永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1210)

2013年01月31日 | Weblog
2013. 1/31    1210

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その2

「故朱雀院の御領にて、宇治の院と言ひし所、このわたりならむ、と思ひ出でて、院守、僧都知り給へりければ、一二日宿らむ、と言ひにやり給へりければ、『長谷になむ昨日皆詣でにける』とて、いとあやしき宿守の翁を呼びて率て来たり」
――故朱雀院の御領地の宇治の院というのが、この近くだったと思い出して、そこの院守を僧都は幸いにも懇意だったので、一日二日泊めてもらいたい、と言ってやったところ、「昨日、初瀬に皆でお参りに出かけたところです」と言って、使いは大そうみすぼらしい宿守の老人を召し連れて帰ってきました――

「『おはじまさばや。いたづらなる院の神殿にこそ侍るめれ。もの詣での人は、常にぞ宿り給ふ』と言へば、『いとよかり。公所なれど、人もなく心やすきを』とて見せにやり給ふ。この翁、例もかく宿る人を見ならひたりければ、おろそかなるしつらひなどして来たり」
――(宿守の老人が)「お出でなさるなら、早速どうぞ。どうせ空いている神殿でございますから。もの詣での方々が、いつもお泊まりになります」と言うので、「それは良かった。公の御所領だが、誰も居なければ気楽だからね」と言って僧都は様子を見におやりになります。この老人は、いつもこのように人を泊めてお世話をするのには馴れていたので、通り一辺ながら部屋を整えて来ました――

「先づ僧都わたり給ふ。いといたく荒れて、おそろしげなる所かな、と見給ひて、『大徳たち、経読め』などのたまふ。この長谷に添ひたりし阿闇梨と、同じやうなる、何ごとのあるにか、つきづきしき程の下法師に、火ともさせて、人も寄らぬうしろの方に往きたり」
――尼君たちを残して先ず僧図が宇治の院に来られました。ひどく荒れていて不気味な所と御覧になって、物の怪(もののけ)を払うために、「大徳たち、経を読め」などとお言い付けになります。あの初瀬詣でに同行した阿闇梨と、同じような僧と二人が、雑仕には丁度良い下役の僧に火を灯させて、何の用事か、誰も行かない寝殿の後ろの方へ往きました――

「森かと見ゆる木の下を、うとましげのわたりや、と見入れたるに、白きもののひろごりたるぞ見ゆる。『かれは何ぞ』と、立ちとまりて、火をあかくなして見れば、ものの居たる姿なり」
――森かと見えるこんもりとした木の下を、薄気味悪いところだと思いながら、じっと透かして見ますと、遠くの方に、何やら白い物がひろがっているのが見えます。「あれは何だろう」と立ち止まって、火を明るくして見ますと、何かがうずくまっているような恰好です――

「『狐の変化したる、にくし、見あらはさむ』とて、一人は今すこし歩みよる。いま一人は、『あな用な。よからぬものならむ』と言ひて、さやうのもの退くべき印をつくりつつ、さすがになほまもる。頭の髪あらば太りぬべき心地するに、この火ともしたる大徳、はばかりもなく、奥なきさまにて、近く寄りてその様を見れば、髪は長くつやつやとして、おほきなる木の根のいと荒々しきに寄りて、いみじう泣く」
――「狐が化けているのか。憎いやつだ。正体を見破ってやろう」と言って、一人の僧が少し近寄ってみます。もう一人は、「余計なことをするな。魔性のものだろう」と、化生のものを退散させる印を結びながら、さすがに恐れ恐れじっと見つめています。(僧は髪が無いが)もし髪の毛があったなら、怖じ気で毛筋も太くなりそうな心地がしますのに、この火を持っている法師は無造作にずかずかと近寄って行ってみますと、髪は長くつやつやとして、大きな木の根のごつごつしたところに寄り伏して、さめざめと泣いています――

◆印をつくりつつ=指先で種々の形を作りながら呪文を唱える

2/1~2/6までおやすみします。では2/7に。


源氏物語を読んできて(1209)

