永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(890)

2011年07月31日 | Weblog

2011. 7/31      980
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(41)

 このように薫が、中の君にはたいそうご立派なことを申し上げはしますものの、

「折々は、過ぎにし方の悔しさを忘るるをりなく、ものにもがなや、と、取り返へさまほしき、と、ほのめかしつつ、やうやう暗くなりゆくまでおはするに、いとうるさく覚えて」
――(薫は)何かの折ごとには、妻にして見るべき人を宮に譲った悔しさを忘れかねて、なんとかして昔を今に取り返せるものならば、というお気持を仄めかしながら、ようやくあたりが暗くなってくるまで話し込んでいられるのに、(中の君は)煩わしくお思いになって――

「さらば、心地もなやましくのみ侍るを、またよろしく思ひ給へられむ程に、何事も」
――では、気分がすぐれませんので、いずれまた、改めていくらか気分がよろしい時にでも…――

 と、奥にお入りになろうとなさるのに、薫はがっかりなさって、

「さても、いつばかり思し立つべきにか。いとしげく侍し道の草も、すこしうち払はせ侍らむかし」
――それにしましても、いつ頃宇治にお出かけのおつもりでしょうか。道道の草などもひどく茂っておりますから、少しは刈らせて置こうかと存じますが――

 と、ご機嫌をとられるようなおっしゃりかたに、中の君は奥へ行かれるのをちょっとためらわれて、

「その月は過ぎぬめれば、朔日の程にも、とこそは思ひ侍れ。ただいと忍びてこそよからめ。何か、世のゆるしなどことごとしく」
――もう今月は日もございませんから、来月のはじめ頃にと思います。ただそっと人目に立たぬように行くのがよろしゅうございましょう。何の、宮のお許しなど、大袈裟な…――

 とおっしゃる中の君のお声の、何と可憐なことよ、と、胸いっぱいになられた薫は、

「常よりも昔思ひ出でらるるに、えつつみあへで、寄りゐ給へる柱のもとの、簾の下より、やをらおよびて、御袖をとらへつ」
――常よりも昔が思い出され、堪え切れなくなって、寄りかかっておられる柱の傍の簾の下から、そっとお身体をのばしてお袖をぐいとつかんだのでした――

では8/1に。


源氏物語を読んできて(979)

2011年07月29日 | Weblog
2011. 7/29      979

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(40)

 中の君のお声が遠く微かにしかきこえませんので、

「いと遠くも侍るかな。まめやかにきこえさせうけたまはらまほしき、世の御物語も侍るものを」
――お声がたいへん遠うございますね。お二人(匂宮と中の君)のことで折りいって申し上げたい事も、またお伺いしたいこともありますのに――

 と申し上げますと、

「げに、とおぼして、すこしみじろぎ寄り給ふけはひを聞き給ふにも、ふと胸うちつぶるれど、さりげなくいとどしづめたるさまして、宮の御心ばへ、思はずに浅うおはしけり、とおぼしく、かつは言ひもうとめ、またなぐさめも、方々にしづしづと聞こえ給ひつつおはす」
――(中の君が)ごもっともと思われて、少しいざり寄っておいでになる気配に、はっと胸つぶれる思いがしますが、薫はさりげなく心をおし鎮め落ち着いた様子で、匂宮の思いの外の浅い愛情を思いつつ、匂宮のお仕打ちを悪く言い、また中の君を慰めもして、あれこれとしんみりとお話になります――

 「女君は、人の御うらめしさなどは、うちいでかたらひきこえ給ふべきことにもあらねば、ただ、世やは憂き、などやうに思はせて、言ずくなにまぎらはしつつ、山里にあからさまにわたし給へ、とおぼしく、いとねんごろに思ひてのたまふ」
――女君(中の君)は、匂宮への恨めしさなどは、ほんの一言でも申し上げるべきことでもありませんので、ただ、何事もご自分の宿世の拙さと諦めていることを察していただけるように、言葉すくなに言い紛らわしながら、あの宇治の山里に、ほんのちょっとでも連れて行っていただきたいお心の内を熱心にお話になるのでした――

