歳、余生の過ごし方、休みの過ごし方を考えています。
今日の百島大発見。
百島村上水軍の拠点、茶臼山城跡は西林寺の裏山ではなく隣山にあったという確信を掴みました。
しかも、同級生の実家の裏山でした。
和ちゃん、ありがとう❗
これは、天からの使命というモノかも?
同級生を中心にして百島歴史探検隊を組んでみたいものです。
瀬戸内海を制覇した村上水軍の盛衰史という記録は、総大将村上武吉(能島)と同い年の百島村上水軍大将の村上高吉の口伝なのです。
因みに、百島村上水軍と田島村上水軍は連合して、因島村上水軍を一時裏切り攻撃、能島村上水軍側に付いたという記録もあります。
この発端となる内紛の原因が、どうやら嘉吉の乱まで遡るようです。
それにしても、65歳に近づくとなると・・人生の見える風景が大きく変わります。
簡単に纏めると、変革よりも、穏やかな和やかな面白くという事かな?
明日は、母が逝って百日目の「卒哭忌」。
百島へ墓参り、実家に帰省しても、親は無し。
そうなると、食事も用意、食糧も寝具も持参しないとね。
これからは、実家内でのテントと寝袋は必需品となる百島への帰省旅行です。
百島への滞在は、心身の人間ドックの日ならぬ人生ドックの日々を兼ねるようになると、重ね重ね有り難いです。
人間、誰もが悩んで生きている。