永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(104)その4

2018年12月30日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その4  2019.12.30

 「これいつまでありなむ」と、人々、のたまはするに、「十よ日はありなむ」ただこのころのほどを、ある限り申せば、「いかに」と問はせたまへば、「正月の十五日までは候ひなむ」と申すを、御前にも、「えさはあらじ」とおぼしめしたり。女房などは、すべて「年のうち、つごもりまでもあらじ」とのみ申すに、「あまり遠くも申してけるかな。げにえしもやはあらざらむ。ついたちなどぞ申すべかりける」と、下には思へど、「さはれ、さまでなくと、言ひそめてむ事は」とて、かたうあらがひつ。
◆◆中宮様が「この雪山はいつまでありおおせるだろうか」と仰せあそばすと、女房たちは、「十日あまりはありおおせましょう」と、いちずにこの日あたりの期間を、そこに居る全部の者が申し上げるので、中宮様が私に、「どうか」とおたずねあそばされるので、「正月の十五日くらいまではきっとございましょう」と申し上げるのを、御前様にも、「そんなにはありえない」とおぼしめされているようだ。女房たちはみな、「年内、それも年の暮れまでも保るまい」とばかり申し上げるので、「少し遠い先までを申し上げてしまったことよ。なるほどそんなに遠くまでは保ちそうもなさそうだ。正月の初めころと申し上げればよかった」と、心の中では思うけれど、「それはそうと、そんな時期までは無くても、言い出してしまったことは」と思って、頑固にも言い争ってしまった。◆◆

■ついたち=「月立ち」で、月初のこと。第一日であってもかまわないが、第一日は多く、「ついたちの日」という。



 二十日のほどに、雨など降れど、消ゆべくもなし。たけぞすこしおとりもて行く。「白山の観音、これ消やさせたまふな」と祈るも物ぐるほし。
 さてその山作りたる日、式部丞忠隆、御使日にてまゐりたれば、褥さし出で物など言ふに、「今日の雪山作らせたまはぬ所なむなき。御前の壺にも作らせたまへり。中宮、弘徽殿にも作らせたまへり。京極殿にもたまへり」など言へば、
 ここにのみめづらしと見る雪の山ところどころにふりにけるかな
「返しは、えつかうまつりがさじ」とあざれたり。「御簾の前にて人に語りはべらむ」とて
立ちにき。歌はいみじくこのむと聞きしに、あやし。御前に聞こしめして、「いみじくよくとぞ思ひつらむ」とのたまはする。
◆◆十二月二十日ごろに、雨などが降ったけれど、消えることもない。高さが少し下がったままである。「白山の観音様、どうぞこれを消えさせないでくださいませ」と祈るのも、気違いじみている。
 さて、その雪山を作っている日、式部の丞忠隆が、主上のお使いとして参上したので、敷物を差し出して話などをするときに、「今日の雪山は、作らせないところはありません。主上の御前の壺庭にもお作らせになっていらっしゃいます。中宮、弘徽殿でもおつくらせになっていらっしゃいます。京極殿でもおつくらせになっていらっしゃいます」などと言うので、
(歌)「ここでだけ作って珍しいと見る雪の山は、方々に降った雪のために珍しくもなく古くさいものとなってしまったことよ」
と詠むと、「返歌を差し上げて、せっかくのお歌をけがすことはできそうにもありません」と、返歌をせずに、ごまかしてしゃれたつもりでいる。「御簾の前で、方々にお歌を披露いたしましょう」と言って立ってしまった。歌はとても好きだと、かつて聞いたのに、妙なことだ。御前におかせられても、このことをお聞きあそばされて、「きっとすばらしく詠もうと思ったのであろう」と仰せあそばす。◆◆

