百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

バルザックの桜

2015年04月02日 | 千伝。
昨日の福井県の歓喜から、今日は「祭りのあと」のような面持ちです。

昨夜は、ぼくも興奮して、嬉しさの余り極めて、東京や広島に暮らす兄弟身内にも電話をしました。

「敦賀気比 優勝!福井県の快挙や!」と言えば・・。

その返答が「選抜・・もう終わったんか?」

「ふ~ん、敦賀、優勝したんか?」

・・と余りにも、興味の無い返答でした。

そう、今回の快挙は、これは単に「福井県人だけの歓喜」だということに気がつきました。

でも、いいのです!

大好きな福井地方・・今週末から桜満開の季節になります。

~今日の朝日新聞「天声人語」のコラムを下記抜粋しておきます。~

嫌なことに立ち向かえば、いつか乗り越えられる。自分は恵まれていると思えば幸せな気持ちになれる――。沖縄で母校興南高校の監督を務める我喜屋優(がきやまさる)さんの信念だ。2010年の甲子園春夏連覇は記憶に新しい▼高卒後に就職。07年に故郷に戻るまでの34年間は社会人野球の選手や監督として北海道で過ごした。当初は冷凍庫の中にでも放り込まれたような気がしたが、逃げなかった。「雪が積もっているなら、どければいい」。雪かきで体力もついて一石二鳥だ、と▼厳しい環境こそが人を鍛える。著書『逆境を生き抜く力』でそう力説する。沖縄なら長い梅雨や暑さ。北海道なら雪や寒さ。それを糧に進んでみせる。この不屈の精神が、社会人野球でも日本の頂点に立った強さの秘密だろう▼先達の闘志を彼らも受け継いでいるかのようだ。開幕前の本紙記事は「冬場の雪や雨でほとんど打ち込めなかった打線が復調するか」と評していた。そんな懸念をものともせず、福井の敦賀気比(けひ)が春の甲子園を制した。決勝で敗れた東海大四も雪の北海道で鍛え、終盤まで互角の健闘だった▼出場が決まった時から、敦賀気比の目標は優勝だった。篠原涼主将は開会式で選手宣誓し、短歌を披露した。〈グランドにチームメートの笑顔あり夢を追いかけ命輝く〉。この前向きな明るさがパワーの源かと思える▼春夏を通じ、北陸勢としては初の全国制覇。悲願がかなった。金沢までの新幹線開業に続いて、越路(こしじ)を沸き立たせる快挙である。


いい日、旅立ち。

2015年04月02日 | 百伝。
それとも、チャンピオン?!

百島中学校時代は、それぞれのスポーツ部は案外強くて、尾道市内でも百島中は、チャンピオン意識の強い学校でした。

高校に進学すると、あの頃の広島県の高校スポーツ界は、バレーボールの崇徳、駅伝の世羅、水泳の尾道等々・・全国制覇した高校が多かったものです。

思い出せば、昭和48年、高校2年生の時、夏の甲子園で広島商業が全国制覇した時の歓喜と重なりました。

あの頃は、新幹線も走っていなくて、広島商業ナインの帰広を尾道駅のプラットフォームで迎えたのを思い出しました。

迫田監督が、車窓を通して、ちゃんとお礼のお辞儀していたのが記憶に残っています。

それから、当時の愛媛県の代表チームは、尾道駅下車、駅前桟橋から船(水中翼船)で今治まで帰愛していたのも思い出しました。

今年は、北陸に勢いがあるような気がします。



今年初めには、石川県の星陵高校が、高校サッカーでの全国制覇もありました。

そして、昨日の福井県民、歓喜の一日を味わいました。

敦賀気比が、春夏の甲子園を通じて、高校野球百年の今年、遂に福井県勢初めての全国制覇です。

・・とても、嬉しいです。

この優勝は、福井県、北陸勢初という快挙というよりも、島根県から青森県までの日本海側初の歴史的快挙となるのです。

思い返せば、昭和53年春、甲子園での決勝は、福井商業と浜松商業でした。

それ以来の福井県勢の決勝進出でした。

優勝したのは、浜松商業でした。

敗者は、福井商業でした。

昭和53年(1978年)は、ぼくにとっても青春の蹉跌のような一年でした。

あれから37年・・あの頃の若者も、中年になってしまいました。

さて、四月です。

多くの若者たちが、社会へ、都会へ巣立って行きます。

昨日のニュースは、官公庁や大企業への入社式シーンが多かったです。

「会社をもっと大きくしたい」という新入社員のコメントよりも、「地域に何か貢献して、役立ちたい」とコメントした三陸鉄道への二人だけの入社式に興味を惹かれました。

旅立つ若者よ、常に挑戦者であれ。

「いい日、旅立ち」と「チャンピオン」は、昭和53年のヒット曲でした。