永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1198)

2012年12月29日 | Weblog
2012. 12/29    1198

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その38

さらにつづけて。

「『女も宮を思ひきこえさせけるにや、にはかに消えうせにけるを、身投げたるなめりとてこそ、乳母などやうの人どもは、泣きまどひ侍りけれ』と聞ゆ」
――「女も宮をお慕い申し上げていましたのでしょうか、急に姿を隠してしましましたのを、身を投げたのだろうと申して、乳母などが泣き騒いでいるそうでございます」と申し上げます――


「宮も、いとあさまし、と思して、『誰かさることは言ふとよ。いといとほしく心憂きことかな。さばかりめづらかならむことは、おのづから聞えありぬべきを、大将もさやうには言はで、世の中のはかなくいみじきこと、かく宇治の宮の族の、命の短かかりけることをこそ、いみじう悲しと思ひてのたまひしか』とのたまふ」
――中宮のそれはまあ大変だとお思いになって、「誰がいったいそんなことを言うのですか。哀れな嘆かわしいことですね。それほど珍しいことならば、自然に世間の噂になりそうなものなのに、大将はそのようにはお話にならず、人の世のはかなく無情なことや、宇治の宮の一族の寿命が短いことなどを、大そう悲しいと言っていられたが…」と仰せになります――

「『いさや、下衆は、たしかならぬことをも言ひ侍るものを、と思ひ侍れど、かあしこに侍りける下童の、ただこの頃、宰相が里に出でまうできて、たしかなるやうにこそ言ひ侍れけれ。かくあやしくて亡せ給へること、人に聞かせじ、おどろおどろしく、おぞきやうなり、とて、いみじく隠しけることどもとや。さてくはしくは聞かせたてまつらににやありけむ』と聞こゆれば」
――(大納言が)「いえ、身分の低い者は、でたらめも言うものだからと、私は思いますけれど、宇治におりました下仕えの童が、つい最近、小宰相の実家にやって参りまして、それが確かな事実のように言っておりました。あのように変な死に方をされたことを人に聞かせまい、重大事件で不気味なようだというので、ひた隠しに隠されたものですとか。そんなわけで詳しくはお聞かせ申さなかったのでございましょう」と申し上げますと――

「『さらに、かかること、またまねぶな、と言はせよ。かかる筋に、御身をももてそこなひ、人に軽く心づきなきものに思はれ給ふべきなめり』といみじく思いたり」
――(中宮は)「そのようなことは決して二度と言ってはいけない、とその童に言いなさい。匂宮がこうした恋愛沙汰から、お身を過って、人々に軽々しく疎ましい風に思われたりなさることでしょう」とご心痛のご様子です――

◆またまねぶな=まねぶ=おなじことを言う=二度と同じことを言ってはいけない

◆12/30~1/7までお休みします。では1/9に。みなさまよいお年を。

源氏物語を読んできて(1197)

2012年12月27日 | Weblog
2012. 12/27    1197

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その37

「姫宮は、あなたにわたらせ給ひにけり。大宮、『大将のそなたに参りつるは』と問ひ給ふ。御供に参りたる大納言の君、『小宰相の君に、もののたまはむにこそ侍めりつれ』と聞ゆれば、『まめ人の、さすがに人に心とどめて物語するこそ、心地おくれたらむ人は苦しけれ。心の程も見ゆらむかし。小宰相などはいとうしろやすし』とのたまひて、御兄弟なれど、この君をばなほはづかしく、人も用意なくて見えざらむ、と思いたり」
――姫宮は、大宮のほうにお渡りになっていました。大宮が、「大将がそちらへ参ったのは……」とお問いになりますと、お供して参上した女房の大納言の君が、「小宰相の君に、何かお話になろうとのお積りらしゅうございました」と申し上げます。中宮が「あの生真面目な人が、さすがに女に心を寄せて話をするには、気が利かない人では困りますね。才の程度も見えるというものです。小宰相ならばまずまず安心ですね」とおっしゃいます。中宮は、大将の君とは御姉弟でいらっしゃいますが、やはり薫に対しては気づまりで、気が負けるところがおありで、女房たちにも、行き届かぬご接待はしないように(充分ご接待に気をつけて)とお思いになっています――