2013年01月29日 | Weblog
2013. 1/29    1209

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その1

薫(右大将)   27歳3月~28歳4月
浮舟       22歳~23歳
中の君      27歳~28歳
明石中宮     46歳~47歳
匂宮(兵部卿の宮)28歳~29歳
夕霧(右大臣)  53歳~54歳
横川僧都(よかわのそうず)
大尼君(横川僧都の母)
妹尼(横川僧都の妹、尼君)

「その頃横川に、なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり。八十あまりの母、五十ばかりの妹ありけり。古き願ありて、長谷に詣でたりけり。むつまじくやむごとなく思ふ弟子の阿闇梨を添へて、仏経供養ずること行ひけり」
――その頃、比叡山の北谷の横川(よかわ)に、なにがしの僧都とかいう、まことに尊い聖が住んでいました。八十過ぎた母と五十歳ばかりの妹とがありましたが、ある時母と妹が、昔立てた願をのお礼参りに、初瀬寺に参詣したのでした。かねてから親しくしている高弟の阿闇梨をお供に付けて、仏像や経文を供養を営ませることにしました――

「事ども多くして帰る道に、奈良坂といふ山越えける程より、この母の尼君、心地あしうしければ、かくてはいかでか、残りの道をもおはし着かむ、ともて騒ぎて、宇治のわたりに知りたりける人の家ありけるにとどめて、今日ばかりやすめたてまつるに、なほいたうわづらへば、横川に消息したり」
――一行が願解きの供養などを行って帰る道、奈良坂という山を越えるあたりから、母の尼君の具合が急に悪くなり、このような容態では、この先の遠い道のりをどうして帰れようかと、娘の尼もひどく心配して、宇治のほとりにある知り合いの家に留まって、一日だけ様子を見ることにしました。しかし、相変わらずひどく苦しみますので、ともかくも事の次第を横川にお知らせししたのでした――

「山籠りの本意深く、今年は出でじ、と思ひけれど、限りのさまなる親の、道の空にて亡くやならむ、とおどろきて、いそぎものし給へり」
――(横川の僧都は)今年は山籠りの念願が深く、里へは下るまいと思っていましたが、危篤だと聞く母親が旅の途中で亡くなっては大変だと驚いて、急いで宇治に駈けつけました――

「惜しむべくもあらぬ人のさまを、みづからも、弟子の中にも験あるして加持し騒ぐを、家あるじ聞きて、『御嶽精進しはべるを、いたう老い給へる人の重くなやみ給ふは、いかが』とうしろめたげに思ひて言ひければ、さも言ふべきこと、と、いとほしう思ひて、いとせばくむつかしうもあれば、やうやう率て奉るべきに、中神塞がりて、例すみ給ふ所は忌むべかりければ」
――母君は死んでも惜しくはないほどの老齢ですが、僧都自身もまた弟子の中で効験のある者に命じて、加持祈祷をさせたりしてしきりに立ち騒ぎますのを、休養に立ち寄った家の主人が聞いて、「私は今、御嶽精進(みたけしょうじ)しているのですが、大そうお歳を召した方が御危篤だそうで。万一のことがありましては迷惑ですので…」と、死者が出て穢れはしないかと心配そうに、気ぜわしく言いますので、尤もな言い分だと僧都も気の毒に思われて、またその家は大そう狭くむさくるしくもあるのでした。そこでぼつぼつとお連れして帰ろうかとも思うのですが、横川の方は、生憎方角が塞がっていて避けなければならず――

◆御嶽精進(みたけしょうじ)=吉野の金峯山に詣でるため行う千日の精進のこと

◆中神塞がり(なかがみふたがり)=天一神ともいい、この神の居る方を塞がりとして、この方角に行くことを忌む。

では1/31に。

源氏物語を読んできて(1208)