 薫は、

「それはしも、心ひとつにまかせては、え仕うまつるまじきことに侍るなり。なほ宮に、ただ心うつくしくきこえさせ給ひて、かの御けしきにしたがひてなむよく侍るべき」
――それだけは、私の一存ではお世話できそうにない事です。やはり匂宮に、ただ素直にご相談なさって、そのご意向に添ってなさるのがよろしいと存じます――

 さらに、

「さらずば、すこしも違目ありて、心軽くも、など思しものせむに、いとあしく侍りなむ。さだにあるまじくば、道のほども御送り迎へも、おりたちて仕うまつらむに、何のはばかりかは侍らむ。後やすく人に似ぬ心の程は、宮も皆知らせ給へり」
――そうでないと、少しでも行き違いがあって、軽々しい行為だなどと匂宮がお思いになっては、たいへん具合悪くなりましょう。そういうご心配さえなければ、道中のお送り、お迎えも私が取り仕切ってご奉仕しますのに、何の差し障りがございましょうか。安心な、他とは違う性分の私を、宮もご存知ですから――

◆かつは言ひもうとめ=かつは・言い・も・疎め

◆世やは憂き=古歌「世やは憂き人やはつらき海人の刈る藻に住む虫のわれからぞ憂き」
      みな私の運が拙いのですの意

では7/31に。

源氏物語を読んできて(978)

2011年07月27日 | Weblog
2011. 7/27      978

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(39)

「女君もあやしかりし夜のことなど、思ひ出で給ふ折々なきにしもあらねば、まめやかにあはれなる御心ばへの、人に似ずものし給ふを見るにつけても、さてあらましを、とばかりは、思ひやし給ふらむ」
――(中の君も)あの宇治での人まちがいで過ごしたあやしげな一夜のことを、思い出す折がないではないものの、真面目で親切な薫のお人柄が類まれでいらっしゃるのを見るにつけて、ああこの君と連れ添っていたならば、と、いうくらいのことはお思いになるでしょう。(お思いにならないこともないでしょう)――

「いはけなき程にしおはせねば、うらめしき人の御ありさまを、思ひくらぶるには、何ごともいとどこよなく思ひ知られ給ふにや、常にへだて多かるもいとほしく、物思ひ知らぬさまに思ひ給ふらむ、など思ひ給ひて、今日は御簾のうちに入れたてまつり給ひて、母屋の簾に几帳そへて、われもすこしひき入りて対面し給へり」
――(中の君は)もうお若いというお歳でもありませんので、薄情な匂宮のなされようと思い較べては、なにもかもこちらの薫の君が立ち優っていらっしゃることが、はっきりとお分かりになるせいでもありましょうか、いつも隔てがましく物越しでお逢いしていましたのがお気の毒で、さぞや物分かりの悪い女とお思いになっていらしたとお考えになって、今日は御簾の内に招じ入れ、母屋の簾に几帳を添えて、ご自身はすこし奥に引き入ってお逢いになります――

 薫が、

「わざと召しと侍らざりしかど、例ならずゆるさせ給へりしよろこびに、すなはちも参らまほしく侍りしを、宮渡らせ給ふ、とうけたまはりしかば、折悪しくやは、とて、今日になし侍りにける。さるは、年ごろの心のしるしもやうやうあらはれ侍るにや、へだてすこし薄らぎ侍りにける御簾のうちよ。めづらしく侍るわざかな」
――格別お召しにあずかったわけではございませんが、いつになく訪問をお許しくださった嬉しさに、さっそくにもお伺い申し上げたいと存じながら、昨日は匂宮がこちらへお出でになると伺いましたので、折悪しく存じまして今日にしたのでございます。それにしましても、長年の私の心尽しをようやくお認めいただけたのでしょうか、いささかなりとも隔てを取り除いて、御簾の内に入れていただくとは、珍しいことでございます――