「『人よりは心よせ給ひて、局などに立ち寄り給ふべし。物語こまやかにし給ひて、夜更けて出でなどし給ふ折々も侍れど、例の目馴れたる筋には侍らぬにや。宮をこそ、いとなさけなくおはします、と思ひて、御いらへをだに聞えず侍るめれ。かたじけなきこと』と言ひて笑へば、宮も笑はせ給ひて、『いと見ぐるしき御さまを、思ひ知るこそをかしけれ。いかでかかる御癖を止めたてまつらむ。はづかしや、この人々も』とのたまふ」
――(侍女の大納言が)「薫大将殿は、小宰相をほかの女房より格別お気に召していらっしゃるようで、局などにもお立ちよりになるようでございます。お物語などしみじみとなさしまして、夜更けてからお帰りになることも時折りございますが、普通の人々の色恋沙汰ではございませんのでしょう。あの人は匂宮様をたいへん浮気な方でいらっしゃると思って、お返事さえさしあげないようでございます。畏れ多いことで」言って笑いますと、明石中宮もお笑いになって、「小宰相が匂宮のみっともない浮気性を見抜いているなんて、感心ですこと。何とかしてこのお癖をなくして差し上げたいものです。恥かしくてなりません。そなたたちの手前もね」とおっしゃる。

「『いとあやしきことをこそ聞き侍りしか。この大将の亡くなし給ひてし人は、宮の御二条の北の方の御おとうとなりけり。異腹なるべし。常陸の前の守なにがしが妻は、叔母とも母とも言ひ侍るなるは、いかなるにか。その女君に、宮こそ、いと忍びておはしましけれ。大将殿や聞きつけ給ひたりけむ、にはかに迎へ給はむとて、まもりめ添へなど、ことごとしくし給ひける程に、宮も、いと忍びておはしましながら、え入らせ給はず、あやしきさまに、御馬ながら立たせ給ひつつぞ、帰らせ給ひける』」
――(大納言が)「そういえば、妙な話を聞きましたのでございますよ。この間、大将殿がお亡くしになりました方は、匂宮の二条院の北の方のお妹君だそうでございます。腹違いでいらっしゃいましょう。常陸の前の守なにがしの妻が、その叔母とも母ともいう話でございますが、どうしたわけでございましょうか、その女君に、あの匂宮がごく秘密にお通いになったのでございます。大将殿がお聞きつけになったのでしょうか、急に京へお迎え取ろうとなさいまして、警護の者を付け、きびしく見張っておりましたところへ、匂宮がそっとお出でになりましたが、とうとうお入りになることがお出来になれず、みすぼらしいご様子で御馬にお乗りになったまま、お帰りになりましたそうです」――

では12/29に。


源氏物語を読んできて(1196)

2012年12月25日 | Weblog
2012. 12/25    1196

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その36

「『かれよりはいかでかは。もとよりかずまへさせ給はざらむをも、かく親しくてさぶらふべきゆかりに寄せて、思しかずまへさせ給はむこそ、うれしく侍るべけれ。ましてさも聞え馴れ給ひにけむを、今棄てさせ給はむは、からきことに侍り』と啓し給ふを、すきばみたるけしきあるか、とは、思しかけざりけり」
――(薫は)「女二の宮からは何で遠慮なさいましょう。もともと貴女様が重んじておられない女二の宮でも、こうして親しくお仕えすべき私の縁故で重んじてくださいますならば、それこそ嬉しゅうございます。まして、御所にいられた時は、あのように親しくしておいでになりましたのを、今になってお見棄てになっては、辛い事でございます」と、申し上げますのを、中宮は、好色めいた下心があってのこととは、お気づきにならない――