2013年01月27日 | Weblog
2013. 1/27    1208

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その48

 女房の言葉に、

「なみなみの人めきて心地なのさまや、と、もの憂ければ、『もとより思し棄つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほしたづねなむうれしかるべき。うとうとしう、人づてなどにてもてなさせ給はば、えこそ』とのたまふに、げに、と思ひ騒ぎて、君をひきゆるがすべければ、『松も昔の、とのみながめらるるにも、もとより、などのたまふ筋は、まめやかにたのもしうこそは』と、人づてともなく言ひなし給へる声、いと若やかに愛敬づき、やあさしきところ添ひたり」
――女房から並みな扱いをされているようで面白くもない。薫は「もともとお見棄てにはなれないお血筋の間柄ですが、これからは何かの折毎には、私を頼りにしてくださいますれば、嬉しく思います。他人行儀にお取り次ぎでお接しくださるようでは、とてもお伺いできません」とおっしゃると、本当にそうであったと、女房も慌てて、宮の君にお返事を促しているようで、「知る人もなく、『松も昔の』と寂しく思いながら暮らします身には、貴方が、『もともと見棄てられない』などおっしゃる親戚としては、まことに頼もしく存じます」と、取り次ぎにともなくおっしゃる姫君のお声が、大そうお若く可愛らしく、やさしさも感じられます――

「ただなべてのかかる住処の人と思はば、いとをかしかるべきを、ただ今はいかでかばかりも、人に声聞かすべきものとならひ給へひけむ、と、なまうしろめたし。容貌もいとなまめかしからむかし、と、見まほしきけはひのしたるを、この人ぞ、また例の、かの御心みだるべきつまなめる、とをかしうも、ありがたの世や、とも思ひ居給へり」
――これがただ普通の宮仕えの人と思えば興味もおぼえるだろうが、宮家の姫君ともあろう方が、今はこんな風に、男に直接お声をお聞かせになる程になってしまわれたのか、と思うと何だかとても気懸りでならない。お顔もきってお美しいであろうと思うと、見てみたい気がなさるが、この人はまた、あの匂宮のお心をかき乱す種になりそうだと、興味も湧くが、理想どおりにゆかない男女の間というものだ、などとお考えになるのでした――

「これこそは、かぎりなき人のかしづき生ふしたて給へる姫君、またかばかりぞ多くはあるべき、あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人々の、かたほなるはなかりけるこそ」
――この宮の君こそは、高貴な父宮が大切にお育てになった姫君ではあることよ。しかしこのくらいの方は世の中に多くいらっしゃるであろう。それにしても不思議だったのは、あれほど俗人離れなさっていた八の宮のお側で、山里にお育ちの大君や中の君の御姉妹が欠点のなかった優れた方であったことよ――

「この、はかなしや軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか、と、何ごとにつけても、ただかのひとつゆかりをぞ思ひ出で給ひける」
――あの他愛なく軽率な死に方をした浮舟にしても、ふと見た様子ではまことに美しいことであった、と、何かにつけては、ただただあの大君の血縁のことだけを思い出されるのでした――

「あやしうつらかりける契りどもを、つくづく思ひつづけながめ給ふ夕ぐれ、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、『ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えし蜻蛉』あるかなきかの、と、例の、ひとりごち給ふとかや」
――姉妹三人が三人ともに、いつも妙に恨めしい関係に終わったことを、しみじみ思い出され、ぼんやりしていらっしゃる夕ぐれ時、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを御覧になって、薫の歌「大君や中の君が目の前にありながら我がものとならず、手に入ったと見た浮舟は、また行方も知れず消えてしまったことよ、この蜻蛉のように」あるかなきかの、と、例のひとり言を仰せられたとか――

◆松も昔の=古今集「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」

◆なまうしろめたし=気懸りだ

◆あるかなきかの=「あはれとも憂しともいはじ蜻蛉のあるかなきかに消ゆる世なれば」の歌か?


