永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1186)

2012年11月29日 | Weblog
2012. 11/29    1186

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その26

 御文には、

「『いみじきことに死なれ侍らぬ命を、心憂く思う給へ歎き侍るに、かかる仰せ言見侍るべかりけるにや、となむ。年ごろは、心細きありさまを見給へながら、それは数ならぬ身のおこたりに思う給へなしつつ、かたじけなき御一言を、行く末長く頼みきこえさせ侍りしに、いふかひなく見給へ果てては、里の契りもいと心憂く悲しくなむ。さまざまにうれしき仰せ言に命延び侍りて、今しばしながらへ侍らば、なほ頼み聞こえさせ侍るべきにこそ、と思ひ給ふるにつけても、目の前の涙にくれ侍りて、え聞こえさせやらずなむ』など書きたり」
――「ひどく悲しい目に遭いましても死なれずにいる命を、辛いと歎いておりますのに、それもこうした有難い御言葉を拝するためであったのでしょうかと存ぜられまして。長年、浮舟の心細い生活を見ながらも、それは母の私が取るに足りぬ身のせいだと解しましては、京へとおっしゃる貴方様の勿体ないお約束を、長い将来までもとお頼り申しておりましたのに。むなしく死なせてしまいました今は、あの山里の名にまつわる「憂し」の因縁も大そう辛く悲しうございます。もうしばらく生き長らえますならば、更に子供たちの事もお頼み申すことができるのだと思いますにつけましても、今は目の前の出来ごとに涙が溢れて、何ごとも申し上げることができません」などと書くのでした――

「御使ひに、なべての禄などは見ぐるしき程なり、飽かぬ心地もすべければ、かの君に、奉らむと志して持たりける、よき斑犀の帯、太刀のをかしきなどを袋に入れて、車に乗る程、『これは昔の人の御志なり』とて、贈らせてけり」
――お使いに、並み一通りの贈り物を差し上げるのは相応しくない折でもあり、そうかと言って、何もしないのも物足りなく思い、いつか薫に献上するつもりで用意していました立派な斑犀の帯と見事な太刀などを袋に入れて、お使いが車に乗ろうとするときに、「これは亡き人のお志です」と、人を以て使者の仲信に贈らせました――

「殿に御覧ぜさすれば、『いとすずろなるわざかな』とのたまふ。言葉には、『みづから会い侍りたうびて、いみじく泣く泣くよろづのことのたまひて、《幼な者どものことまで仰せられたるが、いともかしこきに、まだ数ならぬ程は、なかなかいとはづかしうなむ。人に何ゆゑなどは知らせ侍らで、あやしきさまどもをも皆参らせ侍りて、さぶらはせむ》となむものし侍りつる』と聞こゆ」
――(使いが戻って)薫大将殿に御覧にいれますと、「まことに考えのないことをしたものだな」とおっしゃいます。口上の言葉としては、「母君自身わたしに対面なされまして、ひどくお泣きになりながら、いろいろおっしゃいました。『殿が子供達のことまで仰ってくださったのは、大変畏れ多いことでございますが、まだ取るに足らぬ身分の間は、却って気が引けます。世間の人にはどういう縁故でとは知らせませんで、見ぐるしい者もみな参上させて、御奉公させていただきます』とのことでございます」と申し上げます――

「げにことなることなきゆかりむつびにぞあるべけれど、帝にも、さばかりの人の女奉らずやはある、それに、さるべきにて、時めかし思さむをば、人のそしるべきことかは、ただ人はた、あやしき女、世に旧りにたるなどを持ち居るたぐひ多かり、かの守の女なりけりと、人の言ひなさむにも、わがもてなしの、それにけがるべくありそめたらばこそあらめ、一人の子をいたずらになして思ふらむ親の心に、なほこのゆかりこそ面だたしかりけれ、と思ひ知るばかり、用意は必ず見すべきこと、と思す」
――(薫はお心の中で)実際、あまり感心しない親戚付き合いというものだが、御所にも常陸の介風情の人の娘を差し上げないこともあるまい。その上前世の因縁で帝がその娘を寵愛されたところで、人があれこれ非難すべきではない。普通人にしても、身分の低い女や、他に一度嫁いだ女を妻とする例は多い。自分の場合には、浮舟が常陸の介の娘なのだと人が噂したところで、それを本妻にしなかった自分のやり方が、身分に疵でもつくというならともかく、一人の娘を死なせて歎いている母親の心に、やはりその娘の縁で面目をほどこしたのだと納得する程に、必ず配慮はしてやるものだ。そう思うのでした――

◆斑犀(はんさい)の帯=斑紋のある犀角を鎮めた石帯。四位五位の常用で、公卿は諒闇に持ちいる

◆11/30~12/6までお休みします。では12/7に。

源氏物語を読んできて(1185)

