永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(59)その1 その2

2018年05月27日 | 枕草子を読んできて
四六  節は  (59) その1  2018.5.27

 節は、五月にしくはなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたるも、いみじうをかし。九重の内をはじめて、言ひ知らぬたみしかはらの住みかまで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらしく、いつかことをりは、さはしたりし。空のけしきの曇りわたりたるに、后の宮などには、縫殿より御薬玉とていろいろの糸を組みさげてまゐらせたれば、御帳立てたる母屋の柱に、左右につけたり。
◆◆節日は、五月五日の節日に及ぶものはない。菖蒲や蓬が一緒に香り合っているのも、たいへんおもしろい。内裏の内をはじめとして、言うに及ばない卑しい者の住まいでも、どうかして自分の所には、他よりたくさん葺こうと、一面に軒に葺いてあるのは、やはりとても目馴れぬ面白さで、いつ他の折にはそんなことをしていたことがあるだろうか。空の様子が一面に曇っている時に、中宮様の御殿などには、縫殿寮から御薬玉といって、いろいろな色の糸を組んで垂らして献上してあるので、御帳台が立ててある母屋の柱に、左と右とにそれをつけた。◆◆

■菖蒲、蓬(しょうぶ、よもぎ)=どちらも邪気を払うもの。
■たみしかはら=礫瓦(たびしかわら)の音便か。



九月九日の菊と綾と生絹のきぬに包みてまゐらせたる、同じ柱に結ひつけて月ごろある、薬玉にとりかへて捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それは、みな糸を引き取りて物結ひなどして、しばしもなし。
◆◆(前年の)九月九日、重陽の節供の折の菊と綾と生絹の絹の布に包んで献上したのが、同じ柱に結び付けてこの何か月もあったのを、薬玉に取り換えて、その菊を捨てるようである。またこの薬玉は、菊の節日まで残っているはずのものなのであろうか。けれども、その薬玉の方は、全部飾りの糸をひっぱって取って、物を結ぶのに使ったりして、しばらくの間も残っていない。◆◆


■薬玉(くすだま)=薬や香料を入れた袋を造花や五色の糸で飾ったもの。
■九月九日=重陽の節供。菊は長寿の花。



四六  節は  (59) その2   2018.5.27

 御節供まゐり、若き人々は、菖蒲のさし櫛さし、物忌みつけなどして、さまざまな唐衣、汗衫、長き根、をかしき折り枝ども、むら濃の組して結びつけなどしたる、めづらしう言ふべき事ならねど、いとをかし。さて春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
◆◆中宮様に御節供のお食事を差し上げ、若い女房たちは、菖蒲のさし櫛を挿し、物忌みの札をつけなどして、さまざまに、唐衣や汗衫に、菖蒲の長い根や、幾本かの風雅な折り枝を、むら染の組みひもで結びつけなどしてあるのは、珍しい風に言いたてるべきことでもないけれど、たいへんおもしろい。というのは、そんなふうに毎年同じように春ごとに咲くからといって、たいしたことではないように言う人がいるだろうか。◆◆



 つちありく童などの、ほどほどにつけては、いみじきわざしたりと、常に袂まもり、人に見くらべ、えもいはず興ありと思ひたるを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くもをかし。紫の紙に楝の花、青き紙に菖蒲の葉ほそうまきて引き結ひ、また白き紙を根にして結ひたるもをかし。いと長き根などを、文の中に入れたる人どもなど、いと艶なり。
◆◆外を歩き回る童女たちなどが、その身分身分におうじては、身の飾りを素晴らしいことをしたものだと思って、たえず袂を見守り、人のと比べ、何とも言えないほど面白味があると思っているのを、小舎人童などに引っ張られて泣くのもおもしろい。紫の紙に楝の紫の花を包み、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて引き結び、また白い紙を菖蒲の根の所で結んであるのもおもしろい。たいへん長い菖蒲の根などを、手紙の中に入れている人たちなど、とてもほのぼのとして浮きやかな感じがする。◆◆



 返事書かむと言ひ合はせ語らふどちは、見せ合はせなどするをかし。人のむすめ、やんごとなき所々に御文聞こえたまふ人も、今日は心ことにぞ、なまめかしうをかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしたるも、すべてをかしういみじ。
◆◆その手紙の返事を書こうと相談し、親しく話し込んでいる者同士は、来た手紙を見せ合ったりするのもおもしろい。しかるべき人の娘や、貴い方々の所へお手紙をお差し上げになる方も、今日は、格別に心を込めてと、優雅でおもしろい。夕暮れのころは、ほととぎすが鳴いているのも、何から何まで趣があっておもしろい。◆◆





