永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(119)

2019年04月30日 | 枕草子を読んできて
一〇六 中納言殿まゐらせたまひて (119) 2019.4.30
 
 中納言殿まゐらせたまひて、御扇奉らせたまふに、「隆家こそいみじき骨を得てはべれ。それを、張らせてまゐらせむとするを、おぼろげの紙は張るまじければ、もとめはべるなり」と申したまふ。「いかやうなるにかある」と問ひきこえさせたまへば、「すべていみじく侍る。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す。まことにかばかりのは見ざりつ」と、こと高く申したまへば、「さては扇のにはあらで、くらげのなり」と聞こゆれば、「これは隆家がことにしてむ」とて、笑ひたまふ。
◆◆(藤原隆家)中納言殿が参上あそばして、御扇を中宮様にお差し上げあそばすのに、「この隆家こそ、すばらしい骨を手に入れましてございます。それを、紙に張らして差し上げようと思うのですが、いい加減な紙を張るわけにはまいりませんので、探しているのでございます。」と申し上げになる。「いったいどんなふうなものなのか」とお尋ね申しあそばされると、「全部素晴らしいのでございます。『全く今まで見たこともない骨のようすだ』と人々が申します。ほんとうにこれほどの物は見たことがなかった」と声高に申し上げなさるので、(作者が)「それでは扇の骨ではなくて、くらげのですね(見たことがないのなら、骨のないくらげの骨だ。という洒落)。」と申しあげると、「これは隆家の言ったことにしてしまおう。(素晴らしい洒落だから隆家が功を横取りしよう、という冗談)」といってお笑いになる。◆◆

■中納言殿=藤原隆家。伊周(これちか)・定子の弟。

■こと高く=「言高く」であろう。自慢げに声高に。


 かやうの事こそ、かたはらいたきもののうちに入れつべけれど、「ひとことなおとしそ」と侍れば、いかがはせむ。
◆◆このようなことこそは、聞き苦しくて仕方がない感じのするものの中に入れてしまうべきものだけれど、「一言も書き落とさないでくれ」と言うことでございますので、どうしようもなく、書きつけておきます。◆◆



枕草子を読んできて(118)

2019年04月24日 | 枕草子を読んできて
一〇五 御方々、君達、上人など、御前に(118) 2019.4.24

 御方々、君達、上人など、御前に人おほく候へば、廂の柱に寄りかかりて、女房と物語してゐたるに、物を投げ給はせたる、あけて見れば、「思ふべしやいなや。第一ならずはいかが」と問はせたまへり。
◆◆中宮様の御身内の方々、若君たち、殿上人たちと大勢が伺候しているので、わたしは廂の間の柱に寄りかかって、女房と話をして座っていると、中宮様が物を投げてお与えくださっているので、開けて見ると、「そなたを可愛がるのがよいか、それともいやか。第一番でなければどうか」とお尋ねになっていらっしゃる。◆◆

■御方々=中宮の身内の方々。兄弟姉妹であろう。



 御前に物語などするついでにも、「すべて人には一に思はれずは、さらに何にかせむ。ただいみじうにくまれ、あしうせられてあらむ。二三にては死ぬともあらじ。一にてをあらむ」など言へば、「一乗の法なり」と人々笑ふ事の筋なンめり。筆、紙給はりたれば、「九品蓮台の中には、下品といふとも」と書きてまゐらせたれば、「むげに思ひくんじにけり。いとわろし。言ひそめつる事は、さてこそあらめ」とのたまはすれば、「人にしたがひてこそ」と申す。「それがわろきぞかし。第一の人に、また一に思はれむとこそ思はめ」と仰せらるるもいとをかし。
◆◆御前で話をするとき、話のついでにも、「万事、人には第一にかわいがられるのでなくては、いっこうどうしようもない。ただひどく憎まれ、悪く扱われているほうがいい。二番三番では、死んでもかわいがられないでいるつもりだ。第一番でどうしてもいよう」などと言うので、「それは一乗の法だ」と女房たちが笑う、あの話の筋であるようだ。筆と紙をいただいたので、「九品蓮台の中では、たとい下品といっても」と書いて差し上げたところが、中宮様が「ひどく意気地がなくなってしまったのだね。たいへん劣った考えだ。一旦言い始めてしまったこことは、そのままでこそ押し通すのがよい」と仰せあそばすので、「相手によりましてこそ」と申し上げる。「それがよくないのだよ。第一番の人に、まだ第一番に思われようとこそ思うのがよい」と仰せになるのも、たいへんおもしろい。◆◆