2012年11月27日 | Weblog
2012. 11/27    1185

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その25

「かの母君は、京に子生むべき女のことにより、つつしみ騒げば、例の家にもえ行かず、すずろなる旅居のみして、思ひなぐさむ折もなきに、またこれもいかならむ、と思へど、たひらかに産みてけり。ゆゆしければえ寄らず、残りの人々の上も覚えず、ほれまどひて過ぐすに、大将殿より御使ひ忍びてあり。もの覚えぬ心地にも、いとうれしくあはれなり」
――かの母君は、京の常陸の介邸で次女が出産に、死人の穢れを厭がってやかましく言うので、その方へ行くことも出来ず、仮の宿に泊まってばかりいて、心を慰める折とてもなく、またこちらもいかがかと案じていましたが、お産は無事でした。母は死者の穢れが不吉ですので産婦のところへも行けず、他の家族のことを考えるゆとりもなく、ぼんやりと日を送っておりますと、薫大将から、密かにお使いが来ました。呆然としていた母君の心地の中にも、嬉しくも有り悲しくもあるのでした――

 御文には、

「『あさましきことは、先づ聞こえむ、と思う給へしを、心ものどまらず、目もくらき心地して、まいていかなる闇にかまどはれ給ふらむ、と、その程を過ぐしつるに、はかなくて日ごろも経にけることをなむ。世の常なさも、いとど思ひのどめむかたなくのみ侍るを、おもひのほかにもながらへば、過ぎにしなごりとは、必ずさるべきことにもたづね給へ』などこまかに書き給ひて、御使ひには、かの大蔵の大夫をぞ賜へりける」
――「とんでもないこの度の事(浮舟の逝去)については、真っ先にお見舞いしようと思いましたが、心も落ち着かず、ぼおっとして過ごすうちに、まして親御のお心の内は、どんなに子故の闇に歎いておられるでしょうと思い、しばらく時を経てからと思いますうちに、取りとめもなく日数を重ねてしまいました。人の世の無常もいっそう諦めがたく思われますが、もしも私が、思いの外に歎き死にもせず生き長らえておりますならば、亡き人のよすがと思って、必ず何かの折にでもお尋ねください」などと、細々とお書きになって、お使いとしてあの大蔵の大夫(仲信)をお遣わしになりました――

 そして、

「『心のどかによろづを思ひつつ、年ごろにさへなりにける程、必ずしも志あるやうには見給はざりけむ。されど今より後、何ごとにつけても、必ず忘れきこえじ。またさやうにを人知れず思ひおき給へ。をさなき人どももあなるを、朝廷に仕うまるらむにも、必ず後見思ふべくなむ』など、言葉にものたまへり」
――「何事ものんびりと構えては幾年もたってしまいましたので、あなたは私が必ずしも誠意があるとばかりは御覧にならなかったでしょう。しかしこれからは何事につけても、必ず忘れはしません。そちらでもそのように心覚えなさっていてください。幼いお子たちもおありのこと、任官される折には、必ずお世話するつもりですよ」などと、口上でも仰せになります――

「いたくしも忌むまじきけがらひなれば、『深うも触れ侍らず』など言ひなして、せめて呼びすゑたり。御かへり泣く泣く書く」
――ことさら厳重に慎まなくてもよい穢れですので、母君は「大して穢れに触れていませんから」と言って、無理に引きとめるのでした。そして泣きながらお返事を書きます――

では11/29に。


源氏物語を読んできて(1184)

2012年11月27日 | Weblog
2012. 11/25    1184

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その24

「けがらひということはあるまじけれど、御供の人目もあれば、のぼり給はで、御車の榻を召して、妻戸の前にぞ居給へりけるも、見苦しければ、いと繁き木の下に、苔を御座にて、とばかり居給へり。今はここを来て見むことも心憂かるべし、とのみ、見ぐらし給ひて、『われもまた憂きふる里を荒れはてばたれやどり木のかげをしのばむ』…」
――浮舟がこの家で死んだのではないので、穢れということはないのですが、御供の手前もあって、薫は屋内にはお入りにはならず、お車の榻(しじ)を取り寄せて、妻戸の前に腰掛けておいでになりますのが、いかにも見苦しいので、こんもりと繁った木の下に、苔を敷き物にして、しばらくおいでになりました。これからは、ここに来て見る事さえも気が進まない心地がすれであろうと、周りをごらんになって、(歌)「自分までがこの侘しい故旧の地を問わなくなったならば、誰が一体この邸に昔を偲ぶであろう」…――

「向いに山寺の阿闇梨は、今は律師なりけり。召して、この法事のこと掟てさせ給ふ。念仏僧の数添へなどせさせ給ふ。罪いと深かなるわざと思せば、軽むべきことをぞすべき、七日々々に経仏供養ずべき由など、こまかにのたまひて、いと暗うなりぬるに帰り給ふも、あらましかば、今宵帰らましやは、とのみなむ」
――昔の阿闇梨は、今は律師になっていました。お召し寄せになって、この法事のことをお命じになります。念仏僧の数を増やしたりなどもおさせになりました。自殺は罪障が大そう深いようにお思いになりますので、その罪が軽くするように、七日七日に経と仏を供養することなど、細々と仰せつけて置いて、大そう暗くなってからお帰りになりますにつけても、もし生きていたならば、今宵このまま帰ることもないであろうに、などと、そのようなことばかりが思われます――

