永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1048)

2011年12月29日 | Weblog
2011. 12/29     1048

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(19)

「客人の御出居、侍、としつらひ騒げば、家は広けれど、源少納言東の対には住む、男子などの多かるに、所もなし。この御方に客人住みつきぬれば、廊などほとりばみたらむに、住ませたてまつらむも飽かずいとほしく覚えて、とかく思ひめぐらす程、宮に、とは思ふなりけり」
――(守が)これは客人(左近の少将)のお居間だ、これはお供部屋だと設え騒ぎますので、お邸は広いのですが、源少納言(常陸の介のすでに婿になっている人)が東の対には住み、その他にも男の子供が大勢いますので、客室を設ける場所もありません。この浮舟のお部屋だったところに左近の少将が住みついてしまいましたので、渡殿などの端近な所に浮舟をお住まわせしますのも、まことにお労しくてならず、あれこれ思案の末に、北の方は宮の御方(中の君)へと心を決めたのでした――

「この御方ざまに、かずまへ給ふ人のなきを、あなづるなめり、と思へば、ことにゆるい給はざりしあたりを、あながちに参らす。乳母若き人々、二三人ばかりして、西の廂の、北に寄りて人げ遠き方に局したり」
――浮舟の御身内に、この姫君を大事になさる方が居ないのを、守達は侮るのであろう、と思えば、お子として表向きお許し下さらなかった、故宮の御娘の君の(中の君)御許ではありますが、無理にもお願いしたのでした。乳母と若き女房を二、三人ほど連れて、二条院の西の廂の北側に寄った人気(ひとけ)のない所に、お部屋を設けてお住いになります――

「年頃かく遥かなりつれど、うとくおぼすまじき人なれば、参るときは、はぢ給はず、いとあらまほしく、けはひことにて、若君の御あつかひをしておはする御ありさま、うらやましく覚ゆるもあはれなり」
――長い年月遠く離れておいでになりましたが、もともと宮家には縁のある人ですので、北の方が参上するときは、中の君も親しくお逢いになります。今はまことに申し分ないお暮らしで、目を瞠る程の尊い御身分になられ、若君のお世話をなさっているご様子が、常陸の介の北の方にとっては、つい娘の身に引き較べては羨ましいと思われるのも、あわれな親ごころというものです――

「われも故北の方には離れたてまつるべき人かは、仕うまつると言ひしばかりに、かずまへられたてまつらず、くちをしくてかく人にはあなづらるる、と思ふには、かくしひて睦びきこゆるもあぢきなし。ここには御物忌と言ひてければ、人も通はず。二三日ばかり母君も居たり。こたみは心のどかに、この御ありさまを見る」
――自分も八の宮の北の方とは全く縁続きが無かったわけでもなく、奉公するという、それだけの理由から人並みにお扱い頂けず、口惜しくもこのように人から軽く見られるのかと思いますと、こうして強いて中の君のところに押しかけて、懇意にしていただくのも、味気ない気がするのでした。こちらへは物忌のためと言って来ていますので、誰も訪ねてくる人もいません。母君も二、三日ほど滞在して、この度はのんびりと中の君のご様子などを拝見するのでした――

◆ゆるい給はざりし=許し給はざりし、の音便。

◆12/30~1/4までお休みします。新年が幸多きことをお祈りして、では1/5に。


源氏物語を読んできて(1047)

2011年12月27日 | Weblog
2011. 12/27     1047

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(18)

「大輔がもとにも、いと心ぐるしげに言ひやりたりければ、『さるやうこそは侍らめ。人にくくはしたなくも、なのたまはせそ。かかる劣りの者の、人の御なかにまじり給ふも、世の常のことなり。あまりいと情けなくのたまふまじきことなり』」
――中の君の侍女の大輔(たいふ)のところにも、まことに困った様子の文を言い送ってきましたので、「これには何か仔細がございますのでしょう。無愛想にすげなくばかりお扱いなさいますな。浮舟のような、母の卑しい人が御姉妹の中にまじっておられますのも、世間にはよくあることでございます。あまり無情なお返事はなさいませんように」――

