永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(132)その5

2016年06月30日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その5  2016.6.30

「椿市にかへりて、落忌など言ふめれど、われはなほ精進なり。そこよりはじめて、あるじする所ゆきもあらずあり。もの被けなどするに、手をつくしてものすめり。
泉河、水まさりたり。『いかに』など言ふほどに、『宇治より舟の上手具してまゐれり』と言ふに、『わづらはし、例のやうにてふと渡りなん』と男方にはさだむるを、女方に『なほ舟にてを』とあれば、『さらば』とてみな乗りてはるばると下る心地いと労あり。」

◆◆椿市に戻って、精進落としなどと人々は言っているようですが、わたしは今もまだ精進中です。そこをはじめとして、もてなしてくれる所が次々とあって、道中がはかどらない。被けものなどを与えると、なおのこと一生懸命もてなしてくれるようでした。泉河は水かさが増していました。「さて、どうしようか」などと言っているときに、「宇治から腕利きの船頭をつれて参りました」と言うけれど、「舟は面倒だ。いつものように、さっと対岸に渡ってしまおう」と男どもは決めますが、女達は「やはり舟で」というので、「それでは、舟で」ということになって、皆乗って、はるばると川を下っていくのは、漕ぎ手が上手ですばらしい乗り心地でした。◆◆



「舵取りよりはじめうたひののしる。宇治近きところにてまた車に乗りぬ。さて例のところには方悪しとて、とどまりぬ」
◆◆船頭をはじめ皆大きな声で歌を歌っています。宇治が近くなった所でまた車に乗りました。さて、「例の家へは方角が悪い」ということで、宇治に泊まりました。◆◆


■あるじする所=土地の有力者が父の倫寧一行をもてなすこと。

■もの被け=「あるじする所」で被け物をするので

■舟の上手具してまゐれり=優秀な船頭を連れてまいりました。


蜻蛉日記を読んできて(132)その4

2016年06月28日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その4 2016.6.28

「からうじて椿市にいたりて、れいのごととかくして出で立つほどに、日も暮れはてぬ。雨や風なほやまず、火ともしたれど吹き消ちていみじく暗ければ、夢の路の心地していとゆゆしく、いかなるにかとまで思ひまどふ。からうして祓殿に至り着きけれど、雨もしらず、ただ水の声のいとはげしきをぞ、さななりと聞く。」
◆◆やっとのことで、椿市(つばいち)というところに着き、例のようにいろいろと準備をして出立する頃には日も暮れてしまいました。風雨はなおも止まず、松明を灯していましたが、それも掻き消えてしまい真っ暗なので、夢の中で路を辿るようなおぼつかなさで恐ろしく、いったいどうなるものかと心配やら何やら生きた心地がしませんでした。やっとのことで祓殿にたどり着きましたが、雨の様子も分らず、ただただ川の音が激しいので、きっと雨がひどく降っているのだろうと思って聞いていました。◆◆



「御堂にものするほどに心ちわりなし。おぼろげに思ふことおほかれど、かくわりなきに物おぼえずなりにたるべし、何ごとも申さで、明けぬといへど、雨なほおなじやうなり。昨夜に懲りてむげに昼になしつ。」
◆◆御堂にのぼるとき、気分が悪くひどくくるしくなりました。並々ならぬお願い事が多くありましたのに、このように気分が悪く苦しいので意識もぼんやりしてしまったせいか、何事もお願いしないうちに、夜が明けてしまったようです。雨は昨夜と同じように降り続いています。昨夜の雨の中の旅に懲りて、当然のごと出立を昼にしました。◆◆



「音せでわたる森のまへを、さすがに、『あなかま あなかま』とただ手をかき面をふり、そこらの人のあぎとふやうにすれば、さすがにいとせんかたなくをかしく見ゆ。」
◆◆物音をさせずにとおる森の前を、いつもはにぎやかな連中も「静かに、静かに」と手を動かしたり、顔を振ったりしながら、大勢の供人たちが、魚みたいに口をぱくぱくさせるので、いつも心のほぐれることがない私もどうしようもなく可笑しく見ていました。◆◆