枕草子を読んできて(58)

2018年05月23日 | 枕草子を読んできて
四五  池は (58) 2018.5.23


 池は 勝間田。磐余の池。贄野の池、初瀬にまゐりしに、水鳥のひまなく立ちさわぎしが、いとをかしく見えしなり。水なしの池、あやしう、などてつけるならむと問ひしかば、「五月など、すべて雨いたく降らむとする年は、この池に水といふ物なくなむある。また、日のいみじく照る年は、春のはじめに水なむおほく出づる」と言ひしなり。「げになべてかわきてあらばこそさもつけめ、出づるをりもあるなるを、一すぢにつけけるかな」といらへまほしかりし。
◆◆池は 勝間田。磐余の池。これがいい。贄野の池、これは初瀬の長谷寺に参詣した時に、水鳥が隙間もなく立ち騒いだのが、とても面白く見えたのだ。水なしの池、不思議で、どうしてこんな名をつけたのかと聞いたらば、「五月など、いったいに雨が例年より多く降ろうとする年は、この池に水というものがないのです。また、逆に日がひどく照りつける年は、春のはじめに水がたくさん湧き出るのです」と言ったのである。「なるほど、ずっといつも乾いているのであれば、水なしと付けてもよいだろうが、水が湧き出る時もあるという話なのに、いちずにつけたものですね」と応酬したかったことよ。◆◆

■勝間田(かつまた)=奈良県生駒郡にあったが、当時すでに名のみだったらしい。歌枕。
■磐余の池(いはれのいけ)=奈良県磯城郡にあった池。歌枕。
■贄野の池(にへののいけ)=京都府相楽郡にあった池。『蜻蛉日記』『更級日記』に見える。



 猿沢の池、采女の投げけるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「寝くたれ髪を」と、人麻呂がよみけむほど、言ふもおろかなり。たまへの池、また何の心につけけるならむとをかし。鏡の池。狭山の池、三稜草といふ歌のをかしくおぼゆるにやあらむ。こひぬまの池、「玉藻はな刈りそ」と言ひけむもをかし。益田の池。
◆◆猿沢の池、采女が身を投げたのを帝がお聞きあそばして、行幸などがあったというのこそ、たいへんすばらしいことだ。「寝くたれ髪を」と、人麻呂が詠んだという折など、そのすばらしさは、言うにも言葉が足りないほどだ。たまへの池、「給え」とはまたどういうわけでつけたものだろうと、おもしろい。鏡の池。狭山の池、これは「狭山の池の三稜草(みくり)」という歌がおもしろく感じられるのであろうか。こいぬまの池。はらの池、「玉藻はな刈りそ」とうたったというのもおもしろい。益田の池。◆◆

■猿沢の池=奈良県興福寺の南
■采女の投げける=『大和物語』に説話が見える。奈良の帝の時、一人の采女(うねめ)が帝の寵愛の薄れたのを悲しみ、この池に投身した。帝は池に行幸、その時人麻呂が詠んだ歌が、「吾妹子が寝腐れ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき」だとする。
■たまへの池=給えの池?
■鏡の池=所在不詳
■狭山の池=大阪府南河内郡の池か。
■三稜草(みくり)=水草の名。「恋すてふ狭山の池の三稜草(みくり)こそ引けば絶えすれ吾は根絶ゆる」古今集
■こひぬまの池(恋沼のいけ)=所在不詳。
■はらの池=埼玉県旗羅郡(現、深谷市周辺)にあった池か、または高槻市内にあった池。
■益田の池=奈良県高市郡。


枕草子を読んできて(57)その2

2018年05月19日 | 枕草子を読んできて
四四   木の花は  (57)その2

梨の花、世にすさまじくあやしきものにして、目に近く、はかなき文つけなどだにせず。愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げにその色よりしてあいなく見ゆるを、唐土には限りなき物にて、文にも作るなるを、さりともあるやうあらむとて、せめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ、こころもとなくつきたンめれ。楊貴妃、御門の御使ひに会ひて、泣きける顔に似せて、「梨花一枝春雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたき事は、たぐひあらじとおぼえたり。
◆◆梨の花は、世間では興ざめで変なものだとして、近くに置いたり、ちょっとした手紙にさえ付けたりしない。可愛げのない人の顔を見ては、その例えにして言うのも、なるほどその色からしてどうにもならない感じに見えるのだが、中国では、この上ないものとして、漢詩にも作るということであるから、きっと何か理由があるだろうと思って、目を凝らして見ると、花びらの端のところに、美しい色艶が、ほんのちょっと付いているようだ。楊貴妃が、玄宗皇帝の御使者に会って、泣いた顔にたとえて、「梨花一枝春雨を帯びたり」などと言っているのは、並一通りではあるまいと思うにつけて、やはりとてもすばらしいことは、他に類があるまいと感じられる。◆◆



