永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1161)

2012年09月29日 | Weblog
2012. 9/29    1161

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その1

薫(大将殿)   27歳3月~秋
浮舟       22歳
中の君      27歳
明石中宮     46歳
匂宮(兵部卿の宮)28歳
夕霧       53歳

「かしこには、人々、おはせぬをもとめ騒げど、かひなし。物語の姫君の、人に盗まれたらむ朝のやうなれば、くはしくも言ひつづけず」
――翌朝、宇治の邸では、人々が浮舟のお姿が見えず大騒ぎしますが、今更何の甲斐もありません。古い物語の姫君のように、人に盗み出された朝のような有様で、ここでは詳しくは記しません――

「京より、ありし使ひの帰らずなりにしかば、おぼつかなし、とて、また人おこせたり。『まだ鳥の鳴くになむ、出だし立てさせ給へ』と使ひの言ふに、いかにきこえむ、と乳母よりはじめて、あわてまどうふこと、かぎりなし」
――京の母君の許から、昨夜宇治へやった使いが帰って来ないので気懸りだと言って、また使いを寄こしました。『ご命令で、まだ鶏が鳴いている朝早いうちに出立してまいりました』と使いが言うので、何とお返事したものかと、乳母をはじめとして皆慌て惑うこと限りもありません――

「さらに思ひやるかたなくて、ただ騒ぎあへるを、かの心知れるどちなむ、いみじくものを思ひ給へりしさまを思ひ出づるに、身を投げ給へるか、とは思ひ寄りける」
――全く思い当たる節とてなく、ここの者達は騒ぎあっていますが、ただ、事情を知っている右近と侍従は、浮舟がひどく物思いに沈んでいらしたご様子を思い出して、身投げなさったのではないかと、そこへ考えが及んでいくのでした――

「泣く泣くこの文を開けたれば、『いとおぼつかなさに、まどろまれ侍らぬけにや、今宵は夢にだに、うちとけても見えず、ものにおそはれつつ、心地も例ならずうたて侍るを、なほいとおそろしく、ものへわたらせ給はむことは近かなれど、その程ここに迎へたたえまつりてむ。今日は雨降り侍りぬべければ。』などあり」
――(右近が)泣く泣く母君からのお手紙を開けてみますと、「あなたのことがひどく気懸りで、うとうとすることもできなかったせいか、今夜は夢でさえ貴女に逢えず、何かにうなされては、気分もいつになく悪いのですが、良くないことが起きそうで、京へ移られる日も近いそうですが、それまでの間、私のところへお迎えしましょう。今日は雨が降っていますので、そのうちに」などと書かれています――

「昨夜の御返りをもあけて見て、右近いみじく泣く」
――浮舟が昨夜母君へ書かれたお返事をも開けてみて、右近ははげしく泣くのでした――

「さればよ、心細きことは聞こえ給ひけり、われに、などかいささかのたまふことのなかりけむ、幼かりし程より、つゆ心おかれたてまつることなく、塵ばかり隔てなくてならひたるに、今はかぎりの道にしも、われをおくらかし、けしきをだに見せ給はざりけるがつらきこと、と思ふに、足ずりといふをして泣くさま、若き子どものやうなり」
――やはり、そうだったのか、それであのように心細いことをおっしゃっていたのだ。どうして私に一言でも打ち明けてくださらなかったのだろう。自分は幼い時分から浮舟に隠し事をされた事などなく、ほんのちょっとの分けヘだてもなくお仕え慣れしてきたのに、これが最後の死出の道に限って、私を後に残し、そのけぶりさえお見せにならなかったとは、ほんとうにひどい!と情けなく思うと、足ずりして泣く様子が、まるで子供のようです――

◆9/30~10/8までお休みします。 では10/9に。

源氏物語を読んできて(1160)

