永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(237)

2008年11月30日 | Weblog
11/30  237回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(16)

源氏は、
「父大臣には何か知られむ。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめて立ち交じりたらむが、なかなかなる事こそあらめ。われはかうさうざうしきに、覚えぬところより尋ね出したるとも言はむかし。すきものどもの心つくさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」
――実の父の内大臣には知らせまい。あちらには大層大勢のお子達が大事にされているらしいから、玉鬘がものの数にも入らぬ身で、今になってその中に加わってもつまらぬことになろう。わたしは、このように子供が少なくて物足りないのだから、思いがけぬ所から探し出してきた子だとでも言おう。好き者の男たちの気を揉ませる種として、大切に育てよう――

 右近は、不幸にも亡くなられた夕顔の代わりに、この姫君をご援助なさる源氏には、それこそ罪も軽くおなりでしょう、などと申し上げます。

 そうとしても、末摘花の例もあることだ、と源氏は思われるのでした。落ちぶれて育った人の有様が心配で、まず、手紙の書きぶりを見たいものだとお思いになります。
 源氏からの御文と玉鬘の御装束や女房達の衣料など、紫の上にもご相談の上でしょう、さまざまに揃えられてありました。乳母をはじめ、田舎者には目を見張るご立派さでした。

 ご本人の玉鬘自身は、ほんの印だけでも、実の父君からならば嬉しいでしょうが、どうして知らぬ他人の中で暮さねばならないのかと、心苦しく思いますが、右近も、乳母たちも、

「おのずから、さて人だち給ひなば、大臣の君も尋ね知り聞こえ給ひなむ。親子の御契は、絶えて止まぬものなり」
――そのようにして、源氏の許でご立派になられましたら、自然、御父君もお聞きつけになりましょう。親子の御縁というものは、決して絶えてしまうものではございませんから――

 とお慰め申し上げ、お文のお返事をお勧めになります。玉鬘の歌、

「数ならぬみくりや何のすぢなればうきにしもかく根をとどめけむ」
――三稜(みくり)が泥に根を下ろすように、数ならぬ私の身が、一体何の縁で憂き世にこうして生まれてきたのでしょう――

 書風は弱々しくてよろよろしていますが、上品で難点がありませんので、源氏は安心されました。

ではまた。


源氏物語を読んできて(184)

2008年11月29日 | Weblog
11/29  236回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(15)

源氏は、つづけて、
「上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎば、はたむつかり給はむ、とや。さるまじき心と見ねば、あやふし」
――紫の上も、われわれ年寄り同士が親しくしすぎては、やはりお気にさわるだろうね。
そうではないと言えないお心だから、危ないことだ――

などと、右近を相手にお笑いになります。そのご様子は、たいそう愛嬌がおありで、洒落っ気さえ添っていらっしゃる。源氏が、

「かの尋ね出でたりけむや、何さまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たるか」
――その捜し出した人というのは、一体どういう人か。尊い修行僧でも口説いて連れて来たとでもいうのか――

 右近が、まあ、人聞きのわるい、これこれしかじかと、玉鬘のことをお話しになります。源氏は

「よし、心知り給はぬ御あたりに」
――よしよし、ここに事情をご存知ない方もいらっしゃるから――

と隠し事のように言いますのを、紫の上は、

「あなわづらはし。眠たきに、聞き入るべくもあらぬものを」
――ああ、煩わしいこと、こちらは眠くて耳をそばだてるどころではございませんのに――
と袖で耳をお塞ぎになります。

 源氏は、右近からいろいろと聞き出されます。「その玉鬘の容貌は夕顔に比べてどうか、劣っていないだろうか。誰くらいの器量かな、紫の上とはどうだろう。もっとも私に似ているならば安心だがね」などと、もう玉鬘の親のようなおっしゃりかたです。

 それからは、右近一人をお召しになって相談しては、

「さらばかの人、このわたりに渡い奉らむ」
――では、かの姫君玉鬘を、この六条院にお引き移ししよう――

ではまた。


源氏物語を読んできて(235)