■白山の観音=石川県白山(はくさん)の十一面観音。白山は雪山の歌枕として著名。



 つごもりがたに、すこし小さくなるやうになれど、なほいと高くてあるに、昼つかた縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。「などいと久しく見えざりつる」と言へば、「何かは。いと心憂き事の侍りしかば」と言ふ。「何事ぞ」と問ふに、「なほかく思ひはべりしなり」とて、ながやかによみ出づ。
 「うらやまし足もひかれずわたつうみうみのいかなるあまに物たまふらむ
となむ思ひはべりし」と言ふを、にくみ笑ひて、目も見入れねば、雪山にのぼりて、かかぐりありきていぬる後に、右近の内侍に「かくなむ」と言ひやりたれば、「などかは人添へてここには給はせざりし。あれがはしたなくて雪の山までかかりつたよひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。雪山はつれなくて、年も返りぬ。
◆◆月末のころに、雪山は少し小さくなったようだけれど、まだまだ高くあるときに、昼ごろ縁に女房たちが出て座りなどしている時に、あの常陸の介が出て来た。「随分長いこと姿を見せなかったことよ」と言うと、「いいえ、なに、たいへん情けないことがございまして」と言う。「何事か」と聞くと、「やはり、このように思ったのでございます」と言って、長く声を引いて朗吟する。
(歌)ああ、うらやましい。足も動けないほどたくさん、いったいどういう尼に物をくださっているのでしょう。 と思ったのでございます」と言うのを、憎らしがって笑って、見向きもしないので、雪山に登って、やっとのことで歩き回って、立ち去った後で、右近の内侍に「こういうことが……」と言い送ったところ、「どうして人を付けてこちらにお寄こしくださいませんでしたか。その者が、間が悪くなって雪の山まで踏み入りさまようだったのは、とても可哀そうなことです」と返事があるのを、また笑う。雪山はそのまま変わらずに、年も改まってしまった。◆◆


■かかぐりありきて=語義不確か。たどる、すがるの意にしたがう。



枕草子を読んできて(104)その3

2018年12月26日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その3   2018.12.26

 その後、また尼なるかたゐの、いとあてやかなるが出で来たるを、また呼び出でて物など問ふに、これははづかしげに思ひてあはれなれば、衣一つ給はせたるを、伏し拝まむは、されどよし、さてうち泣きよろこびて出でぬるを、はやこの常陸の介、行きあひて見てけり。その後いと久しく見えねど、たれかは思ひ出でむ。
◆◆その後、また、尼の乞食で、とても品の良いのがでてきているのを、また呼び出して物などを尋ねると、この尼はきまり悪そうに思っているようで、しみじみ可哀そうなので、着物一つをお下げ渡しあそばしているのを、伏し拝むのは、それはそれでよいとして、そうして泣いて喜んで出て行ったのを、早くもこの常陸の介が、行き会って見てしまったのだ。それから後は、すねてしまってか、久しく見えないけれど、一体だれが思い出そうか。◆◆

■かたゐ=片居が言語。乞食。



 師走の十よ日のほどに、雪いと高う降りたるを、女房などして、物の蓋に入れつつ、いとおほく置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせはべらむ」とて、侍召して仰せ言にて言へば、あつまりて作るに、主殿寮の人にて、御きよめにまゐりたるなど、みな寄りて、いと高く作りなす。宮司などまゐりあつまりて、言加へ、ことに作れば、所衆三四人まゐりたる。主殿寮の人も、二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しにつかはしなどする。「今日この山作る人には禄給はすべし。雪山にまゐらざらむ人には、同じ数にとどめよ」など言へば、聞きつけたるは、まどひまゐるもあり。里遠きはえ告げやらず。
◆◆師走の十日あたりに、雪が大層深く降り積もっていたのを、女房たちが何かの蓋に入れ入れして、あちらこちらにたくさん置くのを、女房たちは「同じ事なら、庭に本当の山を作らせましょう」といって、中宮様の思し召しということで、侍をお呼び寄せになって、中宮様からのご命令として言うので、主殿寮の人で、ご清掃に参上している者なども、皆一緒になって、たいへん高く作りあげる。中宮職の役人などが参上し集まって来て、助言をして、格別に作るので、蔵人所の衆が、三、四人参上している。主殿寮の人も二十人ほどになってしまったのだった。非番で自宅にいる侍をお呼び寄せになりに、使いをお遣わしになりなどする。その口上で「今日この山を作る人にはきっと禄をくださるだろう。雪山作りに参上しないような人には、禄を今までと同じ数にとめておけ」などと言うので、これを聞きつけた者は、うろたえ参上する者もいる。自宅が遠い者にはとても告げ知らせきれない。◆◆

