永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(949)

2011年05月31日 | Weblog
2011. 5/31      949

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(10)

さらに、中の君はお心の中で、

「中納言の君の、今に忘らるべき世なく、歎きわたり給ふめれど、もし世におはせましかば、またかやうにおぼすことはありやもせまし、それをいと深く、いかでさはあらじ、思ひ入り給ひて、とざまかうざまにもて離れむことをおぼして、容貌をもかへてむ、と、し給ひしぞかし」
――中納言の君(薫)が、今でも姉君の大君をお忘れになれずに、歎き悲しんでいらっしゃるようですが、もし、大君が生きておられ(薫と結婚なさっていましたならば)、きっと私と同様に歎き悲しむ事もあったでしょう。その点大君は思慮深く、そのようなことにはなるまいと、あれやこれやと薫から離れることを考えられて、いっそ尼にもなろうとお思いになったのでした――

「必ずさるさまにてぞおはせまし、今思ふに、いかに重りかなる御心掟ならまし、亡き御影どもも、われをばいかにこよなきあはつけさと見給ふらむ、と、はづかしく悲しくおぼせど、何かは、かひなきものから、かかるけしきをも見え奉らむ、と、しのびかへして、聞きも入れぬさまにて過ぐし給ふ」
――もしも生きておいでならば、きっと尼姿になっておられた筈。今考えても何と大君は慎重なお考えをお持ちだったのかと思うにつけても、亡くなられた父君、姉君もこの自分をどんなに軽率なことをしたものと、お思いになることでしょう。今更恥ずかしくも悲しくも思ったとて、もうどうにもならないこと。それならばこのような歎きを匂宮にはお見せすべきはないであろう、と思い直されて、六の君のことはお耳にされていない風にしてお過ごしになるのでした――

「宮は常よりも、あはれになつかしく起き臥しかたらひ契りつつ、この世のみならず、長き事をのみぞ頼めきこえ給ふ。さるはこの五月ばかりより、例ならぬさまになやましくし給ふこともありけり」
――匂宮は中の君に対して普段よりもやさしく労られ、起き臥しにつけてしみじみと語り合い、この世ばかりでなく来世も永遠に夫婦であることばかりを熱心に約束なさいます。実は中の君は五月ごろから、いつもと違ってご気分のすぐれないときがありました――

 中の君は特に苦しそうではありませんが、食欲がなく臥せってばかりいますのを、匂宮は女人の懐妊の様子などご存知なく、ただ暑くなってきたからだと、ただそのように思っておいででしたが、それにしてもおかしいとお気になさって、

「もし、いかなるぞ。さる人こそ、かやうにはなやむなれ」
――もしや、どうかしたのではありませんか。妊った人はこういうふうになやむそうだが――

 と、おっしゃる折もありますが、

「いとはづかしくし給ひて、さりげなくのみもてなし給へるを、さし過ぎきこえ出づる人もなければ、かしかにもえ知り給はず」
――(御方・中の君は)たいそう恥ずかしそうになさって、さりげなくしておいでになる上に、差し出がましく申し上げる女房もいませんので、匂宮もはっきりとはお分かりにはなりません――

◆こよなきあはつけさ=はなはだしき軽率さ

では6/1に。

源氏物語を読んできて(948)

2011年05月30日 | Weblog
2011. 5/29      948

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(9)

さて、

「二條院の対の御方には、聞き給ふに、さればよ、いかでかは、数ならぬありさまなめれば、かならず人わらへに憂きこと出で来むものぞとは、思ふ思ふすぐしつる世ぞかし、あだなる御心と聞きわたりしを、たのもしげなく思ひながら、目に近くては、ことにつらげなることも見えず、あはれに深き契りをのみし給へるを」
――二條院の対の御方(中の君)は、匂宮と六の君のご婚儀のことをお聞きになるにつけ、案の定こうなる筈であったことよ、私のようなつまらぬ身の上であれば、きっといつかは物笑いの種になるような辛いことが起こるであろうと覚悟もしてきた結婚生活であった、匂宮は浮気なご性分だとお聞きしていて、当てにはならないと思いながらも、近くにいらっしゃれば、特に薄情ともお見えにならず、しみじみ深い契りをなさっていらしたのに――