「立ちいでて、一夜の志の人にあはむ、ありし渡殿もなぐさめに見むかし、と思して、御前をあゆみわたりて、西ざまにおはするを、御簾のうちの人々心ことに用意す。げにいと様よくかぎりなきもてなしに、渡殿の方は、右の大殿の君たちなど居て、もの言ふけはひすれば、妻戸の前に居給ひて、」
――薫は中宮の許をお立ちいでになり、先夜歌を詠み交わした小宰相の君に逢いたいものだ、女一の宮を垣間見たあの渡殿でも、せめて慰めに見たいものとお思いになって、中宮御殿のお庭をお通りになり、西の方にお出でになりますと、御簾の内で女房達は格別に心用意をしています。薫はまことにご容姿も、御物腰もこの上ない立派さです。ここには左大臣家の公達などが居て、何やら話をしている様子なので、妻戸の前にお座りになって――

「『おほかたには参りながら、この御方の見参に入ること難く侍れば、いとおぼえなく、翁び果てにたる心地しはべるを、今よりは、と思ひおこし侍りてなむ。ありつかず、と若き人どもぞ思ふらむかし』と甥の君たちの方を見やり給ふ」
――(薫が)「普段よく参上しながら、こちらの皆様にお目にかかることはめったにありませんので、実に心にもなく年寄りじみてしまった気がいたしますのですが、今日からはと思い立ちました。私のような者が不似合いな、と若い方々がお思いになるでしょう」と、甥(夕霧の子息たち)の公達の方をご覧になります――

「『今よりならはせ給ふこそ、げに若くならせ給ふならめ』など、はかなきことを言ふ人々のけはひにも、あやしうみやびかにをかしき御方のありさまにぞある。そのこととなけれど、世の中の物語などしつつ、しめやかに、例よりは居給へり」
――(侍女が)「今からお馴染になりましたならば、ほんとうにお若くおなりでしょう」などと、
冗談めいたことを言う様子も、ここは不思議なまでに優雅な風情のあるご様子です。別に何の用事があるというのでもなく、世間話などをなさりながら、いつもよりしんみりとしておいでになります――

では12/27に。

丁子色

2012年12月23日 | Weblog
◆丁子(ちょうじ)色
丁子(ちょうじ)=丁子のつぼみを煎じた汁で染める。輸入薬草として正倉院にも残る。「香り染め」とも呼ばれ、源氏物語の光源氏が好んで着た。日本の伝統色。
丁子色は、丁子の煎汁で染め、これに少量の灰汁と鉄を加えて黄味掛かった茶色に発色させた物です。従って黄唐茶(きからちゃ)とも呼ばれ、丁子は熱帯常緑樹で、花のつぼみを乾燥させた物は香料として用いられ、古来より丁香として珍重されてきました。
貴重品とされた為“宝尽くし文様”の中に丁子は加えられています。

源氏物語を読んできて(1195)

2012年12月23日 | Weblog
2012. 12/23    1195

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その35

「その日は暮らして、またのあしたに大宮に参り給ふ。例の宮もおはしけり。丁子に深く染めたるうすものの単を、こまやかなる直衣に着給へる、いとこのましげなり。女の御みなりのめでたかりしにもおとらず、白くきよらにて、なおありしよりは面やせ給へる、いと見るかひあり」
――その日はすごして、薫は翌日の朝大宮に参上されました。ちょうど例の匂宮もお出でになっております。丁子色(ちょうじいろ)に濃く染めたうすものの単衣を、濃い直衣の下にお召しになっていらっしゃるのが、大そう好ましい。姉宮(女一の宮)のご容姿が美しかったのにも劣らず、この宮の肌が白く綺麗で、以前よりも面やつれなさっていらっしゃるのも、却って、まことに見甲斐のあるご様子です――

「おぼえ給へり、と見るにも、先づこひしきを、いとあるまじきこと、としづむるぞ、ただなりしよりは苦しき。絵をいと多く持たせて参り給へりける、女房してあなたに参らせ給ひて、われもわたらせ給ひぬ」
――薫は、匂宮が女一の宮に似ておられるとご覧になりますにつけても、女一の宮を恋しく覚えるのは、とんでもないことだと、心を鎮めるのも、女一の宮をお見かけするまでは知らなかった苦しさなのでした。匂宮は、絵をたくさん持たせておいでになりましたが、女房に女一の宮におもたせになり、ご自身もお渡りになりました――