 とおっしゃるのが、中の君にはやはりたいそう恥ずかしく、何と申し上げてよいのか戸惑っていらっしゃる。そして、

「一日うれしく聞き侍りし心のうちを、例の、ただ結ぼほれながらすぐし侍りなば、思ひ知るかたはしをだにいかでかは、と、くちをしきに」
――先日の故父君の御法要を手厚くお計らいいただきましたのに、いつものように、ただ黙って過ごしましては、お礼の一端さえどうしてお分かりいただけようかと、それが残念にぞんじまして――

 と、

「いとつつましげにのたまふが、いたくしぞきて、たえだえほのかにきこゆれば、心もとなくて」
――まことに控えめにおっしゃるのが、たいそう奥まったあたりから、途切れ途切れにかすかに聞こえてきますので、薫はもどかしく――

では、7/29に。

源氏物語を読んできて(977)

2011年07月25日 | Weblog
2011. 7/25      977

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(38)

 中の君のお文をご覧になって、薫は、

「宮の御忌日に、例のことどもいと尊くせさせ給へりけるを、よろこび給へるさまの、おどろおどろしくはあらねど、げに思ひ知り給へるなめりかし。例は、これより奉る御返りをだに、つつましげに思ほして、はかばかしくも続け給はぬを、『みづから』とさへ、のたまへるが、めづらしくうれしきに、心ときめきもしぬべし」
――八の宮の御忌日に供養のことなどを大そう厳めしくおさせになりましたのを、中の君が大変お喜びになっておられるご様子が、大袈裟な表現ではないものの、こちらの気持ちがお分かりになったようだ。いつもはこちらから差し上げる御文のお返事さえ、極まり悪そうにお思いのようで遠慮深げにはかばかしくもお書きになりませんのに、この度は、「直々に」などとおっしゃってくださったのには、珍しくもうれしくて、心ときめくのは尤もなことでした――

「宮の今めかしく好みたち給へる程にて、思しおこたりけるも、げに心ぐるしくおしはからるれば、いとあはれにて、をかしやかなることもなき御文を、うちも置かずひき返し、ひき返し見ゐ給へり」
――匂宮が六の君の方に浮き浮きと胸を燃やしておられる時で、中の君を疎そかにしておられる今を、なるほどとお気の毒に思われる時でもあってか、特に風流な御文でもない中の君のお手紙を、下にも置かず、繰り返し繰り返しご覧になります――

 薫のお返事は、

「うけたまはりぬ。一日は、聖だちたるさまにて、ことさらに忍び侍しも、さ思ひ給ふるやう侍る頃ほひにてなむ。名残りとのたまはせたるこそ、すこしあさくなりにたるやうに、と、うらめしく思う給へらるれ。よろづはさぶらひてなむ。あなかしこ」
――御文のこと、承知いたしました。先日の御法事の折には、修行僧めいた態で宇治に参りましたのも、ひそかにと考えてのことでした。(お知らせすれば同行したいと言われそうで)けれども「名残り」などとは、私の志が昔より少し薄らいだようにおっしゃられたようで、恨めしく存じます。万事は参上いたしました上で。あなかしこ――

 と、気真面目に、白い色紙のごわごわしたものに書かれています。

「さてまたの日の夕つ方ぞわたり給へる。人知れず思ふ心し添ひたれば、あいなく心づかひいたくせられて、なよよかなる御衣どもを、いとどにほはし添へ給へるは、あまりおどろおどろしきまであるに、丁子染めの扇の、もてならし給へる移り香などさへ、たとへむかたなくめでたし」
――さて、次の日の夕方、薫は中の君の御許にお渡りになりました。人知れず中の君をお慕い申していますので、わけもなく心遣いばかりが勝って、着馴らされて優雅にやわらかなお召し物にも、さらに香を薫き添えていらっしゃるのは、あまりにも大袈裟である上に、お持ちになった丁子染めの扇の、お使いになっている移り香までが、たとえようもなく艶めかしい――

◆丁子染め(ちょうじぞめ)=丁子の蕾(つぼみ)の乾燥したものを濃く煮出した汁で染めること。また、それで染めたもの。香染めよりやや色が濃い。

では7/27に。



源氏物語を読んできて(976)

