永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1102)

2012年04月29日 | Weblog
2012. 4/29    1102

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その10

「『さかし、昔も一度二度通ひし路なり。軽々しきもどきおひぬべきが、ものの聞こえのつつましきなり』とて、かへすがへすあるまじきことに、わが御心にも思せど、かうまでうち出で給へれば、え思ひとどめ給はず」
――(匂宮は)「その通りだ。昔も一度か二度通った道だし、多少の勝手は心得ているが、軽率だとの非難をきっと受けそうなので、それが外聞上憚られるのでね」とおっしゃって、あるまじき事とは御分別なされるものの、ここまで口に出してしまわれた以上思いとどまることはお出来になれそうもないのでした――

「御供に、昔もかしこにこの案内知れりし者二三人、この内記、さては御乳母子の蔵人よりかうぶり得たる若き人、むつまじきかぎりを選り給ひて、大将今日明日は、よもおはせじ、など、内記によく案内聞き給ひて、出で立ち給ふにつけても、いにしへを思し出づ」
――お供には、以前にもお付きして行って、宇治の様子を知っている者二三人と、この内記、その他に御乳母子(おんめのとご)の、蔵人から五位になった若者など、ごく気心の知れた者ばかりをお選びなります。薫は、今日明日は、まさか宇治には赴かれまいと、内記から十分様子をお聞きになった上で、いよいよご出発になるにつけても、あの山荘に中の君をお訪ねになったことが思い出されるのでした――

「あやしきまで心を合はせつつ率てありきし人のために、うしろめたきわざにもあるかな、と、思し出づることもさまざまなるに、京のうちだに、むげに人知らぬ御ありきは、さはいへど、えし給はぬ御身にしも、あやしきさまのやつれ姿して、御馬にておはする、心地ももの恐ろしくややましけれど」
――あの時はわがことのように薫が自分に協力してくれて宇治につれて行ってくらたものを、今日はまた何とやましい気の退けることよ、と、さすがにあれこれと思い乱れていらっしゃいます。京の中でも全く人に知られずのお忍び歩きはなかなかお出来になれぬご身分ですのに、粗末な狩衣姿に身をやつして、御馬でお出かけになるそのお気持は、ご自分でも空恐ろしく気がお咎めになりますが――

「もののゆかしきかたは、進みたる御心なれば、山深うなるままに、いつしか、いかならむ、見あはすることもなくて帰らむこそ、さうざうしくあやしかるべけれ、と思すに、心も騒ぎ給ふ。法性寺の程までは御車にて、それよりぞ、御馬にはたてまつりける」
――好奇心の強さは人一倍というご性分ですので、山深く分け入るままに、いつしか、一刻も早く見たいものだ、さていかがなものであろう、顔を合わせることもなく帰るようなことになったなら、さぞかし物足りなく、また心残りなことであろう、とお思いになっていらっしゃると、胸の内もあやしく波立ち騒ぐのでした。法性寺あたりまでは牛車で、それから先は御馬に乗られたのでした――

◆ややましけれど=心苦しいけれど。悩ましいけれど。

5/1~5/6までお休みします。では5/7に。

源氏物語を読んできて(1101)

2012年04月28日 | Weblog
2012. 4/27    1101

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その9

「御心のうちには、いかにして、この人を、見し人かとも見さだめむ、かの君の、さばかりにてすゑたるは、なべてのよろしき人にはあらじ、このわたりには、いかでうとからぬにかはあらむ、心をかはして隠し給へりけるも、いとねたう覚ゆ。ただそのことを、この頃は思ししみたり」
――(匂宮は)御心のなかで、どうかしてその女君を、先頃見たあのひとかどうか確かめたい、薫がそれほどまでして隠し囲っているからには、並みの美人ではあるまい。こちらの中の君と親しくしているのは、どのような縁故があるのか。薫と中の君が心を合わせて隠しておられるのもひどく妬ましく思われるのでした。匂宮はただそのことばかりを、この頃思い詰めていらっしゃる――