「大将も近く参り寄り給ひて、御八講の尊く侍りしこと、いにしへの御こと、すこし聞えつつ、残りたる絵見給ふついでに、『この里にものし給ふ皇女の、雲の上離れて、思ひ屈し給へるこそいとほしう見給ふれ。姫宮の御方より、御消息も侍らぬを、かく品さだまり給へるに思し棄てさせ給へるやうに思ひて、心ゆかぬけしきのみ侍るを、かやうのもの、時々ものせさせ給はなむ。なにがしがおろして持てまからむ、はた、見るかひも侍らじかし』と聞え給へば……」
――薫も中宮の近くに伺候されて、御八講の有難かったことや、昔の御事などを少しお話申し上げ、女一の宮に差し上げられた残りの絵をご覧になるついでに、「私の家に来ておられる皇女(女二の宮)が、雲居の禁中を離れてものさびしげにしておいでになるのは、まことにお気の毒に存じます。一品の宮の御方からお便りもございませんのを、臣下の妻と身分が定まってしまわれたので姉宮がお見棄てになりましたようにお思いになったのでしょうか、いっこうに晴れ晴れとしない様子でございます。どうぞ、このような御絵なども、時々はお見せください。といって私が頂いて持ち帰りましたのでは、またご覧になる張り合いもあるまいと存じますので」と申し上げますと――

「『あやしく、などてか棄てきこえ給はむ。内裏にては、近かりしにつけて、時々聞え通ひ給ふめりしを、所々になり給ひし折に、とだえそめ給へるにこそあらめ。今そそのかしきこえむ。それよりもなどかは』と聞え給ふ」
――(中宮は)「とんでもありません。どうして女一の宮がお見棄てなどいたしましょう。女二の宮が宮中にいらっしゃった頃は、御殿がお近くもあったので、始終、お文の遣り取りをなさったようでしたが、女二の宮が貴方に嫁して、別れ別れになられた際、途絶えるようになったのではないでしょうか。早速おすすめしましょう。そちらからも、何の遠慮がいりましょう」と仰せになります――

では12/25に。


源氏物語を読んできて(1194)

2012年12月21日 | Weblog
2012. 12/21    1194

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その34

「例の、念誦し給ふ、わが御方におはしまししなどして、昼つかたわたり給へれば、のたまひつる御衣、御几帳に打ち掛けたり。『何ぞこは、たてまつらぬ。人多く見る時なむ、透きたるもの着たるはばうぞくに覚ゆる。ただ今はあへ侍なむ』とて、手づから着せたてまつり給ふ」
――(薫が)常々御念誦をなさるご自分のお部屋においでになったりして、昼ごろ、こちらへお渡りになってみますと、今朝命じて作らせたお召し物が几帳に掛けてあります。「どうしてこれをお召しにならないのですか。人が大勢います時には、透いた物をお召しになるのは不作法ですが、今ならかまいませんよ」と仰って、ご自身でお着せ申されます――

「御袴も昨日とおなじ紅なり。御髪の多さ、裾などはおとり給はねど、なほさまざまなるにや、似るべくもあらず。氷召して、人々に割らせ給ふ。取りて一つ奉りなどし給ふ、心のうちもをかし。絵に書きて、こひしき人見る人は、なくやはありける、ましてこれは、なぐさめむに似げなからぬ御程ぞかし、と思へど、昨日かやうにて、われまじり居、心にまかせて見たてまつらましかば、と覚ゆるに、心にもあらずうち歎かれぬ」
――御袴も、昨日と同じ紅です。お髪の多さ、その垂れ下がった趣きなど、姉宮(女一の宮)に負けはおとりになりませんが、やはり美しさにもいろいろあるのか、少しも似てはいらっしゃらない。氷を取り寄せて、人々にお割らせになり、その一つを取って、お渡しになりながら、昨日の真似ですので、胸のうちで、一人おかしくお思いになります。絵に描いて、恋しい人を見る人もあるではないか。ましてこの御二人は姉妹なのですから、代わりに見て心を慰めるには似つかわしい筈であるものの、昨日もこのように自分もあの中に交じって、心ゆくまで女一の宮の御姿を見ることができたなら、と思いますと、思わず溜息が洩れるのでした――