 などと申し上げて、あちらへのお返事は、

「さらば、かの西の方に、隠ろへたる所し出でて、いとむつかしげなめれど、さてもすぐい給ひつべくば、しばしのほど」
――それでは二条院の西の対に陰になった所を用意して、ひどく鬱陶しいかとおもいますが、それでもお暮しになれますならば、しばらくの間はそちらへ――

 と、大輔がしたためて、言い送ったのでした。

「いとうれし、と思ほして、人知れず出でたつ。御方もかの御あたりをば、睦びきこえまほし、と思ふ心なれば、なかなか、かかる事どもの出で来たるを、うれしと思ふ」
――(北の方は)うれしく思って、いそいそとしてこっそりと邸を出ました。浮舟も中の君に親しくしていただきたいと思うお気持がありますので、かえってこうした事の成り行きを喜んでおいでになります――
 
 さて、

「守、少々のあつかひを、いかばかりめでたきことをせむ、と思ふに、そのきらきらしかるべきことも知らぬ心には、ただあららかなる東絹どもを、押しまろがして投げ出でつ。食物もところせきまでなむ運び出でて、ののしりける。」
――常陸の介は、少将のもてなしを、どうしたらきらきらしく華麗にしてよいか、見当もつかないので、御祝儀には、ただ布目の粗い東国の絹などを、無造作に巻いたままで投げ出し、御馳走なども置き場のないほど運び出して、大騒ぎするのでした――

「下衆などは、それをいとかしこき情けに思ひければ、君も、いとあらまほしく、心賢く取り寄りにけり、と思ひけり」
――少将の供人たちは、それをまことに有難い心遣いと思って喜ぶので、婿君もすっかり満足して、この縁組は賢い思いつきであったと思ったのでした――

「北の方、この程を見棄てて知らざらむもひがみたらむ、と思ひ念じて、ただするままにまかせて見居たり」
――北の方は、この婚礼の騒ぎをよそにして出て行くのも、あまり依こ地にすぎようと、じっと我慢をして、ただ守のなすがままにまかせて眺めておりました――

◆なのたまはせそ=な・のたまはせ・そ=決して、そのように、おっしゃってはなりませんよ

◆あららかなる東絹=生地の粗い東国産の絹

◆食物(くいもの)=御馳走

では12/29に。

源氏物語を読んできて(1046)

2011年12月25日 | Weblog
2011. 12/25     1046

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(17)

 守が、

「『何か、人の異ざまに思ひ構へられける人をしも、と思へど、人柄のあたらしく、かうざくにものし給ふ君なれば、われもわれもと、婿に取らまほしくする人の多かなるに、取られなむもくちをしくてなむ』と、婿かの仲人に謀られて言ふもいとをこなり。男君も、この程のいかめしく思ふやうなること、と、よろづの罪あるまじう思ひて、その夜も変へず来そめぬ」
――「なにも、あちら(北の方)が御自分の方の婿にと思われた人を、わざわざこちらへ婿取りすることもないと思うが、少将の君はまことにお人柄が立派で、明敏でおいでの方だから、われもわれもと婿にしたがっている人も多いらしく、他人に取られてしまっては惜しいから」と、あの仲立に騙されて言うのも大そう馬鹿げています。少将の方も、先日来の守のやり方が堂々として申し分なく、これならば何もかも自分の思い通りであり、別に罪も有るまいと思って、浮舟と約束した日を変えず、夜そのまま通い始めたのでした――

「母君、かの御方の乳母、いとあさましく思ふ。ひがひがしきやうなれば、とかく見あつかふも心づきなければ、宮の北の方の御もとに御文たてまつる」
――母君は、浮舟の乳母がこの成り行きをひどく恨んでいますし、守のなさり方を快く思っていないようなので、こういうところで浮舟のお世話をするのも気まずいので、二条の宮の御方(中の君)にお文を差し上げます――