「賭弓、内宴など過ぐして、心のどかなるに、司召など言ひて、人の心つくすめる方は、何とも思さねば、宇治へしのびておはしまさむことをのみ思しめぐらす」
――賭弓、内宴の行事が終わり、心のどかな折である匂宮には、司召などといって人々が躍起になっていることなどには関わりのないご身分であってみれば、ただただ宇治に忍んでお出かけになる事ばかりを思案しておいでになるのでした――

「この内記は、望むことありて、夜昼、いかで御心に入らむ、と思ふころ、例よりはなつかしう召し使ひて、『いと難きことなりとも、わが言はむことはたばかりてむや』などのたまふ。かしこまりてさぶらふ」
――この内記は、官位の昇進を望んでいて、夜といい昼といい、何とか匂宮のお気に入ろうと思っていた時分に、匂宮がいつもより身近に呼び寄せられて、『どんな難しいことでも、私の言うことを、うまく取り計らってくれるか』とおおせになります。内記は謹んで承るのでした――

「『いとびんなきことなれど、かの宇治に住むらむ人は、はやうほのかに見し人の、行くへも知らずなりにしが、大将にたづね取られにける、と聞きあはすることこそあれ。たしかには知るべきやうもなきを、ただものよりのぞきなどして、それかあらぬかと見さだめむ、となむ思ふ。いささか人に知らるまじき構へは、いかがすべき』とのたまへば」
――(匂宮は)「実ははなはだ具合の悪い話なのだが、あの宇治に住んでいる女君は、昔、わたしがちょっと逢ったことのある女らしい。行方不明になって、それが大将に尋ね取られたのだったと、今度聞いて思い合わせた次題なのだ。はっきりとは確かめようがないのだが、ほんのちょっとでも、人には知られず、その女かどうかを見極めたいと思うのだが、どんな工面をしたらよいだろうか」とおっしゃられるのでした――

「あなわづらはし、と思へど、『おはしまさむことは、いと荒き山越えになむ侍れど、ことに程遠くはさぶらはずなむ。夕つかた出でさせおはしまして、亥子の時にはおはしまし着きなむ。さてあかつきにこそは帰らせ給はめ。人の知り侍らむことは、ただ御供にさぶらひ侍らむこそは。それも、深き心はいかでか知り侍らむ』と申す」
――(大内記は)心の中で厄介なことになったとは思うものの、「宇治においでになりますことは、まことに道の悪い山越えをなさらねばなりませんが、格別に遠いというほどでもございません。夕方お発ちになりますと亥子(いね=十時から十二時)の刻にはお着きになりましょう。そして明け方にはお帰りになれましょう。人に知れるということでは、お供の者ばかりでございましょうし、それも深い事情などどうして分かりましょう」と申し上げます――

◆賭弓(のりゆみ)=正月十八日、帝が弓場殿(ゆばどの)にお出ましになり、近衛兵衛の舎人らの競射を御覧になる行事。

◆内宴(ないえん)=正月二十一日の頃、仁寿殿でおこなわれる内々の節会。

◆司召(つかさめし)=平安中期以降、京官、外官の諸官を任命すること。またその儀式自体である宮中の年中行事を指し、任官した者を列記した帳簿そのものを指す(除書ともいう)。「除」は前官を除いて新官を任ずる意味で、「目」は目録に記すことを意味する。普通は秋の除目を言うが、ここでは総称として用いた。

では4/29に。


源氏物語を読んできて(1100)

2012年04月25日 | Weblog
2012. 4/25    1100

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その8

「『女をなむ隠しすゑさせ給へる。けしうはあらず思す人なるべし。あのわたりに領じ給ふ所々の人、皆仰せにて参り仕うまつる。宿直にさしあてなどしつつ、京よりもいとしのびて、さるべきことなど問はせ給ふ。いかなるさいはひ人の、さすがに心ぼそくて居給へるならむ』となむ、ただこの十二月のころほひ申す、と聞き給へし」と聞ゆ」
――(大内記は使用人らの話として)「人目を憚って女君を住まわせておいでなのだ。大将が憎からず思召す人なのでしょう。宇治のあたりに私有しておられる、あちこちの荘園の者は、皆、お言い付けで奉仕しています。そのお邸の宿直に当たらせなどして、京の御本邸からも、ごく内密に、しかるべきお見舞いなどもしておられます。どんなに仕合せな女君でも、この山暮らしは心細くお過ごしのことだろう」とか。わたしもついこの十二月に聞いたことでございます――