■師走の十よ日=長徳四年(998)十二月十日に大雪とある。

■主殿寮(とのもりづかさ)=宮内省所属。宮中の掃除・乗り物・湯浴み・灯火・燃料などを司る。

■宮司(みやづかさ)=中宮職の役人。上位の者たちで、実際には作らず助言した。

■所衆(ところのしゅう)=蔵人所の衆。雑役をする。



 作り果てつれば、宮司召して、絹二ゆひ取らせて縁に投げ出づるを、一つづつ取りに寄りて、拝みつつ腰にさしてみなまかでぬ。うへの衣など着たるは、かたへ、さらでは、狩衣にてぞある。
◆◆すっかり作り終えたので、中宮職の役人をお呼び寄せになって、皆に褒美として絹を二くくり与えて縁に投げ出すのを、一つずつ取りに近寄って、一人ひとり身をかがめて礼をしては、腰にさしてみな退出してしまう。役人で袍など着ている人は一部分で、そうでない者は、狩衣姿でそこにいる。◆◆



枕草子を読んできて(104)その2

2018年12月22日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その2  2018.12.22
 
 若き人々出で行きて、「男やある」「いづこに住む」など、口々に問ふに、をかしき事、そへごとなどすれば、「歌はうたふや。舞などはすや」と問ひも果てぬに、「まろはたれと寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌もよし」。これが末いとおほかり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ」と頭をまろばし振る、いみじくにくければ、笑ひにくみて、「いね、いね」と追ふに、いとをかし。
◆◆若い女房たちが出て行って、「亭主はいるか」「どこに住むのか」など、口々に聞くと、おもしろいことや、あてつけの冗談口などを弄するので、「歌はうたうのか・舞なんかするのか」と聞きも終わらぬうちに、「(俗謡)まろはたれと寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌もよし」と歌い始める。この歌の先がたいへんたくさんある。また、「(俗謡)男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ」と歌いながら、頭をぐるぐる回して振るのが、ひどく気に食わないので、笑ってにくらしがって、「立ち去れ、立ち去れ」と追いたてるのが、たいへんおもしろい。◆◆

■まろ=男女にかかわらず自称代名詞。



 「これに、何とらせむ」と言ふを聞かせたまひて、「いみじう、などかくかたはらいたき事はせさせつる。えこそ聞かで、耳をふたぎてありつれ。その衣一つ取らせて、とくやりてよ」と仰せ言あれば、取りて「これ給はらするぞ。衣すすけたり。白くて着よ」とて、投げ取らせたれば、伏し拝みて、肩にぞうちかけて舞ふものか。まことににくくて、みな入りにし。
◆◆「これに何を取らせよう」というのを中宮様が御聞きあぞばして、「ひどくまあ、こんなひどいことをさせてしまったのか。とても聞いていられないで耳をふさいでいた。その衣を一つ与えて、早く向うへ行かせてしまえ」と仰せ言があるので、着物を取って、「お上がこれをお前に拝領させるのだぞ。着物がすすけてよごれている。汚さないで着なさい」といって、投げ与えたところ、伏し拝んで、なんとまあ、肩に着物を打ち掛けて拝舞の礼をするではないか。本当に憎らしくなって、皆奥に引っ込んでしまった。◆◆