2011年07月23日 | Weblog
2011. 7/23      976

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(37)

「かくて後、二条の院に、え心やすく渡り給はず。軽らかなる御身ならねば、おぼすままに、昼の程などもえ出で給はねば、やがて、おなじ南の町に、年ごろありしやうに、おはしまして、暮るればまたえ引きよぎても渡り給はずなどして、待ち遠なる折々あるを、かからむとすることとは思ひしかど」
――(匂宮は)こうして六の君と御結婚の後は、二条院の中の君のところへは気軽にお出でになれないのでした。軽い御身分ではもとよりありませんので、思い通りに昼間などにはお出かけになれませんので、昼は夕霧と同じ六条の院の南の御殿に昔ながらにお過ごしになって、さて日が暮れたからといって、ここに居る六の君を打ち捨てたまま二条の院の中の君のところへお出かけになるわけにもいかない。そんな次第で、中の君は待ち遠しくお思いになる日々も多く、こういうことにいずれはなろうかとは思っていらっしゃったけれど――

「さしあたりては、いとかくやは名残りなかるべき、げに心あらむ人は、数ならぬ身を知らで、まじらふべき世にもあらざりけり、とかへすがへしも、山路わけ出でけむ程、うつつともおぼえずくやしく悲しければ」
――いざこうなってみれば、人の心はこんなにまでうって変るものなのか。なるほど思慮ある人は、つまらない身もかえりみず、高貴な人々の中に交わるものではない、とつくづくと思い知らされて、宇治の山荘を出られた時のことが正気の沙汰とも思われず、悔まれて悲しくて――

「なほいかで忍びてわたりなむ、むげにそむくさまにはあらずとも、しばし心をもなぐさめばや、にくげにもてなしなどせばこそ、うたてもあらめ、など、心ひとつに思ひあまりて、はづかしけれど、中納言殿に文たてまつれ給ふ」
――何とかしてそっと宇治に帰ってしまおう。無理に匂宮に背く風ではなくても、しばらく心を休めたい。面当てがましく振る舞っては具合がわるいでしょうが……などと、心ひとつには決め難く、今更恥ずかしいことながら、薫に御文を差し上げられます――

 御文には、

「一日の御事は、阿闇梨の伝えたりしに、くはしく聞き侍りにき。かかる御心の名残りなからましかば、いかにいとほしく、と思ひ給へらるるにも、おろかならずのみなむ。さりぬべくはみづからも」
――先日の事は(薫が八の宮の追善供養を営んだ事を指す)、阿闇梨が知らせてくれましたので、詳しく承知いたしておりました。こうした昔を忘れぬ貴方の御好意が、もしもありませんでしたら、故人に対してどんなにか心苦しかったかと存じられますにつけましても、並一通りの感謝ではございません。直々に御礼申し上げたいのでございますが――

 としたためてあります。薫は、

「陸奥紙に、ひきつくろはず、まめだち書き給へるしも、いとをかしげなり」
――陸奥紙(思わせぶりでない、実用的な紙)に、何の気取りもなく、真面目にお書きになっているのが、かえってまことに趣き深い――

 と、ご覧になるのでした。

では7/25に。


源氏物語を読んできて(975)

2011年07月21日 | Weblog
2011. 7/21      975

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(36)

 さて、

「宮は女君の御ありさま、昼見きこえ給ふに、いとど御志まさりにけり。おほきさよき程なる人の、様体いときよげにて、髪のさがりば頭つきなどぞ、ものよりことに、あなめでた、と見え給ひける。色あひあまりなるまでにほひて、ものしくけだかき顔の、まみいとはづかしげにらうらうじく、すべて何事もたらひて、容貌よき人と言はむに飽かぬところなし」
――匂宮は、六の君のご容姿を昼間の明りでご覧になって、いっそうご愛情が勝るのでした。程良い背丈で姿かたちがたいそう美しく、前肩に垂れ下げた髪の具合や頭(かしら)つきなど、他のどんな女より優れており、なんと綺麗なことだ、とご覧になるのでした。肌の色合いが驚くほど艶々として、見栄えのするお顔立ちの、目元はこちらが恥ずかしくなるほど実に美しく上品で、しかもなにもかも備わっていて、美人として足りないところはない――