 と申し上げます。

「いとうれしくも聞きつるかな、と思ほして、『たしかにその人とは言はずや。かしこにもとよりある尼ぞ、とぶらひ給ふと聞きし』『尼は廊になむ住み侍るなる。この人は今建てられたるになむ、きたなげなき女房などもあまたして、くちをしからぬけはひにて居て侍る』と聞ゆ」
――(匂宮は)「大そう良いことを聞いたとお思いになって、「下人ははっきりと誰それとは言わなかったのかね。大将はあそこに前から住んでいる尼を訪ねられると聞いていたが」とお尋ねになりますと、大内記は「いえ、尼は渡殿に住んでいるとのことでございます。その女君は、新築された方に住まわれ、小奇麗な女房なども大勢そろえて、見ぐるしくない感じで住んでおります」と申し上げます――

「をかしきことかな。なに心ありて、いかなる人をかは、さてすゑ給ひつらむ。なほいとけしきありて、なべての人に似ぬ御心なりや。右の大臣など、『この人のあまりに道心に進みて、山寺に、夜さへ、ともすればとまり給ふなる。軽々し』ともどき給ふ、と聞きしを、べに、などかさしも仏の道にはしのびありくらむ、なほかの古里に心をとどめたる、と聞きし、かかることこそはありけれ。いづら。人よりはまめなるとさかしがる人しも、ことに人の思ひいたるまじき隈ある構へよ」とのたまひて、いとをかし、とおぼいたり」
――面白い話だな。薫大将はいったいどういうお積りで、どんな素性の人をそのように隠しているのだろう。薫という人はやはり一癖ある、並みはずれた御気性だね。右大臣(夕霧)などが「薫があまりに道心に走って、山寺に夜まで、ややもすれば泊られるそうだが、ご身分柄感心しないことだ」と非難していらっしゃると聞いているが、なるほどその通り、まったく、道心のためとはいえ、どうしてあれほどまで人目を忍んで出歩くことがあろう、やはりあの昔なじみの地に心惹かれているのかと思っていたが、なんとまあ、それがこんな事実があったとは。どうだ。誰よりも真面目だと言われ、悟りすましている人が、かえって世間の思いつきそうにない隠しごとをやってのけているとは」とおっしゃって、大そう興味を覚えたご様子です――

「この人は、かの殿にいとむつまじく仕うまつる家司の婿になむありければ、隠し給ふことも聞くなるべし」
――この大内記は、薫の御殿にごく親しくお仕えしている家司の婿なので、薫が秘密にしておられることも聞くのでしょう――

では4/27に。

源氏物語を読んできて(1099)

2012年04月23日 | Weblog
2012. 4/23    1099

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その7
 
 侍女の少将は、

「『見給へしかば、いかでかは参らせまし。すべてこの子は、心地なうさし過ぐして侍り。生先見えて、人はおほどかなるこそをかしけれ』など憎めば、『あなかま。をさなき人な腹立てそ』とのたまふ」
――「もし気づいていましたら、どうして御前になど差し出しましょう。全くこの子は考えのない出過ぎた子だこと。人は将来頼もしい風におっとりとしているのが良いのに」などとぶつぶついいますのを、中の君は「まあまあ、そんなこと。幼い者に腹を立てるものではありません」とおっしゃいます――

 この子は、去年の冬、ある人がこちらへ差し出した童ですが、顔立ちがたいそう美しいので、匂宮もとりわけ可愛がっておいでなのでした。

「わが御方におはしまして、あやしうもあるかな、宇治に大将の通ひ給ふことは、年ごろ絶えずと聞くなかにも、しのびて夜とまり給ふ時もあり、と人の言ひしを、いとあまりなる人の形見とて、さるまじきところに、旅寝し給ふらむこと、と思ひつるは、かやうの人隠し置き給へるなるべし、と、思し得ることもありて、御書のことにつけて、使ひ給ふ大内記なる人の、かの殿にしたしきたよりあるを思し出でて、御前に召す」
――(匂宮は)ご自分のお部屋にもどられて、なんとも妙なことがあるものだな。宇治に薫がお通いになるのは、随分久しくなるというが、この頃では忍んで泊まられるとか、だれかが言っていたが、いくら亡き人(大君)の形見だからといって、あのような山里に旅寝されようとは、いかにも府に落ちないと思っていたが、さてはこのような女を隠して置かれたのかと、合点されることがありまして、学問上のことにかこつけて、出入りさせておいでになる大内記で、薫のお邸に縁故のある者を思い出されますと、お呼び出しになります――