 桐の花、紫に咲きたるは、なほをかしきを、葉のひろごりざまうたてあれども、また、こと木どもとひとしう言ふべきにあらず。唐土にはことごとしき名つきたる鳥の、選りてこれにしもゐるらむ、いみじう心ことなり。まして琴に作りて、さまざまに鳴る音の出で来るなど、をかしなど、世の常に言ふべくやはある。いみじうこそはめでたけれ。
 木のさまぞにくけれ楝の花いとをかし。かれわれにさまことに咲きて、かならず五月五日にあふもをかし。
◆◆桐の花が、紫に咲いているのは、ことに情趣があるものであって、葉の広がり方が嫌な感じがするけれども、他の木々と同列に論ずるべきではない。中国では大げさな名のついている鳥―鳳凰―が、選んでこの木に棲むそうであるのは、たいへん格別な感じがする。まして、桐を琴に作って、いろいろな鳴る音が出てくるなどというのは、おもしろいなどと、世間一般の言葉で言うことができようはずがない。非常にすばらしいものだ。
 木の様子は感じがよくないけれど、楝の花はたいへんおもしろい。?のように変わった咲き方をして、
五月五日にの節供に咲きあうのもおもしろい。◆◆

■楝の花(あふちのはな)=紫色で穂状をなして群がって咲く。現在の栴檀(せんだん)という。
■かれわれに=不詳


枕草子を読んできて(57)その1

2018年05月16日 | 枕草子を読んできて
四四   木の花は  (57)その1  2018.5.16

 木の花は 梅の、濃くも薄くも、紅梅。桜の、花びら大きに、色よきが、枝はほそうかれはれに咲きたる。
 藤の花、しなひ長く、色よく咲きたる、いとめでたし。
 卯の花は、品おとりて、何となけれど、咲くころのをかしう、郭公の陰に隠るらむ思ふに、いとをかし。
祭のかへさに、紫野のわたり近きあやしの家ども、おどろなる垣根などに、いと白う咲たるこそをかしけれ。青色の上に、白き単襲かづきたる、青朽葉などにかよひて、なほいとをかし。
◆◆(草の花に対して)木の花は、梅の、濃いのでも薄いのでも、紅梅がよい。桜の、花びらが大きくて、色のよいのが、枝は細くて乾いた感じに咲いているのがよい。
 藤の花、これは花房が長く、色がよく咲いているのがたいへんよい。
 卯の花は、品格が劣って、何ということはないけれど、咲く時節がおもしろく、ほととぎすが花の陰に隠れているだろうことを思うと、たいへんおもしろい。
賀茂祭の帰りがけに、紫野のあたりに近いみすぼらしい家々や、乱れ茂っている垣根などに、たいへん白く咲いているのこそおもしろい。その様子は、黄ばんだ萌黄色の表着の上に、白い単衣襲を引きかぶっているのや、また卯の花のない所は青朽葉色の衣などに似通っていて、やはりたいへんおもしろい。


■郭公=ほととぎす。
■祭のかへさ=四月中の酉の日に行う賀茂祭。翌日斎院が紫野に帰るのを「祭のかへさ」という。
■紫野=むらさきの。京の西北にある野。
■単襲(ひとへがさね)=単衣を二枚重ねたもので表着(うわぎ)の下に着る夏用の衣装。



 四月のつごもり、五月ついたちなどのころほひ、橘の濃く青きに、花のいと白く咲きたるに、雨のふりたるつとめてなどは、世になく心あるさにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじくきはやかに見えたるなどは、朝露に濡れたる桜におとらず。郭公の寄るとさへ思へばにや、なほさらに言ふべきにもあらず。
◆◆四月の月末や五月の初めなどのころ、橘の葉が濃く青いのに、花が真っ白に咲いているところに、雨が降る早朝などは、言うに言われぬほど情趣があっておもしろい。花の中からまるで黄金の玉かのように見えて、たいそうはっきりと見えているのなどは、朝露に濡れた桜の風情に劣らない。ほととぎすが寄ってくるとまで思うからであろうか、改めて言う必要もないくらいの素晴らしさだ。◆◆