■肩にぞうちかけて舞ふ=禄を肩にかけて拝舞するのは身分のある人の作法。



 後ならひたるにや、常に見えしらがひてありきて、やがて常陸の介とつけたり。衣も白めず、同じすすけにてあれば、いづちやりにけむなどにくむに、右近の内侍のまゐりたるに、「かかる者なむ、語らひつけて置きたンめる。かうして常に来る事」と、ありしやうなど、小兵衛といふ人してまねばせて聞かせさせたまへば、「あれいかで見はべらむ。かならず見させたまへ。御得意なンなり。さらによも語らひ取らじ」など笑ふ。
◆◆それから後、慣れたのかいつも馴れ馴れしく人目につくようにうろうろ歩き回って、それで、人々は歌の文句をそのまま「常陸の介」とあだ名をつけた。衣もきれいに着かえず、同じすすけ汚れたままなので、この前いただいたのはどこへやってしまったのかなど、みなで憎らしがるうちに、右近の内侍が参上している時に、中宮様が、「こうこういう者を、ここの女房たちは、手なづけて置いてあるようだ。こうしていつもやってくることよ」と、以前あった様子など、小兵衛という女房にそっくりそのまま話させてお聞かせあそばされると、右近は、「その者をぜひ見たいものでございます。必ずお見せあそばしてくださいませ。どうやら御贔屓であるようです。決してどうあっても私の方で手なずけて横取りしたりはしないつもりです」などと言って笑う。◆◆

■まねぶ=あった事柄や様子をその通り人に語り知らせること。





枕草子を読んできて(104)その1

2018年12月19日 | 枕草子を読んできて
 九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その1  2018.12.19

 職の御曹司におはしますころ、西の廂に不断の御読経あるに、仏などかけたてまつり、法師のゐたるこそさらなる事なれ。
◆◆職の御曹司に中宮様がおいであそばすころ、西の廂の間で不断の御読経があるので、仏の画像などをお掛け申し上げ、法師の座っているのこそは、その尊さは言うまでもない。◆◆

■職(しき)の御曹司におはしますころ=長徳四年(998)末から翌年長保元年正月までのことであろう。
■不断の御読経(ふだんのみどきょう)=一昼夜12人の僧に一時ずつ読経させる法要。



 二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の声にて、「なほその御仏供のおろし侍りなむ」と言へば、「いかでかまだきには」といらふるを、何の言ふにかあらむと立ち出でて見れば、老いたる女の法師の、いみじくすすけたる狩袴の、竹の筒とかやのやうにほそく短き、帯より下五寸ばかりなる、衣とかやいふべからむ、おなじやうにすすけたるを着て、猿のさまにて言ふなりけり。
◆◆二日ほど経って、縁のもとに、いやしい者の声で、「やはり、その仏のお供えのおさがりがございますでしょう」と言うので、僧が、「どうしてどうしてそんなに早くは」とか、あしらっているのを、いったい何者がこんなことを言うのかと立って出ていって見ると、年寄りの女法師が、ひどく汚れている狩袴で、竹の筒とかいうもののように細くて短いのをはき、帯から下五寸ぐらいで、衣といっていいのかどうか同じように薄汚れたのを着て、猿のような恰好で言うのだった。◆◆

■御仏供のおろし(ぶくのおろし)=仏のお供物のおさがり。
■すすけたる狩袴(かりばかま)=よごれて黒くなっている、狩衣の下に着る袴で、白い布製という。指貫より細く、身分の低い者が用いる。



 「あれは何事言ふぞ」と言へば、声ひきつくろひて、「仏の御弟子に候へば、仏のおろし給べと申すを、この御坊たちのをしみたまふ」と言ふ。はなやかにみやびなり。かかる者はうち屈じたるこそあはれなれ、うたてもはなやかなるかなとて、「こと物は食はで、仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふとき事かな」と言ふけしきを見て、「などかこと物もたべざらむ。それが候はねばこそ、とり申しはべれ」と言へば、くだ物、ひろきもちひなどを、物に取り入れて取らせたるに、むげに仲よくなりて、よろづの事を語る。
◆◆「あれは何事を言うのか」と言うと、声をとりつくろって、「仏のお弟子でございますから、仏のおさがりをくれてやってくださいと申し上げるのを、このお坊様がたが物惜しみをなさるのです」と言う。その声が派手で優雅である。こんな者は打ちひしがれてめいっているのこそが、しみじみと可哀そうな気もするものなのに、いやに派手なことよと思って、「他の物は食べないで、仏のおさがりばかりを食べるのか。ひどく殊勝なことよ」という様子を見てとって、「どうして他の物もいただかないことがありましょう。それがございませんからこそ、おさがりを取り申すのでございます」と言うので、果物やのしもちなどを、何かに入れて与えたところ、ひどく仲良くなって、いろいろなことを話す。◆◆

