永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(751)

2010年05月31日 | Weblog
2010.5/31  751回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(12)

 阿闇梨の話が続きます。

「出家の志はもとよりものし給へるを、はかなきことに思ひとどこほり、今となりては、心苦しき女子どもの御上を、え思ひ棄てぬとなむ、歎き侍りたうぶ」

――(八の宮は)出家の御意志は昔からおありですのに、ちょっとした事がありまして果たせずにおりまし上に、今となっては、このような幼い者たちを見棄てて行くのが心がかりなばかりに、ひと思いに出家することも出来ずにいらっしゃるのです――

 と、申し上げます。僧とは言っても音楽好きの阿闇梨ですので、お話は、

「げにはた、この姫君たちの、琴弾き合せて遊び給へる、河浪にきほひて聞こえ侍るは、いと面白く、極楽思ひやられ侍るや」
――まったくもって、この姫君たちが合奏なさる音楽は、宇治川の川音と競い合って、
趣き深く、まさに極楽の心地がいたしますよ――

 と、古風な誉め方をしますので、冷泉院は苦笑交じりに、ちょっと真剣な面持ちで、

「さる聖のあたりに生ひ出でて、この世の方ざまは、たどたどしからむとおしはからるるを、をかしの事や。うしろめたく思ひ棄て難く、もてわづらひ給ふらむを、もししばしも後れむ程は、ゆづりやはし給はぬ」
――そのような聖に似た生活の許で育ったので、世間の事には疎いだろうと思われるのに、琴が上手とは感心なことだな。八の宮が姫君達が心配で見棄てられず、苦にしているようなら、もしも私の方が少しでも後まで生き残れるなら、その間でも私に預けてくださらないかしら――

 などと、おっしゃいます。

「この院の帝は、十の御子にぞおはしましける。朱雀院の、故六条の院にあづけ聞こえ給ひし、入道の宮の御例を思ほし出でて、かの君達をがな、つれづれなる遊び敵に、など、うち思しけり」
――この冷泉院は、桐壺帝の十番目の御子でいらっしゃいます。その昔、朱雀院がご自分の御子の女三宮を、源氏に降嫁された例を思い出されて、八の宮の姫君たちを預って(入内させて)つれづれの時の遊び相手に、などとお思いになるのでした――

◆きほひて=競って

ではまた。

源氏物語を読んできて(750)

2010年05月30日 | Weblog
010.5/30  750回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(11)

 この阿闇梨は、冷泉院にも親しく伺候して、お経などもお教え申し上げる人であります。京に出た折に院に参上して、いつものように院が経文などをご覧になり、いろいろご質問がありました折に、阿闇梨は、

「八の宮の、いとかしこく、内教の御才さとり深くものし給ひけるかな。さるべきにて生まれ給へる人にやものし給ふらむ。心深く思ひすまし給へる程、まことの聖の掟になむ見え給ふ」
――八の宮はたいそう御聡明で、仏典のご学問に精通しておいででございます。前世から仏教に御縁があってお生まれになったお方なのでもございましょうか。仏道に深く思いを潜めていらっしゃるご様子は、真の聖僧のお心構えかとお見受け申し上げます――

 と申し上げます。冷泉院は、

「いまだ容貌はかへ給はずや。俗聖とか、この若き人々の付けたなる、あはれなることなり」
――まだ僧形(そうぎょう)にはなっていらっしゃらないのか。俗聖(ぞくひじり)などと、ここの若い者たちが名づけているそうだが、御殊勝なことだな――

 と仰せになります。

 宰相の中将(薫)も、冷泉院の御前に控えて聞いておりました。薫はお心の中で、

「われこそ、世の中をばいとすさまじう思ひ知りながら、行ひなど人に目とどめるるるばかりはつとめず、口惜しくて過ぐし来れ」
――私こそ、この世を実に面白くなく思い知りながら、勤行なども人目に立つほどはかばかしく行いもせず、いたずらに月日をやり過ごしてきていることよ――

 と、人知れず思いつつ、

「俗ながら聖にはり給ふ心の掟やいかに」
――俗体のまま聖になられるお心構えというものは、一体どのようなものであろうか――

 と、耳を傾けて阿闇梨のお話を聞いていらっしゃいます。

◆内教(ないきょう)=内教は内典ともいい、外典(儒教)に対して仏典をいう。

◆俗聖(ぞくひじり)=出家・剃髪をせずに、俗人の姿のままで仏道修行をする人。有髪の僧。

ではまた。

源氏物語を読んできて(749)