枕草子を読んできて(56)その2

2018年05月08日 | 枕草子を読んできて
四三  七月ばかり、いみじく暑ければ  (56)その2 2018.5.8

 人のけはひのあれば、衣の中より見るに、うちゑみて、長押に押しかかりてゐぬれば、恥ぢなどする人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかなと思ふ。「こよなき名残の御あさいかな」とて、簾の内になからばかり入りたれば、「露より先なる人のもどかしさ」といらふ。
◆◆人の気配がするので、女は、かぶっている着物の中から見ると、男がにこにこして、下長押に寄りかかって座り込んでしまっているので、遠慮すべき相手ではないけれど、といって打ち解けてしたしくしてもいいという気持でもないのに、いまいましくも寝姿を見られてしまったことよ、と思う。「格別な、お名残りの御朝寝ですね」と言って、御簾の中に身体半分ほど入って来るので、「置く露より先に起きて帰った人のとがめたさに」とあしらって答える。◆◆



 をかしき事取り立てて書くべきにあらねど、かく言ひかはすけしきどもにくからず。枕がみなる扇を、わが持ちたるして、およびてかき寄するが、あまり近く寄り来るにやと、心ときめきせられて、引きぞくだらるる。取りて見などして、「うとくおぼしたること」など、うちかすめうらみなどするに、明かうなりて、人の声々し日もさし出でぬべし。
◆◆こうした風流事は、特に取り立てて書くべき程のことはないけれど、こんなふうに言葉のやりとりをしている男女の様子は悪いものではない。女の枕もとにある扇を、自分の持っている扇で、及び腰になって引き寄せる男が、度がすぎて近くまで寄って来るのかと、自然胸がどきっとして、女は思わず身を奥の方に引っ込めるようになる。男は扇を手に取って眺めたりして、「よそよそしく思っておいでのことよ」などと、軽く思わせぶりに恨み言を言ったりなどするうちに、明るくなって、人々の声がして、きっと日も差し出てしまうだろう。◆◆


 「霧の絶え間見えぬほどにといそぎつる文もたゆみぬる」とこそうしろめたけれ。出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらあるにつけてあれど、えさし出でず。香のいみじうしめたる匂ひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが来つる所もかくやと、思ひやらるるもをかしかりぬべし。
◆◆「朝霧の晴れ間が見えないうちにと急いでいた後朝の文もつい遅くなってしまったことよ」と男は気がかりである。さきにこの女のもとから立ち出て帰ってしまった男も、いつの間にか書いたとみえて、萩の露がおいたままの枝につけて手紙を使いの者が持って来ているのだけれど、差し出すことができないでいる。手紙にたいそう香り高くたきしめてある香の匂いが、とても風情がある。あまり明るくて具合の悪い時刻になるので、男は女のもとから立ち出て、自分がさっき出て来てしまった女の所もこんなふうであろうかと、自然想像されるのも、男にとってはきっとおもしろいことであろう。◆◆





枕草子を読んできて(56)その1

2018年05月04日 | 枕草子を読んできて
四三  七月ばかり、いみじく暑ければ  (56)その1  2018.5.4

 七月ばかり、いみじく暑ければ、よろづの所あけながら夜も明かすに、月のころは、寝起きて見いだすもいとをかし。闇もまたをかし。有明はた言ふにもあまりたり。
◆◆七月のころは、ひどく暑いので、あちらもこちらも開けたままで、昼はもとより夜も明かすのだが、月のある頃は、寝て目を覚まして起き上がって、家の中から外を見るのもたいへんおもしろい。闇夜もまたおもしろい。有明の月のころの素晴らしさは、言うにおよばない。◆◆