「にはかにかはり給はむほど、いかがは易き心地はすべからむ、ただ人の中らひなどのやうに、いとしも名残りなくなどはあらずとも、いかに安げなきこと多からむ、なほいと憂き身なめれば、つひには山住みに帰るべきなめり」
――六の君と御結婚なされて、急に匂宮のご愛情が変わってしまうなら、どんなに不安であろうか。普通の夫婦のような、まさかすっかり縁が切れてしまうということはなくても、どんなにか心細いことが多いであろう。やはり自分は不幸な身の上らしい。きっとやがては宇治の山里に帰るべき定めなのだろう――

 と、お悩みになるにつけても、

「やがて跡絶えなましよりは、山がつの待ち思はむも人わらへなりかし、かへすがへすも、宮の宣ひ置きしことに違ひて、草ももとを離れにける心軽さを、はづかしくもつらくも思ひ知り給ふ」
――このまま行方をくらまして、山里に身を隠したならば、さぞかし世間の物笑いともなろう。それも仕方がないとして、大仰に晴れがましく京に発った自分を出迎える山里人が何と思うであろうか。亡き父宮のご遺言に背いて宇治の山荘を離れた軽率さを、今こそ恥ずかしくも辛い事と思い知らされたのでした。――

 さらに中の君はお心の中で、

「故姫君の、いとしどけなげに、ものはかなきさまにのみ、何事もおぼしのたまひしかど、心の底のづしやかなるところは、こよなくもおはしけるかな」
――お亡くなりになった姉君(大君)は、何事につけおっとりとしたご様子で、頼りなげにお見えになり、仰せられるお言葉なども何気ない風でいらっしゃったけれど、お心の底のしっかりとしていらっしゃった点では、この上もないお方であった――

◆づしやかなる=慎み深く重々しく落ち着きがあるさま

では5/31に。


源氏物語を読んできて(947)

2011年05月27日 | Weblog
2011. 5/27      947

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(8)

 亡き母上の喪もあけましたので、女二の宮の御結婚には何の支障もなくなって、

「さもきこえ出でば、とおぼしめしたる御けしきなど、告げきこゆる人々もあるを、あまり知らず顔ならむも、ひがひがしうなめげなり、などおぼしおこして、ほのめかしまゐらせ給ふ折々もあるに、はしたなきやうはなどてかはあらむ」
――(薫が)ご結婚のことをお願い申し上げれば、(許してやろう)と帝が思召していらっしゃるご様子などを、それとなく告げくれる人もいて、あまり知らぬ顔で気づかぬ風にしているのも依姑地で失礼でもありますので、強いてお気持を引き立てられて、女二の宮を頂きたい気持ちをそれとなくお見せ申される折々もあるようでした。それに対して帝から素っ気ないお返事があろう筈がありません――

「その程におぼし定めたなり、と伝にも聞く、みづから御けしきをも見れど、心のうちには、なほあかず過ぎ給ひにし人の悲しさのみ、忘るべき世なく覚ゆれば、うたて、かく契り深くものし給ひける人の、などてかはさすがにうとくては過ぎにけむ、と、心得がたく思ひ出でらる」
――(帝が)ご婚儀の日取りを、何時何時とお定めになられたそうだと人伝にも聞き、また薫自身も帝の御意向を伺うこともありますが、あの亡くなられた大君を喪った悲しみばかりが思い出され、忘れることができないとは、ああ何と厭なことよ、これ程宿縁の深かった大君が、どうして他人のままで亡くなってしまったのだろう、と、思い続けるばかりで、お心が納まらないのでした――