「尼君に消息せさせ給へれど、『いともいともゆゆしき身をのみ思ひ給へ沈みて、いとどものも思う給へられず、耄れ侍りてなむ、うつぶし臥して侍る』と聞こえて、出で来ねば、しひても立ち寄り給はず」
――弁の尼君に挨拶をおさせになりましたが、「何とも考えられませんで、ただぼうっといたしまして、寝込んでおります」と申し上げて出ても来ませんので、強いてお寄りにまりません――

「道すがら、とく迎へ取り給はずなりにけることくやしく、水の音の聞ゆるかぎりは、心のみ騒ぎ給ひて、骸をだにたづねず、あさましてもやみぬるかな、いかなるさまにて、いづれの底のうつせにまじりけむ、など、やるかたなく思す」
――(薫は)帰る道々にも、早く浮舟を京へ迎え取ってしまわれなかったことが悔まれて、宇治川の水音が聞こえる間中、あれこれと思い乱れ、亡きがらさえも捜し出せないとは、何と情けない事か、いったいどんな有様で、どこの水底の貝殻に混じったことか、などと、どうしようもない気持ちでいらっしゃる――

◆御車の榻(しじ)=参考図=轅をささえる物でもあり、乗り降りのときの踏み台にもする。
 一番手前の台。

では、11/27に。


源氏物語を読んできて(1183)

2012年11月23日 | Weblog
2012. 11/23    1183

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その23

「たしかにこそは聞き給ひてけれ、と、いといとほしくて、『いと心憂きこと聞し召しけるにこそは侍るなれ。右近もさぶらはぬ折は侍らぬものを』とながめやすらひて、『おのづから聞し召しけむ。この宮の上の御方に、忍びてわたらせ給へりしを、あさましく思ひかけぬ程に、入りおはしましたりしかど、いみじきことを、聞こえさせ侍りて、出でさせ給ひにき。それにおぢ給ひて、かのあやしく侍りしところにはわたらせ給へりしなり…』」
――(右近は心の中で)薫大将はあの秘密をすっかり聞いておいでなのだ、と大そうお気の毒で、「自然にお耳にも入りましたことと存じます。あの宮の上(中の君)の御許に、お忍びで身を寄せていらっしゃいました頃、呆れましたことに、思いもかけぬ時に宮が入って来られましたが、その折は手厳しく申し上げて、お出になって頂きました。それで姫君(浮舟)も怖がっておしまいになり、ご承知の見ぐるしい家にお移りになったのです…」――

「『そののち、音にも聞こえじ、と思してやみにしを、いかでか聞かせ給ひけむ、ただこの二月ばかりより、おとづれきこえさせ給ひし。御文はいとたびたび侍めりしかど、御覧じ入るることも侍らざりき。いとかたじけなく、なかなかうたてあるやうになどぞ、右近など聞えさせしかば、一たび二たびや聞えさせ給ひけむ。それよりほかのことは見給へず』と聞えさす」
――(右近は続けて)「その後、風の便りにも宮のお耳には入れまいとしていらっしゃいましたのを、どうしてお聞き出されたものか、ついこの二月ごろからご消息があるようになりました。御文が度々ございましたが、姫君は御覧になることもございませんでした。それでは宮様には畏れ多いことで、かえって失礼になりましょう、と私(右近)が申し上げましたので、一度や二度はお返事なさったこともございましたでしょう。その他のことは存じません」と申し上げます――

「かうぞ言はむかし、しひて問はむもいとほしくて、つくづくとうちながめつつ、宮をめづらしくあはれと思ひきこえても、わが方をさすがにおろかには思はざりける程に、いとあきらむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにて、かく思ひ寄るなりけむかし、わがここにさし放ち据ゑざらましかば、いみじく憂き世に経とも、いかでか、必ず深き谷をももとめ出でまし、と、いみじう憂き水の契りかな、と、この川のうとましう思さるることいと深し」
――右近としては、こう言うに決まっているし、それを無理に問い詰めるのも気の毒で、薫は一人つくづくと思いにふけっておられます。浮舟が匂宮を好ましく慕わしいとお思い申しながら、さすがに私の方を疎かには考えられなかったので、どう判断してよいか分からなくなって、あの弱々しい心から、丁度この水のほとりに住んでいたのを幸いに、身を投げようと思いついたのであろう。自分がここに置き捨てておかなかったならば、どんなに辛い暮らしであっても、まさか深い谷などには飛び入ったりしなかったであろうに、と思えば、よくよく水に悪い縁があるのだなあ、と、この川をたまらなく疎ましくお思いになります――