■祓殿(はらへどの)=参籠前に祓へをして、身を清める所。

■音せでわたる森=音を立てずに通らねばならぬ森。場所不詳。

■写真:椿市跡


蜻蛉日記を読んできて(132)その3

2016年06月24日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その3 2016.6.24 

「明けぬれば急ぎたちて行くに、にへのの池、泉川、はじめ見しには違はであるを見るも、あはれにのみおぼえたり。よろづにおぼゆることいとおほかれで、いと物さわがしくにぎははしきに紛れつつあり。ようたての森に車とどめて、破籠などものす。みな人の口むまげなり。春日へとて、宿院のいとむつかしげなるとどまりぬ。」
◆◆夜が明けたので急いで出立してゆくと、贄野(にえの)の池や泉川が最初に見たときと全く変わっていない様子であるのも感慨深いものでした。何かにつけてしみじみ思うことが多いけれど、まわりは騒がしくにぎやかで、それに紛れながら過ごして、ようたての森に車を止めてお弁当を食べます。皆美味しそうに食べています。春日神社にお参りするということで、とてもむさくるしい宿院に泊まりました。◆◆



「それよりたつほどに、雨風いみじく降りふぶく。三笠山をさして行くかひもなく、濡れまどふ人おほかり。からうじてまうでつきて御幣たてまつりて、初瀬ざまにおもむく。飛鳥に御灯明たてまつりければ、ただ釘貫に車をひきかけて見れば、木立いとをかしき所なりけり。庭きよげに井もいと飲まほしければ、むべ『宿りはすべし』と言ふらんと見えたり。いみじき雨いやまさりなれば、いふかひもなし。」
◆◆そこから出立して行くうちに風雨がひどく吹き荒れて、三笠山を目指して行くのにその名前にあやかるどころか、ずぶ濡れになった供人が大勢いました。やっとのことで御社に着いて幣帛(へいはく)をお捧げして、初瀬の方に向いました。飛鳥寺にお灯明をあげに寄ったので、私は牛車の中にいて、轅(ながえ)を釘貫にひっかけて、あたりを見回しますと、木立のこんもりとした美しいところでした。庭も行き届いて清らかに、井戸の水も思わず飲みたくなるように澄んでいて、なるほど「宿りはすべし」というのだろうと思われました。激しい雨が先ほどよりいっそうひどく降ってきて、どうしようも無いのでした。◆◆

■宿院(すくゐん)=寺院に参詣した人の宿泊する僧坊。

■飛鳥(あすか)=春日社の南西、元興寺の異称。中門の観音が長谷寺の観音の御衣木(みそぎ)で作られていたので、長谷参詣の人は往路に立ち寄ったという。

■釘貫(くぎぬき)=柱を並べ立て、横木を貫き渡した柵。

■『宿りはすべし』=催馬楽「飛鳥井」に「飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 陰もよし みもひ(水)も寒し みまくさもよし」とあるのを想定して、その文句道理だと。



蜻蛉日記を読んできて(132)その2

2016年06月21日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その2 2016.6.21

「こうじにたるに風は払ふやうに吹きて、頭さへいたきまであれば、風隠れつくりて見出したるに、暗くなりぬれば鵜舟どもかがり火さしともしつつ、ひと川さわぎたり。をかしく見ゆることかぎりなし。」
◆◆疲れたところに風が払うように吹き荒れて、頭痛までしてくるので、風除けをつくって外を見ているうちに、あたりが暗くなると、鵜舟が何艘もかがり火を灯して、川いっぱいに棹をさして行きます。この上もなく風情のある状景です。◆◆



「頭のいたさの紛れぬれば、端の簾まきあげて見出して、あはれ、わが心とまうでしたび、かへさにあかたの院にぞゆきかへりせし、ここになりけり、ここに按察使殿のおはして物などおこせ給ふめりしは、あはれにもありけるかな、いかなる世にさだにありけんと、思ひ続くれば、目もあはで夜中すぐるまでながむる鵜舟どもの、のぼりくだり行きちがふを見ては、
<うへしたとこがるることをたづぬれば胸のほかには鵜舟なりけり>
などおぼえて、なほ見れば、暁がたにはひきかへていさりとふ物をぞする。又なくをかしくあはれなり。」
◆◆頭痛も大分治まったので、端の簾を巻き上げて見わたしながら、ああそういえば、自分から思い立って初瀬に詣でたとき、京に帰る途中、あの人はあかたの院に伺って帰ったことがあったっけ、あれはここだったのだわ。ここに按察使様がお出でになっていて、贈り物をお寄こしくださったようでしたが、ほんとうにご芳情が見にしみたことでしたっけ。いったいどんな前世の因縁であのような素晴らしいことがあったのかしら、と思い出を辿っていると、目が冴えて夜中過ぎまで思い出にふけっていましたが、鵜舟が川を上ったり下ったり行き違うのを見ながら、
(道綱母の歌)「上も下も燃えているのは何かといえば、私の胸の思い(火)と、他には上り下りする鵜飼舟(の篝火)なのでした。」
などという歌が浮かんできて、なおも見ていると、夜明け前には全く違って、いさり(網漁)ということをしています。それもまた比べようもなく面白い風景でした。◆◆