■くだ物=「木(こ)だ物」の転。(「だ」は「の」の古形)。果物、水菓子。
■ひろきもちひ=薄く広くしたのし餅の類か。



枕草子を読んできて(103)

2018年12月16日 | 枕草子を読んできて
九〇  さてその左衛門の陣、行きて後  (103) 2018.12.16

 さてその左衛門の陣、行きて後、里に出でてしばしあるに、「あさぼらけなむ常におぼし出でらるる。いかでさつれなくうちふりてありしならむ。いみじくめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたり。御返事に、かしこまりのよし申して、わたくしには、「いかでかめでたしと思ひはべざらむ。御前にも、さりとも『なかなるをとめ』とおぼしめし御覧じけむとなむ思ひたまへし」と聞こえさせたれば、立ちかへり「『いみじむ思ふべかンめる仲忠が面伏せなる事をば、いかでか啓したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづの事を捨ててまゐれ。さらずはいみじくにくませたまはむ』となむ、仰せ言ある」とあれば、「よろしからむにてだにゆゆし。まして『いみじく』とある文字には、命もさながら捨ててなむ」とてまゐりにき。
◆◆そんなふうでその左衛門の陣、その陣に行った後で、里に退出してしばらくいる時に、お手紙で「あの折の朝ぼらけのことが、いつも自然に思い出される。どうしてそなたはそんな古臭い格好でいたのだろう。とても素晴らしいことだろうと私は思っていたのに」などと中宮様が仰せになった。お使いの女房への私ごとの言葉としては、「どうして素晴らしいと思わないことがございましょうか。御前におかせられても、あの朝ぼらけの情景を、それにしても『なかなるをとめ』とはおぼしめして御覧あそばしたであろうと存じましたことでございます」と申し上げさせておいたところ、すぐに折り返して「『そなたがたいそう贔屓に思っているはずと思う仲忠の面目をつぶすようなことを、どうしてわたしに言上したのか。すぐ今晩のうちに、万事を捨てて参上せよ。そうしないなら、ひどくお憎みあそぼすだろう』と、中宮様の仰せ言があります」と書いてあるので、「並一通りのおにくしみでさえ大変なことです。まして、『ひどく』とある文字には、命もそのまま捨てて……」と申し上げて参上してしまった。◆◆

■この段は「八〇」段の後をうけたもの。ややわかりにくい。


枕草子を読んできて(101)その3  (102)

2018年12月13日 | 枕草子を読んできて
八八 里にまかでたるに  (101)その3  2018.12.13

 かうかたみにうしろ見語らひなどする中に、何事ともなくて、すこし仲あしくなりたるころ、文おこせたり。「便なきこと侍るとも、契りきこえし事は捨てたまはで、よそにてもさぞなどは見たまへ」と言ひたり。常に言ふ事は、「おのれをおぼさむ人は、歌などよみて得さすまじき。すべてあたたかきとなむ思ふべき。今は限り、やがて絶えなむと思はむ時、さる事は言へ」と言ひしかば、この返事に、

 くづれするいもせの山の中なればさらに吉野の川とだに見じ

と言ひやりたりしも、まことに見ずやなりにけむ、返事もせず。
 さて、かうぶり得て、とほたあふみの介などいひしかば、にくくしてこそやみにしか。
◆◆こうしてお互いに世話をしたり、親しく話したりなどしているうちに、何がということもなく、少し仲が悪くなっているころ、手紙を寄こしてきた。「たとえ不都合なことがありましても、きょうだいとお約束しましたからには、お思い捨てにならないで、よそながらも、あれは則光だなどとしてご覧ください」と書いてある。則光がいつも言うことは「わたしを思ってくださる人があったら、その人は、歌などを詠んでわたしにくださってはならない。そんな人にはすべて、きっと仇敵と思うでしょう。今はこれが最後、そのまま絶交してしまおうと思うときこそ、歌などは詠め」と言っていたので、この返事に、
「今は、山くずれのする妹背の山の中のような、くずれた間柄の私たちなのだから、いっこうに『あれは仲の良かった人』とは見ないつもりです」
と言って送っておいたのも、本当に見ないでそのままになってしまったのだろうか。返事もない。
それから、則光は五位に叙されて、遠江の介(とおつおうみのすけ)などといったので、気に入らない気持ちのままで、それきりになってしまった。◆◆