 御文は、

「その事と侍らでは、なれなれしくや、とかしこまりて、え思ひ給ふるままにもきこえさせぬを、つつしむべきこと侍りて、しばし所かへさせむと思ひ給ふるに、いと忍びてさぶらひぬべき隠れの方さぶらはば、いともいともうれしくなむ。数ならぬ身ひとつの陰に隠れもあへず、あはれなることのみ多く侍る世なれば、たのもしき方には先づなむ」
――これこれの用事もございませんのに、不躾ではと御遠慮いたしまして、心ならずもお便り申す事もいたしませんでしたが、少々差し障ることが出来まして、娘にしばらく居所を変えさせとうございます。つきましては、こっそり置いて頂けますような物陰でもございますなら、その上もなく嬉しゅうございます。とるに足りぬ私の手ひとつでは守ってもやれません。娘の上に悲しい事ばかり起こりますにつけても、お頼み申す先といたしましては、先ずあなた様しかございません――

 と、泣きながら書かれたお文を、中の君は、

「あはれとは見給ひけれど、故宮の、さばかりゆるし給はで止みにし人を、われひとり残りて、知りかたらはらむもいとつつましく、また見ぐるしきさまにて世にあぶれむも、知らず顔にて聞かむこそ、心苦しかるべけれ、ことなることなくて、かたみに散りぼはむも、亡き人の御為に見ぐるしかるべきわざを、おぼしわづらふ」
――不憫なこととお思いになりますが、亡き父君があれほどお認めにならず仕舞いになった人を、一人この世に残ったわたしが、親しくお世話するのも故宮に申し訳が立たず、かといって、浮舟が見ぐるしい様子で落ちぶれて世に流離うのを、素知らぬ風に見聞きするなどとは、さらに心苦しいことでしょう。格別のこともなくて、血を分けた姉妹が互いに離ればなれに暮らすのは、父宮の御名にも見苦しい筈であると、あれこれ思案に暮れていらっしゃる――

では12/27に。

源氏物語を読んできて(1045)

2011年12月23日 | Weblog
2011. 12/23     1045

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(16)

「守はいそぎ立ちて、『女房など、こなたにめやすきあまたあなるを、この程はあらせ給へ。やがて、帳なども新しく仕立てられためる方を、事にはかになりにためれば、取りわたし、とかく改むまじ』とて、西の方に来て、立ち居とかくしつらひさわぐ」
――常陸の介は、少将とわが娘の結婚の用意に奔走して、「侍女などこちらの浮舟のところに、見苦しくないのが大勢いるそうですが、それを当分娘の方へお寄こしください。帳台なども新しく調えたらしいこの部屋を、娘の婚礼が急に定まったようですから、それらをこちらへ運んで据える暇もないので、そのままそっくりこのお部屋を使わせてもらいたい」と言って、この西の対にやって来ては、立ったり座ったりして、あちこちを飾り立てて騒いでいます――

「目安きさまにさはらかに、あたりあたりあるべきかぎりしたる所を、さかしらに屏風ども持てきて、いぶせきまで立て集めて、厨子二階など、あやしきまでし加へて、心を遣りていそげば、北の方見ぐるしく見れど、口入れじ、と言ひてしかば、ただに見聞く。御方は北面に居たり」
――(北の方が)体裁よくさっぱりと、あちらこちらを理想通りに用意したお部屋ですのに、守は気を利かしたつもりでしょうか、屏風などを運んできて、うっとうしい程に立て並べ、厨子(ずし)や二階棚なども、むやみやたらに増やして、得意げに設えています。北の方は見ぐるしいとは思いますが、口出しはしないと決めていますので、黙って見ています。浮舟は北面のお部屋にいらっしゃいます――

 守が、

「『人の御心は見知りはてぬ。ただ同じ子なれば、さりともいとかくは思ひ放ち給はじ、とこそ思ひつれ。さはれ、世に母なき子はなくやはある』とて、女を、昼より乳母と二人、撫でつくろひ立てたれば、にくげにもあらず」
――「あなたの本心はすっかり分かった。あの子も私の子であなたが産んだ子なのだから、いくら何でも、こうまで投げやりにはされるまいと思っていたが、しかしまあいい、世間には母のない子もいるのだから、それならそれで、自分一人で準備するさ」と、言って、娘を昼よりその乳母と二人で念入りに装い立てますと、満更見られない器量でもない――