■こうじにたるに=疲れたので

■風隠れ(かざがくれ)=風よけ


蜻蛉日記を読んできて(132)その2

2016年06月17日 | Weblog
132蜻蛉日記  中卷  (132)その1 2016.6.17

「さて七八日ばかりありて、初瀬へ出でたつ。巳の時ばかり家を出づ。人いとおほく、きらきらしうてものすめり。」
◆◆さて、それから七、八日経って、初瀬詣でに出発します。巳の時ほどに家を出ます。一行は供人も多く、きらびやかな様子で行くようです。◆◆



「未の時ばかりに、この按察使の大納言の領じ給ひし宇治の院に至りたり。人はかくてののしれど、わが心はわづかにて見めぐらせば、あはれに、心にいれてつくろひ給ふとききし所ぞかし、この月にこそは御はてはしつらめ、ほどなく荒れにたるかなと思ふ。」
◆◆未の時刻に、按察使の大納言(兼家の叔父で師氏)のご所領になっていたあの宇治の院に到着しました。一行の連中はこうしてにぎやかだけれど、私の心はそれほどにはならず、そっとあたりを見わたしてみると、しみじみと思われる。ここが心をこめてお手入れなさっているとお聞きしていた別荘だったのだ、この月には一周忌をなさったようですが、程なくこんなにも荒れてしまったものだと、思ったのでした。◆◆



「ここの預りしける者の、まうけをしたれば、立てたるものの、ここのなめりと見るもの、三稜草すだれ、網代屏風、黒柿の骨に朽葉の帷子かけたる几帳どもも、いとつきづきしきも、あはれとのみ見ゆ。」
◆◆この別荘の管理人が一行のもてなしを準備してくれていましたので、立てまわしてある調度、大納言様の遺品の品々、みくり簾、網代屏風、黒柿の手に朽葉色の帷子をかけてある几帳など、いかにも場所柄にふさわしくしみじみと思われました。◆◆


■巳の時(みのとき)=午前九時~十一時の間。

■未の時(ひつじのとき)=午後一時~午後三時ごろ

■按察使の大納言(兼家の叔父で師氏)=前年(天禄元年)七月十四日に死去。

■三稜草すだれ(みくりすだれ)=三稜草はミクリ科の草で、その茎で作ったすだれ。

■網代屏風(あじろびょうぶ)=網代で張った屏風

■黒柿(くろがい)の骨に朽葉の帷子かけたる几帳=「黒柿」は黒味を帯びた縞が柿の木の心部にあるのでこの名がある。「骨」は几帳の横木、ここへ帷子を掛ける。



蜻蛉日記を読んできて(131)

2016年06月14日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (131) 2016.6.14

「県ありきの所、『初瀬へ』などあれば、もろともにとて、慎む所にわたりぬ。所かへたるかひなく、午時ばかりに、にはかにののしる。『あさましや、誰かあなたの門はあけつる』など、主もおどろきさわぐに、ふとはひ入りて、日ごろ例の香盛りすゑて行ひつるも、にはかに投げちらし、数珠も間木にうち上げなど、らうがはしきに、いとぞあやしき。その日、のどかに暮して、またの日、帰る。」
◆◆地方官歴任の父のところでは、「初瀬に参詣に」といっているので、一緒にいくことにして、精進している父の邸に赴きました。場所を変えた甲斐もなく、真夜中ごろに、突然兼家がやかましく先払いをして来ました。「あきれたことだ、誰があちらの門を開けたのだ」などと、主の父が驚き騒ぐなかを、つとあの人が入ってきて、この日ごろ、いつものように香を盛って置いて勤行に使っていた物などを、ぱっと投げ散らし、数珠も間木に放りあげるなど、乱暴を働くので、まったくどうしたものかという騒ぎでした。その日、あの人はゆっくりとくつろいで過ごし、あくる日に帰って行きました。◆◆