「年ごろあはれと思ひそめたりし方にて、荒き山路を行きかへりしも、今はまた心憂くて、この里の名をだにえ聞くまじき心地し給ふ」
――この年月、恋しいと思いつづけたのに惹かれて、荒く険しい山路を行き来したものの、今は改めてたまらなく思われて、宇治というこの里の名を聞くさえ、「世を憂し」と堪え難くお思いになるのでした――

「宮の上ののたまひはじめし、人形とつけそめたりしさへゆゆしう、ただわがあやまちに失ひつる人なり、と、思ひもて行くには、母のなほ軽びたる程にて、のちの後見もいとあやしく、ことそぎてしなしたるなめり、と、心ゆかず思ひつるを、くはしう聞き給ふになむ、いかに思ふらむ、さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることは必ずしもえ知らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふらむかし、など、よろづにいとほしく思す」
――宮の上(中の君)が、最初に大君の人形(ひとがた)とつけて紹介されたことさえ不吉な気がして(祓いの人形は水に流す)、ただ薫自身の過失から死なせたのだと考えて行くにつれて、浮舟の母が、やはり軽い身分から、死後の供養もごく粗末にしたのではないかと思っていたが、詳しい事情を聞いてみると、母はどんな気持ちだったろう。あの位の身分の者の子としては、たいそう優れた人であったのに、匂宮との秘密は知らずに、自分との関係で何かが起こったのであろうかと思っているかも知れない、などといろいろと不憫にお思いになります――

では11/25に。

源氏物語を読んできて(1182)

2012年11月21日 | Weblog
2012. 11/21    1182

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その22
 
「『その御本意かなふべきさまに、承ることどもも侍りしに、かくてさぶらふ人どもも、うれしきことに思ひ給へいそぎ、かの筑波山も、からうじて心ゆきたるけしきにて、わたらせ給はむことをいとなみ思ひ給へしに、心得ぬ御消息侍りけるに、この宿直など仕うまつる者どもも、女房達らうがはしかなり、など、戒め仰せらるることなど申して、ものの心得ずあらあらしき田舎人どもの、あやしきさまにとりなしきこゆることども侍りしを…』」
――(右近はつづけて)「そのお望みが叶いそうに貴方様から承ることもございましたので、お仕えする私どもも、喜ばしいことに存じてご準備申し上げ、あの母君もようやく思いが通ったご様子で、京へお移りになるご用意を急いでいらしたのでございます。そのような折に、あの納得のいかない御文を殿から頂きました上に、ここの宿直を承っている者どもも、女房達がだらしがないそうだなどと、ご注意があったなどと申して、礼儀も心得ない荒々しい田舎者どもが、何か間違いでもあったかのように、妙なお取り扱いをすることがございました。…」――

「『その後久しう御消息なども侍らざりしに、《心憂き身なり、とのみ、いはけなかりし程より思ひ知るを、人数にいかで見なさむ、とよろづにあつかひ給ふ母君の、なかなかなることの、人わらはれになりはてば、いかに思ひ歎かれむ》など、おもむけてなむ、常に歎き給ひし。そのすじよりほかに、何ごとをか、と思ひ給へ寄るに、堪え侍らずなむ。鬼などの隠しきこゆとも、いささか残るところも侍るなるものを』とて、なくさまもいみじければ、いかなるかことにか、と、まぎれつる御心も失せて、せきあへ給はず」

 ――(右近は続けて)「その後、また長い間、殿の御文もございませんでしたので、姫君は、『自分は不運な身だと、ただもう幼い頃からよく知っているものの、何とかして一人前の仕合せをと世話をなさる母君に対して、なまじ薫の君に愛されたことが、結局物笑いの種になったなら、どんなにお嘆きになるかしら』と、そればかりお考えになって、始終歎いておいでになりました。その他には、何一つ思い当たることはございません。鬼などがお隠しするとしましても、何かしら跡を残して行くものでございましょうに」と言って、泣く様子もひどく悲しそうですので、薫の君は、どうしたことかと疑っておいでになった心も失せて、涙のとどめようもありません――

