永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(138)

2016年07月29日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (138) 2016.7.29

「『忌みの所になん、夜ごとに』と告ぐる人あれば、こころやすからでありふるに、月日はさながら『鬼やらひ来ぬる』とあれば、あさましあさましと思ひ果つるもいみじきに、人は童、大人ともいはず『儺やらふ儺やらふ』とさわぎののしるを、我のみのどかにて見聞けば、ことしも心地よげならんところのかぎりせまほしげなるわざにぞ見えける。

◆◆「こちらの鬼門の所に、殿が夜毎通っています」と知らせてくれる人があって、こころ穏やかならず暮していますと、月日がどんどん流れて「追儺の日が来た、追儺だ」とうほどになったのでした。あああきれた、いい加減やりきれなさも極限の折に、回りの者は子どもも大人も、こぞって「鬼は外、鬼は外」と大声を出して騒いでいるのを、私だけはのんびりと見たり聞いたりしていると、追儺などというのは、心地よく暮している所だけがやりたがる行事のように思われるのでした。◆◆


「『雪なんいみじう降る』といふなり。年の終りには何ごとにつけても思ひ残さざりけんかし。」
◆◆「雪がひどく降っている」という声が聞こえる。年の終りには何事につけても、ありとあらゆる物思いをしつくしたことであろうよ。◆◆


■儺やらふ=大晦日におこなう鬼やらい。追儺。鬼を払う時の掛け声。


【解説】蜻蛉日記(中)上村悦子著より

「兼家は愛人近江のもとにうつつを抜かして通いつめているという情報がはいり、作者の心中はおだやかでないが、もう処置なし、兼家につける薬なしとあきらめつつもやはり悲しみは彼女を包み、どうしようもない。月日だけはどんどん流れて、晦の日となった。追儺の行事でがやがや騒ぎ立っている家人の中で作者は相変わらず孤独の人である。
 末尾の言葉には本日記中、もっとも苦渋に満ちた体験を重ね、しみじみ「かげらふ」の身と観じた天禄二年の年末を迎え、また中巻を結ぶに当っての深い感慨がこめられている。」

*蜻蛉日記(中巻)終り。
8月は1ヶ月休み、ブログは9月から「下巻」に入ります。

蜻蛉日記を読んできて(137)その2

2016年07月26日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (137)その2  2016.7.26

「いみじき雨のさかりなれば、音もえ聞こえぬなりけり。今ぞ『御車とくさし入れよ』などののしるも聞こゆる。『年月の勘事なりとも、今日のまゐりには許されなんとぞおぼゆるかし。なほ明日はあなたふたがる、あさてよりは物忌みなどすべかめれば』など、いと言よし。やりつる人は違ひぬらんと思ふに、いとめやすし。夜のまに雨やみにたれば、『さらば暮れに』などて、帰りぬ。」

◆◆どしゃぶりの雨の最中なので、音も聞こえなかったのでした。今頃、「お車をはやく入れよ」などという声が聞こえます。「長い間のお勘気でも、今日のような大雨の中を参上したことで許してもらえるだろうね。明日はあちらの方角が塞がる。あさってからは物忌みだ。しないわけにはいかないので」などと、なかなか多弁です。使いに出した者は行き違いになったのだろうと思うと、本当にほっとしました。夜の間に雨が止んだようなので、「それでは夕方に」などと言って帰って行きました。◆◆


「方ふたがりたれば、むべもなく、待つに見えずなりぬ。『昨夜は人のものしたりしに、夜のふけにしかば経など読ませてなんとまりにし。例のいかにおぼしけん』などあり。山ごもりののちは『あまがへる』といふ名を付けられたりければ、かくものしけり。『こなたざまならでは、方もなど、けしくて、
<おほばこの神のたすけやなかりけん契りしことを思ひかへるは>
とやうにて、例の、日すぎて、つごもりになりにたり。」

◆◆方塞がりになったので、案の定待っていましたが来ませんでした。あの人からの手紙に「昨夜は来客があったところに、すっかり夜がふけてしまったので、読経などさせて、そちらに行くのを止めてしまった。例によってどんなに気を揉んだことだろうね。」などとありました。私は山籠りののちは、「あまがえる」とあだ名をつけられていたので、次のような歌を送りました。「こちら以外なら、方角も塞がらないようですね」
(道綱母の歌)「私にはおおばこの神の加護がなかったのでしょうか。来るという約束をあなたが違えたりするのは。」(おおばこは蛙を蘇生させるという俗信があった)
といった具合で、例によって日が経ち月末になってしまったのでした。◆◆


■年月の勘事なりとも=兼家のことばで、「長い間のお咎めであっても」

■「あまがえる」=「雨蛙」に「尼帰る」を掛けた。兼家が鳴滝から帰った作者に付けたあだ名。

蜻蛉日記を読んできて(137)その1

2016年07月22日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (137)その1 2016.7.22