「参れり。韻塞ぎすべきに、集ども選り出でて、こなたなる厨子に積むべき事などのたまはせて、『右大将の宇治へいますること、なほ絶え果てずや。寺をこそ、いとかしこくつくりたなれ。いかでか見るべき』とのたまへば」
――やがて大内記が参上しますと、韻塞ぎ(いんふたぎ)をしたいのだが、漢詩の集を選び出して、こちらの厨子に積むように、などとお命じになって、『右大将(薫)が宇治に行かれるのは今でも続いているのかね。寺を大そう立派に建てたそうだが、是非何とかしてみられないものか』とおおせられますと――

「いといかめしくつくられて、不断の三昧堂など、いと尊く掟てられたり、となむ聞き給ふる。通ひ給ふことは、去年の秋ごろよりは、ありしよりもしばしばものし給ふなり。下の人々の、しのびて申ししは、」
――寺は大そうご立派に厳めしくお造りになって、不断の三昧堂なども、まことに尊く作るように指図されたと聞いております。大将殿は去年の秋ごろから、前よりも足しげくお通いのご様子です。下人などがこっそりと申しますには…――

 と申し上げ、さらに続けて…


◆大内記(だいないき)=中務省に属し、詔勅を草し位記を記す官

◆不断の三昧堂(ふだんのざんまいどう)=常住不断に念仏を唱えて勤行に専念するための堂

では4/25に。

源氏物語を読んできて(1098)

2012年04月21日 | Weblog
2012. 4/21    1098

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その6
 
 文には細々と愚痴めいたことが書かれていますのを、匂宮は、なにやらいぶかしくお思いになって、

「『今はのたまへかし。誰がぞ』とのたまえば、『昔、かの山里にありける人の女の、さるやうありて、このごろかしこにあるとなむ聞き侍りし』と聞こえ給へば、おしなべて仕うまつるとは見えぬ文がきを、心得給ふに、かのわづらはあしきことあるに思し合わせつ」
――「さあ、おっしゃい。誰の手紙ですか」とおっしゃるので、中の君は「昔、宇治の山荘に仕えていた人の娘が、何かの事情で最近ここに居ると聞きました」と申し上げます。匂宮は、普通に奉公している女の手紙には見えない書きぶりと思われますにつけ、文中に、厄介な事があって参上できないと書いてあったのとを、思い合わされて、さては浮舟だと気づかれたのでした――

「卯槌をかしう、つれづれなりける人のしわざと見えたり。またぶりに、山橘つくりてつらぬき添へたる枝に」
――卯槌はことさら見事に作られていて、いかにもつれづれをもてあぐねた人の作ったものとみえます。二またになった木の枝に、造り物の藪柑子(やぶこうじ)の実を貫き添えて――

(歌)「まだ旧りぬものにはあれど君がためふかきこころにまつと知らなむ」
――この木はまだ古木ではありませんが、若君のために心をこめて、御長寿をまつ、松の木と御承知ください――

「ことなることなきを、かの思ひわたる人のにや、と思し寄りぬるに、御目とまりて、『返へりごとし給へ。なさけなし。隠い給ふべき文にもあらざめるを、など御けしきのあしき。まかりなむよ』とて立ち給ひぬ」
――格別すぐれた歌というのでもないものの、あの思い続けていた人(浮舟)の手紙か、と気が付かれて、よく御覧になって、中の君へ「お返事をして差し上げなさい。このままにしていては酷いでしょう。何も隠すようなお手紙でもないものを、なんとまあ、あなたは機嫌のわるいことよ。では失礼しよう」と言ってお立ち出でになりました――