「『われは心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、いま近くて、人の心おくまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と、思ひのどめつつ過ぐしつるを、おろかに見なし給ひけむこそ、なかなかわくる方ありける、と覚ゆれ。今はかくだに言はじ、と思へど、また人の聞かばこそあらめ、宮の御ことよ、いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、いとかたはに、人の心をまどはし給ふ宮なれば、常にあひ見たてまつらぬ歎きに、身をも失ひ給へる、となむ思ふ。なほ言へ。われには、さらに隠しそ』とのたまへば…」
――(薫が)「私は自分で自分の身が自由にならず、何ごとも世間に知られてしまう身分なので、浮舟が気懸りでならないときも、そのうち近くに引きとって、隔てなどないように、人目にも良い風に世話をして、将来長く暮らしたいものだと、心を落ち着けては過ごしてきたのに、浮舟の方が私をいい加減な心とお思いになったのは、それこそ水臭いお気持があったのではないか。今となってはもうこんなことは口にすまいと思うが、他の者が聞いていないから言おう。あの匂宮のことだよ。いったいいつから始まったのかね。何しろ驚くほど女の心を迷わせておしまいになる宮のことではあるし、あるいはそういうことから(浮舟が思うように匂宮にお目にかかれない歎き)身を亡きものにされたのではないかと思う。もっと詳しく言ってもらいたい。私には何事も隠すな」とおっしゃるので…――


◆(女房達)らうがはしかなり=らうがはし(乱がはし=混乱している、散らかっている)=女房達の風紀が乱れている

◆顕証(けそう)なるさま=はっきりしたこと。あらわなこと。

では11/23に。



源氏物語を読んできて(1181)

2012年11月19日 | Weblog
2012. 11/19    1181

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その21

「尼君なども、けしきは見てければ、つひに聞き合せ給はむを、なかなか隠しても、こと違ひて聞えむに、そこなはれぬべし、あやしきことのすぢにこそ、そらごとも思ひめぐらしつつならひしか、かくまめやかなる御けしきにさし向ひきこえては、かねてと言はむかく言はむと設けし言葉も忘れ、わづらはしう覚えければ、ありしさまのことどもを聞えつ」
――(右近は心の中で)弁の尼君なども、きっと様子を見ていて、つまりは薫大将は結局真相をお聞き合わせになるであろう。なまじ自分達が隠しても、だれかが間違ったことをお聞かせ申したりすれば、却って事実も損なわれてしまうだろう。匂宮との秘密な関係についても嘘をついて庇って差し上げたりもしたが、こんな気真面目な薫の御態度を拝しては、前々からああ言おう、こう言おうと用意していた言葉も忘れ、困り切った末に、事実通りのことを申し上げました――

「あさましう、思しかけぬすぢなるに、ものもとばかりのたまはず。さらにあらじ、と覚ゆるかな、なべての人の思ひ言ふことをも、こよなく言ずくなに、おほどかなりし人は、いかでさるおどろおどろしきことは思ひ立つべきぞ、いかなるさまに、この人々、もてなして言ふにからむ、と、御心も乱れまさり給へど、宮も思し歎きたるけしきいとしるし、ここのありさまも、しかつれなしづくりたらむ、けはひはおのづから見えぬべきを、かくおはしましたるにつけても、悲しくいみじきことを、上下のつどひて泣き騒ぐを、と聞き給へば」
――呆れた思いもかけぬ出来ごとに、殿はしばらくはものもおっしゃらない。そんなことが一体本当にあるものだろうか。だれでもが普通に考えて口にするようなことでも、あの浮舟はめったに口にせず、おっとりしていたが、どうしてそんな恐ろしい事を思い立つ訳があろう。どんな風に右近たちが作り上げて言っているのかと、お心もいっそう乱れるのでしたが、あの匂宮が悲しみ歎いていらっしゃのも確かであれば、ここの人たちにしても空々しい作り事を言っているのであれば、自然にその様子が分かる筈である。こうして自分が来たのをみても、悲しくて仕方が無いと、上下(かみしも)の者が寄りあって泣き騒いでいるのも、嘘とはおもわれませんので――

「『御供に具して亡せたる人やある。なほありけむことをたしかに言へ。われをおろかなり、と思ひて、そむき給ふことは、よもあらじ、となむ思ふ。いかやうなる、たちまちに、言ひ知らぬことありてか、さるわざはし給はむ。われなむえ信ずまじき』とのたまへば」
――(薫が)「お供をして誰か居なくなった者はいなのか。もっとはっきりその場の様子を言ってもらいたい。私の態度がいい加減だと思って世を背からえることは、よもやあるまい、と思うのだ。いったいどんな突発的に、言うに言われぬことが起こったとて、そのような思い切ったことをなさったのか。私にはどうにも信じられない」とおっしゃるので――

「いといとほしく、さればよ、とわづらはしくて、『おのづから聞し召しけむ。もとより思すさまならで生ひ出で給へりし人の、世離れたる御住まひの後は、いつとなくものをのみ思すめりしかど、たまさかにもかく渡りおはしますを、待ちきこえさせ給ふに、もとよりの御身のなげきをさへなぐさめ給ひつつ、心のどかなるさまにて、時々も見たてまつらせ給ふべきやうに、いつしかとのみ、言に出でてはのたまはねど、思しわたるめりしを…』
――(右近は)ああ、やはりそのことへお気づきになられたと、いよいよ困って「自然、お耳に入っていることと存じますが、あの御方はもともと不本意なご境遇で成長なされた方ですが、人里離れた宇治のお住いにお過ごしになるようになりましてからは、いつということでもなく、物思いに沈んでいらっしゃいました。でもこうして時折り殿においでいただくのをお待ちもうされることで、もとからのお身の上の歎きまでも慰められておいでのご様子でしたが、この上は、ゆっくり落ち着いて、時折りにでもお逢い申されますようにと、お口にはお出しになりませんでしたが、お心深く思い続けておいでだったのでございましょう…――