「『一品の宮に、御文は奉り給ふや』と聞え給へば、『内裏にありし時、上のさのたまひしかば聞えしかど、久しうさもあらず』とのたまふ。『ただ人にならせ給ひにたりとて、かれよりも聞えさせ給はぬにこそは、心憂かなれ。今、大宮の御前にて、うらみきこえさせ給ふ、と啓せむ』とのたまふ」
――(薫が)「一品の宮に、お文はお上げになっていらっしゃいますか」とお訊ねになりますと、
「御所に折りました頃は父帝がお勧めになりましたので差し上げましたが、ここしばらくはご無沙汰しております」とお答えになります。「あなたが普通の人の私に御降嫁されたからといって、あちらからもお寄こしにならないのでしたら、それはよくありませんね。今度大宮の御前に出て、貴女が女一の宮をお恨みしておられると申し上げましょう」とおっしゃる――

「『いかがうらみきこえむ。うたて』とのたまへば、『下衆になりにたりと、思しおとすなめり、と見れば、おどろかしきこえぬ、とこそは聞えめ』とのたまふ」
――(女二の宮が)「何でお恨みなどいたしましょう。厭でございます」とお答えになりますと、「身分が下がったからと女一の宮が軽蔑なさるように思いますので、こちらからもお便りを差し上げないのです、と申しましょう」とおっしゃる――

◆ばうぞく(放俗、凡俗)=品が悪い、不作法
◆女一の宮と女二の宮は共に帝の姫宮ですが、母君が違う異母姉妹。

では12/23に。


源氏物語を読んできて(1193)

2012年12月19日 | Weblog
2012. 12/19    1193

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その33

「この御許は、いみじきわざかな、御几帳をさへあらはに引きなしてけるよ、右の大殿の君たちならむ、うとき人はた、ここまで来べきにもあらず、ものの聞こえあらば、誰か障子は開けたりし、と、必ず出で来なむ、単も袴も、生絹なめりと見えつる人の御姿なれば、え人も聞きつけ給はぬならむかし、と思ひ困じて居り」
――この女房は、これは大変なことをしてしまった。御几帳さえ、奥が見通せるように立てて置いたままだった、夕霧のご子息たちだろうか、御縁のない人が、こんなところまで来る筈がない、これが知れたら、誰が襖を開けたのかと、必ず詮議立てになるだろう、単衣も袴も生絹(すずし)らしく見えたお姿だったから、誰も衣ずれの音を聞きつけはなさらなかったのだろうと思いながら、すっかり困り果てています――

「かの人は、やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな、そのかみ世をそむきなましかば、今は深き山に住み果てて、かく心乱らましや、など思しつづくるも、安からず。などて年ごろ見たてまつらばや、と思ひつらむ、なかなか苦しう、かひなかるべきわざにこそ、と思ふ」
――かの人(薫)は、ようやく自分も道心が固まってきたものを、大君(おおいぎみ)のことで一度道を踏み迷ってしまってからこの方、さまざまな物思いをする身になってしまったことだ。
大君が亡くなったときに出家していたならば、今は深い山に住みついて、このようなことで心を乱すことはなかったろうに、と、心が落ち着かない。どうして女一の宮を長年お見上げしたいと思っていたのだろう、拝したところで却って苦しく、今更何の甲斐もないのに、とお考えになるのでした――