「二十にひとつふたつぞ余り給へりける。いはけなき程ならねば、かたなりに飽かぬところなくあざやかに、盛りの花と見え給へり。かぎりなくもてかしづき給へるに、かたほならず。げに親にては、心もまどはし給ひつべかりける」
――御歳は二十を一つか二つ越していらっしゃる。幼いというお歳ではないので、お身体もふくよかに、申し分なく成熟されていて今を盛りの花とお見受けされます。夕霧が大切に養育されただけに、非の打ちどころもないのでした。なるほど親としては無我夢中になられる筈だ――

「ただ、やはらかに愛敬づきらうたきことぞ、かの対の御方は先づ思ほし出でられける」
――だがしかし、柔和で愛嬌があり、可憐な点では、やはりあの中の君が真っ先に思い出されるのでした――

「物のたまふいらへなども、はじらひたれど、またあまりおぼつかなくはあらず、すべていと見どころ多く、かどかどしげなり。よき若人ども三十人ばかり、童六人、かたほなるなく、装束なども、例のうるはしきことは、目馴れて思さるべかめれば、引きたがへ、心得ぬまでぞ好みそし給へる」
――(六の君が)匂宮にたいしてお返事されることも、恥じらいながらも、物怖じするということもなく、何かにつけて程よい状態で、賢そうでもある。立派な若い女房を三十人、童が六人と、いずれも醜い者はおらず、着ている衣裳も並み一通りでは見栄えがしないであろうと、目先を変えての度外れなまでに趣向を凝らしています――

「三條殿腹のおほい君を、東宮に参らせ給へるよりも、この御ことをば、ことに思ひおきてきこえ給へるも、宮の御おぼえありさまがらなめり」
――雲居の雁腹の大君を、東宮に差し上げられた時よりも、夕霧が六の君のご婚儀を格別にお世話なさるのも、匂宮の御声望やお人柄によるものであろう。(将来は東宮かと)

◆かたほならず=不完全なところがない。
◆心もまどはし給ひつ=無我夢中になって
◆かどかどし=賢い
◆かたほなるなく=不完全でなく=器量の悪い者はいない
◆三條殿腹のおほい君=三條殿(夕霧の正妻・雲居の雁)腹の長女の大君。東宮に嫁した。

では7/23に。


源氏物語を読んできて(974)

2011年07月19日 | Weblog
2011. 7/19      974

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(35)
 
「例の、寝ざめがちなるつれづれなれば、按察の君とて、人よりはすこし思いひまし給へるが局におはして、その夜はあかし給ひつ。明け過ぎたらむを、人のとがむべきにもあらぬに、苦しげにいそぎ起き給ふを、ただならず思ふべかめり」
――薫は例によって、寝つけない夜は、按察の君(あぜちのきみ=母・女三宮の侍女)という他の女よりは多少深く愛しておられる人の部屋に行かれて、その夜を明かされたのでした。別に夜が明けて明るくなったからといって、咎めだてする人とておりませんのに、やはり気が咎めるのか急いでお起きになるのを、この女はやはり不満だったのでしょう――

(按察の歌)「うちわたし世にゆるしなき関川をみなれそめけむ名こそをしけれ」
――世間から認められない逢瀬ですのに、馴れ染めたと評判が立つのは辛いことです――

 薫は可哀そうに思われて、

(薫の返歌)「深からずうへは見ゆれど関川のしたのかよひはたゆるものかは」
――表面は深くないように見えても、人目を忍んであなたに通わす私の愛情は、どうして絶えたりするものですか――

「深しとのたまはむにてだにたのもしげなきを、この上の浅さは、いとど心やましくおぼゆらむかし」
――歌に、深いとおっしゃってさえ、頼りにならないものを、こうあからさまに表面の浅さを言われては、いっそう気の揉めることであろう――