 中の君は侍女の少将などを呼んで、

「『いとほしくもありつるかな。をさなき人の取りつらむを、人はいかで見ざりつる』など、しのびてのたまふ」
――「浮舟のために気の毒なことでしたね。子供が受け取ったのでしょうが、どうしてお前たちが気が付かなかったのですか」などと、声をひそめておっしゃいます――

◆今はのたまへかし=今は・宣へ・かし

◆またぶり=二またになった枝。ここは松の小枝。

◆卯槌(うづち)=正月の上の卯の日に、「糸所」から作ったもの。桃の木で作り、長さ三尺、広さ一寸、四角で、邪気を伏せしめるという。

では4/23に。

源氏物語を読んできて(1097)

2012年04月19日 | Weblog
2012. 4/19    1097

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その5

「さすがに、それならむ時に、と思すに、いとまばゆければ、『開けて見むよ。怨じやし給はむとする』とのたまへば、『見苦しう、何かは、その女どちのなかに書き通はしたらむうちとけ文をば、御覧ぜむ』とのたまふが、さわがぬけしきなれば、『さば、見むよ。女の文がきは、いかがある』とて開け給へれば」
――(匂宮は)もしもそれが、本当に薫からの文であったらとお思いになりますと、やはり極まりが悪いので、「開けて見ますよ、お恨みになるかな」と中の君におっしゃいますと「見ぐるしく何てまあ、そんな女同志やりとりしています内輪の文など、御覧になることがありましょうか」と申し上げますが、一向に慌ててもいらっしゃらないので、「それなら見ますよ。女同志はどんな手紙を書くのかな」と言って、お開けになりますと――

「いと若やかなる手にて、『おぼつかなくて年も暮れ侍りにける。山里のいぶせさこそ、峰の霞も絶え間なくて』とて、端に、『これも若宮の御前に。あやしう侍るめれど』と書きたり」
――大そう若々しい手蹟で、「ご無沙汰のままで年も暮れてしまいました。山里の鬱陶しさは、気持ちばかりか、峰の霞も絶え間がなくて」とありまして、端に「これは若君に差し上げていただきとうございます。不出来ですが」と書き添えてあります――

「ことにらうらうじき節も見えねど、おぼえなきを、御目たててこの立文を見給へば、げに女の手にて」
――とりわけて才ばしったところもない文ではありますが、この筆跡にはお心当たりがありませんので、気をつけてもう一つの立文の方を御覧になりますと、こちらも確かに女の手蹟で書かれています――

その内容は、

「年あらたまりて何ごとかさぶらふ。御わたくしにも、いかにたのもしき御よろこび多く侍らむ。ここには、いとめでたき御住まひの心深さを、なほふさはしからず見たてまつる。かくてのみつくづくとながめさせ給ふよりは、時々参らせ給ひて、御心もなぐさめさせ給へ、と思ひ侍るに、つつましくおそろしきものに思しとりてなむ、もの憂きことに歎かせ給ふめる。……」
――年もあらたまりまして、上様にはいかがお過ごしでいらっしゃいますか。お喜ぶごとが数々おありになって、あなた様も、さぞご機嫌よくいらっしゃることでございましょう。こちらはまことに結構なお住いで、申し分もございませんが、それでもやはり姫君にはふさわしからぬお暮しぶりのように存じあげます。姫君がこうしてつくづくと物思いに沈んでおられるよりは、時々は中の君の御邸に参上なされて、気晴らしもなさってはと存じますが、あの疎ましく恐ろしかったことにすっかり懲りておしまいになって、物憂く歎いてばかりいらっしゃいます……――
    
◆御わたくし=御私の「私」は、私人、個人の意

では4/21に。


源氏物語を読んできて(1096)

2012年04月17日 | Weblog
2012. 4/17    1096

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その4

「宮もあだなる御本性こそ、見まうきふしもまじれ、若宮のいとうつくしうおよずけ給ふままに、外にはかかる人も出で来まじきにや、と、やむごとなきものに思して、うちとけなつかしきかたには、人にまさりてももてなし給へば、ありしよりは少しもの思ひしづまりて過ぐし給ふ」
――匂宮の浮気なお心癖は、中の君には困った事、気に入らないこととお思いになりますが、若君がいよいよ可愛らしく成長なさるにつけて、匂宮はお心の中で、他の夫人(左大臣家の六の君たち)にはこのような御子を儲けてくれる人はいるまい、と、この頃では中の君を大切な人として扱っておられますし、気楽で親しいという点からも芯から睦み交わしていらっしゃるので、中の君は前よりは多少物思いもなく過ごしていらっしゃいます――