「つとめて、起き給へる女宮の御容貌、いとをかしげなめるは、これより必ずまさるべきことかは、と見えながら、さらに似給はずこそありけれ、あさましきまであてにかをり、えも言はざりし御さまかな、かたへは思ひなしか、折からか、と思して、『いと暑しや。これより薄き御衣たてまつれ。女は例ならぬもの着たるこそ、時々につけてをかしけれ』とて、『あなたに参りて、大弐に、うすものの単衣の御衣、縫いて参れと言へ』とのたまふ」
――その翌朝、お目覚めになられた妻(女二の宮)のお顔かたちが、たいそう美しくいらっしゃるので、この方より女一の宮が必ずしもご立派であるとは限らないと、薫は思っていましたが、
どうして、あちらの方は似てもおられず、驚くほど上品でお美しく、何とも言えないご様子だったなあ、それは時と場所柄のせいかとお思いになって、「ひどく暑い日ですね。これよりも薄いお召し物を召される方がよいでしょう。女は目先の変わった物を着るのが、その時々につけて風情があるものです」とおっしゃって、「母上(女三宮=薫の母)のところへ参って、大弐のおもとに、羅(うすもの)の単衣の御衣を仕立てて参るように申せ」とお言い付けになります――

「御前なる人は、この御容貌のいみじき盛りにおはしますを、もてはやしきこえ給ふ、と、をかしう思へり」
――お前の女房達は、女二の宮の御容姿が、今を盛りにお美しいのを、殿が賞美申されていらっしゃるのだと、うれしく思うのでした――

では12/21に。

源氏物語を読んできて(1192)

2012年12月17日 | Weblog
2012. 12/17    1192

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その32

「御前なる人は、まことに土などの心地ぞするを、思ひしづめて見れば、黄なる生絹の単、薄色なる裳着たる人の、扇うちつかひたるなど、用意あらむはや、と、ふと見えて、『なかなか、ものあつかひに、いと苦しげなり。たださながら見給へかし』とて、笑ひたるまみ、愛敬づきたり。声聞くにぞ、この志の人とは知りぬる」
――姫君のお側にいる女房は、実に土くれか何かのような感じがするけれども、(薫は)お心を鎮めてじっとご覧になりますと、黄色い生絹(すずし)の単衣に、薄紫の裳を着た人が、扇を手馴らしている様子など、いかにも嗜み深く見えますのが、「割るのに骨が折れて、かえって暑苦しそうですね。そのままで割らずに見ていらっしゃいよ」といって笑っている目もとに愛敬があります。その声に、ああ小宰相だなとお分かりになりました――

「心強く割りて、手ごとに持たり。頭にうち置き、胸にさし当てなど、さまあしうする人もあるべし。こと人は、紙につつみて、御前にもかくて参らせたれど、いとうつくしき御手をさしやり給ひて、のごはせ給ふ。『いな、持たらじ。雫むつかし』とのたまふ、御声いとほのかに聞くも、かぎりなくうれし」
――女房達は無理に氷を割って、一人ずつ手に持っています。頭にのせたり胸に当ててみたり、はしたない様子の人もいます。他の人(小宰相)は、紙に包んで姫宮(女一の宮)にもそのようにしてさし上げましたが、姫宮はたいそう愛らしい手をさしのべられて、女房達に氷でお拭かせになって、「いえ、持つのはやめましょう、雫がこまるわ」と仰るお声をかすかに聞くにつけても、大将はかぎりもなく嬉しい――

「まだいとちひさくおはしましし程に、われも、ものの心も知らで見たてまつりし時、めでたの児の御さまや、と見たてまつりし、そののち、たえてこの御けはひをだに聞かざりつるものを、いかなる神仏の、かかる折を見せ給へるならむ、例の安からずもの思はせむ、とするにやあらむ、と、かつはしづ心なくて、まもり立ちたるほどに」
――(薫はお心の中で)女一の宮がまだほんの御幼少の時分に、自分も分別つかずにお見上げして、何とお美しい姫宮かと思いましたが、その後まったくご様子さえ見聞き出来なかったのに、どのような神や仏がこうした機会をお与えに下さったのであろう、例によって私に恋の悩みをさせようとのつもりだろうか、などと、一方では胸をときめかせて見守りながら佇んでいる時――