「くちをしき品なりとも、かの御ありあさまにすこしも覚えたらむ人は、心もとまりなむかし、昔ありけむ香のけぶりにつけてだに、今ひとたび見奉るものにもがな、とのみ覚えて、やむごとなき方ざまに、いつしかなどいそぐ心もなし」
――たとえ取るに足りない身分であっても、大君のご容姿に少しでも似ているならば、心も惹かれようものを(それにもまして、女二の宮が大君に似ていてくれればどんなに良いか)。昔あったという反魂香(はんごんこう)の煙の中にでも、もう一度大君のお姿を見たいものだ、とばかり思い続けていらっしゃって、この尊い姫宮とのご婚儀を急ぐお気持にもなれないのでした――

さて、一方、

「右の大殿にはいそぎ立ちて、八月ばかりに、ときこえ給ひけり」
――夕霧は、さあ、とばかり六の君と匂宮との縁組をお急ぎになって、八月頃にとお願い申されるのでした――

◆昔ありけむ香のけぶりにつけてだに=反魂香(はんごんこう)の故事。漢の武帝が李夫人の死後、その像を描き、方士をして霊薬を焚かせたところ、香煙の間に夫人の姿が現れたという。

では5/29に。


源氏物語を読んできて(946)

2011年05月25日 | Weblog
2011. 5/25      946

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(7)

 明石中宮は、つづけて匂宮にご訓戒をもうされます。

「親王達は、御後見からこそ、ともかくもあれ。上の、御代も末になりゆく、とのみおぼしのたまふめるを、ただ人こそ、一事にさだまりぬれば、また心をわけむことも難げなめれ、それだに、かの大臣のまめだちながら、こなたかなたうらみなくもてなして、ものし給はずやはある。ましてこれは、思ひ掟てきこゆることもかなはば、あまたも侍はむになどかあらむ」
――親王(みこ)たちは、外戚次第で栄もし、衰えもするのです。そろそろ帝はご譲位のこともお口になさるようですし、臣下なら一旦妻が定まってしまうと、他所に心を分けることも難しそうですが、あの夕霧大臣の場合は、堅人ながら雲居の雁と落葉の宮とを両方うらみっこなしにあしらっておられるではありませんか(外戚としては最適)。ましてやあなたの場合は、私が心にお決めしていること(東宮に立つこと)が実現するなら、女が大勢お側にいたとして何のさし障りがありましょう――

 などと、いつもと違って、尤もらしくじゅんじゅんとお諭しになります。匂宮は、

「わが御心にも、もとよりもて離れて、はたおぼさぬことなれば、あながちには、などてかは、あるまじきさまにもきこえさせ給はむ。ただ、いとことうるはしげなるあたりにとり籠められて、心安くならひ給へるありさまのところせからむことを、なま苦しくおぼすに、もの憂きなれど、げにこの大臣に、あまり怨ぜられ果てむもあいなからむ、など、やうやうおぼし弱りにたるべし」
――ご自分としても、もとから六の君を全く気に入らないなどとは思ってもおられないことですので、強いて強情にお断りなさる筈もないのでした。ただ、そうして夕霧の婿君ともなれば、立派に設えたお邸に閉じ籠められて、今まで気ままにふるまっていらしたお暮しの、窮屈になることが何となくお辛くて、億劫でいらっしゃるのでした。とはいえ、夕霧大臣にあまり恨まれても困ったことになるだろう、と、だんだんお気持が折れていかれるようです――

「あだなる御心なれば、かの按察使の大納言の、紅梅の御方をもなほおぼし絶えず、花紅葉につけて物のたまひわたりつつ、いづれをもゆかしくはおぼされけり。されどその年はかはりぬ」
――もとより、匂宮は浮気っぽいご性分ですので、あの按察使の大納言の紅梅の君にもまだ思いを寄せておいでになり、花や紅葉の折々には御文をお遣わしになっていて、六の君と紅梅の君のどちらにもお心をお寄せになっておられるのでした。こうしていつかこの年も過ぎて新年を迎えました――