■をあらむ=文中で使われる「を」は連用の文節に添って強意を表す。結びは願望・命令・決意などの表現となるのが普通である。

■九品蓮台(くほんれんだい)=『観無量寿経』によると極楽往生には九階級があり、上品、中品、下品(げぼん)の三段階がそれぞれ上生・中生・下生に分かれる。ここでは九品往生できるなら下品でも満足だ、すなわち中宮に思われるなら第二、第三でも結構だ、の意を含む。


枕草子を読んできて(117)その6

2019年04月19日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その6  2019.4.19

 夜うちふくるほどに、題出だして、女房に歌よませたまへば、みなけしきだちゆるがし出だすに、宮の御前に近く候ひて、物啓しなど、事をのみ言ふも、おとど御覧じて、「などか歌はよまで離れゐたる。題取れ」とのたまふを、「さるまじくうけたまはりて、歌よむまじくはりてはべれば、思ひかけはべらず」。「ことやうなる事。まことにさる事やは侍る。などかはゆるさせたまふ。いとあるまじき事なり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」と責めさせたまへど、清う聞きも入れで候ふに、こと人どもよみ出だして、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文を書きて給はせたり。あけてみれば、
 元輔がのちといはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる
とあるを見るに、をかしき事ぞたぐひなきや。いみじく笑へば、「何事ぞ何事ぞ」と、おとどものたまふ。
 「その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌はまづぞよままし
つつむ事候はずは、千歌なりとも、これよりぞ出でまうで来まし」と啓しつ。
◆◆夜が更けるころに、題を出して、女房に歌をお詠ませになるので、みな色めきたって苦心して歌をひねり出すのに、私は中宮様の御前近くに侍して、物を申し上げるなど、ただ話をだけしているのを、内大臣が御覧になって、「どうして歌を詠まないで、離れて座っているのか。題を取れ」おっしゃるのを、「そのような必要はなかろうというふうのお言葉を承りまして、歌は詠まないはずのことになっておりますの、歌の事は心にかけておりません」「変なことだな。本当にそんなことがございましたか。どうしてお許しあそばされたのですか。あるまじきことですね。まあよい。他の事は知らないが、今宵は詠め」とお責めになるけれど、きっぱりと聞き入れもしないで侍していると、他の人たちは歌を作って出して、良し悪しなどをお決めになるころに、中宮様がちょっとしたお手紙を書いてわたしにお下げ渡しになった。開けてみると、
(中宮様の歌)「そなたの父元輔の子といわれるそなたが今宵の歌に加わらないで控えているのか」
とあるのを見るのに、おもしろいことはくらべるものもないほどだ。「何だ何だ」と内大臣さまもおっしゃる。
(作者の歌)「もしも私が、だれそれの子と言われない身だったら、今宵の歌はまっさきに詠むことでございましょうのに  遠慮することがございませんなら、千首の歌でも、こちらから口をついて出てまいることでございましょうのに」と申し上げた。◆◆


■さるまじく=「さ・あるまじく」歌は詠まなくてよかろうと

■まうで来まし=「まうで来」は改まった気持ちの会話に用い、自己側の事物の動作を謙譲して言う語。出てまいりますことでございましょうのに。


枕草子を読んできて(117)その5

2019年04月16日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その5  2019.4.16

 二日ばかりありて、その日の事など言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、手づから折りたると言ひし下蕨は」とのたまふを聞かせたまひて、「思ひ出づる事のさまよ」と笑はせたまひて、紙の散りたるに、
 下蕨こそ恋しかりけれ
と書かせたまひて、「本言へ」と仰せらるるもをかし。
 郭公たづねて聞きし声よりも
と書きて、まゐらせたれば、「いみじううけばりたりや。かうまでにだに、いかで郭公の事をかけつらむ」と笑はせたまふ。
◆◆二日ほどしてのち、あの郭公を聞きに行った日のことを口に出して話していると、宰相の君が「どうでしたか、自分で折ったといった下蕨の味は」とおっしゃるのを、中宮様がお聞きあそばされて、「思い出すことといったら、(郭公の声でなく)まったく」とお笑いあそばして、お手元に紙が散ってあるのに、
(中宮様の下句)「食べた下蕨(したわらび)をこそ恋いしかったことだ」
とお書かせになって、「上句をつけよ」と仰せあそばされるのもおもしろい。
(作者の上句)「郭公の声をたずねて聞いたその声よりも」
と書いて、差し上げたところ、「たいそう、はっきりと言い切ったものだね。こんなふうに食い気一方の状態であってさえも、ちゃんと郭公のことを心に掛けて引き合いに出しているのだろう」とお笑いあそばされる。◆◆