さて、

「正月の一日過ぎたるころわたり給ひて、若君の年ましり給へるを、もてあそびうつくしみ給ふ。昼つかた、ちひさき童、緑の薄様なるつつみ文のおほきやかなるに、ちひさき髭籠を小松につけたる、また、すくずくしき立文とり添へて、あうなく走り参る。女君に奉れば」
――正月の一日を過ぎて、匂宮が二条院にお渡りになって、若君の一つ年をおとりになった(二歳)のを、お相手にして可愛がっておられます。昼ごろ、小さな女童が、緑の薄様で包んだお文の大きなのに、小松に添えた小さな髭籠(ひげご)と、別にきちんとした立文とを持って、ばたばたと走ってきて、女君(中の君)の前に参って、それをさしあげますと――

 匂宮が、「どこからの御文か」とお尋ねになります。女童がたいそう急きこんで、

「宇治より大輔のおとどにとて、もてわづらひ侍りつるを、例の、御前にてぞ御覧ぜむ、とて、取り侍りぬる。この籠は、金をつくりて、色どりたる籠なりけり。松もいとよう似て造りたる枝ぞとよ」
――宇治から大輔の君(中の君の侍女)へと言って持ってまいりましたが、使いの者がまごまごしていましたので、いつものように上(中の君)が御覧になるのでしょうと存じまして、私が受け取りました。この籠は銅線で作って色を塗ったものだわ。松も本物そっくりの枝だこと――

 と、はしゃいでしゃべりたてます。匂宮もつい釣り込まれて、

「『いでわれも、もてはやしてむ』と召すを、女君、いとかたはらいたく思して、『文は大輔がりやれ』とのたむふ、御顔の赤みたれば、宮、大将のさりげなくしなしたる文にや、宇治のなのりもつきづきし、と思し寄りて、この文を取り給ひつ」
――「それではひとつ、わたしにも見せておくれ」と匂宮がお取り寄せになります。中の君はひどくお困りになって、「その文は、大輔のほうへおやり」とおっしゃいます。そのお顔がほんのりと赤らんでいらっしゃるのを、匂宮は、さては薫が何食わぬふりをして、よこした手紙かな、宇治からと名乗っているのも怪しい、とお思いになったのでしょう、この文を取り上げてしまいました――


◆見まうきふし=見ま・憂き節=気に入らない点

◆髭籠(ひげこ)=竹籠の編み残した端を髭のように出して飾りとしたもの

◆すくずくしき立文=直々しき立文(たてぶみ)=きまじめな立文。立文は書状の形式で、包み紙を縦にするものをいう。

では4/19に。


源氏物語を読んできて(1095)

2012年04月15日 | Weblog
2012. 4/15    1095

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その3

「わたすべきところ思し設けて、しのびてぞつくらせ給ひける。すこしいとまなきやうにもなり給ひにたれど、宮の御方には、なほたゆみなく心寄せ仕うまつり給ひこと同じやうなり」
――(薫は)そうは思いながらも、浮舟をいずれこちらへお引き取りになるべきところを、ご用意なさって、内々に準備なさっているのでした。前よりもご多忙でお暇がなくなられましたが、中の君には今も変わらず、何かと怠りなくお世話申し上げておいでになります。――

「見たてまつる人もあやしきまで思へれど、世の中をやうやう思し知り、人のありさまを見聞き給ふままに、これこそはまことに、昔をわすれぬ心ながさの、名残りさへ浅からぬためしなめれ、とあはれもすくなからず」
――傍目には薫のご態度をいぶかしく思うようですが、中の君ご自身は、世の中というものがだんだん分かっておいでになり、薫のご様子をまのあたりにご覧になるうちに、これこそは真実昔をお忘れにならぬ気長さの、名残りまで並々でない例として、身に沁みて有難くお思いになるのでした――