◆五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】終り。

では1/29に。

源氏物語を読んできて(1207)

2013年01月25日 | Weblog
2013. 1/25    1207

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その47

「律の調べは、あやしく折にあふと聞ゆる声なれば、聞きにくくもあらねど、弾きはて給はぬを、なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり給ふ。」
――律の調べは、不思議に秋の季節に合うと言われていますが、そのまま弾いても一向差し支えありませんのに、終りまで弾かずに止めてしまわれましたので、琴に熱心な女房は、とても残念に思うのでした――

「わが母宮もおとり給ふべき人かは、后腹と聞ゆばかりの隔てこそああれ、帝々の思しかしづきたるさま、ことごとならざりけるを、なほこの御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ、明石の浦は心にくかりける所かな、など思ひつづくることどもに、わが宿世はいとやむごとなしかし、まして、ならべて持ちたてまつらば、と思ふぞいと難きや」
――(薫はお心の中で)自分の母宮(女三宮)も、劣ったご身分と言えようか。女一の宮が中宮腹だというだけの違いはあるものの、それぞれ御父帝が大切になさった点では、変りなかったはずだが、それにしても女一の宮の御運勢が格別であったのは不思議なことだ。明石の浦(女一の宮の母の生地)という所は、よほど奥床しい所だったのだろう、などと思い続けていらっしゃるうちに、その御妹宮を頂いた自分の運勢も実にたいしたものだ、その上に、女一の宮を並べて頂いたら、どんなに結構なことだろう、と思うのは、余りに及ばぬ望みというものですこと――

「宮の君は、この西の対にぞ御方したりける。若き人々のけはひあまたして、月めであへり。いであはれ、これもまたおなじ人ぞかし、と思ひ出できこえて、親王の、昔心よせ給ひしものを、と言ひなして、そなたへおはしぬ」
――宮の君は、この西の対にお局を持っていらっしゃいます。若い女房達がおおぜい集まっている気配がして、月を愛で合っています。ああ、お気の毒な、この方もまた同じく親王家の姫君であったのに、と思い出されて、父親王が生前この私に姫君を与えたく思っておられたのに、と御自分に言い聞かせて、そちらへお渡りになります――

「童の、をかしき宿直姿にて、二三人出でてありきなどしけり。見つけて入るさまどももかがやかし。これぞ世の常と思ふ」
――女童が、可愛らしい宿直姿で、二、三人出て来て、庭先を歩いたりしています。薫のお姿に気付いて、入って行く姿も恥かしげです。自分がこのような夜歩きをするのも、別に気が負けることでもない、世の常のことだから、などとお思いになる――

「南面の隅の間によりて、うち声づくり給へば、すこしおとなびたる人出で来たり。『人に知れぬ心寄せなど聞えさせはべれば、なかなか、皆人聞えさせ古しつらむことを。うひうひしきさまにて、まねぶやうになり侍り。まめやかになむ、ことよりほかをもとめられ侍る』とのたまへば、君にも言ひ伝へず、さかしだちて、『いと思ほしかけざりし御ありさまにつけても、故宮の思ひきこえさせ給へりしことなど、思ひ給へ出でられあてなむ。かくのみ折々聞えさせ給ふなる、御後言をもよろこびきこえ給ふなる』と言ふ」
――(薫が)南面の隅の間に寄って、咳払いをなさると、少し年かさの女房が出てきました。薫が、「ひそかな恋心などを申し上げますと、却って、誰でもが申し古したことを、初心らしく真似て言うように聞こえましょう。思うという言葉以外に私の気持ちを表す言葉を、真剣に探しております」とおっしゃると、その女房は宮の君に取り次ぎもせず、利口ぶって、「宮の君が全く思いもかけない御境遇になられましたことにつけましても、亡き父宮がお思い申しておられたことなどが思い出されましてね。貴方さまがよくこう折々お噂申されます、ご同情のお言葉を、喜んでお聞きになっておられます」といいます――

◆宮の君=宮の君の父宮は、蜻蛉式部卿の宮で、桐壺帝の皇子であった。

では1/27に。



源氏物語を読んできて(1206)