◆按察使の大納言の、紅梅の御方=「紅梅の巻」に委しい。柏木の弟で紅梅大納言の継娘。
実父は蛍兵部卿の宮、母は真木柱。匂宮がこの人に求愛したことがあった。

では5/27に。


源氏物語を読んできて(945)

2011年05月23日 | Weblog
2011. 5/23      945

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(6)

「かかることを、右の大殿ほの聞き給ひて、六の君はさりともこの君にこそは、しぶしぶなりとも、まめやかにうらみ寄らば、つひにはえいなび果てじ、とおぼしつるを、おもひのほかのこと出で来ぬべかなり、と、妬くおぼされければ、兵部卿の宮はた、わざとにはあらねど、折々につけつつ、をかしきさまにきこえ給ふことなど絶えざりければ」
――このようなことを夕霧はちらっとお耳にされて、六の君は是非ともこの薫に縁づけたいものだ。薫が渋々であっても、こちらが熱心に頼みこんだならば、結局は断り切れまいと思っていたのに、意外な成り行きになってしまいそうだと残念でならない。それならばやはり匂宮が取り立てて趣きのある程ではないけれども、折々にそれなりのお手紙を下さることだし――

「さばれ、なほざりのすきにはありとも、さるべきにて、御心とまるやうもなどなからむ、水もるまじく思ひさだめむとても、なほなほしき際にくだらむ、はた、いと人わろく、飽かぬ心地すべし、などおぼしなりたり」
――ままよ、匂宮の一時的な浮気心だとしても、何かの御縁でお心のとまるようにならぬとも限らない。水も漏らさぬ情の深い相手を選んだとて、つまらない身分の者では、また世間での外聞も悪く、後々こちらとしても不満が残ろう、などとつくづくとお考えになるのでした――

 夕霧が明石中宮(腹違いの御妹)に、

「『女子うしろめたげなる世の末にて、帝だに婿もとめ給ふ世に、ましてただ人の盛り過ぎむもあいなし』など、そしらはしげにのたまひて、中宮をもまめやかにうらみ申し給ふこと、かびかさなれば、きこしめしわづらひて」
――「この頃は、女子(おんなご)を持てば心配な世の中で、帝でさえ、内親王に婿をお求めになる世ですから、まして我々臣下の娘が婚期を逃してしまいそうなのは、全く困ったものです」などと、帝に対して非難申し上げるような口調で、明石中宮にも真剣に匂宮をこちらの婿にお願いしたいことを度々申し上げますので、中宮もお聞き流しになれず、お困りになっておられ――

 匂宮をお呼びになって、

「いとほしく、かくあふなあふな、思ひこころざして年経給ひぬるを、あやにくにのがれきこえ給はむも、なさけなきやうならむ。…」
――お気の毒にも夕霧右大臣が、こうして長い月日を、断られでもしまいかとご心配になられながらも望んでこられたものを、あなたが意地悪く逃げ回られるのも、情け知らずのようでしょう…――

◆夕霧の官名が右大臣や左大臣と表記に混乱がありますが、原文のままにしておきます。

◆そしらはしげに=謗らはし=誹りたいようすで、けなしたいさまに。

◆まめやかにうらみ申し給ふ=忠実やかに・うらみ・申し給ふ=真面目に、本気で愚痴を申されるので。

◆あふなあふな=身の程に従って。あぶなあぶなと読めば「恐る恐る」となる。

では5/25に。

源氏物語を読んできて(944)

2011年05月21日 | Weblog
2011. 5/21      944

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(5)

 帝の仰せに、薫は無言で階を下りて、風情ある枝を折って持ってきて、

(薫の歌)「世の常の垣根ににほふ花ならばこころのままに折りて見ましを」
――普通の家の垣根に匂う花でしたら自由に折って賞美しましょうものを(御前の花ではそれもできません。暗に女二の宮を辞退する意を示す)