「十五、六の程にて、いとちひさやかにふくらかなる人の、髪うつくしげにて小袿の程なり、裾いとふさやかなり。これをいとめでたしと思ひて、撫でつくろふ」
――年は十五、六のごく小柄なふっくらした人で、髪は美しく小袿の丈ほどあり、その裾の方はたいそうふさふさとしていて、守はこの子をこの上なく美しいと思って、さらに念入りにお化粧させます――

◆さはらかに=爽らかに=さわやか、さっぱり

◆厨子二階(ずしにかい)=厨子は置き戸棚。二階は扉がなくて二段になった棚

では12/25に。


源氏物語を読んできて(1000)

2011年12月21日 | Weblog
2011. 12/21     1044

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(15)

北の方は、

「あなおそろしや。人のいふを聞けば、年ごろ、おぼろげならむ人をば見じ、とのたまひて、右の大殿、按察使の大納言、式部卿の宮などの、いとねんごろにほのめかし給ひけれど、聞きすぐして、帝の御かしづき女を得給へる、君は、いかばかりの人をか、まめやかには思さむ」
――まあ、それはまた恐ろしいこと。人の噂では、薫の君は年来いい加減な女とは結婚するまいとおっしゃって、右大臣、按察使の大納言(紅梅の大納言)、式部卿の宮などが、熱心に御本心をお探りになられたのも聞き流して、帝の最愛の姫宮を頂いた方ですもの。あの方はどのような方をお相手になさるのでしょう――

「かの母宮などの御方にあらせて、時々も見む、とはおぼしもしなむ、それはたげにめでたき御あたりなれども、いと胸痛かるべきことなり。宮の上の、かくさいはひ人と申すなれど、物おもはしげにおぼしたるを見れば、いかにもいかにも、二心なからむ人のみこそ、めやすくたのもしきことにはあらめ。わが身にても知りにき」
――薫の君の母宮(女三の宮)のお側に仕えさせて、時折りにでも逢おうとはお思いになるでしょう。なるほど結構な御殿ではありましょうが、それはそれで気苦労の多いことです。兵部卿の宮(匂宮)の北の方(中の君)などを、世間では仕合せな方だと言っていますが、左大臣家の姫君(六の君)のことなどで、御苦労の絶えないのをみますと、どうであろうとも、浮気心なくひとりを守ってくれる人だけが、世間体もよく頼もしいことでしょう。わたし自身振り返っても思い知らされたことです――

「故宮の御ありさまは、いと情々しく、めでたくをかしくおはせしかど、人数にもおぼさざりしかば、いかばかりかは心憂く辛かりし。このいといふかひなく、情けなく、さまあしき人なれど、ひたおもむきに二心なきを見れば、心やすくて年ごろをもすぐしつるなり。折り節の心ばへの、かやうの愛敬なく用意なきことこそにくけれ、歎かしくうらめしきこともなく、かたみにうちいさかひても、心に合はぬことをばあきらめつ」
――亡き八の宮のお人柄は、大そう情け深く、ご立派で奥ゆかしくいらっしゃいましたが、私を人並みにもお扱いにはなりませんでしたので、どんなに悲しく辛い思いをしたことでしょう。それに比べて、今の夫(常陸の介)は特に取柄もなく、無趣味で見どころもない人ですが、ただ一本気で浮気心のないのだけが安心で、長い年月連れ添ってきたのでした。何かの折に当たっての心づかいが、このように無愛想で思慮が足りないのですが、ほかには嘆かわしく恨めしいと思うこともなく、お互いに口げんかなどしていても、納得のいかないことははっきりとさせてきました――

「上達部親王達にて、みやびに心はづかしき人の御あたりといふとも、わが数ならではかひあらじ、よろづのことわが身からなりけり、と思へば、よろづに悲しうこそ見たてまつれ。いかにして、人わらへならずしたてたてまつらむ」
――上達部、親王方とおっしゃるような優雅で気が引けるほどご立派な方のお側にお仕えしますのも、こちらが正妻という地位でなく、私のように物の数にも入らないようでは張り合いもありません。万事は自分の身分に寄るのだったと思えば、何事につけてもこの浮舟が愛おしくてなりません。何とかして世間の物笑いにされないように立派にして差し上げたいのです――

 と、話し合うのでした。

では12/23に。

源氏物語を読んできて(1043)