2013年01月23日 | Weblog
2013. 1/23    1206

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その46

「例の西の渡殿を、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。姫宮、夜はあなたにわたらせ給ひければ、人々見るとて、この渡殿にうちとけて物語するほどなり。筝の琴いとなつかしう弾きすさぶ爪音、をかしう聞ゆ」
――薫が、例の西の渡殿に、先日隙見をなさったのが癖におなりになるのは、どうしたことでしょうか。女一の宮は夜は中宮の御方の方にお出でになっていますので、女房達は月を観ようと、
この渡殿にくつろいで物語りをしている時でした。筝の琴をたいそうやさしく弾きすさぶ爪音がたいそう趣き深い――

「思ひかけぬに寄りおはして『など、かくねたまし顔にかき鳴らし給ふ』とのたまふに、皆おどろかるべかめれど、すこしあげたる簾うちおろしなどせず、起きあがりて、『似るべき兄やは侍るべき』といらふる声、中将の御許とか言ひつるなりけり」
――(女房達が)思いがけない折に薫がお寄りになって、「どうしてこんなに人の心をときめかす音色をお立てになるのですか。『遊仙窟』の中の美人十娘ではあるまいし」とおっしゃると、女房達はみな驚かずにはいられない筈ですが、少し巻き上げてある簾を降ろしたりもせずに、起き上がって、『私が十娘に似ていても、あの物語の中の催季珪(さいきけい)のような兄はおりませんわ』と答える声は、中将のおもととか言った人でした(暗に、女一の宮を御覧になりたければ、よく似ていらっしゃる匂宮がおられるでしょう)――

「『まろこそ御母方の叔父なれ』と、はかなきことをのたまひて、『例の、あなたにおはしますべかめりな。何わざをか、この御里住みの程にせさせ給ふ』など、あぢきなく問ひ給ふ」
――(薫は)「私こそは、姫宮には御母方の叔父なのですよ」と、他愛いのないことを仰せになって、『姫宮は、例のとおりあちらにおいででしょうね。こういうお里住まい(六条院)の時には、何をなさっていらっしゃいますか』などと、つまらないことをお聞きになります――

「『いづくにても、何ごとをかは。ただかやうにてこそは過ぐさせ給ふめれ』と言ふに、をかしの御身の程や、と思ふに、すずろなる歎きの、うち忘れてしつるも、あやしと思ひ寄る人もこそ、と、まぎらはしに、さし出でたる和琴を、たださながら掻き鳴らし給ふ」
――「どちらにいらしても、ただこのように音楽などをなさって日を過ごしていらっしゃいます」と言うので、結構なご身分だと薫はお思いになりますにつけても、分けもなく溜息が出てしまったのにも、変だと怪しむ人がいるかも知れないと、それを誤魔化すために、向こうから差し出された和琴を、そのままの調子で、お弾きになります――

では1/25に。


源氏物語を読んできて(1000)

2013年01月21日 | Weblog
2013. 1/21    1205

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その45

「東の勾欄に押しかかりて、夕かげになるままに、花のひもとく御前の叢を見渡し給ふ。もののみあはれなるに『中について腸たゆるは秋の天』といふことを、いと忍びやかに誦んじつつ居給へり。ありつる衣の音なひ、しるきけはひして、母屋の御障子より通りて、あなたに入るなり」
――夕日の翳ってゆく頃、大将は東の勾欄に寄りかかって、花のほころび初めるお庭先の草むらを眺め渡しておいでになります。しみじみともののあわれを覚えられて、「中に就いて腸(はらわた)断ゆるは秋の天」という白氏文集の句を、たいそう忍びやかに誦しておいでになります。
女房の衣ずれの音がはっきりして、母屋の御障子の所を通ってあちらの方へ入って行きます――

「宮の歩みおはして、『これよりあなたに参りつるは誰そ』と問ひ給へば、『かの御方の中将の君』と聞ゆなり。なほあやしのわざや、誰にかと、かりそめにもうち思ふ人に、やがてかくゆかしげなく聞こゆる名ざしよ、と、いとほしく、この宮には、皆目なれてのみ覚えたてまつるべかめるもくちをし」

