永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(395)

2009年05月23日 | Weblog
09.5/23   395回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(4)

 朱雀院は、承香殿女御にたいしても、継娘(ままむすめ)にあたる女三宮ではあるけれども、どうか好意をもってお世話してほしいとお頼みになります。がしかし、

「母女御の、人よりはまさりて時めき給ひしに、皆いどみ交はし給ひし程、御中らひども、えうるはしからざりしかば、その名残にて、げに今はわざとにくしとはなくとも、まことに心とどめて思ひ、後見むとまで思さずもや、とぞおしはからるるかし」
――(女三宮の御母の)藤壺の女御が人一倍寵を得ておられて、他の女方が皆競り合っていました頃、承香殿女御も藤壺の女御と親しめなかったので、その名残で、今は特に憎いというのでなくても、心から三宮をお世話しようとまではお思いになるまいと推しはかられるのでした――

 朱雀院は朝に夕に女三宮のことをご心配になっておられますうちに、この年も暮れ近くになります頃に、一層ご病気が重くなるばかりで、御簾の外にもお出になれません。今度こそはお命も尽きるのではと思っておられるようです。退位なさった今でも、ご在位中のご恩を受けられた方々は心底ご心配なさっております。

「六条の院よりも、御とぶらひしばしばあり。自らも参り給ふべき由聞召して、院はいといたく喜び聞こえさせ給ふ」
――源氏からも度々お見舞いがございました。今度は源氏ご自身が参上なさるということをお聞きになって、朱雀院は大そうお喜びになります――

 中納言(夕霧)が参上なさったときに、朱雀院は御簾の中に召入れて、細やかに御物語なさるには、

「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御事、今の内裏の御事なむ、とり分きて宣ひおきしを、おほやけとなりて、こと限りありければ、内々の心寄せは変わらずながら、はかなき事のあやまりに、心おかれ奉ることもありけむと思ふを、年ごろことにふれて、その恨み残し給へる気色をなむ洩らし給はぬ」
――桐壷帝が御臨終の際、私に数々お遺言がありました中で、源氏の事と今の冷泉帝の事を特別お頼みになったのですが、私が即位しました後は、万事決まりというものがあり、私個人の気持ちは変わらなくても、ちょっとした事の行き違いで、源氏から恨まれるようなことがあったかと思うのですが、あの方は今まで何につけてもそのような恨みを根に持たれたようなご様子をお見せになりません――

ではまた。

源氏物語を読んできて(394)

2009年05月22日 | Weblog
09.5/22   394回
 
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(3)

 朱雀院は東宮にも、将来国を治められる時のご注意をお話になります。東宮はお歳の割には大人びておられて、明石の姫君はじめ、女御方もそれぞれご身分、お家柄も立派でいらっしゃるので、安心していられるとお思いになります。朱雀院は、

「この世にうらみ残ることも侍らず。女宮達のあまた残り止まる行く先を思ひやるなむ、さらぬ別れにもほだしなりぬべかりける」
――今はこの世に恨みの残るようなことはない筈ですが、女御子たちが幾人も残る将来を思いますと、往生の折りの妨げとなりそうです――

「先々人の上に見聞きしにも、女は心より外に、あはあはしく、人に貶めらるる宿世あるなむ、いと口惜しくも悲しき。いづれをも、思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて、御心とどめて思し尋ねよ。」
――今まで他人の上で見聞きした所でも、女というものは存外軽々しい、人から見くびられる運命なのがひどく残念で悲しい。どの皇女をも、あなたが御即位後お心のままになる時には、何かとお心にかけて見てあげてくださいね――

「その中に、後見などあるは、さる方にも思ひゆづり侍り、三の宮なむ、いはけなき齢にて、ただ一人をたのもしきものとならひて、うち棄ててむ後の世に、漂ひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しく侍る」
――その中でも、後ろ盾のあるのはそれにまかせて安心しています。女三宮だけは幼い年齢で、私一人を頼りにしてきたので、私の出家後にふらふらと途方に暮れるでしょうが、それがひどく不安で悲しいのです――

 と、お目の涙をおはらいになりながら、しみじみとお話になります。

ではまた。

源氏物語を読んできて(393)

2009年05月21日 | Weblog
09.5/21   393回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(2)

「帝も御心の中にいとほしきものには思ひ聞こえさせ給ひながら、おりさせ給ひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中をうらみたるやうにて亡せ給ひにしかば、」
――朱雀帝も御心のうちでは、気の毒にお思い申されながら、そのうちにご退位になっていまわれましたので、女御はよろずに口惜しく、世を恨めしく思いながらお亡くなりになってしまいましたが――

「その御腹の女三の宮を、あまたの御中にすぐれてかなしきものに、思ひかしづき聞こえ給ふ。その程御年十三、四ばかりおはす」
――その藤壺の女御の忘れ形見の女三の宮(おんなさんのみや)を、多くの姫御子の中で朱雀院はとりわけ愛しくお思いになって、大切にかしづきお育てになっておられます。お歳は十三、四ばかりでいらっしゃる――

「今はと背きすて、山籠りしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼むかげにてものし給はむとすらむと、ただこの御事をうしろめたく思し歎く」
――(朱雀院のお心)自分がいよいよ出家して山籠りしたならば、この女三宮は誰を頼りとしてお暮らしになろうとするのかと、ただただこの御事ばかりがお心にかかってならないのでした――

 朱雀院は洛西にある御寺が出来上がって、お移りになるご準備とともに、この女三宮の御裳著の儀式をお済ませになろうと準備なさいます。格別大切になさっている宝物やご調度品はもちろんのこと、お遊び道具にいたるまで一番すぐれたものを女三宮へ、それに次ぐ品物を他の御子達にお形見分けなされました。

 東宮は、朱雀院がご病気の上、御出家の御所存とお聞きになって、御母承香殿女御とご一緒に、院に参上なさいます。

「すぐれたる御覚えにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御宿世の、限りなくめでたければ、年頃の御物語、こまやかに聞こえ交させ給ひけり」
――(承香殿女御は)朱雀院の特別のご寵愛があったわけではありませんが、東宮がこうしていらっしゃる宿縁は限りなく目出度いことですので、長い年月の思い出などを細やかにお話合いになっていらっしゃるのでした――

ではまた。


源氏物語を読んできて(六条院行幸・源氏)

2009年05月21日 | Weblog

写真:源氏(桐壷帝と桐壷更衣の御子) 拡大 39歳
   臣下としてお迎えする立場で、一段下に座をとりますが、冷泉帝から同座に   とのお言葉で、向かって左にお座りになりました。
   臣下として束帯姿   

   風俗博物館