■下蕨こそ恋しかりけれ=「こそ」と下蕨(わらび)を強め、食い気だけあるのをからかった言い方。下の句を書いて上の句をつけさせつ短連歌。
■郭公たづねて聞きし声よりも=ためらわずに、中宮のからかいを肯定して興をそえる呼吸はさすがである。
■うけばり=「うけばる」は、人に気兼ねしないで存分にふるまうこと。食物の恋しさをはっきり言い切ったことをさす。


 「この歌、すべてよみはべらじとなむ思ひはべるものを。物のをりなど人のよみはべるにも、『よめ』など仰せられば、え候ふまじき心地なむしはべる。いかでかは、文字の数知らず、春は冬の歌をよみ、秋は春のをよみ、梅のをりは菊などよむ事侍らむ。されど、歌よむと言はれはべりし末々は、すこし人にまさりて、『そのをりの歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はれたらむこそ、かひある心地してはべらめ。つゆとりわきたる方もなくて、さすがに歌がましく、われはと思へるさまに、さいそによみ出ではべらむなむ、
亡き人のためにいとほしく侍る」などまめやかに啓すれば、笑はせたまひて、「さらば、ただ心にまかす。われはよめとも言はじ」とのたまはあすれば、「いと心やすくなりはべりぬ。今は歌のこと思ひかけはべらじ」など言ひてあるころ、庚申せさせたまひて、内大臣殿、いみじう心まうけせさせたまへり。
◆◆「この歌というものを、一切詠みますまいと思っておりますものを。何かの折などに人が詠みますにつけても、『詠め』などと仰せになりますならば、おそばに伺候することができそうもない気がいたします。と言って、歌の字数を知らず、春は冬の歌を詠み、秋は春の歌を詠み、梅の季節に菊の花などを詠むことがございましょうか。けれど、歌が上手だと言われた者の子孫は、少しは人に勝って、『これこれの歌は、この歌こそすばらしかった。何と言っても、だれそれの子なのだから』などと言われているのこそ、詠みがいのある気持ちがしていることでございましょうに。少しも特別にこれといった点もなくて、それでもいかにも歌らしく、自分こそはと思っているふうに、得意然として最初に詠みだしましょうのは、亡き人のために気の毒でございます」などと、真面目に申し上げると、中宮様はお笑いあそばされて、「それならば、そなたの心にまかせる。わたしは詠めとも言うまい」と仰せあそばすので、「とても気持ちが楽になりました。もう今は歌の事を気に掛けないようにいたしましょう」などと言っているころ、中宮様が庚申をあそばされて、内大臣様は、たいへん気を入れてご用意あそばしていらっしゃる。◆◆


■さいそ=最初
■亡き人=作者の父元輔や曾祖父を指す。
■庚申(こうしん)せさせ=庚申待ち。人の腹中に三尺(さんし)という悪虫があり、干支が庚申(かのえさる)に当たる日の夜、天に昇って天帝に罪過を告げ命を縮めるが、この夜眠らなければ虫も昇天できないというので、この夜は眠らずに飲食を設け、碁・双六・歌会などの遊びをして夜を明かす。もと中国道家の説。
■内大臣殿=藤原伊周(これちか)。長徳二年(996)四月内大臣から太宰権帥に左遷。翌年四月召喚の官符を賜い十二月帰京。この年(長徳四年)二十五歳。正確には当時内大臣ではない。