2010年05月29日 | Weblog
2010.5/29  749回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(10)

 この宇治の山荘は、

「網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、いかがはせむ。(……)」
――(山荘の近くには)網代の設もあるようで、宇治川の川音の激しい近くのこの住居では、とても瞑想にふけるという環境ではありませんが、それも仕方がないこと。(ますます北の方と死別した悲しみに日を暮らすばかりだ)――

 ましてや、このような山深い所へは、以前よりもいっそう来訪者もおりません。ときどき田舎びた者が来て、必要なあれこれをして行くのでした。

「この宇治山に聖だちたる阿闇梨住みにけり。才いとかしこくて、世の覚えも軽からねど、をさをさ公事にも出で仕へず籠り居たるに、この宮のかく近き程に住み給ひて、寂しき御さまに、尊がり聞こえて常に参る」
――この宇治の山に聖僧らしい阿闇梨がいらっしゃいます。学問がたいそう優れていて、世間の信望も浅いわけではありませんのに、めったに朝廷の法会にも参会せずに、この山に籠っておりましたところ、八の宮がこのような近くにお住みになって、寂しいご様子で仏道に精進されながら、経文を読み習っておられますので、阿闇梨はこの宮をご尊敬申し上げて、ときどき参上なさっていらっしゃるのでした――

「年頃学び知り給へる事どもの、深き心を解き聞かせ奉り、いよいよ、この世のいとかりそめにあぢきなき事を申し知らすれば」
――(八の宮が)年来、学修された仏教上の事柄の更に深遠な教理を、阿闇梨がご説明申し上げ、結局はこの世は仮の世ではかない事をお教えしますと――

 八の宮は、「心だけは極楽の蓮の台(はちすのうてな)に思いあこがれ、浄土の濁りない池に住むつもりでいますが」と、さらにお続けになって、

「いとかく幼き人々を、見棄てむうしろめたさばかりになむ、えひたみちに容貌をもかへぬ」
――このようなまだ幼い娘たちを、見棄てる後ろめたさに、一途に出家することも出来ずにおります――

などと、お心の内を隠さずお話になるのでした。

◆網代(あじろ)=「あ」は網。「しろ」は代わりで、網の代わりの意。魚をとる仕掛け。晩秋から冬にかけて川の瀬の両側に杭を打って水を堰き止め、網の代わりに竹や柴などを編んでならべ、その一端に簾をつけて、氷魚(ひお=鮎の稚魚)をとる。宇治川にかけたものが最も名高い。

◆阿闇梨(あじゃり・あざり)=僧の規範となるべき徳僧をいう。

ではまた。


源氏物語を読んできて(748)

2010年05月28日 | Weblog
2010.5/28  748回
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(9)

 この八の宮は、貴人の中でも大そう上品な方で、ご先祖伝来の御宝物や女御の御父上から相続された遺産など、あれこれ沢山お持ちでしたのに、今では行方も知れなくなって、どうしたものでしょうか、お手回りのお道具類だけいかにも由緒ある宮家らしいものだけが残っているだけなのでした。

「参りとぶらひ聞こえ、心寄せ奉る人もなし。(……)その方はいとをかしうすぐれ給へり」
――こちらへ訪れる人もなく、なさる事とてもなく、つれづれなるままに(治部省の所管で朝廷の式楽を掌る楽師や舞人をお召しになって、音楽に打ち込まれた関係で)その方面には優れていらっしゃるのでした――

 そして、この宮は、

「源氏の大臣の御弟におはせしを、冷泉院の東宮におはしましし時、朱雀院の大后の、よこざまにおぼし構へて、この宮を世の中に立ち継ぎ給ふべく、わが御時もてかしづき奉りける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御中らひには、さし放たれ給ひにければ、いよいよかの御つぎつぎになりはてぬ世にて、えまじらひ給はず」
――源氏の御弟君で八の宮と申し上げる方でいらっしゃいまして、冷泉院がまだ東宮でいらっしゃった頃、朱雀院の御母弘徽殿大后が、あるまじき陰謀をたくらまれて、この八の宮を東宮にお立てしようと、ご権勢にまかせてお世話申し上げました騒動のために、八の宮は訳もなく源氏方とのご交際を断たれていまわれましたのでした。その後は、いよいよ源氏の御子、御孫の栄える世の中の事とて、今では世間並みのお付き合いもお出来になれないのでした――