2012年09月27日 | Weblog
2012. 9/27    1160

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その68

「寺へ人やりたる程、かへりごと書く。言はまほしきこと多かれど、つつましくてただ、(歌)『のちにまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心まどはで』」
――(浮舟は)それを持たせて寺へ使いを出した間に、母君へのお返事を書きます。申し上げたいことは数々ありますが、遠慮されて、ただ、(歌)「夢のようにはかないこの世の恩愛に惑わずに、来世でお目にかかりましょう」――

「誦経の鐘の風につけて聞え来るを、つくづくと聞き臥し給ふ。(歌)『鐘の音絶ゆるひびきに音をそへてわが世つきぬと君に伝へよ』巻数持って来たるに書きつけて、『今宵はえ帰るまじ』と言へば、ものの枝に結ひつけて置きつ」
――念仏の鐘の音が風に乗って聞こえてきますのを、しみじみと聞いて横たわっておいでになり、(歌)「鐘の音の消えてゆく余韻に私の泣く声を添えて、私の命も終わりましたと母君に伝えてください」と寺から持ち帰った報告の、読経目録にこう書き添えましたが、使いは、「今宵はもう京へは帰れません」と言いますので、木の枝に結び付けておきました――

「乳母、『あやしく心ばしりのするかな。夢もさわがし、とのたまはせたりつ。宿直人、よくさぶらへ』と言はするを、苦しと聞き臥し給へり」
――乳母が「妙に胸騒ぎがすること。夢見も悪いと母君のお手紙にもありました。宿直の者は良く気をつけるように」と言わせているのを、浮舟は折も悪いと聞きながら寝ています――

「『物聞こし召さぬ、いとあやし。御湯漬け』などよろづに言ふを、さかしがるめれど、いと醜く老いなりて、われなくば、いづくにかあらむ、と思ひやり給ふも、いとあはれなり。世の中にえあり果つまじきさまを、ほのめかして言はむ、など思すに先づおどろかされあて先だつ涙を、つつみ給ひて、ものも言はれず」
――(乳母が)「お食事をなさらないのは、まことにいけません。湯漬けなど召し上げれ」などと言うのを浮舟は聞きながら、こう気を配って世話を焼いているけれども、醜く年老いてしまったこの乳母は、私が亡くなった後、一体どこへ行くのだろうと思いやると、まことに哀れでなりません。自分がこの世に生き長らえないことを、乳母にそれとなく言ってみようかと思われますが、きっと驚いて何よりも先に涙があふれてしまうだろうと思いますと、もう何も言えません――

「右近程近く臥すとて、『かくのみものを思ほせば、もの思ふ人の魂は、あくがるなるものなれば、夢もさわがしきならむかし。いづかたと思しさだまりて、いかにもいかにもおはしまさなむ』とうち歎く。萎えたる衣を顔に押し当てて、臥し給へりとなむ」
――右近がすぐお側で寝ませていただくと言って「このように物思いばかりなさっては、物思う人の魂は、さ迷い出ると申しますから、母君の御夢見もよくないのでございますよ。匂宮なり薫の君なり、どちらかお一人にお心を決められて、後はどうでも御運にお委かせなさいませ」と溜息をついています。浮舟は着馴れた衣を顔に押し当てて、臥せっておいでになったとか――

◆巻数(かんず)=経文や陀羅尼を読誦した名目や度数を記して僧侶から願主に贈る文書

◆五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】終わり。

では9/29に。

源氏物語を読んできて(1159)

2012年09月25日 | Weblog
2012. 9/25    1159

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その67

「かの殿にも、今はのけしき見せたてまつらまほしけれど、所々に書きおきて、離れぬ御中なれば、つひに聞き合はせ給はむこと、いと憂かるべし、すべて、いかになりけむと、誰にもおぼつかなくてやみなむ、と思ひ返す」
――あの薫大将にも、今生のお別れを申し上げたいとは思いますものの、あちらこちらに書いては、近しい御間柄のこととて、お話合いなさるうちに、やがては知れ渡ってしまい、それは困る事。すべて浮舟はどうなったのだろうと、全然誰にも分からないようにして死んでしまおう、と思い直すのでした――