――匂宮が歩いてお出でになって、「ここからあちらへ参ったのは誰か」とお問いに、「女一の宮付きの中将の君です」と申し上げる声がします。何という嗜みのないことだ、あの女は誰かとかりそめにも気に掛けている男に、すぐこう露骨に呼び名を教えるなんて、と、気の毒に思いますが、大体において、この匂宮には、御殿の女房が馴れ馴れしく打ち解けているのが妬ましい――

「おりたちてあながちなる御もてなしに、女はさもこそ負けたてまつらめ、わがさもくちをしう、この御ゆかいりには、ねたく心憂くのみあるかな、いかで、このわたりにも、めづらしからむ人の、例の心入れて、騒ぎ給はむを語らひ取りて、わが思ひしやうに、やすからずとだにも思はせたてまつらむ、まことに心ばせあらむ人は、わが方にぞ寄るべきや、されど難いものかな、人の心は、と思ふにつけて」
――(匂宮のように)無遠慮で無理やりなお振舞いに、女はそのように靡いてしまうのだろうか。自分は何と残念にも、匂宮の浮気にはいつも辛い目に合わされていることだ。何とかして、女房の中でもよいから、稀に見る美人で、匂宮が例のとおり熱を入れてお騒ぎになる女を手に入れて、自分がかつて苦しい目にあったように、あちらにも口惜しい思いを味わわせてあげたいものだ、実際思慮のある女なら、自分の方に靡く筈だ、しかしめったに無いものだ、そんな気持ちの女は、と、思いますにつけても――

「対の御方の、かの御ありさまをば、ふさはしからぬものに思ひきこえて、いとびんなきむつびになりゆく、おほかたのおぼえをば、苦しと思ひながら、なほさし放ちがたきものに思し知りたるぞ、ありがたくあはれなりける」
――対の御方(中の君)が、匂宮のお振舞いを不似合いなものにお思いして、おもしろからぬ御仲となっていき、世間の見る目にも心ぐるしいと思いながらも、なお、別れることは出来ないと諦めておいでになるのは、稀に見るお方とも、お可哀そうにとも思う――

「さやうなる心ばせある人、ここらの中にあらむや、入りたちて深く見ねば知らぬぞかし、寝覚めがちにつれづれなるを、すこしはすきもならはばや、など思ふに、今はなほつきなし」
――それほど思慮深い人が大勢の女房の中にいるかしら、自分は立ち入ってみないから分からないが、と、寝ざめがちの時をもてあましつつ、薫は、少しは浮気でもしてみたいものだと、とはお思いになりますものの、今はやはりふさわしくない、とお考えになるのでした――

では1/23に。

源氏物語を読んできて(1204)

2013年01月19日 | Weblog
2013. 1/19    1204

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その44

「例の、二所参り給ひて、御前におはする程に、かの侍従は、ものよりのぞきたてまつるに、いづかたにもいづかたにも寄りて、めでたき御宿世見えたるさまにて、世にぞおはせましかし、あさましくはかなく、心憂かりける御心かな、など、人には、そのわたりのこと、かけて知り顔にも言はぬことなれば、心一つに飽かず胸いたく思ふ」
――例のとおり、匂宮と薫のお二人が六条院に参上されて、中宮の午前においでになるときに、あの、浮舟に仕え、今は明石中宮の御殿に出仕している侍従が、物陰からそっと覗き見して、このどちらの御方にでも浮舟が御縁づきになって、結構な御運勢の方としてこの世におられたなら、どんなに良かったことでしょう。まったくあっけなく恨めしい浮舟のお心よ、などと、他の人には宇治の事件を知っているとは話さないことなので、侍従は諦めきれない辛さに胸を痛めるのでした――