では11/21に。


源氏物語を読んできて(1180)

2012年11月17日 | Weblog
2012. 11/17    1180

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その20

「あかつきに帰るに、かの御料にとて設けさせ給へりけることは多かりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこの人におほせたる程なりけり。なに心もなく参りて、かかることどものあるを、人はいかが見む、すずろにむつかしきわざかな、と思ひわぶれど、いかが聞えかはさむ。右近と二人、忍びて見つつ、つれづれなるままに、こまかに今めかしう、し集めたることどもを見ても、いみじく泣く」
――侍従が明け方に帰るとき、浮舟のためにと用意しておかれた、櫛(くし)の箱一そろい、衣箱一そろいを贈り物としてお遣わしになります。浮舟のために様々用意させられたものが多かったのですが、あまりにも仰々しいので、ただ侍従の身分にふさわしい程度の物を賜わったのでした。侍従はこのようなつもりもなく参上して、こんな頂戴物をしましたので、周囲の者たちが何とみるだろうと、何やら煩わしいことでも言われそうな、と困っていますが、どうしてご辞退などできるでしょう。右近と二人でこっそり開けて見ては、贈り物はどれもみな当世風な意匠を凝らしてある手のこんだ細工を見るにつけても、涙ばかり流すのでした――

「装束もいとうるはしう、し集めたるものどもなれば、『かかる御服に、これをいかでか隠さむ』など、もてわづらひける」
――お召し物もたいそう立派に仕立ててありますので、このような喪服中に、これらをどう隠して置こうかと思案に暮れるのでした――

「大将殿も、なほいとおぼつかなきに、思しあまりておはしたり。道の程より、昔のことどもかき集めつつ、いかなる契りにて、この父親王の御もとに来そめけむ、かく思ひがけぬ果まで思ひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみ思ふよ、いと尊くおはせしあたりに、仏をしるべにて、後の世をのみ契りしに、心ぎたなき末の違ひめに、思ひ知らするなめり、とぞ覚ゆる」
――薫大将殿も、やはりご心配なので、宇治にお出でになりました。道すがらも、昔のことを一つ一つ思い出しては、どういう縁であの亡き八の宮の御許に通いはじめることになったのか。そして、浮舟のような思いもかけない末々の人の世話までして、このご一族に関して辛い物思いばかりすることよ、大そう尊く行いすましておられた八の宮のお側で、自分は仏を手引きとして後世のことばかり誓っていましたのに、後になって大君に懸想するという卑しい不心得をおこしたので、仏が懲らしめようとなさるのかと思うのでした――

「右近を召し出でて、『ありけむさまもはかばかしう聞かず、なほつきせずあさましう、はかなければ、忌の残りもすくなくなりぬ。過ぐして、と思ひつれど、しづめあへずものしつるなり。いかなる心地にてか、はかなくなり給ひにし』と問ひ給ふに、」
――(薫は)右近をお呼び出しになって、「浮舟生前の様子もしかとは聞かず、どうにもあまりにあっけないことで、忌中もあと幾日でもない、それが済んでからとは思ったものの、とうとうやって来てしまった。いったい浮舟はどんな病状で亡くなったのか」とお訊ねになりますと――

では11/19に。

源氏物語を読んできて(1179)

2012年11月15日 | Weblog
2012. 11/15    1179

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その19

「宮は、この人参れり、と聞し召すもあはれなり。女君には、あまりうたてあれば、聞え給はず。神殿におはしまして、渡殿におろさせ給へり。ありけむさまなどくはしう問はせ給ふに、日ごろ思し歎きしさま、その夜泣き給ひしさま、『あやしきまで言ずくなに、おぼおぼとのみものし給ひて、いみじと思すことをも、人にうち出で給ふことは難く、ものづつみをのみし給ひしけにや、のたまひ置くことことも侍らず。夢にも、かく心強きさまに思しかくらむとは、思ひ給へずなむ侍りし』など、くはしう聞こゆれば」
――匂宮は、侍従が参上したとお聞きになるにつけても、感慨ひとしおです。中の君にはあまり具合が悪いので、侍従の来たことをお知らせになりません。神殿にお出ましになって、車を渡殿に着けさせます。浮舟の生前のご様子など詳しくお訊ねになりますと、侍従は、浮舟があの頃毎日思い悩まれたご様子や、死の当夜お泣きになったことなどをお話して、「不思議なほど口数も少なく、ぼうっとばかりしておられまして、悲しくて堪らないとお思いになる事でも、なかなか人にはおっしゃれず、遠慮ばかりしておられたせいでしょうか、御遺言ということもございません。われとわが身を失うような気強いことを覚悟しておいでになったとは、夢にも存じよりませんでした」などと、詳しく申し上げますと――