「京より母の御文持て来たり」
――京から、母北の方のお文を持ってきました――

 そこには、

「寝ぬる夜の夢に、いとさわがしくて見え給ひつれば、誦経所々せさせなどし侍るを、やがて、その夢ののち、寝られざりつるけにや、ただ今昼寝して侍る夢に、人の忌むといふことなむ見え給ひつれば、おどろきながら奉る。よくつつしませ給へ。…」
――昨夜の夢に、とても胸騒ぎするご様子でお見えになりましたので、御安泰祈願の読経を方々の寺に頼みましたが、その夢のあと、そのまま寝られなかったせいか、今昼寝をしていましたところ、またしても人が不吉だという夢を見ました。あなたの身に不吉が起こったと見ましたので、目が覚める早々、この手紙を差し上げます。よくよくお慎みになってください。…――

 さらに

「人離れたる御住ひにて、時々立ち寄らせ給ふ人の御ゆかりもいとおそろしく、なやましげにものせさせ給ふ折しも、夢のかかるを、よろづになむ思う給ふる。参り来まほしきを、(……)とて、その料の物、文など書き添へて持て来たり。かぎりと思ふ命の程を知らで、かく言ひ続け給へるも、いと悲しと思ふ」
――人里離れたお住いですし、時折りそちらにお通いになる御方(薫)にゆかりの尊い御方(薫の正妻の女二の宮)の御恨みも大そう恐ろしく、あなたが御病気がちな折も折、こうして悪い夢を見ましたことを、何かとご案じ申しております。そちらへお伺いしたいのですが、(少将の北の方=浮舟の異母妹)が出産後まだ安心できず、物の怪めいて患っていますので、ちょっとの間でも側を離れてはいけない、と守にきつく言われています。そちらの近くのお寺でも、読経をおさせになるように)といって、そのための布施の料や、依頼状などを書いて一緒に持ってきました。いよいよ最後の命ということも知らず、母君がこのように心に懸けて言い続けてこられるのも、大そう悲しいと浮舟は思うのでした――

では9/27に。

源氏物語を読んできて(1158)

2012年09月23日 | Weblog
2012. 9/23    1158

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その66
 
「かの、心のどかなるさまにて見む、と、行く末遠かるべきことをのたまひわたる人も、いかが思さむ、と、いとほし。憂きさまに言ひなす人もあらむこそ、思ひやりはづかしけれど、心浅く、けしからず人笑へならむを、聞かれたてまつらむよりは、など、思ひ続けて、歌『なげきわび身をば棄つともなきかげに浮名流さむことをこそ思へ』」
――(浮舟はまた一方では)あの、京へ引き取った上でのんびり逢おうと、末長く変わらぬ心を約束し続けられる薫の君も、私が死んだらどうお思いになるかしら、と思いますと、こちらも愛おしい。死後厭なうわさを言いふらす人もあろうと思うと、想像するのも恥かしいけれど、生きて居て、思慮の浅い不埒な女よ、と人の物笑いになるのを、あの方(薫)に聞かれるよりは、まだましかしら、などと思い続けながら、(歌)「悩み悶えて自殺するとしても、死後にいやな噂が広まるのが気になることよ」――

「親もいとこひしく、例はことに思ひ出でぬ兄弟の醜くやかなるも、こひし。宮の上を思ひ出できこゆるにも、すべて今ひとたびゆかしき人多かり」
――母君もひどく恋しく、日頃は思い出しもしない腹違いの兄弟姉妹たちの、醜い器量も恋しい。二条の院の宮の御方を思い出申し上げますにつけても、すべて今一度お目にかかりたい人が多いのでした――

