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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

人生相場の値打ち

2007年12月27日 | 千伝。
数年前、名古屋のテレビ塔から26歳の青年が、100万円相当のドル札をバラまいた事件を、小生、どこかのコラムに面白可笑しく書いたことがあります。

足利銀行の株価が1円になった時、信用取引で、その10分の1の資金で買ったものが公的資金導入で15円になった時、100万が1億5000万ほどに化ける・・巧くいく稀な宝くじ相場であるとも書いた記憶もあります。

勿論、逆の場合、1億5000万が100万になるという怖さがあるのが相場の世界です。

その半額程を手にした26歳の若者に既に不幸が宿っているのに気がつく人は、相場の経験者でなければ分からないでしょう。

半年前には、100万円を道に落としたら血眼になって探しただろう青年が、7000万円程儲けたら100万円程をドルで空から紀伊国屋文左衛門の如く振りまく・・これで、26歳の青年の命運は終わったのです。

何故なら、神は、神の模倣をするものを罰するとあります。
いくら儲けても罰せられない人は、ほとんどが謙虚です。

この前、信用取引と白金を先物で扱っている素人の医者の相談に乗った時に、自覚したものでした。

素人は手を出すと火傷をする。
なぜなら素人は赤ちゃん(赤心)。
赤子の手をひねるほど簡単と言われるほど、金がかかると、人は単純になるからです。

人間は、チヤホヤされると幸福に思う場合もあり、それが過ぎると鬱陶しくなる。
なかなか難しい動物です。
それを躁鬱というのでしょう。
 
「実れば実るほど垂れる稲穂かな」
だが謙虚だけでは、上手くいくものではありません。

傲慢から謙虚までの間のプリズマの7色を臨機応変に使わないと、良い絵が出来ないように、これ一本という答えはないのです。

ぼくたちは、自分よりも金持ちの方、自分よりも貧乏な方とは、決してお金の話をしないことです。

たまには、お金では買えないものを考えましょう。
例えば、恋愛の相場基準は真剣になるほど、時に人生の根本的な幸福感という値打ち、選択、判断、決断、教示が求められます。

お金を中心に人生を考える世界が、いかに安易な相場人生であることがわかるのです。