 と申し上げます。しかし、お心のほどはお歌ほどでもないように見えます。

(帝の歌)「霜にあへず枯れにし園の菊なれどのこりの色はあせずもあるかな」
――霜に耐えかねて枯れた園の菊のように、母の藤壺は亡くなってしまわれたが、あとに残った色のように女二の宮は美しく育っていることよ――

「かやうに、折々ほのめかさせ給ふ御けしきを、人づてならず承りながら、例の心の癖なれば、いそがしくも覚えず」
――このように、帝が薫に女二の宮を下さろうと、折々仄めかされますのを、直々に承りながら、薫はいつもの気長なご気性で、ゆったりと構えておいでになります――

「いでや、本意にもあらず、さまざまにいとほしき人々の御事どもをも、よく聞きすぐしつつ年経ぬるを、今更に聖やうのものの、世にかへり出でむ心地すべきこと、と思ふもかつはあやしや」
――いや、女二の宮を頂くなどは、もともと自分の望みでもない。あの宇治の中の君や、左大臣夕霧の六の君など、あちらこちらお断りしては申し訳ないようなご縁談を、さりげなく聞き流しながら年を経てきたものを、今更妻を迎えるなどとは、僧などの身が還俗するような心地がするものだ。こんなことを思うのも考えてみれば妙なことよ――

 また、

「ことさらに心をつくす人だにこそあなれ、とは思ひながら、后腹におはせばしも、と覚ゆる心のうちぞ、あまりおほけなかりける」
――女二の宮ならば恋い焦がれている人もいらっしゃるだろうに、だが自分としてはできれば明石中宮からお生まれになった内親王であったら良かったのに、と思ったりするのは、あまりにも望みが高すぎることだ…――

◆薫は身分から言えば臣下である。(女三宮は臣下の源氏に降嫁したので)八の宮の姫君たちも、女二の宮も皇室の内親王という身分。

では5/23に。


源氏物語を読んできて(943)

2011年05月19日 | Weblog
2011. 5/19   943

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(4)

 帝はまた、お心の内で、

「もとより思ふ人持たりて、聞きにくき事などうち交ずまじく、はたあめるを、つひにはさやうの事なくてもえあらじ、さらぬ前に、さもやほのめかしてまし、など折々おぼしめしけり」
――前々から思う人があったとしても、そのために女二の宮に対して、聞きづらいような情れない仕打ちにおよぶこともあるまい。また、いくら忘れ難い人を失ったといっても、いつかは本妻を定めないわけにはいくまい。そうならぬ前に、女二の宮との結婚の事をそれとなく仄めかしてみよう、と時々お思いになるのでした――

「御碁などうたせ給ふ。暮れゆくままに、時雨をかしき程に、花の色も夕映えしたるを御らんじて、人召して、『ただ今、殿上には誰々か』と問はせ給ふに、『中務の親王、上野の親王、中納言源の朝臣さぶらふ』と奏す」
――(帝は女二の宮と)碁をお打ちになっていらっしゃるうちに、日が暮れていきます。時雨が趣きを添えて、菊の花も夕映えに美しく映えるのをご覧になりながら、帝は人を召して、「今、殿上には誰と誰が控えているか」とお尋ねになりますと、侍臣が、「中務の親王(なかつかさのみこ)、上野の親王(かんづけのみこ)、中納言源の朝臣(ちゅうなごんみなもとのあそん)が伺候しております」と奏上されます。

「『中納言の朝臣こなたへ』と仰せ言ありて、参り給へり。げにかくとり分きて召し出づるもかひありて、遠くより薫れるにほひよりはじめ、人に異なるさまし給へり」
――(帝が)「中納言の朝臣(薫)をこちらへ」との仰せ言がありましたので、薫が参上されます。なるほどこうして帝が特別に召し出されるだけのことがあって、遠くから匂って来る薫りといい、美しいそのお姿といい、他の人とは比べようがありません――