枕草子を読んできて(117)その4

2019年04月09日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その4  2019.4.9

 さてまゐりたれば、ありさまなど問はせたまふ。うらみつる人々、怨じ心憂がりながら、籐侍従、一条の大路走りつるほどに語るにぞ、みな笑ひぬる。「さていづら歌は」と問はせたまふ。かうかうと啓すれば、「くちをしの事や。上人などの聞かむに、いかでかをかしき事なくてあらむ。その聞きつらむ所にて、ふとこそよまましか。あまりぎしきことさめつらむぞ。あやしきや。ここにてもよめ。言ふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひ合はせなどするほどに、籐侍従の、ありつる卯の花つけて、卯の花の薄様に、
 郭公の鳴く音たづねにきみ行くと聞かば心を添へもしてまし
◆◆そうして中宮様に参上しますと、今日の様子などをお聞き遊ばされます。一緒に行けなった人々が、嫌味を情けながったりしながら、籐侍従が一条大路を走ったところに話がくると、みな笑ってしまった。「さて、ほととぎすの歌はどこに」と中宮様がお尋ねあそばされる。こうこうでございましたと、申し上げると、「残念なことよ。殿上人たちが聞こうとするだろうに、どうしてそなたたちに良い歌が詠めていないなどということがあろうか。そのほととぎすの声を聞いたところで、手軽に詠めばよかったのに。あまり儀式ばっては興ざめになってしまっているのは、変なことだ。ここででも詠め。仕方がないこと」などと仰せあそばされますのも、もっともだとは思うと、確かにがっかりするので、それではと歌を作ろうと思っているところに、籐侍従が、先ほど持ち帰った卯の花につけて、卯の花色の薄様の紙に、
(籐侍従のうた)「郭公が鳴く音を探し求めにあなたが行くのだとあらかじめ聞いていたら、わたしの心をも一緒に添えもしたでしょうに、残念でした。」◆◆



 返事待つらむなど、局へ硯取りにやれば、「ただこれしてとく言へ」とて、御硯の蓋に紙など入れて給はせたまへば、「宰相の君、書きたまへ」と言ふを、「なほそこに」など言ふほどに、かきくらし雨降りて、神もおどろおどろしう鳴りたれば、物もおぼえず、ただおろしにおろす。職の御曹司は、蔀をぞ御格子にまゐりわたしまどひしほどに、歌の返事も忘れぬ。
◆◆使いの者が返歌を待っているだろうからと、局に硯を取りにやると、中宮様が「ただこれに早く書け」といって、御硯の蓋に紙などを入れてお下しになられたので、「宰相の君、お書きください」というと、「やはり、あなたが」などと言っているうちに、すっかり空が暗くなって雨が降りだし、雷も恐ろしげに鳴るので、気も転倒してただただ、御格子を下ろしに下ろす。職の御曹司では蔀を御格子に重ねて大慌てにお下ろし申しあげ回ったりしているうちに、歌の返歌も忘れてしまった。◆◆


 いと久しくなりて、すこしやむほどは暗くなりぬ。ただいま、なほその御返事奉らむとて、取りかかるほどに、人々、上達部など、神のこと申しにまゐりたまへば、西面に出でて、物など聞ゆるほどにまぎれぬ。人はた「さして得たらむ人こそしらめ」とてやみぬ。おほかたこの事に宿世なき日なりとうじて、「今はいかでさなむ行きたりしとだに人に聞かせじ」などぞ笑ふを、「今も、などその行きたりし人どもの言はざらむ。されども、させじと思ふにこそあらめ」と、物しげにおぼしめしたるも、いとをかし。「されど、今すさまじくなりにてはべるなり」と申す。「すさまじかるべき事かは」などのたまはせしど、やみにき。
◆◆大分たって、少し止んで来るころには暗くなってきた。とにかく、やはり籐侍従からの歌の返歌を差し上げようということで、取りかかっているうちに、色々な人や、上達部などが、雷のことでお見舞い申し上げに参上なさるので、職の西向きの部屋に出て、お相手としてお話など申し上げているうちに、歌の事は取り紛れてしまった。他の人は、とはいえ、「名指しして歌を貰っていよう人こそが、始末するがよい」ということで、終わりになってしまった。だいたい歌の事に縁のない日だと気が滅入って、「もう今は、ほととぎすの声を聞こうと行ったことさえ、人には言うまい」などと言って笑うのを、中宮様は「今でも、どうしてその行った人たちが、歌を詠めないことがあろうか。けれども、歌は詠むまいと思っているのであろう」と、不興げにお思いあそばしてしるのも、とてもおもしろい。「けれど、今は、時期をはずして、興ざめな気分になっているのでございます」と申し上げる。「興ざめであるはずのことなものか」と仰せあそばしたけれど、それなりで終ってしまった。◆◆