「人は皆おのおのもの染めいそぎ、何やかやと言へど、耳にも入らず。夜となれば、人に見つけられず、出でて行くべき方を思ひ設けつつ、寝られぬままに、心地もあしく、皆違ひにたり。明けたてば、川の方を見やりつつ、羊の歩みよりも程なき心地す」
――侍女たちは引越しの準備で、染物などに熱中し、何やかやと言い合っていますが、それも耳に入らず、夜になりますと、浮舟は人も目にとまらぬよう抜け出していく道を思案しながら、眠れぬままに気分も悪く、全く正気でなくなってしまっています。夜が明けますと、宇治川の方を見やりながら、屠所に引かれていく羊の歩みよりも死に近づいているような心地になるのでした――

「宮は、いみじきことどもをのたまへり。今さらに、人や見む、と思へば、この御かへりごとをだに、思ふままにも書かず。(歌)『からをだに浮世の中にとどめずばいづこをはかと君もうらみむ』とのみ書きて出だしつ」
――匂宮は御邸に帰られてから、切切たる思いを書いて来られました。浮舟は今更お返事を書いて人に見られては大変だと思いますので、お心のままには書けず、(歌)「辛いこの世に亡骸さえ残さなかったならば、あなた様もどこを当てに私をお恨みになりましょうか」
とだけ認めて、お使いに持たせました――

では9/25に。

源氏物語を読んできて(1157)

2012年09月21日 | Weblog
2012. 9/21    1157

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その65

「夜はいたく更けゆくに、このもの咎めsる犬の声絶えず、人々追ひさけなどするに、弓ひき鳴らし、あやしき男どもの声どもして、『火あやふし』など言ふも、いと心あわただしければ、帰り給ふ程、言へばさらなり」
――夜がいよいよ更けていって、先ほどから気配を怪しんで吠える犬の声が絶えないので、供の者が追い払ったりしていますと、弓の弦を引き鳴らし、賤しい男どもの声で「火の用心」などと言うのも、まことに心あわただしく思いわれて、お帰りになる悲しさは言うに及びません――

「『いづくにか身をば棄てむと白雲のかからぬ山もなくなくぞ行く さらばはや』とて、この人をかへし給ふ。御けしきなまめかしくあはれに、夜深き露にしめりたる御香のかうばしさなど、たとへむかたなし。泣く泣くぞ帰り来たる」
――(匂宮は)「生きて甲斐のない身をどこに棄てようかと、白雲のかからぬ山はないように、私はあれやこれやと心にかかりながら、泣く泣くも帰って行くことだ。では早く帰るが良い」と仰せになって、侍従をお帰しになります。ご様子のなまめかしくあわれ深くて、夜深い露に湿ったお召し物の香の芳しさなど、譬えようもありません。侍従は泣く泣く帰って来たのでした――

「右近は、言ひ切りつる由言ひ居たるに、君はいよいよ思ひ乱るること多くて臥し給へるに、入り来てありつるさま語るに、いらへもせねど、枕のやうやう浮きぬるを、かつはいかに見るらむ、とつつまし。つとめても、あやしからむまみを思へば、無期に臥したり」
――右近は、きっぱりとお断りして匂宮をお帰しした由を浮舟に告げたのですが、浮舟はますます思い乱れて横になっておられるところへ侍従が入ってきて、先ほどのご様子をお話申し上げますが、浮舟は返事もなさらず、次第に涙で枕も浮くばかりになってきていますのを、二人は自分をどうみることかと恥かしく、翌朝も泣き腫らした目が人目にも、みっともないとも気が引けて、いつ起きるともなく寝ています――

「ものはかなげに帯などして経読む。親に先立ちなむ罪うしなひ給へ、とのみ思ふ。ありし絵を取り出でて見て、書き給ひし手つき、顔のにほひなどの、向かひきこえたらむやうに覚ゆれば、昨夜一言をだに聞こえずなりにしは、なほ今ひとへまさりて、いみじと思ふ」
――形ばかりの掛け帯をしてお経を読んでします。親に先立つ罪をお赦し下さいということばかり思っています。いつかの絵を取りだして見ては、あのときお書きになった匂宮の御手つきやお顔の美しさなどが、今も向き合っているように見えてきて、昨夜匂宮に一言もお話せずにしまったことが、今となっては一層悲しさがこみ上げて来るのでした――