 帝は、こちらは喪中のこととて、管弦の遊びなどもなく、退屈でこまっている、とおっしゃって、碁盤を持ってこさせて、薫にお相手をおさせになります。いつものようにお側近くに召してはお放しにならないのはいつものことで、今日もそうなのかと薫が思っていますと、帝は、

「『よき賭物はありぬべけれど、軽々しくはえ渡すまじきを、何をかは』などのたまわする御けしき、いかが見ゆらむ、いとど心づかひしてさぶらひ給ふ」
――「結構な賭物(のりもの)がある筈だが、軽々しくは渡せない。さて何にしようか」などと気を持たせて仰せになります。中納言は帝の真意をどうお取りになったものか、いっそう神妙に控えておられます――

 さて、碁盤にお向かいになると、三番の勝負に一番を帝がお負けになられ、「残念な」と
おっしゃって、

「『先づはこの花一枝ゆるす』と。
――「とりあえず、今日はこの菊の花を一枝だけ許す」と。

では5/21に。

源氏物語を読んできて(942)

2011年05月17日 | Weblog
2011. 5/17   942

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(3)

 清涼殿のお庭の菊がまだすっかりとは色が変わらず、盛りの頃、空のけしきも趣深く時雨のそぼ降る折から、帝はまず、この女二の宮のお部屋にお渡りになって、亡き御母君のことなどをお話になりますと、

「御答へなどもおほどかなるものからいはけなからず、うちきこえさせ給ふを、うつくしく思ひきこえさせ給ふ」
――(女二の宮は)お返事など、おっとりとなさっていながらも、子供じみてはおられず、はっきりと申し上げられるのを、可愛くお思いになります――

「かやうなる御さまを見知りぬべからむ人の、もてはやしきこえむも、などかはあらむ、朱雀院の姫宮を、六条院にゆづりきこえ給ひし折の定めどもなど、おぼしめし出づるに、しばしは、いでや飽かずもあるかな、さらでもおはしなまし、ときこゆる事どもありしかど」
――女二の宮のこのような可憐なご様子の分かる人で、しかるべき身分の者で、大切にかしずいてくれるような人が、いったいいるだろうか。その昔、朱雀院の皇女で女三宮を源氏にお託し申された当時の取り沙汰などを思い出されて、その当時しばらくは、御降嫁とはどうも合点がいかない、それほどまでになさらずとも、と申す者も居たが――

「源中納言の、人よりことなるありさまにて、かくよろづをうしろみ奉るにこそ、そのかみの御おぼえおとろへず、やむごとなきさまにてはながらへ給ふめれ、さらずば、御心より外なる事ども出で来て、おのづから人に軽められ給ふ事もやあらまし」
――源中納言(薫)が人並みすぐれた様子で、こうして万事母宮(女三宮)のお世話を申し上げていればこそ、女三宮もその当時の声望が衰えず、尊いご様子で生き長らえておられるようだ。そうでなかったならば(もし源氏に降嫁されなかったならば)予想外の事件も生じて、自然に人から軽蔑されなさることもあったであろう――

 などと、帝は思いを深めて行かれ、

「ともかくも、御覧ずる世にや思ひ定めまし、と、おぼし寄るには、やがてそのついでのままに、この中納言よりほかに、よろしかるべき人、またなかりけり」
――どうしてもご自分の御在位中に、女二の宮の御縁を定めておきたいものだとお考えつづけられると、ものの順序からいっても、この中納言より外に良さそうな人はまたと居ない――

 薫ならば姫宮たちの側に置いても何の恥ずかしいところはないであろう。

◆おほどかなるものからいはけなからず=おほどかなる・ものから・いはけなき=おっとりしているが、幼稚では無く

◆朱雀院の姫宮を、六条院にゆづりきこえ給ひし折の定=内親王を臣下の源氏に託されたこと

では5/19に。

源氏物語を読んできて(941)