2011年12月19日 | Weblog
2011. 12/19     1043

十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(14)

「北の方あきれて物も言はれで、とばかり思ふに、世の中の心憂さをかきつらね、涙も落ちぬばかり思ひ続けられて、やをら立ちぬ」
――北の方は、あきれ果てて物も言えず、しばらく思いめぐらしているうちに、世の中の憂さや辛さがつぎつぎと襲ってきて、涙が落ちそうになってきましたので、ややしばらくして座を立ったのでした――

「こなたにわたりて見るに、いとらうたげにて居給へるに、さりとも人にはおとり給はじ、とは思ひなぐさむ」
――母君が浮舟のお部屋に戻って見ますに、浮舟はたいそう美しく上品に座っていらっしゃいます。何であろうと、この子はあの娘になど劣るものではないと、心が休まるのでした――

 浮舟の乳母に、北の方は、

「心憂きものは人の心なりけり。おのれは、同じごと思ひあつかふとも、この君のゆかりと思はむ人の為には、命をもゆづりつこそ思へ。親なしと聞きあなづりて、まだ幼くなりあはぬ人を、さし越えて、かくは言ひなるべしや」
――浅ましいのは人の心です。私は娘たちの婿は、みな同じように大切に扱うにしましても、将来この浮舟の夫と思う男のためには、命まで捧げても良いと思っていますよ。浮舟は父親が居ないと聞いて蔑んで、まだ成熟していない娘を、こちらの姉君をさしおいてこのように言い寄るなんて――

 さらに、

「かく心憂く、近きあたりに見じ聞かじ、と思ひぬれど、守のかくおもだたしきことに思ひて、受け取り騒ぐめれば、あひあひにたる世の人の有様を、すべてかかることに口入れじ、と思ふに、いかでここならぬ所に、しばしありにしがな」
――こんな情けない事は、目のあたりに見たくも聞きたくもないと思いますが、守がああして名誉なことと思って受諾に大騒ぎしているようですので、まあ二人は似たもの同志でしょうから、私はこの事には一切口出しはするまいとは思うものの、何とか此処ではない所へ、暫くでも移りたいものです――
 
 と泣きながら言います。

「乳母もいと腹立たしく、わが君をかくおとしむること、と思ふに、『何か、これも御さいはひにてたがふこととも知らず。かく心口をしくいましける君なれば、あたら御様をも見知らざらまし。わが君をば、心ばせあり、物思ひ知りたらむ人にこそ見せたてまつらまほしけれ。大将殿の御様容貌の、ほのかに見たてまつりしに、さも命延ぶる心地のし侍りしかな。あはれにはたきこえ給ふなり。御宿世にまかせて、おぼし寄りねかし』
――乳母もたいそう腹立たしく、よくもこちらの姫君をこうまで見下げたものよと思って、
「なんの、これも御幸運があっての違約かもしれません。少将はこのように心の劣った忌まわしいお方だからこそ、あたらご立派な浮舟のお人柄をも理解しないのでしょう。お嬢様(浮舟)を、思慮深く物の道理の分かった人にこそ御縁づけ申したいものですこと。薫の君のご容姿、ご態度をかすかにお見上げいたしましたが、いかにも寿命がのびるようでした。その上、真心から浮舟をご所望なさるそうです。御宿縁にまかせて、そうお決めになればいかがでしょう――

 と申し上げます。

では12/21に。

源氏物語を読んできて(1042)

2011年12月17日 | Weblog
2011. 12/17     1042

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(13)

 御方をも頭洗はせ、取りつくろひて見るに、少将などいふ程の人に見せむも、惜しくあたらしき様を、あはれや、親に知られたてまつりて生ひ立ち給はしかば、おはせずなりにたれども、大将殿ののたまふさまに、おほけなくとも、などかは思ひ立たざらまし、されど、内々にこそかく思へ、外の音聞きは守の子とも思ひわかず、また実をたづね知らむ人も、なかなかおとしめ思ひぬべきこそ悲しけれ、など思ひ続く」
――(北の方は)浮舟の髪を洗わせ、身づくろいをさせてみますと、少将などという身分の者に縁づけるのも、勿体ないほどのご様子です。ああ可哀そうに、実の父の八の宮にお認め頂いてお育ちになったならば、お亡くなりになってはいても、たとえそれが、分に合わない縁だとしても、薫の君が仰せのとおりに、どうしてこの方に御まかせしようと考えなかったのかしら。けれども、そう考えるのは自分だけで、世間では浮舟も守の子として通っていることであるし、そうでなく本当の事を知っている人は、八の宮に認められなかった為に、却って軽蔑しているに違いないとすれば、やはり悲しいことだ、と、思い続けるのでした――