「またこの年頃、かかる聖になりはてて、今は限りとよろづを思し棄てたり」
――こうしてここ数年は、勤行一筋の聖になりきって、今はもう、憂き世の望みの一切を思い捨てておいでになるのでした――

「かかる程に住み給ふ宮焼けにけり。いとどしき世に、あさましうあへなくて、うつろひ住み給ふべき所の、よろしきもなかりければ、宇治といふ所に、よしある山里持給へりけるに渡り給ふ」
――こうしているところ、長年お住みになっておられた御殿が焼けてしまいました。それでなくても辛い世に、いよいよ御住いまで俄かに失われて、すっかり落胆なさって、さしあたり京の都の内にはお移りになる格好な所もありませんでしたので、宇治というところにお持ちの、風流な山荘に移る事になさったのでした――

◆よこざまにおぼし構へて=異常な、正しくないやり方で

◆いとどしき世=いっそう(厭な)世の中。

◆冷泉院=表向きは桐壺帝と藤壺の御子。実は源氏と藤壺の不義の御子である。源氏は 
 その御子を東宮にし、帝にするべく政治的に動いたことがここで分かる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(747)

2010年05月27日 | Weblog
2010.5/27  747回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(8)

 大君が、硯に手習いのようにして文字を書いていますので、八の宮が、「硯に書くものではありません。この紙にお書きなさい」といいますと、恥ずかしそうにして「歌」をお書きになりましたのは、

(歌)「いかでかく巣立ちけるぞとおもふにもうき水鳥のちぎりをぞ知る」
――どうして大きくなったのかしらと思うにつけても、水鳥のように不安な行く末が思い知られます――

 大して上手な歌ではありませんが、宮は今の状態を、身にしみてお感じになります。
御筆跡はまだまだですが、将来に希望のもてる御手筋です。「中の君も書いてごらんなさい」と言いますと、幼げに少し手間取りながら、

(歌)「泣く泣くもはねうち着する君なくばわれぞ巣守になりは果てまし」
――涙ながらお育てくださる父上がいらっしゃらなければ、私は育つことができなかったでしょう――

 姫君達のお召物は着馴らされていて張りもなく、お側には女房とてもおらず、たいそう淋しくつれづれのようなご生活ですが、お二人ともとても可愛らしくて、どうして父宮として放っておけましょうか。経の合間には、謡物の節回しをお教えになり、大君には琵琶を、中の君には筝の琴を伝授なさって、姫君達はいつも合奏しながらお習いになりますので、たいそう面白くきこえるのでした。

 この八の宮という御方は、

「父帝にも女御にも、疾く後れきこえ給ひて、はかばかしき御後見の、取り立てたるおはせざりければ、才など深くもえ習ひ給はず。まいて世の中に住みつく御心掟は、いかでかは知り給はむ」
――御父の桐壺帝にも御母上の女御にも、幼い頃にお別れになって、しっかりした御後見役でこれという程の人もおられませんでしたので、学問なども深くはお修さめにならなかったのです。ましてや世を渡るお心構えなど、どうしてご存知のはずがありましょうか――

◆才など(ざえなど)=世渡りの経済など

ではまた。

源氏物語を読んできて(746)

2010年05月26日 | Weblog
2010.5/26  746回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(4)

 八の宮は、仏の道を思えば、愛らしい姫君たちとの絆さえも出家へ妨げだとの不本意さに、思うにまかせぬ身の定めを諦めていらっしゃって、心ばかりはすっかり聖めいておいでになるのでした。

 いろいろな方々が、

「などかさしも。別るる程のかなじびは、また世に類なきやうにのみこそは、覚ゆべかめれど、あり経れば然のみやは。なほ世人になずらふ御心づかひをし給ひて、いとかく見苦しくたづきなき宮の内も、おのづからもてなさるるわざもや」
――どうしてまあ、それほどに。死別同時の悲しみは、世にまたとない風にばかり思うようですが、月日が経てばそうばかりでしょうか。やはり世間並みに従って北の方を迎えられれば、これほどの見苦しい御邸内も、自然と整っていくというものでしょうに――