2008年11月28日 | Weblog
11/28  235回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(14)

 これは、秋風の肌寒い季節で、勤行が果てて帰途につきます前に、お互いの家を知らせ合い、別れたのでした。右近の家は六条院のちかくで、九条の豊後介とは、そう遠くないので、お互いに相談するにも都合がよいと思うのでした。

 右近は六条院の紫の上の御殿に参上します。源氏に、玉鬘に逢ったことを少しでも早く申し上げる折もあろうかと伺候しておりますと、次の夜紫の上から召し出されました。
源氏も右近をご覧になって、

「などか、里居は久しくしつる。例ならず、やまめ人の、ひきたがへ、こまがへる様もありかし。をかしき事などありつらむかし」
――なぜ、里下がりを長くしたのだ。いつもと違って独り者が、急に若がえることもあるらしい。何か面白いことでもあったようだね――

 と、例によってうるさく絡んで冗談をおっしゃる。右近が、

「罷でて、七日に過ぎ侍りぬれど、をかしき事は侍り難くなむ。山踏みし侍りて、あはれなる人をなむ見給へつけたりし」
――宿下がりして、七日余りになりますが、別に面白いことなどございません。山寺に詣でまして、何とも感に堪えない人を見つけたのでございます――

 源氏が「それは誰か」とお聞きになりますが、思いつきのように申し上げますなら、まだ、紫の上に申し上げてもいませんので、源氏にだけ特別に申し上げては、紫の上が後でお聞きになって、ご気分がお悪いでしょうと、「そのうちに」と申し上げます。
 大殿油(おおとなぶら)を灯して、源氏と紫の上がおくつろぎになっていらっしゃるご様子は、まことにお見事です。右近は、玉鬘がなるほどお美しく成長なさったと思うものの、やはり紫の上に並ぶ御方はなかなか居まいと拝見されるのでした。

 源氏がお寝すみになるというので、御脚をさすらせに右近をお呼びになり、

「若き人は、苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心交はして睦びよかりけれ」
――脚をさすることは、若い女房はやりきれないと言って渋るが、やはり年寄り同士は気が合って具合がよさそうだね――

他の女房達が、これを聞いて、「嫌がるなどとそんなことあるものですか。困った御冗談をおっしゃるので、それが面倒で」などと忍び笑いをしております。

◆やまめ=やもめ
 こまがへる=若返る
 どち=たち、同志

ではまた。


源氏物語を読んできて(234)

2008年11月27日 | Weblog
11/27  234回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(13)

右近は、
「いでや、(……)われいかで尋ね聞こえむ、と聞こえ出づるを、聞こし召し置きて、われいかで尋ね聞こえむ、と思ふを、聞き出で奉りたらば、たなむ、宣はする」
――いえいえ、(私などはものの数でもありませんが、源氏の殿がお側近くお召使いになりますそのついでに)あの姫君はどうなされましたやらと、お噂申し上げますのをお聞き留めなさって、自分はどうにかして捜し出したいと思うので、居場所が分かったら知らせるようにと仰っておられますので、先ず殿に。――

乳母は、「源氏の殿はたいそうご立派でいらっしゃって、申し分のない女君が大勢いらっしゃるということです。先ずは実の御父君の内大臣にこそ、お知らせ申し上げてくださいませ」と言いますのを、右近は押しとどめて、夕顔の亡くなられた当時の事情を話はじめて、

「世に忘れ難く悲しきことになむ思して、かの御かはりに見奉れむ、子もすくなきがさうざうしきに、わが子を尋ね出でたると人には知らせてと、そのかみより宣ふなり。(……)」
――殿は、まことに忘れる事もお出来になれないほど悲しまれて、あの方の身代りにお子の姫君をお世話申そう、子供も少なくて淋しい身でもあり、自分の実子を探し出したと人には思わせるようにして、とあの頃から申されておりました。(あなたのご主人が少貮になられて、殿にお暇ごいにお出でになったとき、ちらっとお見かけはしましたが、きっと姫君は五条の宿にお留置きになられたと思っておりました。)――