八九 物のあはれ知らせ顔なるもの  (102)  2018.12.13

物のあはれ知らせ顔なるもの 鼻垂り、間もなくかみて物言ふ声。眉ぬく。
◆◆何かにつけてしみじみとした気持ちを知らせ顔であるもの 鼻が垂れて、ひっきりなしに鼻をかみながら物を言う声。眉毛を抜くの。◆◆


■物のあはれ知らせ顔なるもの=しみじみとした感動を人に知らせるようなふうに見えるもの、の意だが、ここではかなり風刺的な言い方。

■眉ぬく=当時成人女性は眉毛を抜いて、上に黛を引いた。それがどうしてなのか不審。
 美しくなりたくて痛さを堪えるさま?



枕草子を読んできて(100)その2

2018年12月11日 | 枕草子を読んできて
八八 里にまかでたるに  (101)その2  2018.12.11 

 夜いたくふけて、門おどろおどろしくたたけば、何の、かく心もとなく、遠からぬほどをたたくらむと聞きて、問はすれば、滝口なりけり。左衛門のかみとて、文を持て来たり。みな寝にたるに、火近く取り寄せて、見れば、「明日、御読経の結願にて、宰相中将の御物忌に籠りたまへるに、『いもうとのあり所申せ』と責めらるるに、ずちなし。さらにえ隠し申すまじ。さなむとや聞かせたてまつるべき。いかに。仰せにしたがはむ」とぞ言ひたる。返事も書かで、布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。
◆◆夜がすっかり更けてから、門をひどく恐ろしげにたたくので、一体何者が、こんなふうに気がかりなように、遠くもない距離にある門を叩くのだろうと、人を出してたづねさせると、北面の武士であった。左衛門のかみ(この当時則光はまだ尉)の使いだといって、手紙を持ってきている。みな寝てしまっているので、灯火を近く取り寄せて、手紙を見ると、「明日、御読経の結願の日ということで、宰相の中将が御物忌みに籠っていらっしゃいますが、『女きょうだいの居る場所を申せ』とお責めになるので、どうしようもありません。とてもお隠し申し上げることはできそうにもありません。これこれの所で、とお聞かせもうしあげるべきでしょうか。あなたの仰せに従いましょう」と書いてある。返事も書かないで、海藻を一寸ほど紙に包んで、使いの者に持っていかせた。◆◆

■ずちなし=術なし。仕方がない。

 さて後に来て、「一夜せめて問はれて、すずろなる所にゐてありきたてまつりて、まめやかにまめやかにさいなむに、いとからし。さてとかくも御返りのなくて、そぞろなる布ばしを包みて給へりしかば、取りたがへたるにや」と言ふに、「あやしのたがへ物や。人のもとにさる物包みておくる人やはある。いささかも心得ざりける」と見るがにくければ、物も言はで、硯にある紙の端に、
 かづきするあまのすみかはそこなりとゆめいふなとやめを食はせけむ
と書きて出だしたれば、「歌よませたまひたるか。さらに見はべらじ」とて、扇返して逃げていぬ。
◆◆そうした後で、則光が来て、「先夜は宰相の中将に無理にたずねられて、でたらめなところをお連れ申し上げて、真面目に本気でお責めになるので、とても辛い。そうしてあなたからは何ともご返事がなくて、とんでもない海藻の切れ端を包んでくださっていたので、あれは取り違えていらっしゃるのでしょうか」と言うので、「妙な取り違えがあったものよ。人のところにそんな物を包んで送る人が他にいますか。まったくあの謎が分からなかったのだ」と、見るさえ気に食わないので、ものも言わずに、硯箱にある紙の端に、
 「海に潜る海女のように姿を隠しているわたしの住かは、そこだと決して言うなと、目配せをするとて、布(め)を食わせたのでしょう」
と書いて、出したところ、「歌をお詠みになっていらっしゃるのですか。決して拝見しますまい」と言って、扇で髪をあおぎ返して逃げ去る。◆◆