「いかがはせむ、さかり過ぎ給はむもあいなし、賤しからずめやすき程の人の、かくねんごろにのたまふめるを、など、心ひとつに思ひさだむるも、仲立のかく言よくいみじきに、女はまして、すかされたるにやあらむ。明日明後日と思へば、心あはただしくいそがしきに、こなたにも心のどかに居られたらず、そそめきありくに」
――少将とのことはどうしたものか。浮舟の盛りが過ぎてしまっても困るし、まあ身分も程々で、あのように熱心にお望みくださるのですから、と、北の方が一人で決めてしまわれたのも、仲立の口先がまことに上手で、その上、女のこととて上手く騙されたのであろう。婚礼の日が、明日あさってと日が迫ってくるので落ち着かず、この浮舟のお部屋にのんびりと座っているわけにもいかないと、あちらこちらにそわそわと歩きまわっているところに――

「守外より入り来て、長々と、とどこほる所もなく言ひ続けて、『われを思ひへだてて、あこの御懸想人を奪はむとし給ひけるが、おほけなく心幼きこと。めでたからむ御女をば、ようぜさせ給ふ君たちあらじ。賤しく異やうならむなにがし等が女子をぞ、いやしうも尋ねのたまふめれ』」
――常陸の介が、外出から戻ってきて、口をさしはさむ隙もないほどに、滔々とまくしたてます。「この私をさしおいて、わが娘に懸想されるお方(少将)を横取りしようとなさったとは、身の程知らずの浅はかさだ。こちらのような御落胤の御息女を、是非にと御所望なさる公達は、まずありますまい。賤しく取るに足らぬ私の娘のようなのをこそ、賤しいなりに、わざわざ尋ね出して、求婚なさるというものだ」――

 つづけて、

「『かしこく思ひくはだてられけれど、もはら本意なし、とて、外ざまへ思ひなり給ひぬべかめれば、同じくは、と思ひてむ、さらば御心、とゆるし申しつる』など、あやしく奥なく、人思はむところも知らぬ人にて、言ひ散らし居たり」
――「利口に立ち回ったおつもりのようだが、先方の少将の方では、全く本意に違ったとかで、今にも他の方へ乗りかえてしまいそうなので、同じく婿にするならばと思って、少将のお考えどおりに、わが娘婿にとお許し申すことにしたのだ」などと、およそ思いやりなどなく、手前勝手にしゃべり散らして座り込んでいます――

では12/19に。

源氏物語を読んできて(1041)

2011年12月15日 | Weblog
2011. 12/15     1041

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(12)

「守の言ひつることを、いともいともよげにめでたし、と思ひて、きこゆれば、君、すこし鄙びてぞある、とは聞き給へど、にくからず、うち笑みて聞き居給へり。大臣にならむぞくらうを取らむなどぞ、あまりおどろおどろしきこと、と、耳とどまりける」
――(仲立の男が少将の許に来て)常陸の守の言ったことを、実に何ともうまい話だと思って申し上げますと、少将は、守が少し田舎じみているとはお聞きになりますが、満更悪い気もしないので、苦笑いをしておいでになります。それにしても、大臣になるための費用までお世話しようというのは、あまりにも大袈裟なことだと、聞き耳を立てたのでした――

 少将は、

「さて、かの北の方にはかくとものしつや。志ことに思ひはじめ給ふらむに、引き違へたらむ、ひがひがしくねぢけたるやうにとりなす人もあらむ。いさや」
――それで、あの北の方には、このことを話して来たのか。特別熱心に準備をすすめていらっしゃったのに、こちらが約束を違えたら、さぞかし筋違いな、意地悪なように言い立てる人もあろう。どうしたものだろう――