「ましていといみじう、さるべきにて、ともかくもあらましよりも、いかばかりものを思ひ立ちて、さる水に溺れけむ、と思しやるに、これを見つけてせきとめたらましかば、と、わきかへる心地し給へどかひなし」
――(匂宮は)いっそう耐えがたく、何かの病気で命を落としたというのなら諦めもつこうものを、いったいどんなことを思い立って、そんな川に身を投げたのであろうか、とお思いやりになるにつけましても、だれかがそれを見つけて止めることが出来なかったのかと、胸も煮えかえる思いがなさるけれども、今更どうしようもない――

「『御文を焼きうしなひ給ひしなどに、などて目をたて侍らざりけむ』など、夜一夜語らひ給ふに、聞えあかす。かの巻数に書きつけ給へりし、母君のかへりごとなどを聞ゆ」
――(侍従は)「お文をお焼き捨てになったこともありましたのに、どうして私どもが不審と思って注意しなかったのでしょう」などと侍従も申し上げ、一晩中匂宮が親しくお話になりますので、侍従はお返事をして夜を明かしました。あのお経の目録にお書きつけになった母君へのお返事なども申し上げます――

「何ばかりのものとも御覧ぜざりし人も、むつまじくあはれに思さるれば、『わがもとにあれかし。あなたももて離るべくやは』とのたまへば、『さてさぶらはむにつけても、もののみ悲しからむを思う給へれば、今この御果など過具して』と聞ゆ。『またもまゐれ』など、この人をさへ飽かず思す」
――匂宮としては、何ほどの者とも気に止めてお出でにならなかった侍従という女房も、かの人の由縁(ゆかり)に、親しくなつかしくお思いになって、「ここに居るがよい。中の君も浮舟の姉ゆえ、まるっきり他人ではないのだから」とおっしゃいます。侍従は、「仰せのようにお仕え申しあげますにしましても、当分は悲しいだけだとおもいますので、そのうちこの御忌が明けましてから」と申し上げます。匂宮が「また参るように」と、この女房さえ名残り惜しくお思いになるのでした――

◆あなたももて離るべくやは=あの方も(中の君、浮舟の姉君)他人ではいらっしゃらないのだから

では11/17に。

源氏物語を読んできて(1178)

2012年11月13日 | Weblog
2012. 11/13    1178

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その18

「大夫も泣きて、『さらに、この御仲のこと、こまかに知りきこえさせ侍らず。ものの心も知り侍らずながら、たぐひなき御こころざしを見たてまつり侍りしかば、君たちをも、何かはいそぎてしも聞えうけたまはらむ、つひには仕うまつるべきあちりにこそ、と、思う給へしを、いふかひなく悲しき御ことの後は、わたくしの御こころざしも、なかなか深さまさりてなむ』と語らふ」
――時方も泣いて、「私はまったく匂宮と浮舟御二方の間のことは詳しく存じ上げておりません。人情のことも弁えぬ者ですが、宮の類のない御厚情を拝しましたので、あなた達に対しても、何の別に急いでお近づきになることもない、上京されれば結局お世話申すべき方々だと存じていました。このような申しようもない悲しいことが起こってからは、私個人の貴女への気持ちも却って深くなりまして」と話し込みます――

「『わざと御車など思しめぐらして、奉れ給へるを、むなあしくては、いといとほしうなむ。いま一所にても参り給へ』と言へば、侍従の君呼び出でて、『さば、参り給へ』と言へば、『まして何ごとをかは聞こえさせむ。さてもなほ、この御忌の程には、いかでか忌ませ給はぬか』と言へば」
――(時方が)「わざわざ匂宮からお迎えのお車など配備されてお寄こしくださいましたのに、それを無にしてはまことに申し訳ないことです。せめてもう一方でもお出でください」といいますので、右近が侍従を呼んで「では、あなたが参上なさってください」と言いますと、侍従は、「私などが、まして何事を申し上げられましょう。それにしましても、宮様はどうしてこの御忌中に、穢れをお忌にならないのでしょうか」と言いますが――

「『なやませ給ふ御ひびきに、さまざまの御つつしみども侍めれど、忌みあへさせ給ふまじき御けしきなむ。また、かく深き御契りにては、籠らせ給ひてもこそおはしまさめ。残りの日いくばくならず、なほ一所参り給へ』と責むれば、侍従ぞ、ありし御様もいとこひしう思ひきこゆるに、いかならむ世にかは見たてまつらむ、かかる折に、と思ひなして参りける」
――(時方が)「ご病気の騒ぎで、お祓いなど種々のお慎みはあるようですが、浮舟様のことだけは、とても慎みきれないご様子です。それに、こんな深いご関係では、ご自身でも忌にお籠りになりたいお気持でしょう。七七日の忌が明けるまで幾日もありませんし、やはりお一人は参上なさいませ」と責め立てますので、侍従は、あのとき拝した匂宮のお姿も大そう恋しく思い出されますにつけ、今後いつ自分は匂宮を拝せよう、せめてこんな折にこそ、と思い直して参上することにしました――