■有明(ありあけ)=陰暦十六日以降の月。


 いとつややかなる板の端近く、あざやかなる畳一枚、かりそめにうち敷きて、三尺の几帳奥の方に押しやりたるぞあぢきなき。外にこそ立つべけれ。奥のうしろめたからむよ。人は出でにけるなべし。薄色の裏いと濃くて、上は所所すこしかへりたるならずは、濃き綾のいとつややかなる、いたくは萎えぬを、頭こめて、引き着てぞ寝たンめる。香染の単衣、紅のこまやかなる生絹の袴の、腰いと長く、衣の下より引かれたるも、まだ解けながらなンめり。
◆◆たいへん艶のある板敷の間の端に近く、ま新しい薄縁の畳を一枚、ちょっとそのときだけ敷いて、三尺の几帳を奥の方に押しやっているのは、なんとも意味のないことだ。外の方にこそ立てるべきである。奥の方が気がかりとは妙なこと。男はきっともう出て行ってしまったのだろう。女は薄い紫色の衣で、裏がたいへん濃くて、表面はところどころ少し色が褪めているものか、さもなければ、濃い綾織のとてもつやつやしているもので、それほど糊気が落ちてないのを、頭ごと引きかぶって寝ているようだ。その下には丁子染めの単衣を着て、紅色の濃い生絹の袴をつけているが、その腰紐がとても長く、着ている着物の下からのびているのも、まだ解けたままであるようだ。◆◆

■あざやかなる畳一枚(…たたみひとひら)=新しい畳。畳は現在の薄縁(うすべり)。
■香染の単衣(かうぞめのひとへ)=丁子で染めたもの。黄を帯びた薄紅色。

 
 
 そばの方に、髪のうちたたなはりて、ゆるるかなるほど、長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、あさぼらけのいみじう霧立ちたるに、二藍の指貫、あるかなきかの香染の狩衣、白き生絹、紅のとほすにこそあらめ、つややかなるが、霧にいたくしめりたるをぬぎ垂れて、鬢のすこしふくだみたれば、烏帽子の押し入れられたるけしきも、しどけなく見ゆ。朝顔の露落ちぬ先に、文書かむとて、道のほどもなく「麻生の下草」など口ずさみて、わが方へ行くに、格子の上りたれば、簾のそばをいささかあけて見るに、起きていぬらむ人もをかし。露をあはれを思ふにや。しばし見たれば、枕がみの方に、朴に紫の紙はりたる扇ひろげながらあり。みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花くれなゐにすこしにほひうつりたるも、几帳のもとに散りぼひたり。
◆◆女の寝ているそばの方に、髪がうねうねと重なって、ゆったりとしているその様子から髪の長さが自然想像されるのだが、そこへまたどこからやって来た男なのだろうか、夜明けのひどく霧が立ち込めている折から、二藍の指貫、色があるかないかの丁字染の狩衣を着て、白い生絹の単衣の、それは下の紅色が単衣に透いて通すのであろう、つやつやしているのが、霧でひどく湿っているのを、脱いだような形に垂らして、寝乱れた鬢が少しぶくぶくになっているので、烏帽子がむりに頭に押し入れられているといった格好も、しまりがなく見える。朝顔の露が落ちてしまわないうちに、女のもとへ後朝の文を書こうと思って、たいした道のりも行かないうちに、「麻生(おふ)の下草」などと口ずさんで、わが家へ帰る時に、女の局の格子が上がっているので、御簾の端をちょっとあけて中をのぞくと、起きてすでい女のもとから帰り去っていると思われる男のことも、この男には察せられておもしろい。帰り去った男も朝露をしみじみと感深く思うのだろうか。こののぞき見の男はしばらく女を見ていると、女の枕もとの方に、朴の木の骨に紫の紙を貼ってある夏扇が広げたままで置いてある。みちのくに紙の懐紙の細くたたんであるもので、花くれないの色に少し艶が失せているのも、几帳のそばに散らばっている。◆◆