では9/23に。

源氏物語を読んできて(1156)

2012年09月19日 | Weblog
2012. 9/19    1156

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その64

「髪脇より掻い越して、やうだいいとをかしき人なり。馬に乗せむとすれど、さらに聞かねば、衣の裾をとりて、立ち添ひて行く。わが沓を穿かせて、みづからは、供なる人のあやしきものを穿きたり」
――侍従は下げ髪を脇の下から前へ回して(歩きやすいように)抱え、大そう姿の良い女です。馬に乗せようとしますが、どうしても乗らないので、時方は衣の裾を持って付き添って行きます。自分の沓を履かせ、自分は供の者の粗末なのを借りて履いています――

「参りて、かくなむ、と聞こゆれば、語らひ給ふべきやうだになければ、山がつの垣根のおどろ葎の陰に、障泥というものを敷きておろしたてまつる。わが御心地にも、あやしきありさまかな、かかる道に損なわれて、はかばかしくはえあるまじき身なめり、と思し続くるに、泣き給ふことかぎりなし」
――匂宮の御前に出て、事の次第を申し上げますと、御馬の上からではお話も思うようになされませんので、いばらや荒草の生い茂った陰に、障泥(あふり)という泥よけの馬具を敷いて宮をお降ろしします。宮はご自分のお心の内でも、何と言う成り行きだろう。とんだことになってしまった。こうした浮気に身を持ち崩して、しっかりした生活はできそうにない身なのだろうか、と思い続けておられるうちに、限りなく泣かれるのでした――

「心弱き人は、ましていといみじく悲しと見たてまつる。いみじき仇を鬼につくりたりとも、おろかに見棄つまじき人の御ありさまなり」
――気の弱い侍従は、ましていっそうひどく悲しくお見上げして、たとえ恐ろしい仇敵を鬼にして向かったとしても、いい加減には見棄てられない宮のご立派さです――

「たまらひ給ひて、『ただ一言もえ聞こえさすまじきか。いかなれば、今さらにかかるぞ。なほ人々の言ひなしたるやうあるべし』とのたまふ」
――(匂宮は)しばらく泣いておられた後、『たった一言もお話申せないのだろうか。どうして今になってこうも厳重にするのだ。やはり誰かが告げ口したことがあるのだろう』とおっしゃる――

「ありさまくはしくきこえて、『やがて、さ思し召さむ日を、かねては散るまじきさまに、たばからせ給へ。かくかたじけなきことどもを、見たてまつり侍れば、身を棄てても思う給へたばかり侍らむ』ときこゆ。われも人目をいみじく思せば、ひとかたにうらみ給はむやうもなし」
――侍従は様子をくわしくお話して、「すぐに京へお迎えになります日を、前もって他に漏れないようにお計らいくださいませ。このように畏れ多いご様子を拝しましたからには、私は身を捨ててまでもお尽し申し上げる所存でございます」と申し上げます。宮ご自身も人目をひどく気にしておいでになりますので、ただ、相手を一途にお恨みになることもできないのでした――

◆障泥(あふり)というもの=馬の両脇に垂れて泥を防ぐもの

では9/21に。

源氏物語を読んできて(1000)