■うじて=「倦みす」の音便「倦んず」の「ん」無表記。

*写真は硯(すずり)。墨を水で磨り卸すために使う、石・瓦等で作った文房具である。中国では紙・筆・墨と共に文房四宝のひとつとされる。



枕草子を読んできて(117)その3

2019年04月03日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その3  2019.4.3

 近う来ぬ。「さりとも、いとかうてやまむやは。この車のさまをだに、人に語らせてこそやまめ」とて、一条殿のもとにとどめて、「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰りはべる」と言はせたる使、「『ただいままゐる。あが君あが君』となむたまへる。さぶらひにまひろげて。指貫奉りつ」と言ふに、「待つべきにもあらず」とて、走らせて、土御門ざまへやらするに、いつの間にか装束しつらむ。帯は道のままに結ひて、「しば、しば」と追ひ来る。
◆◆御所近くに来てしまった。「そうとしても、全く人にも知らせないままで終わってしまってよいものか。せめてこの車の様子だけでも、人に語り草にさせてこそ『けり』をつけよう」ということで、一条大宮にある故太政大臣藤原為光の邸のあたりに車を止めて、「侍従(為光の六男公信)殿はおいでになりますか。郭公(ほととぎす)の声を聞いて、今帰るところでございます」と言わせておいた使いが帰ってきて、「『今すぐ伺います。君よ、君よ』といっしゃっておいでです。侍ところにくつろいでいらっしゃいました。今、指貫をお召しでした」と言うので、「待っているbきことでもない」とて車を走らせて、土御門の方に行かせるときに、いつの間にか装束をつけたのであろうか。帯は道の途中で結んで、「しばらく、しばらく」と追い掛けてくる。◆◆



 供に、侍、雑色物はかで走るめる。「とくやれ」と、いとどいそがして、土御門に行き着きぬるにぞ、あつちまどひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひたまふ。「うつつの人の乗りたるとなむ、さらに見えぬ。なほおりて見よ」など笑ひたまへば、供なりつる人どもも興じ笑ふ。「歌はいかにか。それ聞かむ」とのたまへば、「今御前に御覧ぜさせてこそは」など言ふほどに、雨まことに降りぬ。
◆◆供として、侍や雑色が履物も履かないで走って来るようだ。「早く車をはしらせよ」と一層急がせて、土御門に行き着いてしまった時に、飛ぶように大騒ぎをしておいでになって、なにはさておいてこの車の様子を面白がって笑う。「現実の人が乗っているとは、まったく見えない。さあ降りてこれをご覧」などといってお笑いになると、供だつ人どもも面白がって笑う。「歌(ほととぎすの)はどうですか。それを聞こう」とおっしゃるので、「これから中宮さまに御覧あそばすようにおさせして、その後で」などと言ううちに、雨が本当に降り出してしまった。◆◆



 「などかこと御門のやうにあらで、この土御門しも、上もなく作りそめけむと、今日こそいとにくけれ」など言ひて、「いかで帰らむずらむ。こなたざまは、ただおくれじと思ひつるに、人目も知らず走られつるを。あう行かむ事こそいとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし。内へ」など言ふ。「それも烏帽子にてはいかでか」。「取りにやりたまへ」など言ふに、雨まめやかに降れば、笠なきをのこどもも、ただ引き入れつ。一条よりかさを持て来たるをささせて、うち見返りうち見返り、このたびはゆるゆると物憂げにて、卯の花ばかりを取りておはするもをかし。
◆◆(侍従殿が)「どうして他の御門のようにではなく、特にこの土御門に、屋根もなく初めから作ったのだろう、今日は特に憎らしい」などと言って、「どうして帰ってそれなのにもっと遠くに行くのこそは、興ざめなことだ」とおっしゃるので、「さあ、いらっしてください。宮中へ」などと言う。「それも、烏帽子ではどうしてできましょうか」。「お装束を取りに人をおやりなさいませ」などと言うときに、雨が本式に降るので、笠の無い男どもも、車を門内に引き入れてしまう。一条の邸から笠を持って来ているのをささせて、振り返り振り返り見て、今度はゆっくりと億劫そうに、卯の花だけを手に持って帰っておいでになるのもをかしい。◆◆

■あう行かむ=「奥行く」でさらに遠くへ行く

*写真は卯の花