「こなたの対の北面に涼みける下女房の、この障子は、とみのことにて、あけながら下りにけるを思ひ出でて、人もこそ見つけて騒がるれ、と思ひければ、まどひ入る。この直衣姿を見つくるに、誰ならむ、と心騒ぎて、おのがさま見えむことも知らず、簀子よりただ来に来れば、ふと立ち去りて、誰とも見えじ、すきずきしきやうなり、と思ひて隠れ給ひぬ」
――薫のいらっしゃる対の屋の北廂に涼んでいました下級の女房が、この障子を急ぎのために開け放したまま退がって来たことを思い出して、人が見つけて騒がれては大変だと思ったので、慌てて戻って入ってきました。そして、この方の直衣姿を見つけて、誰であろうかと驚き、自分の姿を他人に見られることも気に止めず、簀子を真っ直ぐに走って来るので、薫は素早く立ち去って、誰とも分からぬようにしよう、何やら好色めいているとお思いになって隠れるのでした――

では12/19に。

源氏物語を読んできて(1191)

2012年12月15日 | Weblog
2012. 12/15    1191

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その31

「五日といふ朝座に果てて、御堂の飾り取り除け、御しつらひ改むるに、北の廂も、障子ども放ちたりしかば、皆入り立ちてつくろふ程、西の渡殿に姫君おはしましけり。もの聞き困うじて、女房もおのおの局にありつつ、御前はいと人少ななる夕暮に、大将殿直衣着かへて、今日まかづる僧の中に、必ずのたまふべきことあるにより、釣殿の方におはしたるに、皆まかでぬれば、池の方にすずみ給ひて、人少ななるに、かくいふ宰相の君など、かりそめに几帳などばかりへだてて、うちやすむ上局にしたり」
――五日目の朝の講座に結願となり、御堂のお飾りを取り除けたり、お部屋の模様替えをするために、寝殿の北の廂の間も障子が取り払ってありましたので、人々が立ち入って部屋を整えている間、姫君(女一の宮)が西の渡殿においでになりました。女房達も八講の聴聞に疲れて、めいめい局で休息しており、その姫君のお側にはお仕えする人も少ない夕暮でした。薫は直衣に着替えて、今日退出する僧侶の中に、ぜひ話をしなければならなぬ者がいるので、釣殿の方にお出でになったのですが、皆もう退出してしまった後なので、池の方で涼んでおいでになります。そこは人も少なく、あの小宰相などがほんの形ばかり几帳を間仕切りにして休息に当てる、上局に設えてありました――

「ここにやあらむ、人の衣の音す、と思して、馬道の方の障子の細くあきたるより、やをら見給へば、例さやうの人の居たるけはひには似ず、はればれしくしつらひたれば、なかなか、几帳どもの立ちちがへたるあはひより見通されて、あらはなり」
――(薫は)小宰相の君はここに居るのかな、誰かの衣ずれの音がするとお思いになって、馬道(めどう)の方の障子の細目に開いてあるところから、そっと覗いてご覧になりますと、いつものような小宰相などが居る時とは違って、さっぱりと辺りが取り片付けてありますので、却って、几帳などの立て違えてある間から見通しがきいて、すっかり奥の方まで顕わになっています――

「氷をものの蓋に置きて割るとて、もて騒ぐ、人々、大人三人ばかり、童と居たり。唐衣も汗袗も着ず、皆打ち解けたれば、御前とは見給はぬに、白きうすものの御衣着給へる人の、手に氷を持ちながら、かくあらそふをすこし笑み給へる、御顔いはむかたなくうつくしげなり」
――氷を何かの蓋の上に載せて割るのだと言って騒いでいる人々は、女房三人ばかりと童で、唐衣(からころも)も汗袗(かざみ)も着けないで、皆くつろいで様子です。薫はその様子にまさか姫君(女一の宮)の御前とはお思いにならなかったのですが、白い羅(うすもの)の御衣にお着替えになった御方が、手に氷をお持ちのまま、皆の騒いでいるのをほほ笑みながら見ていらっしゃる。その御顔が言いようもなくお美しい――