■門はあけつる=精進中は閉門するものらしい。

■ふとはひ入りて=兼家は作者が精進している部屋に闖入して。(兼家の振る舞いは、作者がまた山籠りの準備をしているのかと誤解して、それを止めさせようとしたもの。)

■間木(まぎ)=上長押に設けた棚

■のどかにくらして=ゆっくりくつろいで(兼家は昼から来て、父親との初瀬詣でだと分って安心した。先日の鳴滝参籠がよほど身にこたえ、懲り懲りした様子が分かる)



蜻蛉日記を読んできて(130)

2016年06月11日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (130) 2016.6.11

「かくてその日を暇にて、又物忌みになりぬと聞く。
あくる日、こなたふたがりたる。
又の日、今日をまた見んかしと思ふ心こりずまなるに、夜ふけて見えられたり。一夜の事度もしかじかと言ひて、『こよひだにとて急ぎつるを、忌み違へにみな人ものしつるを、出だしたててやがて、見捨ててなん』など、罪もなく、さりげもなく言ふ。いふかひもなし。明くれば、『しらぬ所にものしつる人々いかにとてなん』とて、急ぎぬ。それよりのちも、七八日になりぬ。」

◆◆こうしてその日は物忌みがなく、次の日、また物忌みになったということです。翌日はこちらの方角が塞がったけれど、その次の日、今日は見えるかと性懲りもなく思っていると、夜が更けてから見えました。先夜のことをあれこれと弁解して、「せめて今夜だけでもと思って、急いだので、忌み違えに皆が出かけるのを送り出して、そのまま後を見向きもせずに、飛んできた」などと、自分には非もないような平気な顔で言う。なんとも言いようがないこと。夜が明けると、
「はじめての所へ出かけた人々が、どうしているか気になるので」と言って急いで帰って行きました。それから音沙汰がなく七、八日経ってしまった。◆◆


■罪もなく、さりげもなく言ふ=兼家邸も作者邸も物忌みが続いたが、物忌みが終わった翌日、兼家は真夜中にやってきて、先夜の弁解をして、まったく悪びれもせず、あっさりしているので作者のほうが拍子抜けしている。兼家の性格がよく現れている。


蜻蛉日記を読んできて(129)

2016年06月06日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (129) 2016.6.6

「さて明けぬれば、大夫、『何事によりてにかありけんと、まゐりて聞かん』とてものす。『よべはなやみたまふことなんありける。<にはかにいと苦しかりしかばなん、え物せずなりにし>となん、のたまひつる』と言ふしもぞ、聞かでぞおいらかにあるべかりけるとぞおぼえたる。『障りにぞある、重し』とだに聞かば、何を思はましと思ひむつかるほどに、尚侍の殿より御文あり。
◆◆さて、夜が明けると、大夫(道綱)が、「どのような理由だったのでしょうか、お邸に参って聞いて参りましょう」と言って出かけました。帰ってきて「昨夜は急にご気分が悪くなられたことがありました。『急にひどく苦しくなって、行けなくなった』と、仰っていました」と告げるので、それならばいっそのこと何も聞かないで、穏やかにしていれば良かったと思ったのでした。「体の障りがあって非常に苦しいので行けぬ」とだけでも言ってくだされば、何をくよくよと思い悩むこともなかったのにと気分が悪いときに、尚侍(登子)さまよりお手紙が参りました。◆◆



「見れば、まだ山寺かとおぼしくて、いとあはれなるさまにのたまへり。『などかは、さ繁さまさる住ひをもしたまふらん。されどそれにも障りたまはぬ人もありと聞く物を、もて離れたるさまにのみ言ひなしたまふめれば、いかなるぞとおぼつかなきにうけても、
<妹背川むかしながらのなかならば人のゆききの影は見てまし>
◆◆拝見すると、私がまだ山寺に居るのかとお思いのようで、大層しみじみと身にしみるようなお手紙です。「どうして、そのような物思いのいや増さるようなお住いをしていらっしゃるのでしょう。それでもそんな山住まいの方を尋ねていく人(兼家)もいると聞きますが、あなたさまは兄とすっかり疎遠になっているようにばかりおっしゃいますので、いったいどうしたことかと気がかりになりますにつけても、
(尚侍の歌)「夫婦仲が昔どおりであったなら、あなたの許に通っていく兄の姿を見ることができるでしょうに」