2012年09月17日 | Weblog
2012. 9/17    1155

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その63

「『いかなるにかあらむ、かの殿ののたまはすることありとて、宿直にある者どもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。御前にも、物をのみいみじく思しためるは、かかる御ことのかたじけなきを、思し乱るるにこそ、と、心苦しくなむ見たてまつる。さらに、今宵は、人けしき見侍りなば、なかなかにいとあしかりなむ。やがて、さも御心づかひさせせ給ひつべからむ夜、ここにも人知れず思ひ構へてなむ、聞えさすべかめる』乳母のいざときことなども語る」
――(侍従は)「いったいどうしたことでございましょうか。薫の君のご命令があったとかで、夜番の者どもが得意顔で振る舞っている最中なので、とても具合が悪いのです。姫君もひどくお心を痛めておいでらしいのは、このようにお出でくださっても、お目にかかれないままお帰し申すのを、勿体ないとお思いになって、お悩みになるのだと、おいたわしく存じます。どうも今夜は、万一訪問者のけはいを宿直どもが気づきでもしては、却って具合の悪い事になりましょう。いずれ、京へお迎えいただきます夜は、私のほうでも密かにその心構えをいたしまして、お知らせ申すことと致しましょう」と、乳母が目を覚ましやすいので、油断がならないことなども話して聞かせます――


「大夫、『おはします道の、おぼろげならず、あながちなる御けしきに、あへなく聞こえさせむなむ、たいだいしき。さらば、いざ給へ。とにもくはしく聞こえさせ給へ』といざなふ。『いとわりなからむ』と言ひしろふ程に、夜もいたく更けゆく」
――大夫時方は、「宮がこちらへいらっしゃるまでの、一通りでないご執心に対して、このような甲斐のないお返事を申し上げるのは、私にはできません。では、さあ来てください。一緒に委しくご説明してください」と誘いますが、「それはご無理というものでしょう」と言い争いをしているうちに、夜も大そう更けて行くのでした――

「宮は、御馬にてすこし遠く立ち給へるに、鄙びたる声したる犬どもの出で来てののしるも、いとおそろしく、人ずくなに、いとあやしき御ありきなれば、すずろならむものの走り出で来たらむも、いかさまに、と、さぶらふかぎり心をぞまどはしける。『なほとくとく参りなむ』と言ひさわがして、この侍従を率て参る」
――匂宮は御馬に召したまま、少し遠く離れたところにお立ちになっています。田舎びた声をした犬が出て来て吠えたてるのも、まことに恐ろしい。供人も少なく、ひどく身をやつしてのお忍び歩きですので、怪しげな者が走り出して来たらどうしようかと、お供の者は皆困惑するのでした。時方が「まあ、とにかく早く御前に参ろう」と急きたてて、この侍従を連れて時方がやってきました――

では9/19に。


源氏物語を読んできて(1154)

2012年09月15日 | Weblog
2012. 9/15    1154

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その62

「宮、かくのみ、なほうけひくけしきもなくて、かへりごとさへたえだえになるは、かの人の、あるべきさまに言ひしたためて、すこし心やすかるべき方に思ひさだまりぬるなめり、ことわり、と思すものから、いとくちをしくねたく、さりともわれをばあはれと思ひたりしものを、あひ見ぬとだえに、人々の言ひ知らする方によるならむかし、などながめ給ふに、行く方知らず、むなしき空にみちぬる心地し給へば、例の、いみじく思し立ちておはしましぬ」
――匂宮は、このように浮舟がやはり承諾する風もなく、返事さえ途絶えがちなのは、あの薫が尤もらしく説き聞かせて、多少とも無理がなさそうな方に附く決心をしたのだろう。それも当然だ、とは思うものの、口惜しく妬ましく、それにしてもあんな風に浮舟が自分を慕わしそうにしていたのに、しばらく逢わないでいるうちに、女房たちが何やかやと入れ知恵をする方に傾くのだろうよ、などと物思いに沈んでいらっしゃると、恋の思いは晴らすべくもなく空に満ちる心地がして、例のとおり一大決心をされて、宇治へ赴かれました――