「黒き衣ども着て、引きつくろひたるかたちもいときよげなり。裳は、ただ今われより上なる人なきにうちたゆみて、色もかへざりければ、薄色なるを持たせて参る。おはせましかば、この道にぞ忍びて出で給はまし、人知れず心よせきこえしものを、など思ふにもあはれなり。道すがら泣く泣くなむ来ける」
――(侍従は浮舟の喪に服していて)黒い衣などを着て、身だしなみを整えている様子はたいそうすっきりとしています。裳は(浮舟亡き現在)もう目上の亡くなって着る事もないであろうと油断して、鈍色のを染めておかなかったので、薄紫色のを召使に持たせて参上します。浮舟がもし生きておられたなら、この街道をこっそりお出でになったでしょうに、自分は人知れずお二人にご同情申していたものを、などと思うのも悲しくて、道すがら泣く泣く京へ上って来ました――

では11/15に。


源氏物語を読んできて(1177)

2012年11月11日 | Weblog
2012. 11/11    1177

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その17

「いと夢のやうにのみ、なほいかで、いとにはかになりけることにかは、とのみ、いぶせければ、例の人々召して、右近を迎へにつかはす。母君も、さらにこの水の音けはひを聞くに、われも転び入りぬべく、悲しく心憂きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて、帰り給ひけり」
――(匂宮としては)ただもう夢のようで、それにしてもどうして急に死んでしまったのか、とのみ気懸りで、例の人々(大内記や時方など)をお召しになって、右近を事情を聞くべく使いを出します。浮舟の母は母で、宇治川の流れのすさまじさに、まるで自分も川に転び込みそうで恐ろしく、悲しく気が滅入っておさまりそうもありませんので、やりきれない思いで京へ帰りました――

「念仏の僧どもをたのもしき者にて、いとかすかなるに、入り来たれば、ことごとしく、にはかに立ちめぐりし宿直人どもも見とがめず。あやにくに、かぎりのたびしも、入れたてまつらずなりにしよ、と思ひ出づるも、いとほし」
――(宇治では)ただ念仏の僧たちを頼りにして、たいそうひっそりと暮らしているところへ、例のお使いが来ましたが、先日は厳重に警護に立ちまわっていた宿直人たちも、今日は咎めない。
あいにく最後のお別れとなったあの時に限って、お入れ申し上げることができなかったことよ、と、右近たちは思い出すにつけても、お愛おしい――

「さるまじきことを思ほしこがるること、と、見苦しく見たてまつれど、ここに来ては、おはしましし夜な夜なのありさま、抱かれたてまつり給ひて、舟に乗り給ひしけはひの、あてに美しかりしことなどを思ひ出づるに、心強き人なくあはれなり」
――宮が、ご無理な恋慕に胸を焦がしておいでになるのを、見苦しいことと、時方はお見上げしていたものの、ここに来てみますと、あのお通いになった夜々のご様子、匂宮に抱かれて舟に乗り移られた姫君のお姿の、上品で美しかったことなどが思い出されて、気強くとやかく言う人も無く、皆しみじみと悲しい――

「右近会いて、いみじう泣くもことわりなり。『かくのたまはせて、御使ひになむ参り来つる』と言へば、『今さらに、人もあやしと言ひ思はむもつつましく、参りても、はかばかしく聞し召しあきらむばかり、もの聞えさすべき心地もし侍らず。この御忌果てて、あからさまにものになむ、と、人に言ひなさむも、すこし似つかはしかりぬべき程になしてこそ、心より外の命侍らば、いささか思ひしづまらむ折になむ、仰せごとなくとも参りて、げにいと夢のやうなりしことどもも、語りきこえさせ侍らまほしき』と言ひて、今日は動くべくもあらず」
――右近が対面して、ただただ泣きじゃくるのも道理です。時方が「宮が、このように仰せられましたので、お使いに参りました」と言いますと、右近は「今更、ここの人たちに、変に思われたりしますのも、いかがかと存じますし、私が参上しましたところで、はっきりご納得なさるほど、しっかりとお話ができるとも思えません。この御忌中が済みまして、ちょっと他所へ出かけて来ます、と人に知らせてもおかしくない時分になりまして、もしも思いの外に生きておりますならば、気分も落ち着いた頃に、仰せがございませんでも、その頃に参上いたしまして、ほんとうに夢のようであった出来事なども、お話申し上とうございます」と言って、今日は動きそうもありません――

◆のどまる=静まる、落ち着く。

では11/13に。