「霜月もおなじごとにて廿日になりにければ、今日見えたりし人、そのままに廿よ日あとを断ちたり。文のみぞ二たびばかりみえける。かうのみ胸やすからねど、おもひ尽きにたれば、心よわき心ちしてともかくもおぼえで、『四日ばかりの物忌みしきりつつなん。ただいま今日だにとぞ思ふ』など、あやしきまでこまかなり。はての月の十六日ばかりなり。」
◆◆十一月も同じような有様で二十日になってしまったので、その日に訪れたあの人は、それから二十日あまりも途絶えてしまったのでした。手紙だけは二度ほどきました。こんな具合で気の休まることがなく、さまざまのつらい思いをし尽くしてきたせいか、気力もすっかり弱ってただぼんやり過ごしていますと、あの人から「四日ほど物忌みが続いたので…。たったいま今日こそ伺おう」などとあって、不思議なほど細々と書いてありました。十二月の十六日ごろのことでした。◆◆



「しばしありて、にはかにかい曇りて雨になりぬ。倒るるかたならんかしと思ひ出でてながむるに、暮れゆくけしきなり。いといたく降れば障らむにもことわりなれば、昔はとばかりおぼゆるに、涙の浮かびてあはれにもののおぼゆれば、念じがたくて人いだし立つ。」
◆◆しばらくして、突然空が曇ってきて雨になりました。(こちらに来るといったので)この雨で来る気をなくしたことだろうと思って物思いにふけっているうちに日が暮れていくようです。とてもひどく雨が降るので、こられなくなっても無理もないと思うものの、昔は雨にも負けずに訪れたものをと思うと、涙がにじみ出てしみじみと悲しくなってきたので、耐え切れなくなって使いを出しました。◆◆


「<かなしくもおもひ絶ゆるか石上さはらぬものとならひしものを>
と書きて、いまぞ行くらんと思ふほどに、南面の格子も上げぬ外に、人の気おぼゆ。人はえ知らず、われのみぞあやしとおぼゆるに、妻戸おしかけてふとはひ入りたり。」
◆◆
(道綱母の歌)「悲しいことにあなたはもう私のことを思わなくなってしまった。昔は雨を苦にせずいらしたものを」
と書いて、使いが今頃着くころと思っている時に、南座敷の格子も閉めたままの外の方で、人の声がします。使用人はだれも気がつかず、私だけが変だと思っていると、妻戸を押し開けてあの人がつと入ってきました。◆◆

蜻蛉日記を読んできて(136)

2016年07月19日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (136) 2016.7.19

「さながら明け暮れて廿よ日になりにたり。明くれば起き暮るれば臥すをことにてあるぞ、いとあやしくおぼゆれど、今朝もいかがはせん。今朝も見出したれば、屋の上の霜いと白し。童べ、昨夜の姿ながら、『霜朽ちまじなはん』とてさわぐもいとあはれなり。『あな寒。雪はづかしき霜かな』と、口おほひしつつ、かかる身を頼むべかめる人どもの、うち聞こえごち、たあだならずなんおぼえける。
神無月も、せちに別れ惜しみつつ過ぎぬ。」

◆◆そんな状態のまま明け暮れて二十日ほどになりました。夜が明ければ起き、日が暮れれば寝るという、ただこれだけを仕事としている毎日は、無意味な暮らしだと思うけれど、今朝もこんな状態でどうしたものかと思う。今朝も外に目を向けると屋根の上の霜が真っ白です。幼い召使たちが昨夜の寝巻き姿のままで、「霜焼けのおまじないをしよう」言って大騒ぎしているのも面白くいじらしい。「ああ、寒い。雪も顔負けの霜だこと」と、口を袖で被いながら言っているのを聞くと、こんな私を頼みとしている召使いたちにじっとしていられない気がするのでした。
十月も日の経つのを心に惜しみつついるうちに、過ぎてしまいました。◆◆



蜻蛉日記を読んできて(135)

2016年07月16日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (135) 2016.7.16

「長月のつごもり、いとあはれなる空のけしきなり。まして昨日今日、風いと寒く、時雨うちしつついみじくものあはれにおぼえたり。遠山をながめやれば紺青を塗りたるとかやいふやうにて、霰ふるらしとも見えたり。『野のさまいかにをかしからん。見がてらものに詣でばや』など言へば、前なる人、『げにいかにめでたからん、初瀬に、このたびは忍びたるやうにておぼし立てかし』など言へば、『去年も心みんとていみじげにて詣でたりしに、石山の仏心をまづ見はてて、春つ方、さもものせん。そもそもさまでやはなほ憂くて命あらん』など、心ぼそうて言はる。
<袖ひつる時をだにこそなげきしか身さへ時雨のふりもゆくかな>
すべて世に経ることかひなくあぢきなき心ち、いとするころなり。」