 と迷って言いますと、男は、

「何か、北の方もかの姫君をば、いとやむごとなきものに思ひかしづきたてまつり給ふなりけり。ただ中のこのかみにて、年もおとなび給ふを、心ぐるしきことに思ひて、そなたにとおもむけて、申されけるなりけり」
――何の、そんなご心配はいりません。北の方も今度のお話の姫君を大そう大切に育てておいでなのですから。ただ、前の方(浮舟)は、お子たちの中でも一番年上で、大人びていらっしゃるのを気になさって、あなたさまの御縁談を、まずそちらへ振り向けて、と、お返事申されたのです――

 と申し上げるのでした。

「月ごろはまたなく、世の常ならずかしづく、と言ひつるものの、うちつけにかく言ふもいかならむ、と思へども、なほひとわたりはつらしと思はれ、人にはすこしそしらるとも、ながらへてたのもしきことをこそ、と、いと全く賢き君にて、思ひ取りてければ、日をだにとりかへで、契りし暮れにぞおはしはじめける」
――つい今しがたまで、浮舟だけを特別に大切に養育していたと言っていたのに、急に今になってこんな事をいうのもどういうものか、と少将は思いますが、一旦は北の方から薄情者と恨まれ、世間からも少々悪く言われようとも、行く末危なげのない頼もしい事こそが肝心だ、と、この少将はたいそう抜け目のない利口な人なので、そう割り切って、北の方が取り決めた日さえ変えずに、約束の日の暮れに、はじめて守の邸へ通ってきたのでした――

「北の方は人知れずいそぎ立ちて、人々の装束せさせ、しつらひなど由々しうし給ふ」
――そんなこととはつゆ知らぬ北の方は、浮舟の婚礼の支度を急がせて、女房たちの衣裳はもとより、室内の飾り付けなども趣向をこらして準備なさる――

では12/17に。


源氏物語を読んできて(1040)

2011年12月13日 | Weblog
2011. 12/13     1040

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(11)

 仲立ちの男はまだ続けて、

「『御心はた、いみじうかうざくに、重々しくなむおはしますめる。あたら人の御婿を、かう聞き給ふ程に思ほし立ちなむこそよからめ。かの殿には、われもわれも婿にとりたてまつらむ、と、所所に侍るなれば、ここに渋々なる御けはひあらば、外ざまにもおぼしなりなむ。これただ後やすきことをとり申すなり』と、いと多く、よげに言ひ続くるに、いとあさましく鄙びたる守とて、うち笑みつつ聞き居たり」
――「お心ばえも、たいそう優れて思慮深い方です。勿体ないほどの婿君なのですから、こうして私の言葉をお聞きになる内にも、迷わずお決めになるのがよろしいでしょう。少将に対しては、婿にお迎えしたい人が、われもわれもとあちこちにおりますから、こちらでためらっておいでのご様子ならば、少将は他の所の方へとお考えを変えられもしましょう。これはただ、貴方様が御安心なようにと、お取り次ぎを申し上げるのです」と、心にもない仲人口を長々と並べたてるのを、守はあきれるほどの世間知らずなのか、嬉しそうに笑みをこぼして聞いています――

 常陸の守は、

「この頃の御徳などの、心もとなからむことは、なのたまひそ。なにがし命侍らむ程は、頂きにもささげたてまつりてむ。心もとなく、何を飽かぬとかおぼすべき。たとひあへずして、仕うまつりさしつとも、のこりの宝物、領じ侍る所々、ひとつにてもまたとりあらそふべき人なし」
――現在の御財産などが不足であるというようなことは、おっしゃいますな。拙者が命のあります限りは、頭上にも戴き申して敬いましょう。万が一、命が堪え切れなくなって、途中でお世話を止めたとしましても、後に残す宝物や領地は、何一つこの娘の他には争う者のないようにして置きます――

「子ども多く侍れど、これはさま異に思ひそめたる者に侍り。ただ真心におぼし顧みさせ給はば、大臣の位をもとめむとおぼし願ひて、世になき宝物をもつくさむとし給はむに、なき物侍るまじ」
――子供はほかに大勢いますが、この娘は初めから格別大切にしている子でございます。ただ少将が心からこの娘を慈しんでくださるならば、大臣の位を得ようとお思いになって、この世にまたとない宝物の数々を使い尽そうとなさる時でも、私のところに無い物はありますまい――