■「麻生の下草」(をふのしたくさ)=「桜麻の麻生の下草露しあらば明かして(女の許に泊まって)ゆかむ親は知るとも」古今集
■にほひ=色艶の美しさをいう。



枕草子を読んできて(55)その4、その5

2018年05月01日 | 枕草子を読んできて
四二  小白川といふ所は   (55)その4  2018.5.1

 中納言「さて呼び返されつるさきには、いかが言ひつる。これやなほしたる事」と問ひたまへば、「久しく立ちて侍りつれど、ともかくも侍りざりつれば、『さはまゐりなむ』とて帰りはべるを、呼びて」など申す。「たれが車ならむ。見知りたりや」などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、みなゐしづまり、そなたをのみ見るほどに、この車はかい消つやうに失せぬ。下簾など、ただ今日はじめたりと見えて、濃き単襲に、二藍の織物、蘇芳の薄物のうは着などにて、しりに、摺りたる裳、やがてひろげながらうちかけなどしたるは、何人ならむ。何かは。人のかたほならむことよりは、げにと聞こえて、なかなかいとよしとぞおぼゆる。
◆◆中納言は、「それで、呼び返された前には、何と言ったのか。これは言い直した返事か」とお問いになると、「長い間立っていましたけれど、どうという返事もございませんでしたので、『それでは、このまま帰参してしまいましょう』といって帰りますのを、呼んで」などと申し上げる。「誰の車だろう。見て知っているか」などとおっしゃるうちに、講師が講座にあがってしまったので、みな座って静かになり、講師の方ばかり見ているうちに、この女車はかき消すように見えなくなってしまった。車は下簾などは、ただ今日使いはじめたばかりと見えて、濃い紅の単襲に、二藍の織物、蘇芳色の薄物の表着(うわぎ)などの服装で、車の後ろに、模様を摺り出してある裳を、そのまま広げながら、打掛などしてあるのは、いったい何者なのだろうか。あの返事もどうして。人がなまじ不完全な返事をしようよりは、なるほどもっともだと聞こえて、かえってとてもよいと感じられる。◆◆


■下簾(したすだれ)=車の前後にある簾の内側に掛ける長い布。余りの部分を簾の外に出して垂らしておく。
■濃き単襲)(こきひとえがさね)=濃い紅の単えかさね。



四二  小白川といふ所は   (55)その5  2018.5.1

 朝座の講師清範、高座の上も光満ちたる心地して、いみじくぞあるや。暑さのわびしさに、しさすまじき事の、今日過ぐすまじきをうちのきて、ただすこし聞きて帰りなむとしつるを、しきなみにつどひたる車の奥になりたれば、出づべき方もなし。朝の講果てなば、いかで出でなむとて、前なる車どもに消息すれば、近く立たむがうれしさに、「はや」と引き出であけて出だすを見たまひて、いとかしがましきまでひとごといひに老上達部さへ笑ひにくむ、聞きも入れでいらへもせで、せばかり出づれば、権中納言、「やや、まかりゐぬるもよし」とて、うち笑ひたまへるぞめでたき。それも耳にもとまらず、暑きにまどひ出でて、人して「五千の中には入らせたまはぬやうもあらじ」と聞こえかけて帰り出でにき。
◆◆

■朝座(あさざ)=法華八講は朝夕二座おこなう。
■清範(せいはん)=法相宗の僧。文殊の化身といわれた当時の説経の名人。
■しきなみに=頻並(しきなみ)。あとからあとから立て続けに。
■まかりぬるもよし~=『法華経』方便品「是ノ如キ増上慢ノ人退クモ亦佳し」によって戯れたもの。釈迦が法を説こうとしたとき、五千人の増上慢(悟りを得たと思って高ぶっている人)が座を立って退いた。釈迦はこれを制止せずに上のように言ったという。
■五千の中に~=中納言に対するしっぺ返し。同じ故事によって、「釈迦をきどるあなたこそ五千の増上慢の一人でしょう」と言ったもの。




 そのはじめより、やがて果つる日まで立てる車のありけるが、人寄り来とも見えず、すべてただあさましう絵などのやうにて過ごしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかで知らむ、と問ひたづねけるを聞きたまひて、藤大納言「何かめでたからむ。いとにくし。ゆゆしき者にこそあンなれ」とのたまひけるこそをかしけれ。
 さてその二十日あまり、中納言の法師になりたまひにしこそあはれなりしか。桜などの散りぬるも、なほ世の常なりや。「老いを待つ間の」とだに言ふべくもあらぬ御ありさまにぞ。
◆◆その八講のはじめから、そのまま終わる日まで毎日立っている車があったのが、そこから人が寄って来るとも見えず、総じてまったくあきれるばかりに絵かなにかのようでじっと動かずに過ごしたので、珍しく、すばらしく、奥ゆかしくて、いったいどんな人なのだろう、どうかして知りたいものだ、と人に聞いて探したことをお聞きになって、藤大納言が「何ですばらしいことがあろう。ひどく感じが悪い。なんとなく不気味な者だろうよ」とおっしゃったのこそおもしろい。
 さてそうしてその月の二十日すぎに、中納言が法師におなりになってしまったのこそ、しみじみと心に染みて覚えたことであった。桜などが散ってしまうのも、それにくらべれば、やはり世の常のことであるよ。「老いを待つ間の」とさえ言えないようなはかない中納言の御盛りのご様子であったことだ。◆◆

■中納言の法師に=寛和二年(986)六月二十四日、前日の花山天皇の落飾退位を追って義懐(よしちか)は出家した。