「葦垣のかたを見るに、例ならず、『あれは誰そ』といふ声々、いざとげなり。立ち退きて、心知りの男を入れたれば、それをさへ問ふ。前々のけはひにも似ず。わづらはしくて、『京よりとみの御文あるなり』と言ふ」
――時方が、まず例の葦垣の方に近づいてみますと、いつになく警戒が厳重で、「誰だ」という声がして、見張りの者がすぐに目を覚ますらしい。引き返してきて、この邸の勝手知ったる下男を遣わしたところ、その男さえも詰問します。以前の様子と違って居ますのを面倒なことと思い、男は、「京の母君から急用のお手紙です」と言います――

「右近が従者の名を呼びて合いたり。いとわづらはしく、いとど覚ゆ。『さらに、今宵は不用なり。いみじくかたじけなきこと』と言はせたり」
――そして、男は右近の召使を呼んで、その人に会いました。右近はまったく厄介なことだと思い、「どうしても今宵は駄目でございます。たいそう勿体ないことに存じますが」と召使に言わせます――

「宮、などかくても離るらむ、と思すに、わりなくて、『先づ時方入りて、侍従に合ひて、さるべきさまにたばかれ』とてつかはす。かどかどしき人にて、とかく言ひ構へて、たづねて逢ひたり」
――匂宮は、なぜこう自分を遠ざけるのかとお思いになりますと、たまらなくなって、「まず、時方が入って、侍従に会って、何とかうまく取り計らえ」と仰って、お遣わしになります。時方は気の利く男なので、上手く口実をもうけて、侍従を尋ね出して会います――

では9/17に。


源氏物語を読んできて(1153)

2012年09月13日 | Weblog
2012. 9/13    1153

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その61

「さて、あるまじきさまにて、おはしたらむに、今ひとたびものをもえ聞こえず、おぼつかなくて返したてまつらむことよ、また時の間にても、いかでかここには寄せたてまつらむとする、かひなくうらみて帰り給はむさまなどを思ひやるに、例の、おもかげ離れず、堪へず悲しくて、この御文を顔におし当てて、しばしはつつめども、いといみじく泣き給ふ」
――そのようにしてお姿をやつして匂宮がお出でになりましょうが、こう守りが厳しくては、もう一度お話申し上げることもできず、お目にもかかれずにお返し申すことになりましょう。と言って、ほんの一時でも、ここにお通し申す事などどうしてできましょう。お出でになった甲斐も無いと、お恨みになりながらお帰りになるご様子を思いますと、浮舟は例によって匂宮の面影が目に浮かんできて、こらえきれず悲しいので、宮の御文を顔に押し当てて、しばらくは人目を憚っていましたものの、とうとう声をたててお泣きになるのでした――

「右近、『あが君、かかる御けしき、つひに人見たてまつりつべし。やうやう、あやしなど思ふ人侍るべかめり。かうかかづらひ思ほさで、さるべきさまに聞こえさせ給ひてよ。右近侍らば、おほけなきこともたばかり出だし侍らば、かばかりちひさき御身ひとつは、空よりゐてたつまらせ給ひなむ』といふ」
――右近が「お嬢様、匂宮との間は、いつかはきっと人が感づくに違いありません。そろそろ、怪しいと思う人も居るようでございますよ。そうくよくよなさらずに、適当にお返事を差し上げておしまいなさいませ。右近がお付き添いしておりますからには、大それた事も企みます。そうすれば、そればかりの小さいお身体一つくらい、宮様は空を飛んででもお連れ出しなさいましょうよ」と言います――

「とばかりためらひて、『かくのみ言ふことこそ心憂けれ。さもありぬべきこと、と、思ひかけばこそあらめ、あるまじきこと、と、皆思ひとるに、わりなく、かくのみ頼みたるやうにのたまへば、いかなることをし出で給はんとするにか、など思ふにつけて、身のいと心憂きなり』とて、かへりごとも聞こえ給はずなりぬ」
――浮舟は、ややしばらく涙を抑えて「お前たちは私が匂宮に従っているとばかり思ってそのように言うのが、厭なのです。道に外れていることをはっきり分かっているのに、このように、まるで私が宮の方をお頼み申し上げてでもいるように独りで決めて仰せになりますので、一体どんなことをなさることかしらと、思いますにつけても、私は本当に辛いのです」と言って、お返事も差し上げないでしまわれたのでした――