 と、宮に似つかわしそうなご縁談を申し上げることも多いようですが、そのようなお話には一向に耳を傾けられないのでした。

「御念誦のひまひまには、この君達をもてあそび、やうやうおよずけ給へば、琴ならはし、碁うち、扁つきなど、はかなき遊びわざにつけても、心ばへどもを見奉り給ふに、姫君は、らうらうじく、深く重りかに見え給ふ。若君は、おほどかにらうたげなるさまして、物づつみしたるけはひに、いとうつくしう、さまざまにおはす、」
――(宮は)お念誦の間にはお二人の姫君たちをお相手になさって、次第に成長なさると、琴や碁、扁つきなどのちょっとしたお遊びの中に、お二人の性格をご覧になります。
大君は、才たけて、慎重で重々しくお見えになりますし、中の君はおっとりと可憐で遠慮深そうで大変愛らしく、姉妹はそれぞれすぐれておられるのでした――

 宮は、時には一人残された寂しさに涙をおしのごい、熱心な勤行のせいで痩せていらっしゃいますが、それが却って上品に優雅ですし、姫君たちを養育される時のお心遣いで、直衣も柔らかいものを召して、くつろいでいらっしゃるご様子は、なんとも言えずご立派です。

◆扁つき・偏つぎ(へんつき)=偏つぎとは漢字の偏と旁(つくり)を使っての文字遊戯で、主に女性や子供が漢字の知識を競うために行った遊びである。その方法は未明であるが、旁に偏を付けて文字を完成させる、詩文の漢字の偏を隠し、旁だけを見せてその偏を当てさせる、また逆に偏だけ見せてその字を当てさせる、一つの偏を取り上げてその偏の付く漢字をいくつ書けるか競う、などと思われる。 
写真と参考:風俗博物館

◆重りかに=重々しい。落ち着いたさま。

◆物づつみ=遠慮がちで

ではまた。


源氏物語を読んできて(745)

2010年05月25日 | Weblog
2010.5/25  745回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(3)

 この中の君は、

「容貌なむまことにうつくしう、ゆゆしきまでものし給ひける」
――ご器量がまことに愛らしく、空恐ろしいほどでいらっしゃいます――

ご長女の大君(おおいぎみ)は、

「心ばせ静かによしある方にて、見るめもてなしも、気高く心にくきさまぞし給へる。いたはしくやむごとなき筋はまさりて」
――ご性質が静かで、どちらかといえば深みのあるお人柄で、外見やお振舞いも上品で奥ゆかしくていらっしゃいます。華奢でどこか労ってさしあげたいと思うような、尊いお血筋の方という点からは、この姉君のほうで――

 八の宮は、お二人ともそれぞれに大切になさっておられますが、何分にも経済的に不如意なことが多くて、年月の経つにつれて御邸は寂れて行くばかりです。

「さぶらひし人も、たづきなき心地するに、え忍びあへず、つぎつぎに従ひて、まかで散りつつ、若君の御乳母も、さる騒ぎに、はかばかしき人をしも、選りあへ給はざりければ、程につけたる心浅さにて、幼き程を見棄て奉りにければ、ただ宮ぞはぐくみ給ふ」
――お傍にお仕えになっていました女房や人々も、生活の不安定さに我慢しきれず、次々にいつの間にか姿を消してしまいました。中の君の乳母も、北の方の亡くなられた最中のことで、次の乳母を選ぶゆとりのないまま、身分柄の浅はかさで、お小さい中の君をお見棄て申してしまいましたので、それからは八の宮がお一人で幼い姫君たちをお世話なさっているのでした――

 お住居は、なるほど宮家だけに、敷地も広く池山など昔から変わらないものの、今は手入れもままならず、荒れ果ててしまっていますのを、味気なく眺めるばかりです。北の方とご一緒であればこそ、花紅葉も趣深く、心に沁みて慰められたものでしたが、今では一層寂しい気持ちで、頼り所もないままに、持仏のお飾りばかりを殊更念入りになさって、明け暮れ勤行に励んでいらっしゃるのでした。ましてや、世間の人のように、今更何で妻を迎えよう、などと、再婚のお薦めなどもっての外と、浮いたお気持などは少しも持っておられないのでした。

ではまた。

源氏物語を読んできて(744)