◆◆九月の末ごろ、とてもしっとりとした空模様です。いつもより昨日今日は風が吹いて寒さも増し、時雨が時おりやってきて、しみじみとした思いでいます。遠く山々を眺めれば、紺青を塗ったという感じで、「深山には霰降るらし」という歌のように見えるのでした。「野の景色はどんなに美しいでしょう。見がてら、どこかにお参りしたいわね」などと言うと、侍女が「ほんとうに、どんなに素晴らしいでしょう。初瀬に今度はお忍びでお出でになられては」などと言うので、「去年も私の運を試そうと思って、ひどく身をやつして御参りしたのですが、石山のみ仏の霊験を先に見届けたうえで、春頃、お前の言うように出かけましょう。それにしてもそのころまで、こんな思いに任せぬさまで生きていられるかしら」などと心細くて、ついこんな歌が口づさまれたのでした。
(道綱母の歌)「昔は涙で袖が濡れただけでも嘆いたのに、今は時雨に身までぬれて老いていくことよ」
何もかも、この世に生きていること自体無意味で砂をかむような思いに、ひどくかられるこの頃です。◆◆

蜻蛉日記を読んできて(134)

2016年07月12日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (134) 2016.7.12

「八月といふは明日になりにたれば、それより四日、例の物忌みとか、あきて、二度ばかり見えたり。還饗は果てて、『いと深き山寺に修法せさすとて』など聞く。三四日になりぬれど音なくて、雨いといたく降る日、『心ぼそげなる山住みは人とふものとこそききしか、さらぬはつらき物といふ人もあり』とある返りごとに、『きこゆべきものとは人よりさきに思ひよりながら、ものと知らせとてなん。露けさは名残しもあらじと思う給ふれば、よその雲むらもあいなくなん』とものしけり。またもたち返りなどあり。」

◆◆八月と呼ばれるのは、明日になったところで、それからの四日間は、いつものように物忌みとかで、それが済んで二度ほど見えました。還饗(かえりあるじ)が終わって、「山奥の寺で祈祷をさせるのだとか」を聞きました。三、四日過ぎたけれど音沙汰がなく、雨がひどく降る日に、「心細そうな山寺住いのときは、人を見舞うものと聞いていたが、見舞ってもらえないのは辛いものだと嘆いている人がいるよ」と手紙があって、その返事に、「お見舞いすべきものとは、誰よりも先に存じておりますが、その辛さを思い知って頂きたく存じまして。毎日泣きの涙で過ごし、もう涙は一滴も残っていまいと存じますので、『よそのむらくも』同様、すっかりお見限りで、もうあなたを思って泣くこともないはずですのに、どうしたものか涙ばかり流れてまいりまして」と言ってやりました。またまた折り返し手紙がきました。◆◆



「さて三日ばかりのほどに、『今日なん』とて、夜さり見えたり。つねにしも、いかなる心のえ思ひあへずなりにたれば、われはつれなければ、人はた罪もなきやうにて、七八日のほどにぞわづかに通ひたる。」

◆◆さて、その後三日ほどして、「今日、下山した」といって、その夜見えました。いつも一体どんな気持ちでいるのか分らない人なので、私は冷たい態度でいると、あの人はまるで自分のどこが悪いのかという顔をして、七、八日ごとに、わずかながら通って来るのでした。◆◆

■よそのむらくも=今ははや移ろいにけむ木の葉ゆゑよその雲むらなにしぐるらむ(元良親王集より)

蜻蛉日記を読んできて(133)

2016年07月09日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (133) 2016.7.9

「またの日も昼つ方、ここなるに文あり。『御迎へにもと思ひしかども、心の御ありきにもあらざりければ、便なくおぼえてなん。例のところにか、只今ものす』などあれば、人々『はや はや』とそそのかして渡りたれば、すなはちと見えたり。かうしもあるは、昔のことをたとしへなく思ひ出づらんとてなるべし。」
◆◆次の日も昼ごろ、父の邸にいると、あの人から手紙がきました。「お迎えにでもと思ったが、あなたの心のままの旅ではなかったので、具合が悪いと思ってね。いつもの家に帰っているか。今すぐに行く」などと書いてあるので、侍女たちが、「早く、早く」と急き立てるので帰ってみると、すぐに見えました。こんな風にしてくれるのは、私が昔のことを思い出して(兼家と楽しかった旅)悲しい気持ちになっているだろうと、察してなのだろう。◆◆