「当時の帝、しか恵み申し給ふなれば、御後見は心もとなかるまじ。これかの御為にも、なにがしが女の童の為にも、幸ひとあるべきことにや、とも知らず」
――時の帝が、そのようにお引き立てくださいますならば、私の御後見の方も、ご案じなさいますな。この御縁はあのお方の為にも、行く先どれほど仕合せとなる筈の事かと思いますが、どんなものでしょう――

 と、

「よろしげにいふ時に、いとうれしくなりて、妹にもかかることありとも語らず、かなたにも寄りつかで参りぬ」
――良い調子に言いますので、男はうれしくなって、西の御方に仕える妹にも、この事は告げず、北の方の許にも寄らずに急ぎ帰っていきました――

◆かうざくに=警策(きょうざく)のこと=詩文にすぐれていること。人柄が明敏なこと。

では12/15に。


源氏物語を読んできて(1039)

2011年12月11日 | Weblog
2011. 12/11     1039

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(10)

「よろしげなめりと、うれしく思ふ」
――(仲立の男は)うまく話が進みそうだとうれしく思う――

 それではと、

「何かとおぼしはばかるべきことにも侍らず。かの御志は、ただ一所の御ゆるし侍らむを願ひおぼして、『いはけなく年足らぬ程におはすとも、真実の親の、やむごとなく思ひ掟て給へらむをこそ、本意かなふにはせめ。もはらさやうの、ほとりばみたらむふるまひすべきにもあらず』となむのたまひつる」
――それには、お心遣いなさることはございません。あちらのお気持では、ただ殿お一人のご承諾がありますことを願われて、「まだ若すぎようとも、本当の親御が大事にしておられるお子とのご縁組こそ、本意に叶うというものだ。殿の実の娘でない人を娶るような、浅はかなことはすべきではない」とおっしゃっています――

 つづけて、

「人がらはいとやむごとなく、おぼえ心にくくおはする君なりけり。若き君たちとて、すきずきしくあてびてもおはしまさず、世のありさまもいとよく知り給へり。領じ給ふ所々もいと多く侍り」
――少将のお人柄もご立派で、世間の評判もなかなかなお方です。若い貴公子などといって、色めかしく貴人ぶってもいらっしゃらず、世の中の道理もよくわきまえていらっしゃいます。御料地もたくさんおありです――

「まだころの御徳なきやうなれど、おのづからやんごとなき人の御けはひのありけるやう、直人のかぎりなき富、といふめる勢ひには、まさり給へり」
――今のところ、財産の取り分などはお持ちにならないようですが、持って生まれた高雅な御風采は、普通の人のこれ以上ない富(すなわち大した成金)の力よりは増しでございましょう――

「来年四位になり給ひなむ。こたみの頭はうたがひなく、帝の御口づからごて給へるなり。『よろづの事足らひてめやすき朝臣の、妻をなむさだめざなる。はや、さるべき人選りて後見をまうけよ。上達部には、われしあれば、今日明日といふばかりに、なし上げてむ』とこそ仰せらるなれ。何ごともただこの君ぞ、帝にも親しく仕うまつり給ふなる」
――来年は四位(しい)になりましょうし、今回の蔵人頭(くろうどのとう)は、確実で、帝が御自身お口になさったことです。「何事も欠けたところなく、足り整ったそなたが、まだ妻を決めていないそうだが、早く相応しい人を選んで、うしろ盾(舅)をつくるがよい。上達部には、この私がいることだから、今日明日にも昇進させよう」と仰せられたとか。帝の御用は、何事によらずこの君が承って、親しくお仕えしていらっしゃると申します――

◆ほとりばみたらむふるまひ=辺(ほとり)ばむ=浅はかな・振る舞い。

◆あてびてもおはしまさず=貴ぶ(あてぶ)=貴人ぶってもいない

◆ころ=目下の富貴。ここでは、「この頃」とでも訳す。

では12/13に。