2010年05月24日 | Weblog
010.5/24  744回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(2)

 このような堪え難い日々の中で、八の宮はお心の内で、

「見棄て難くあはれなる人の御有様、心ざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、過ぐし来つれ、一人とまりて、いとどすさまじくもあるべきかな、いはけなき人々をも、一人はぐくみ立てむ程、限りある身にて、いとをかがましう、人悪かるべきこと」
――(出家したくても)後に残しておけないほど愛しい北の方の御容姿や、ご性質の良さに惹かれる絆でこそ、この年月を送って来たものなのに、今一人残されて、花も香りもない生活になってしまったことよ。落ちぶれているとはいえ、親王という身分が身分だけに、男手一つで幼い姫君達を育てることは体裁悪く、世間体にも見苦しいこと――

 と、出家の望みを遂げたいと思っておいででしたが、姫君たちのお世話を託すべき人も居ないまま残して置くことにたいそう悩んでいらっしゃったのでした。
そうして、いつかしら年月が過ぎて、

「おのおのおよづけまさり給ふ様容貌の、うつくしうあらまほしきを、明け暮れの御なぐさめにて、おのづから見過ごし給ふ」
――(今では)お二人の姫君が大きくなられるにつれて、それぞれご容貌も愛らしく、
理想的なお成長ぶりなのを、八の宮は朝夕の慰めごととして、そのご養育に紛れてお過ごしになっておられるのでした。――

 中の君がお生まれになったことで、北の方が亡くなられたことを、「なんと具合の悪い時にお生まれになったことよ」と女房の中には、この中の君を大事に思わない者もいましたが、北の方が意識が朦朧となっておられた臨終の時に、お苦しい息の中で、

「ただこの君を形見に見給ひて、あはれと思せ」
――ただもう、この中の君を私の形見とお思いになって、可愛がってあげてください――

 と、ただそればかりを宮にご遺言なさいましたので、宮もこれが前世からの宿縁と、何時の時も思い出されて、この中の君を殊のほか慈しんでお育てになっておられるのでした。

◆かけとどめらるるほだし=懸け留めらるる絆(ほだし=きずな)=引きとどめる絆。

ではまた。

源氏物語を読んできて(743)

2010年05月23日 | Weblog
2010.5/23  743回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(1)

薫(宰相の中将、中納言)20歳~22歳
匂宮(兵部卿の宮)   21歳~23歳
今上(主上、帝)
明石中宮(今上の后・中宮)
八の宮(聖の宮) 桐壺院の八番目の宮で、源氏の(腹違いの)弟宮にあたる
 八の宮の姫君二人(大君と中の君)
弁の君(母が柏木の乳母であった)  縁を頼って八の宮家に奉公している。

「その頃、世にかずまへられ給はぬ古宮おはしけり。母方なども、やむごとなくものし給ひて、筋異なるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて世の中にはしたなめられ給ひける紛れに、なかなかいと名残り無く、御後見なども、ものうらめしき心々にて、方々につけて、世を背き去りつつ、公私により所なく、さし放たれ給へるやうなり」
――(新たな物語の書き初めとして)その頃、世間からものの数にもされていらっしゃらない老親王の古い宮家がありました。母方のご身分からも、特別な地位、すなわち東宮にも立たれるほどの御声望がおありだったのですが、時勢が変わって、世間に対して具合の悪いことが起こった騒ぎで、以前ご勢力がありました分、却って昔日のおもかげもなく、お世話役の方々も期待が外れてしまったので、勝手に暇を取って出て行き、公私ともに頼りどころなく、見離されたような状態でいらっしゃいます――

 このようなお暮しに心細くお思いの北の方も、その昔は大臣の姫君でいらして、両親が末は后かと期待を込めて八の宮に差し出されたのでした。このような有様ではありますが、お二人は辛いこの世の慰めとして、深く信頼し合って生きてこられたのでした。

「年頃経るに、御子ものし給はで、心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなるなぐさめに、いかでをかしからむ児もがなと、宮ぞ時々思し宣ひけるに、めづらしく、女君のいと美しげなる、生まれ給へり」
――長年経ても、お二人には御子が無く、物足りなく寂しいと常々おっしゃっていましたところ、思いがけなく女君の可愛らしい方がお生まれになりました――