「御かへりには、『山の住ひは、秋のけしきも見給へんとせしに、また憂き時のやすらひにて中空になん。繁さは知る人もなしとこそ思うたまへしか。いかに聞こしめしたるにか、おぼめかせたまふにも、げにまた、
<よしや身のあせんなげきは妹背山なか行水の名もかはりけり>
などぞきこゆる。」
◆◆お返事には、「山の住いでは秋の景色も見る予定でしたが、山でも苦しいのは同じで、どうこうしているうちに、下山しましても、どっちつかずの心もとない日々です。この私の物思いの深さは知る人もないと存じておりましたのに、どのようにお耳になさいましたのか、お手紙にありますのも、そのとおりで、
(道綱母の歌)「夫(兼家)の愛情が自分に薄くなるのを嘆いても仕方がありません。もはや私たちは夫婦とは言えない間柄になってしまったのです」
と言うようなことを申し上げました。◆◆


■よしや身の…=古今集「流れては妹背の山の中に落つる吉野の皮のよしや世の中」を本歌とする。

蜻蛉日記を読んできて(128)

2016年06月03日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (128) 2016.6.3

「昼つ方、『渡らせ給ふべし。ここにさぶらへとなん仰せ事ありつる』と言ふ。ものどもも来たれば、これかれさわぎて、日ごろ乱れがはしかりつるところどころをさへ、ごほごほとつくるを見るに、いとかたはらいたく思ひ暮らすに、暮れ果てぬれば、来たる男ども、『御車の装束なども皆しつるを、など今まではおはしまさざらむ』など言ふほどに、やうやう夜もふけぬ。」
◆◆昼ごろ、「殿がおいでになるはずです。こちらに控えているようにとの仰せがありました」と言って、本宅の供人が来ましたので、こちらの侍女たちが大騒ぎして、いつもは乱雑にしているあちらこちらをばたばたと片付けているのを見るにつけ、とても心苦しい思いで一日を暮していたのですが、暮れ果ててしまったので、控えていた供人たちも、「御車のお支度も全部できたいましたのに、どうして今になってもお出でにならないのでしょうか」などと言っているうちに、とうとう夜も更けてしまったのでした。◆◆



「ある人々、『なほあやし、いざ人して見せにたてまつらん』など言ひて見せにやりたる人、かへり来て、『只今なん御車の装束解きて、御隋身ばらもみな乱れはべりぬ』と言ふ。さればよぞと、又思ふに、はしたなき心ちすれば、思ひ嘆かるることさらにいふかひなし。」
◆◆侍女たちが「何だか変ですね。誰かを様子見に参らせましょう」などと言って、見せにやりますと、帰って来て、「只今あちらでは御車の支度を解いて、御隋人たちも皆解散しました」と言います。ああやっぱり又しても、と思うと居たたまれない気がするので、込み上げてくる悲しさといったら、言葉にもならない。◆◆



「山ならましかば、かく胸ふたがる目を見ましやと、うべもなく思ふ。ありとある人もあやしくあさましと思ひさわぎあへり。ことしも三夜ばかりに来ずなりぬるやうにぞ見えたる。いかばかりのことにてとだに聞かば安かるべしと思ひ乱るるほどに、客人ぞ物したる。心ちのむつかしきにと思へど、とかくもの言ひなどするにぞ、すこし紛れたる。」
◆◆山寺にいたならば、これほど胸がいっぱいになることはないだろうに、やはり山寺での予感が当ったと思う。家の誰もかれもが、どうも変だ、あきれたことだと思って、がやがやと騒いでいます。まるで、新婚早々の婿殿が来なくなったような騒ぎのようです。一体どれほどの事があって、来られなくなったのかを聞けばなるほどと安心するだろうにと、思い乱れているところに、お客さまがありました。あれこれ思い悩んでいるときで気が進まなかったのですが、お話をしているうちに、心が紛れてきました。◆◆