■すずろなる所=作者が居そうもない、でたらめなところ

枕草子を読んできて(101)その1

2018年12月01日 | 枕草子を読んできて
八八 里にまかでたるに  (101)その1  2018.12.1

 里にまかでたるに、殿上人などの車も、やすらかずぞ人々言ひなすなる。いとあまりに心に引き入りたるおぼえ、はたなければ、さ言はむ人もにくからず。また夜も昼も来る人をば、何かはなしなども、かかやきかへさむ。まことにむつましくなどあらぬも、さこそは来めれ。あまりうるさくもげにあれば、このたび出でたる所をば、いづくともなべてには知らず、経房、済政の君などばかりぞ知りたまへる。
◆◆里に退出していると、殿上人などの車が家のそばにあるのをも、おだやかでないように人々が話をこしらえて言うとのことである。私はひどくこだわって隠れ忍んでいる人間だというような世間の評判も、まったくそうではないので、そういうだろう人も別ににくらしくはない。また夜も昼も来る人を、どうして「いない」などと言って、恥をかいて帰るようにさせられよう。ほんとうに仲が良いよいうほどの人も、そんなふうにしてやって来るようだ。なるほどあまりにも煩わしくもあるので、今度下がっている所は、どことも一般にはわからず、経房、済政の君などばかりが知っていらっしゃる。◆◆

■殿上人などの車=仮に「(訪問の)車のあるをも」の意とみる。
■あまりに=一説、三巻本に「うらむに」「うしむに」とあり、「有心に」(思慮深く)を「余心に」と誤ったもの。
■経房(つねふさ)=源高明の四男。
■済政(なりまさ)=源時中の子。



左衛門尉則光行きて、ものがたりなどするついでに、昨日も宰相中将殿の、「いもうとのあり所、さりとも知らぬやうあらじ」といみじう問ひたまひしに、さらに知らぬよし申ししに、あやにくに強ひたまひし事など言ひて、「ある事あらがふは、いとわびしうこそありけれ。ほとほとゑみぬべかりしにわびて、台盤の上にあやしき布のありしを、ただ取りて、食ひにまぎらはししかば、中間に、あやしの食ひ物やと、人も見けむかし。されど、かしこう、それにてなむ申さずなりにし。笑ひなましかば、不用ぞかし。まことに知らぬなンめりとおぼしたりしも、をかしうこそ」など語れば、「さらにな聞こえたまひそ」など、いとど言ひて、日ごろ久しくなりぬ。
◆◆左衛門尉則光が私のところに行って、物語などをするついでに、昨日も宰相の中将殿が、「あなたの女きょうだい(作者のこと)の居所を、まさか知らないということはないだろう」としつこくお尋ねになったので、さらにいっこうに存じませんと申し上げたのに、意地悪く無理にも言わせようとなさったことなどを話して、「知っていることを否定して言うのは、とてもつらい気持ちでした。もう少しで顔をほころばせてしまいそうだったのに困って、台盤の上に妙な海藻のあったのを、むやみに取りに取って、食べることでごまかしたので、変な時間に妙な食べ物だなと、人々は見たことでしょう。それでも何とかそれで申し上げずに済んでしまいました。もし笑ってしまったら、きっとそれでぶちこわしです。本当に知らないようだと宰相の中将がお思いになったのも、面白おいことでした」などと話すので、「どうか決して申し上げないでくださいよ」などと、いっそう強く言って、幾日か大分日がたってしまった。◆◆

■左衛門尉則光(さえもんのじょうのりみつ)=則光は長徳三年(997)正月二八日、左衛門尉となった。
■宰相中将殿=斉信。長徳二年四月二四日参議。宰相は参議の唐名。