 お二人は、この御子を可愛がって大切にお育てになっておられますうちに、また引き続きご懐妊のご様子で、今度は男君をと、お望みでしたが、

「同じさまにて、たひらかにはし給ひながら、いといたくわづらひて、亡せ給ひぬ。宮、あさましう思しまどふ」
――(北の方は)同じような女君をお生みになって、お産はご無事だったのですが、産後の肥立ちがお悪くて、あっという間にお亡くなりになってしまわれたのでした。八の宮はすっかり茫然自失のご様子で、この先どうしてよいか分からないのでした――

◆かずまへ=数まふ=数。人並み。

◆かずまへられ給はぬ=(打ち消しなので)数にも入れてもらえない。人並みに扱われていない。

ではまた。


源氏物語を読んできて(742)

2010年05月22日 | Weblog
2010.5/22  742回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(29)

 この玉鬘の御邸の東に、紅梅右大臣の御邸があって、このところ、ご昇進の御披露宴に貴公子たちが大勢お集まりのご様子です。右大臣は兵部卿の宮(匂宮)に特にお出で願ったのですが、お出でにならなかったのでがっかりなさっておいでです。というのは、

「心にくくもてかしづき給ふ姫君たちを、さるは、心さしことに、いかで、と思ひ聞こえ給ふべかめれど、宮ぞ、いかなるにかあらむ、御心もとどめ給はざりける。源中納言の、いとどあらまほしう、ねび整ひ、何事も後れたる方なくものし給ふ」
――(紅梅右大臣が)たいそう大事に養育してこられた姫君たちを、特に心にかけて何とか匂宮に差し上げたいと思っておられるようですが、兵部卿の宮(匂宮)としては、一体どういうおつもりでしょうか、お心にも留めておられないのでした。一方、源中納言(薫)の方は年齢と共にいよいよ申し分なく整ってゆき、万事欠点なくいらっしゃる――

 大臣も北の方(真木柱)も、この薫にもお目を留めておいでになるようです。お隣の今を盛りのご権勢をうかがう玉鬘としては、夫亡き世のあわれさに、しみじみと思いますのは、

「故宮亡せ給ひて程もなく、この大臣の通ひ給ひし事を、いとあはつけいやうに、世人はもどくなりしかど、思ひも消えずかくてものし給ふも、さすがさる方に目安かりけり。定めなの世よ。何れにかよるべき」
――(真木柱の前の夫の)蛍兵部卿の宮が亡くなられてから間もなく、紅梅大納言が真木柱の許に通われたことを、ひどく軽率だと世間の人々は非難なさったものの、その後愛情も冷めず、ああして北の方におさまっておられるのも、それはそれで感じが良いものですもの。夫婦仲というものは分からないものですこと。いったい何を見習ったらよいのでしょう――

 ご子息についても、

「右兵衛の督、右大弁にて、みな非参議なるを、うれはしと思へり。侍従と聞こゆめりしぞ、この頃頭の中将と聞こゆめる。年齢の程は、かたはならねど、人に後る、と歎き給へり」
――御長男が右兵衛の督、ご次男は右大弁になっておりますが、共に参議ではありません。あの頃の籐侍従は頭の中将(とうのちゅうじょう)になっています。年齢の割には、どなたも官位が低いというわけではないのですが、人より昇進が遅いと玉鬘は歎いていらっしゃる――

 あの大姫君(御息所)に恋していた蔵人の少将で、今は三位の中将は、この頃里下がりをしていらっしゃる御息所が気がかりで、やはりなにかと玉鬘の御邸をうかがっている様子です。

◆もどくなり=非難する。批判する。

◆参議=太政官に置かれた令外(りょうげ)の官。朝政に参加し、国政を審議する職。大・中納言に次ぐ重職で、三位、四位の中から有能な人が任ぜられた。定員八名。
玉鬘としては、夫の身分(髭黒太政大臣)から考えても、後ろ盾を失った子供たちの非参議を口惜しく思う。

◆うれはしと思へり=憂わしいと思う=嘆かわしい。気がかりだ。
四十四帖【竹河(たけがわ)の巻】終わり。

次の「橋姫」から宇治十帖といわれる物語に入ります。「匂宮」「紅梅」「竹河」の三篇は前と後の「つなぎ」の意味合いが強く、説明的文章で、やや興味薄の感がありました。

ではまた。