では9/15に


源氏物語を読んできて(1152)

2012年09月11日 | Weblog
2012. 9/11    1152

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その60

「むつかしき反古など破りて、おどろおどろしくひとたびにもしたためず、灯台の火に焼き、水に投げ入れさせなど、やうやう失ふ。心知らぬ御達は、ものへわたり給ふべければ、つれづれなる月日を経て、はかなくし集め給へる手習ひなどを、破り給ふなめり、と思ふ」
――(浮舟は)後あと問題になるような文殻(ふみがら)などを破って、それも人目につくように一度に仕末などはせず、少しずつ灯台の火で焼いたり、水に投げ入れさせたりして、だんだんと身の廻りを片付けています。事情を知らぬ女房たちは、薫に引きとられて京にお移りになるについては、今までのつれづれな月日の間に、何とはなしにお書き集めになったお文などを、処分していらっしゃるのだろうと思っているのでした――

「侍従などぞ、見つくる時に、『などかくはせさせ給ふ。あはれなる御中に、心とどめて書きかはし給へる文は、人にこそ見せさせ給はざらめ、ものの底に置かせ給ひて御覧ずるなむ、程々につけては、いとあはれに侍る。さばかりめでたき御紙つかひ、かたじけなき御言の葉をつくさせ給へるを、かくのみ破らせ給ふ、なさけなきこと』と言ふ」
――侍従などが、それを見つけて、「なぜ、そのような事をなさるのですか。愛し合う間柄で、念を入れてお書き交わしになった御文は、他人にこそはお見せにならないでも、手箱の奥深くにでも納めてお置きになって、折々に御覧なさいますのが、身分身分に応じて、とても身に沁む感じのものでございます。それほど結構な御料紙を持ちいられ、勿体ないお言葉の限りを尽くされたものを、こうしてお破りになるなんて、まあ、心ないこと!」と言うのでした――

「『何か、むつかしく、長かるまじき身にこそあめれ。おちとどまりて、人の御ためもいとほしからむ。さかしらにこれを取り置きけむよ、など、漏り聞き給はむこそはづかしけれ』などのたまふ」
――(浮舟は)「何の、私はどうせ厄介な長生きしそうにない身ですもの。死後にこのような文殻が残っては、あの御方(匂宮)のためにもお気の毒でしょう。生意気にもこんな物を大事にして置いたのか、などと、薫の君がお知りになあるようなことがありましては、それこそ恥かしいことです」などとおっしゃいます――

「心細きことを思ひもてゆくには、またえ思ひ立つまじきわざなりけり。親をおきて亡くなる人は、いと罪深かなるものを、など、さすがに、ほの聞きたることをも思ふ」
――心細いことをつぎつぎ思っていきますと、自分から身を失うことなどは、やはりニ度と決心しかねるのでした。親を後にしてあの世へ先立つ者は、とりわけ罪が深いというのに、などと、さすがにほのかに聞いた事を思い出しもするのでした――

「二十日あまりにもなりぬ。かの家あるじ、二十八日に下るべし。宮は、『その夜かならず迎へむ。下人などに、よくけしき見ゆまじき心づかひし給へ。こなたざまよりは、ゆめにも聞こえあるまじ。うたがひ給ふな』などのたまふ」
――三月二十日すぎにもなりました。あの家の主じ(匂宮に家を貸す約束をした受領)は、二十八日に任地に下る予定なのでした。匂宮からは、「その日の夜は必ず迎えに行く。下人などに気取られぬよう、よく注意してください。私の方からは決して漏れるようなことはない、お疑いなさるな」などと仰せられるのでした――

では9/13に。