2011年05月15日 | Weblog
2011. 5/15   941

十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(2)

 女二の宮が十四歳になられた年に、

「御裳着せ奉り給はむとて、春よりうちはじめて、他事なくおぼしいそぎて、何事もなべてならぬさまに、とおぼしまうく。いにしへよりつたはりたりける宝物ども、この折にこそは、とさがし出でつつ、いみじくいとなみ給ふに、女御、夏ごろ、物のけにわづらひ給ひて、いとはかなく亡せ給ひぬ」
――(母の藤壺女御は)御裳着の儀を取り行って差し上げようと、春の頃から、他の事は顧みないほどに一生懸命準備に没頭されて、何事も並み一通りではなく、念を入れて計画をなさっておりました。女御の御実家に伝わっている宝物など、こうした晴れがましい折こそと探し出され、大そうなお支度をなさっておりましたが、その藤壺の女御がその夏ごろ、物の怪にお悩みになって、まことにあえなく亡くなられたのでした――

 帝をはじめ、殿上人も誰もかれもが、女御のお人柄や、やさしいお気立てを惜しまれて、直接関わりのなかった女官などまで、お慕い申さぬ者はおりません。

「宮はまして、若き御心地に、心細く悲しくおぼし入りたるをきこしめして、心苦しくあはれにおぼしめさるれば、御四十九日過ぐるままに、忍びて参らせ奉らせ給へり。日々に渡らせ給ひつつ見奉らせ給ふ」
――まして、女二の宮はまだお若いお心地に、心細くも悲しく思い沈んでおいでになると、お聞きになり、帝は可哀そうにとお案じになられて、四十九日が過ぎました頃にそっと宮中にお迎えになったのでした――

「黒き御衣にやつれておはするさま、いとどらうたげにあてなるけしきまさり給へり。心ざまもいとよく大人び給ひて、母女御よりも、今すこししづやかに、重りかなるところはまさり給へるを、うしろやすくは見奉らせ給へど、まことには、御母方としても、後見と頼ませ給ふべき、伯父などやうのはかばかしき人もなし」
――黒い喪服に身をやつしておられる様は、しっとりとして、亡き母藤壺よりも重々しい点が勝っておられるのを、帝は心安くご覧になっていらっしゃいますが、実のところこの先、御母方の実家には、姫君の御後見として頼みになる伯父君などのしっかりしたお方はおいでにならない――

「わづかに大蔵卿、修理の大夫などいふは、女御にも異腹なりける、ことに世のおぼえ重りかにもあらず、やむごとなからぬ人々を、たのもし人にておはせむに、女は心苦しきこと多かりぬべきこそいとほしけれ、など、御心ひとつなるやうにおぼしあつかふも、安からざりけり」
――わずかに、大蔵卿(おおくらきょう)とか修理の大夫(すりのかみ)とかいう方がいらっしゃるけれども、亡き女御とは母違いのご兄弟ではり、格別世間の信望が重いわけでもない。このような身分の高くない人々を頼みに暮さねばならないならば、先々女の身としてどんなに辛いことがあろうか、それは可哀そうだ。などと、帝はご自分だけが女二の宮のことをご心配なさる人のように、ご配慮なさるにつけても、不安でいらっしゃる――

◆物の怪(もののけ)=人にとりついて苦しめたり、病気にしたり、死なせたりする死霊、生き霊など。病気や精神錯乱など不明な状態のときに表現される。

◆参らせ奉らせ=多分、藤壺女御の葬儀は里で行われ、そこで一年喪に伏すべきを、帝がわが姫君でもあり、可愛そうなので宮中に引きとった。

では5/17に。

源氏物語を読んできて(940)

2011年05月13日 | Weblog
2011. 5/13   940

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(1)