「つとめては、『還饗のちかくなりたれば』など、つきづきしう言ひなしつ。朝のかごとがちになりにたるも、今さらにと思へばかなしうなん。」
◆◆翌朝には、あの人は「還饗(かへりあるじ)が近くなって忙しいので」のどと、もっともらしいことを言って帰っていきました。あれこれ言い訳をして帰ることが多くなったのも、「今さらにいい加減な言葉だと思うものの、今となってはそれを信じるほかはない私です」の古歌のとおりだと思うと悲しくてならない。◆◆

■還饗(かへりあるじ)=相撲(すまい)の還饗(かへりあるじ)で、相撲の節会の後、近衛大将がそれぞれ、部下や関係者を私邸に招いて饗応をする。兼家はこの時右大将。ここは7月の末。

■今さらに=古今集「いつはりと思ふものから今さらに誰がまことをか我は頼まむ」による。


蜻蛉日記を読んできて(解説)

2016年07月06日 | Weblog
「解説」

蜻蛉日記(中)上村悦子著より抜粋。 2016.7.6

今回の初瀬詣では初度の場合とだいぶ趣が異なる。初度の場合は超子の入内という事実に刺激されて、ぜひ子宝を授かりたい願いをもってしゃにむに出かけた。また兼家を「三十日三十夜はわがもとに」と彼の訪れを十分得ることをねがってもいるころであったし、東三条邸入りの夢も膨らんでいた。

ところが今回は右の希求がどれもこれも破れてしまったあとである。しかし再度の初瀬詣での作者はけっして暗いどうしようもない憂鬱な気持ちは感じられない。父倫寧といっしょであったことも関係あろうが、摂関家子息の北の方の一人としてしょせん夫の訪れを毎夜得ることが不可能なことも身に沁みて悟り得て諦めの気持ちも持つようになっていたであろう。しかも鳴滝参籠で作者はやはり兼家の北の方として兼家はもちろん、すべての人に遇されてしることもはっきり知り得る機会を持ちえて、その意味では心も落ち着いたであろう。
(中略)

再度の初瀬詣で全般の印象は決して暗くなくかなり軽妙な感じすら受ける。(中略)しかも天候はきわめて悪く、激しい風雨に見舞われている最中である。いつも孤独のこの人が同行の人たちに溶け込んでいて、(中略)鵜飼を夢中に見物して侍女から促されてようやく帰途につく始末である。
再度の初瀬詣では天候にはあまりめぐまれなかったが作者にとっては楽しい、心身ともに苦悩から、一時開放された旅であった。


蜻蛉日記を読んできて(132)その6

2016年07月03日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その6  2016.7.3

「さる用意したりければ、鵜飼かずをつくしてひと川浮きてさわぐ。『いざ、ちかくて見ん』とて、岸づらにもの立て、榻などとり持ていきて、下りたれば、足の下にうかひちがふ。うつしどもなど、まだ見ざりつることなれば、いとをかしう見ゆ。」
◆◆宇治でのもてなしで、鵜飼の準備がされていたので、鵜飼の舟が無数に川一面に浮かんでにぎやかです。「さあ、近くで見物しましょう」と言って、川岸に幕など立てて、榻(しじ)などを持って下りてみると、すぐ足もとで、たくさんの舟が行ったり来たりして鵜飼をしています。うつしどもなく(意味不詳)魚を見たこともないので、とても興味深かった。◆◆


「来こうじたる心ちなれど、夜の更くるもしらず見入りてあれば、これかれ『今は返らせたまひなん、これよりほかに今はことなきを』など言へば、『さは』とてのぼりぬ。さても飽かず見やれば、例の夜一夜ともしわたる。いささかまどろめば舟ばたをこほこほとうちたたく音に、我をしもおどろかすらんやうにぞ、さむる。」
◆◆旅で疲れ気味でしたが、夜の更けるのも知らず夢中で見ていると、侍女たちが、「もうお帰りになりますよう。これ以外はもう珍しいものはございませんから」などと言うので、「それでは」と言って岸を上りました。それでもまだ諦めずに見ていると、前の時と同様に、一晩中篝火をあたり一帯に灯しています。少しうとうとしていますと、舟端をごとんごとんと叩く音が、私を目覚めさせるように聞こえて、目が覚めたのでした。◆◆




「明けて見れば、よべの鮎いとおほかり。それよりさべきところどころにやり領つかめるも、あらまほしきわざなり。」
◆◆夜が明けてから見ると、昨夜捕れた鮎が、たくさんありました。そこから、しかるべき所どころへ鮎をお土産に配る様子で、丁度よい贈り物ではありました。◆◆



「日よいほどにたけしかば、暗くぞ京に来着きたる。我もやがて出でんと思ひつれど、人もこうじたりとて、えものせず。」
◆◆日がすっかり高くなってから発ったので、暗くなってしまってから京に帰り着きました。私も早速父の家を出ようと思ったのですが、侍女たちが疲れたというので帰れませんでした。◆◆