「ねびまさり給ふままに、人がらもおぼえも、さま異にものし給へば、宮の御心のあまりたのもしげなき時々は、思はずなりける宿世かな、故姫君の思し掟てしままにもあらで、かくもの思はしかるべき方にしもかかり初めけむよ、と思す折々多くなむ」
――薫は歳をとられるにつれて、人品も世間の信望も格別でいらっしゃるのに引き比べ、匂宮のお心の、あまりに頼りなく思われる折々には、思ってもいなかった成り行きに、これが宿世というものでしょうか。亡き姉君のお心づもりにはならずに、このように心配ごとの多い匂宮の方にお添いすることになってしまったとは、とお思いになることも多いのでした――

「されど、対面し給ふことは難し。年月もあまり昔を隔てゆき、うちうちの御心を深う知らぬ人は、なほなほしきただ人こそ、さばかりのゆかりたづねたるむつびをも忘れぬに、つきづきしけれ、なかなkかうかぎりある程に、例にたがひたるありさまも、つつましければ」
――けれども、なんといっても薫と対面なさることは難しい。亡き父宮がいらっしゃった頃から何分年月が隔たってしまい、うちうちのご事情を深く知らない人は、身分の低い人ならば、縁故を利用して親密さを忘れぬ物欲しげなおつき合いもしましょうが、このようなご身分の薫の君が、何を求めて打ち解けたおつき合いをなさるのかと、あらぬ詮索をするのも気が負けるというもの――

「宮の絶えず思しうたがひたるも、いよいよ苦しう思しはばかり給ひつつ、おのづからうときさまになりゆくを、さりとても絶えず、同じ心のかはり給はぬなりけり」
――匂宮が中の君と薫との間を絶えずお疑いになり、いつも気を揉んでおいでになるのも辛くて、薫とは自ずから隔てをもっておらっしゃいますが、薫の方は、昔ながらの変わらぬお心でいらっしゃるのでした――

では4/17に。

源氏物語を読んできて(1094)

2012年04月13日 | Weblog
2012. 4/13    1094

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その2

「とてもかくても、わがおこたりにてはもてそこなはじ、と思ひ返し給ひつつ、いとほしながらえ聞こえ出で給はず。ことざまにつきづきしくは、え言ひなし給はねば、おしこめてもの怨じしたる、世の常の人になりてぞおはしける」
――(中の君は)いずれにしても、自分の不注意から何か事がおきることだけはするまいと、思い返されて、匂宮には申し訳ないことですが、一切お口にはお出しにならないのでした。とはいえ、他に作り事をして取り繕う風にもおっしゃれませんので、じっと我慢をして、ただ世間並みに嫉妬の上のように装っておいでになります――

「かの人は、たとしへなくのどかに思し掟てて、待ち遠ほなりと思ふらむ、と、心苦しうのみ思ひやり給ひながら、ところせき身の程を、さるべきついでなくて、かやすく通ひ給ふべき道ならねば、神のいさむるよりもわりなし」
――かの人(薫)は、傍目からご覧になってさえのんびりを構えていらして、宇治では浮舟がさぞかし待ち遠しく思っているだろうとは、思いやられてはいらっしゃるものの、何分にも重々しいご身分柄、しかるべき口実がなくては、気軽に通って行かれそうな道中でもないので、この道ばかりは神もお諌めになるより困ったことだ――

「されど、今いとよくもてなさむとす、山里のなぐさめと、思ひ掟てし心あるを、すこし日数も経ぬべき事ども作り出でて、のどやかに行きても見む、さて、しばしは人の知るまじき住みどころして、やうやうさるかたに、かの心をものどめ置き、わがためにも、人のもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ」
――もっとも、そのうちに浮舟を厚遇してやるつもりだ。ものもと宇治に行ったときの山里の慰めにと思っての心づもりだったのだから、少し日数のかかりそうな用事でもこしらえて、ゆっくり逢いに行くことにしよう。ここ当分は、あそこを人知れぬ隠れ家にしておいて、そういう住居に女の気持も落ち着かせておいて、自分としても世間の非難を負わぬよう、程々にしておくのがよかろう――