物語は「早蕨」の一年前に遡るところから始まります。


薫(源中納言→右大臣)24歳夏~26歳夏
女二の宮(おんなにのみや)十四歳
 (今上帝と、故左大臣の姫君の藤壺女御の間に生まれた女宮)

浮舟(八の宮と侍女中将の君との間に生まれた姫君。中の君の異母妹に当たる)
19歳~21歳
中の君(二條の御方)24歳~26歳
匂宮(兵部卿の宮、明石中宮腹の三の宮)25歳~27歳
夕霧(左大臣)50歳~52歳
明石中宮(今上帝の中宮、源氏と明石の御方の姫君)43歳~45歳


「その頃藤壺ときこゆるは、故左大臣殿の女御になむおはしける。まだ春宮ときこえさせし時、人よりさきに参り給ひにしかば、睦まじくあはれなる方の御おもひは、ことにものし給ふめれど、そのしるしと見ゆるふしもなくて年経給ふに、中宮には、宮達さへあまた、こころおとなび給ふめるに、さやうのことも少なくて、ただ女宮一ところをぞ持ちたてまつり給へりける」
――その頃、藤壺女御(ふじつぼのにょうご)と申し上げる方で、故左大臣の(息女で)女御がいらっしゃいました。今上帝がまだ東宮と申しておられた時分、どなたよりも先に入内なさいましたので、睦まじく愛しく思われて御寵愛は格別でいらっしゃいましたのに、そのしるしとして見えるほどのこともなく、年が経っていきました。一方(その後に入内されました)明石中宮には御子たちも数多くお生まれになり、それぞれにご成長なさっておられますのに、こちらは御子も少なく、女宮ただお一人をお儲けになっただけでした――

「わがいとくちをしく、人に圧され奉りぬる宿世、なげかしく覚ゆるかはりに、この宮をだに、いかで行く末の心もなぐさむばかりにて見たてまつらむ、と、かしづききこえ給ふことおろかならず」
――(藤壺女御は)たいそう残念にも、明石中宮に厭倒されてしまった運命が歎かわしく思われる代わりに、せめてこの姫君(女二の宮)だけでも、何とかして将来の心も慰むくらいにはして差し上げたいと、並々ならず大切に守り育てていらっしゃるのでした――

「御容貌もいとをかしくおはすれば、帝もらうたきものに思ひ聞こえさせ給へり。女一の宮を、世にたぐいなきものにかしづききこえさせ給ふに、おほかたの世のおぼえこそ及ぶべうもあらね、内々の御ありさまはをさをさおとらず」
――(女二の宮は)ご器量もまことに美しいので、帝もたいそう可愛くお思いになっておられます。ただ、女一の宮(明石中宮腹の姫君)をこの世にまたとない第一の宝のように大切にしていらっしゃいますので、この女二の宮は世間一般の信望こそ女一の宮に及ぶ筈もありませんが、内々の御暮らし向きは、たいして劣ってはおりません――

「父大臣の御勢ひいかめしかりし名残り、いたくおとろへねば、ことに心もとなきことなどなくて、さぶらふ人々のなり姿よりはじめ、たゆみなく、時々につけつつ、調へ好み、今めかしくゆゑゆゑしきさまにもてなし給へり」
――(藤壺女御の)故父大臣の御権勢が盛りだったその余勢が、それほどまだ衰えていませんので、格別ご不自由ということもなく、お仕えしている女房たちの衣裳をはじめ、何事にも絶えず心をもちいて、その時々に応じて風流に調え、万事はなやかに奥ゆかしいお暮しぶりです――

 その女二の宮が十四歳になられた年のことです。

◆その頃=椎本の巻の頃、薫と匂宮が宇治の八の宮邸にお伺いをたてていた頃。

◆御勢ひいかめしかりし名残り=御勢ひ・いかめしかりし・名残り。

では5/15に。