「あないみじや、田舎人にておはしまさましよ」
――おお大変、姫君はもう少しで、田舎人におなりになるところでしたー―

 などと一日中昔話や、念仏を申して過ごします。そのところからは参詣の人々を見下ろせて、前を流れるのは初瀬川といいます。右近から拝見します姫君は、「たいそう上品で、ご容貌もお美しく、田舎びた雑なところなど一つもありませんのを、このようにお世話くださった乳母に感謝でいっぱいです。母君の夕顔は、ただひどく無邪気で、おっとりとして、なよなよと柔和でいらっしゃいましたが、玉鬘は気高く、ご態度もこちらが恥ずかしいほど、奥ゆかしく教養も十分あおりになります。」この日も暮れ方から御堂に上って、次の日も一日中勤行にお過ごしになりました。

◆さうざうしい=さびさびしい=何となく物足りない。心さびしい。

ではまた。



源氏物語を読んできて(長谷寺境内)

2008年11月27日 | Weblog
◆写真:本堂から見た境内
 
 「本堂」は高い位置に建てられているので、舞台から登廊や多くの堂宇を見ることができる。左の写真は舞台から見た境内であり、その景観は壮大である。写真中央やや左の見える大きな木は天狗杉である

源氏物語を読んできて(184)

2008年11月26日 | Weblog
11/26  233回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(12)

 右近たちの居場所は、ご本尊の右手に近い間にとってありました。姫君の一行は、ご祈祷師の御師とは、まだ馴染みがないせいでしょうか、西の間で遠いところでしたので、右近は近くにと計らったのでした。そして、

「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿になむ侍ひ侍れば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことは侍らじと頼み侍る。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり。」
――私はこうしたつまらない身ですが、ただ今の太政大臣(源氏)の御邸にお仕えしておりますから、こうした忍びの道中でも、無体を働く者はあるまいと安心しております。田舎びた人を見ますと、初瀬のような所では、つまらぬはしたない者たちが馬鹿にしますので、もったいないことです。――

 などと、もっとゆっくりとお話をしたいと思いますが、物々しい勤行の声にかき消されて、あたりの騒がしさに巻き込まれて、ともかくも仏を拝み申し上げます。心の内で、「あの姫君玉鬘をどうにかしてお探ししようと、長年お願いをしてきましたが、やっとこうしてお会いしましたので、源氏の君があれ程までに探し出したいというご熱意に、お知らせをし、姫君にこれからのご幸福をお恵みください。」と一心にお祈りをします。

 乳母と右近は、ここに三晩参籠して、その後ゆっくりとお話をしますには、右近、

「覚えぬ高きまじらひをして、多くのひとをなむ見あつむれど、殿の上の御容貌に、似る人おはせじ、となむ、年ごろ見奉るを、またおひ出で給ふ姫君の御さま、いと道理にめでたくおはします。(……)」
――思いがけず高貴の方にお仕えしまして、多くの女君を拝見しましたが、源氏の御方さまの紫の上のご容貌に並ぶ方はいらっしゃいませんし、また明石の姫君も当たり前のことですが、お可愛くいらっしゃいます。(この玉鬘の姫君は旅やつれなさっていらっしゃっても、あちらの方々に劣らないようにお見えになりますのは、驚かれるほどです。こちらの玉鬘さまのお美しさは、その方々に比べてどこが劣っておられましょう)――

と、微笑みながら言いますので、乳母もうれしく、

「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈め奉りぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家かまどをも棄て、男女の頼むべき子供にもひき別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京に参うで来し。(……)」
――こちらの姫君を、危うく田舎に埋もらせ申すところでしたが、それが惜しく悲しく、家も竈も捨てて、頼りとする男女の子たちとも別れて、今ではかえって他国のような都に帰って来ました。(おお、右近どの、一日も早く、何とか良いようにお世話くださいまし、あなたのように高貴な方にお仕えしておられれば、自然、内大臣邸へお出入りする序でもありましょう。)――