「宮は、内裏の御物語など、こまやかに聞えさせ給へば、いま一所は立ち出で給ふ。見つけられたてまつらじ、しばし、御はてをも過ぐさず心浅し、と見えたてまつらじ、と思へば、隠れぬ」
――匂宮は中宮に、宮中の御物語などを、細々と申し上げていらっしゃるので、もう一方の薫の君はお立ち出でになりました。侍従は、大将殿のお目に止まらぬようにしよう、まだ御忌も明けないのにこちらに参上して、浅はかな女とお思いにならないようにと思って、隠れていました――

「東の渡殿に、あきあひたる戸口に人々あまた居て、物語など忍びやかにする所におはして、『なにがしをぞ、女房はむつまじく思すべきや。女だにかう心安くはあらじかし。さすがにさるべからむこと、数へきこえぬべくもあり。やうやう見知り給ふべかめれば、いとなむうれしき』とのたまえば」
――東の渡殿の丁度そのとき開いていた戸口に、人々が大勢集まっていて、物語などをひそひそとしているところに薫がお出でになって、「私をこそあなた方は親しくなさるとよい。女でさえ私ほど安心な者はいないでしょう。その上皆さんが知っておかねばならぬことも教えることが出来そうだし、みなさんが段々分かって来たようなので、はなはだ嬉しい」とおっしゃると――

「いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、『そもむつまじく思ひ聞こゆべきゆゑなき人の、はぢきこえ侍らぬや。ものはさこそはなかなか侍りけれ。必ずそのゆゑたづねて、うちとけ御覧ぜらるるにしも侍らねど、かばかりおもなくつくりそめてける身に負はざらむも、かたはらいたくてなむ』と聞こゆれば」
――女房達が何とお答えしてよいものかと困っている中に、弁のおもとと言って、物馴れた年かさの女房が、「いったい、親しくお思い申す理由のない者が、かえって馴れ馴れしく物を申すのではございませんか。物ごとというものは、却ってそういうものでございますよ。必ずしもその理由をただしてから親しくして頂くのでもございませんが、私のように厚かましくなってしまった者が、お返事をいたしませず、尻込みをしていては極まり悪うございますので」と申し上げます――

では1/21に。

源氏物語を読んできて(1203)

2013年01月17日 | Weblog
2013. 1/17    1203

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その43

「この院におはしますをば、内裏よりもひろくおもしろく住みよきものにして、常にしもさぶらはぬ人どもも、皆うちとけ住みつつ、はるばると多かる対ども、廊渡殿に満ちたり。右の大殿、昔のけはひにもおとらず、すべてかぎりもなく営み仕うまつり給ふ。いかめしうなりにたる御族なれば、なかなかいにしへよりも、今めかしきことはまさりてさへなむありける」
――(明石中宮が)宮中から六条の院へ退出していらっしゃいますと、御所よりも広く面白く、住み心地よく思われて、いつも詰め切りに伺候するのではない女房達でも、みな気軽に住んで、広々と幾棟もある対、廊、渡殿が、女房達でいっぱいです。左大臣は、六条院(源氏)の御在世中のご威勢に劣らず、明石中宮の御為に万事につけこの上もなくお世話申し上げられます。厳めしいまでに栄えていらっしゃる御一門ですので、却って昔よりも華やかさでは、優ってみえるほどです――

「この宮、例の御心ならば、月ごろの程に、いかなるすきごとどもをし出で給はまし、こよなくしづまり給ひて、人目にはすこし生ひ直り給ふかなど見ゆるを、こごろぞまた、宮の君に、本性あらはれてかかづらひありき給ひける」
――匂宮は、いつものご性分ならば、母宮が六条の院においでになる幾月かの間に、なにか浮気をお始めになるところですが、それがこの上もなく落ち着かれて、人目には少しは生まれ変られたのかと見えましたが、この頃になってまたご本性が現れて、何かと宮の君への懸想に熱中しておられます――