「妻戸押し開けて『まことは、この空見給へ、いかでかこれを知らず顔にてはあかさむとよ。えんなる人まねにてはあらで、いとどあかしがたくなりゆく、夜な夜なの寝覚めには、この世かの世までなむ思ひやられてあはれなる』など、言ひまぎらはしてぞ出で給ふ」
――(薫は)妻戸を押し開けて、「本当はこの空を見せたかったのだよ。見てごらん。どうしてこの風情を知らぬ顔で寝ていられるものか。思わせぶりに風流人を気取るわけではないが、現世、来世のことまでも思いやられて、あわれ深いのだ」などと言い紛らわしてお部屋を出ていかれる――

 薫は、ことさら相手を喜ばす物言いをなさるわけではないけれど、全体にご様子が優雅でいらっしゃるので、冷淡だとは誰にも思われないらしい。

「かりそめのたはぶれ言をも言ひそめ給へる人の、げ近くて見たてまつらばや、とのみ思ひきこゆるにや、あながちに、世をそむき給へる宮の御方に、縁をたづねつつ参り集まりてさぶらふも、あはれなること、程々につけつつ多かるべし」
――薫の、心にもない御冗談でも、お言葉をかけていただいた者は、せめてお側近くにお仕え申したいと思うのだろう。無理にも、ご出家の女三宮の御殿に縁故を求めて御奉公にあがっている者もいるけれども、不憫なことも身分身分によっては多いにちがいない――

では7/21に。


源氏物語を読んできて(973)

2011年07月17日 | Weblog
2011. 7/17      973

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(34)

「君は入りて臥し給ひて、はしたなげなるわざかな、ことごとしげなるさましたる親の出でゐて、離れぬなからひなれど、これかれ、火あかくかかあげて、すすめきこゆる盃などを、いとめやすくもてなし給ふめりつるかな、と、宮の御ありさまをめやすく思ひ出でたてまつり給ふ」
――薫はお部屋にお入りになってお寝みになりながら、花婿というものは何とも間の悪いものだなあ。仰山らしい様子をした親(夕霧)が出席していて、普段は親しい身内だというのに、尤もらしく周囲の誰かれが燈火を高くかかげる中で、すすめられる盃などを、ほどよく受け流しておいでだったが……などと、婿君の落ち着いた御様子を思い出していらっしゃる――

「げにわれにても、よしと思ふ女子持たらましかば、この宮をおきたてまつりて、内裏だにえ参らせざらまし、と思ふに、誰も誰も、宮に奉らむと志し給へる女は、なほ源中納言にこそ、と、とりどりに言ひならふなるこそ、わがおぼえのくちをしくはあらぬなめりな、さるはいとあまり世づかず、ふるめきたるものを」
――なるほど、自分にも人並み以上の娘を持っていたならば、匂宮以外には宮中のだれにも差し上げないだろう。誰もかれも、匂宮に差し上げようと娘を持った親は志しててはいるようだが、でもやはり源中納言(薫自身)の方が本当は望ましい、と、めいめいが口癖にしているそうだ。これこそ自分の評判も満更ではないのだな。それにしても自分のように世間並みでもない老人じみた人間の、どこがいいのだろうか――

などと、心中得意にならずにはいられない。

「内裏の御けしきあること、まことに思したたむに、かくのみもの憂くおぼえば、いかがすべからむ、おもだたしきことにはありとも、いかがあらむ、いかにぞ、故君にいとよく似給へらむ時に、うれしからむかし」
――帝から思召しの女二の宮との結婚の事は、それが本当であれば、こんな気の進まない自分ではどうしたものか。光栄なことではあるけれども、どんなものだろう。せめてその女二の宮があの亡くなられた大君によく似ておられたら、その時はどんなにか嬉しいことだろうに――

「と思ひ寄らるるは、さすがにもて離るまじき心なめりかし」
――と、思ったりなさるのは、さすがにこの御結婚をお断りになるお積りではないらしい――

◆離れぬなからひ=縁遠くない間柄=夕霧と匂宮は親戚同士。匂宮の母・明石中宮は夕霧の妹。

では7/19に。