と、言いますのを聞かれてか、玉鬘は恥ずかしそうに後ろをお向きになっていらっしゃいます。

◆あたらしく=惜しく(あたらしく)


源氏物語を読んできて(長谷寺・本尊)

2008年11月26日 | Weblog
「本尊」、十一面観世音菩薩

「本堂」に祀られている「本尊」、十一面観世音菩薩は、高さ10mを超す大きな仏像で、楠で造られている。本堂内の拝所から本尊の全身を拝観することはできないが、金色をした仏像を仰ぎ見るとき、やはりその大きさに圧倒される。

 右手に錫杖を持ち、左手に宝瓶を持つ姿は長谷型観音と呼ばれ独特な形式であり、全国の長谷観音の根本像とされれいる。

 「本尊」は何回もの火災でその度に、焼失しているようである。現在の本尊は天文7年(1538年)に造られたものといわれている

源氏物語を読んできて(232)

2008年11月25日 | Weblog
11/25  232回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(11)

三條が、
「皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづおとどにかくなむと聞こえむ」
――みな無事でいますよ。姫君も立派に成長なされました。先ず乳母さまに申し上げないと――

 みな驚いて、夢のような心持で、屏風類を取り払って、言葉もなく先ずは泣き合っております。乳母は、

「わが君はいかがなり給ひにし。ここらの年頃、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、(……)」
――わが主君の夕顔さまはどうしていらっしゃるのでしょうか。長年夢にでも、おいでになるところを知りたいと大願を立ててお祈りしておりましたが、(何分遠い筑紫のこととて、風の音にさえもご消息がなく、姫君が痛々しく、私も死ぬに死ねないのです)――

と、話を続けますので、申し上げにくいことではありますが、右近は、

「いでや聞こえてもかひなし。御方は早う亡せ給ひにき」
――いえもう、それは申し上げても詮無いことです。夕顔の御方は早くにお亡くなりになってしまったのです――

 と、言うやいなや、三人ながら涙にむせかえり、どうしようもないほど咳きあげて泣き続けました。

 日も暮れそうなので、仏前に献ずる燈明のことなど用意を整えて、案内者が急がせますので、乳母は、供の者たちが怪しむだろうと、まだ豊後介にも知らせず、慌ただしくそれぞれ立ち別れて出発しました。右近がそれとなく気をつけて見ますと、

「中に美しげなるうしろでの、いといたうやつれて、うへにのし単衣めくもの着こめ給へる髪のすきかげ、いとあたらしくめでたく見ゆ。」
――中でも愛らしそうな後姿ですが、たいそう旅やつれして、四月頃に着る単衣のような上着に着こめられている髪の透き影がこの辺ではもったいないほどの立派さです。――

 右近は痛々しくも悲しくも見守り申し上げております。

 幾分歩きなれています右近たちは、先に御堂に着きました。乳母たち一行は、

「この君をもてわづらひ聞こえつつ、初夜行う程にぞ上り給へる。いとさわがしく、人詣でこみてののしる。」
――この姫君のお世話に手間取られて、初夜(そや)の勤行の始まる時分に、やっと登って来られました。御堂の内はひどく騒がしく、参詣の人が立て込んでがやがやしています。――

◆初夜の勤行=勤行(ごんぎょう)は仏教用語。お勤め(おつとめ)、精進とも。宗教儀式のひとつ。初夜の勤行(そやのごんぎょう)とは、何日か参籠して勤行をする最初のお勤めで、夜から始まる。

 寺院・自宅の仏壇の本尊や位牌の前で、経典や偈文などを読誦したり、合掌礼拝したりする。おこない方は、宗旨により異なる。

◆写真:長谷寺山門

ではまた。