「にはかに、何人ぞ、いつより、など聞きとがめられむもものさわがしく、はじめの心にたがふべし、また宮の御方の聞き思さむことも、もとのところを際々しう率て離れ、昔を忘れ顔ならむ、いと本意なし、など思ししづむるも、例の、のどけさ過ぎたる心からなるべし」
――急に京に迎えたりして、あれは誰か、いつからの仲なのだろう、などと、口さがなく取り沙汰されるのも面倒であるし、そんなことにでもなったなら、そもそもの志にも背くことになる。それに宮の御方(中の君)がお聞きになった時、自分が古里のお住いからさっさと中の君を連れ出しておいて、昔をすっかり忘れてしまったようにでも思われては、それも不本意なことだ、などと思案を重ねては落ち着いた風ですのも、例のゆったりとしたお心の故なのでしょうか――

では4/15に。

源氏物語を読んできて(1093)

2012年04月11日 | Weblog
2012. 4/11    1093

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その1

薫(右大将)   27歳
浮舟       22歳
匂宮(兵部卿の宮)28歳
中の君      27歳
明石中宮     46歳
夕霧(左大臣)  53歳

「宮、なほ、かのほのかなりし夕べを思し忘るる世なし。ことごとしき程にはあるまじげなりしを、人がらのまめやかにをかしうもありしかな、と、いとあだなる御心は、くちをしくて止みにしこと、と、ねたう思さるるままに、女君をも、かうはかなきことゆゑ、あながちに、かかるすぢのものにくみし給ひけり」
――匂宮は、いまもなお、あの夕暮にほのかにご覧になった女(浮舟)の面影をお忘れになる折とてなく、それほどの身分の女ではなかったが、人柄はまことに趣き深く、可愛らしかったなあ、と、浮気なお心癖から、残念にも中途半端で終わってしまったことよ、と、癪にさわっては、中の君がまるで浮舟を隠されたのではなどと、つまらない嫉妬と恨み言をおっしゃっているのでした――

「『思はずに心憂し』と、はづかしめうらみきこえ給ふ、折々は、いと苦しうて、ありのままにや聞こえてまし、と思せど、やむごとなきさまにはもてなし給はざなれど、浅はかならぬ方に、心とどめて人の隠し置き給へる人を、もの言ひさがなく聞こえ出でたらむにも、さて聞きすぐし給ふべき御心ざまにもあらざめり」
――「あなたは随分ひどいことをなさる」と、中の君をはずかしめたり、恨んだりなさるので、そのたびごとに、いっそのこと何もかも本当のことを申し上げてしまおうかともお思いになりますが、しかし、薫の君が、たとえ正式なご縁組ではないにせよ、軽々しいお気持からではなく、心を込めて匿っておいでなのを、はしたなくお話申したならば、決してそのまま聞き過ごされるような宮のご性分ではありませんもの――

「さぶらふ人の中にも、はかなうものをものたまひ触れむと思し立ちぬるかぎりは、あるまじき里までたづねさせ給ふ、御さまよからぬ御本性なるに、さばかり月日を経て、思ししむめるあたりは、まして必ず見ぐるしきこと取り出で給ひてむ、ほかよりつたへ聞き給はむはいかがはせむ、いづかたざまにもいとほしくこそありとも、防ぐべき人の御心ありさまならねば、よその人よりは聞きにくくなどばかりぞ覚ゆべき」
――宮の御前に仕えている女房たちの中に、ちょっと口説いてみたいと思い立たれた者でもいると、ご身分柄差し障りもありそうな住いにまでお出かけになるという、人聞きの悪い色好みでいらっしゃいますのに、ましてや、これほどいつまでも深く思いこんでおられる浮舟であってみれば、見ぐるしい御ふるまいもなさりかねないでしょう。自分以外の口からお耳に入るのは仕方がないとして、薫の君にも、妹君(浮舟)のためにもお気の毒になろう、そうかといって、お止めする術もない匂宮の御気質なので、万が一そんなことにでもなって、なまじ他人と違って、姉妹で宮を分かち合うようにでもなれば、どんなに外聞の悪い思いをせずにはいられないことか――

では4/13に。