「いと暑さの堪へがたき日なれば、こちたき御髪の、苦しう思さるるにやあらむ、すこしこなたに靡かして弾かれたる程、たとへむものなし。こころよき人を見集むれど、似るべくもあらざりけり、と覚ゆ」
――たいそう暑く堪え難いですので、ふさふさとゆたかな御髪が鬱陶しいのでしょう、少しこちらに片寄せて靡かせていらっしゃるご様子は、たとえようもなくお美しい。今まで随分美しい人を見てきたが、誰もこの方に似通った人は居そうもないと、薫は思っていらっしゃる――

◆上局(うえつぼね)=御前に伺候した場合の局(つぼね)

◆馬道(めどう)の方=殿内に設けてある土間の通路

では12/17に。

源氏物語を読んできて(1190)

2012年12月13日 | Weblog
2012. 12/13    1190

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その30

「かくもの思したるも見知りければ、忍びあまりて聞こえたり。『あはれ知る心は人におくれねど数ならぬ身にきえつつぞ経る。かへたらば』とゆゑある紙に書きたり。ものあはれなる夕暮、しめやかなる程を、いとよくおしはかりて言ひたるも、憎からず」
――(小宰相は)薫が浮舟のことで悲嘆にくれていらっしゃるのを察して、忍びきれなくなって、歌を差し上げます。「貴方にご同情申す気持ちは他人に負けませんが、つまらぬ自分を思って、殊更引き込んでご挨拶もせずに過ごしております。わたしが代わりに死にましたらよかったのに」と趣きのある紙に書いてあります。何となくものあわれな夕暮のしめやかな頃合いを、巧みに見計らって届けてきたのも気が利いている――

「『つねなしとここら世を見る憂き身だに人の知るまで歎きやはする』このよろこび、『あはれなりし折からも、いとどなむ』など言ひに立ち寄り給へり」
――(薫は返歌に)「世は無情なものと、いろいろな経験から痛感している私でも、人が察する程は歎かぬつもりでしたのに、(あなたはよく気がついてくださった)」お便りを頂いた嬉しさは、慰めがたく過ごしていた折からひとしおでした」などと語り合おうと思って、小宰相の許にお立ちよりになりました――

「なべて、かやうになどもならし給はぬ、人柄もやむごとなきに、いとものはかなき住ひなりかし、局など言ひて、せばく程なき遣り戸口より居給へる、かたはらいたく覚ゆれど、さすがにあまり卑下してもあらで、いとよき程にものなども聞ゆ」
――薫のご様子は、こちらが恥かしくなる程重々しいお方で、常にはこのような女房の局に出入りなさらぬ高貴なお人柄ですのに、おいでになってみますと、これはまあ、なんとささやかな住いであろうか。遣り戸口も狭く、薫が、ちょっとしたところに寄りかかっておいでになるのはお気の毒なようでもありますが、小宰相はさすがにそう卑下する様子もなく、お相手申し上げます――

「見し人よりも、これは心にくきけ添ひてもあるかな、などてかく出で立ちけむ、さるものにて、われも置いたらましものを、と思す。人知れぬすぢは、かけても見せ給はず」
――(薫はお心の中で)あの浮舟よりも小宰相の方が奥ゆかしい感じがするものだ。どのような理由で宮仕えになど出たのだろう。自分の愛人という風にして囲って置きたいものだ、と思っていらっしゃる。しかし薫は小宰相との関係を、全く他人にはお見せにならない――

「蓮の花の盛りに、御八講せらる。六条の院の御ため、紫の上など、皆思し分けつつ、御経仏など供養ぜさせ給ひて、いかめしく尊くなむありける。五巻の日などは、いみじき見ものなりければ、こなたかなたに、女房つきつつ参りて、もの見る人多かりけり」
――(明石中宮が)蓮の花の盛りの頃に、法華八講を催されました。故六条の院(源氏)の御ため、紫の上の御ためになどと、それぞれにお分けになって、お経や仏の供養をおさせになり、厳かに尊い御供養でした。三日目の五巻の日などは、大そう立派な催しですので、あちこちから女房の縁故を頼って参上し、拝観する人が多いのでした――

◆御八講(みはっこう)=法華八講=法華経八巻を四日に分け、朝座、夕座に一巻づつ読誦する。五巻の日は、その三日目

では12/15に。