「涼しくなりぬとて、宮、内裏に参らせ給ひなむとすれば、『秋の盛り黄葉の頃などを見ざらむこそ』など、若き人々はくちをしがりて、皆参りつどひたる頃なり。水になれ月をめでて、御遊び絶えず、常よりも今めかしければ、この宮ぞ、かかる筋はいとこよなくもてはやし給ふ」
――もう涼しくもなりましたので、明石中宮が御所に参内なさろうとしますと、「秋の盛りの紅葉の頃を観ませんでは」などと、若い女房達が残念がって、皆そろってこちらに伺候しています。池水に馴れ親しみ、月の光を愛でて、絶えず管弦のお遊びをなさり、いつもより賑やかですので、匂宮はこの方面のことは大そうお好きでいらっしゃるので、この上なくうち興じていらっしゃる――

「朝夕に目なれても、なほ今見む初花のさまし給へるに、大将の君は、いとさしも入り立ちなどし給はぬ程にて、はづかしう心ゆるびなきものに皆思ひたり」
――匂宮の御様子は、朝に夕べに見馴れていましても、まるで今初めて見る初咲きの花のようでいらっしゃるのに対して、薫はそれほど六条院に入り浸られない時分ですので、女房達には少々気づまりな方だと思われています――

では1/19に。

源氏物語を読んできて(1202)

2013年01月15日 | Weblog
2013. 1/15    1202

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その42

「この春亡せ給ひぬる式部卿の宮の御女を、継母の北の方ことにあひ思はで、兄の、右馬の頭にて人柄もことなることなき、心かけたるを、いとほしうなども思ひたらで、さるべきさまになむ契る、と聞し召すたよりありて、『いとほしう、父宮のいみじくかしづき給ひける女君を、いたづらなるやうにもてなさむこと』などのたまはせければ」
――この春お亡くなりになられた式部卿の宮(光源氏の弟)の姫君を、継母の北の方が格別嫌って、自分の兄で、右馬の頭(うまのかみ)で人品もそれほどではない男が懸想したのを、継母は可哀そうにとも思わずに縁づけようと取り計らったと、明石中宮がお聞きになる折がありまして、
「お可哀そうに。父宮が大切にお育てになった姫君を、そのように粗略にお扱いになるとは、まあ」などと仰っておりました――

「いと心細くのみ思ひ歎き給ふありさまにて、『なつかしう、かくたづねのたまはするを』など御兄の侍従も言ひて、このごろ迎へ取らせ給ひてけり。姫宮の御具にていとこよなからぬ御程の人なれば、やむごとなく心ことにてさぶらひ給ふ。かぎりあれば、宮の君などうち言ひて、裳ばかりひきかけ給ふぞ、いとあはれなりける」
――(当の姫君も)ただ心細いばかりで歎いていらっしゃった時ですので、「おやさしくも、こんなにお心にかけてお尋ねくださるとは」と、兄君の侍従なども言って、この頃こちらにお引き取らせになりました。女一の宮のお相手として、それほど不似合いではないご身分の人なので
ほかの女房とは違った尊いご身分の方として、特別の扱いでお仕えしていらっしゃいます。けれども女房という身分の限界がありますので、宮の君などと呼ばれて、裳だけは着けてお出でになりますのが、大そうお労しいのでした――

「兵部卿の宮、この君ばかりや、こひしき人に思ひよそへつべきさましたらむ、父親王は兄弟ぞかし、など、例の御心は、人を恋ひ給ふにつけても、人ゆかしき御癖止まで、いつしかと御心かけ給ひてけり」
――匂宮は、この宮の君だけは、恋しいあの浮舟になぞらえてもよいご容姿ではなかろうか、二人の父親王はご兄弟なのだから、などと、例の浮気なご性分では、亡き人を恋しくお思いになるにつけても、まだ見ぬ女に憧れる御癖が止まず、早く逢いたいものだと心掛けておいでになります――

「大将、もどかしきまでもあるわざかな、昨日今日といふばかり、東宮にやなど思し、われにもけしきばませ給ひきかし、かくはかなき世のおとろへを見るには、水の底に身を沈めても、もどかしからぬわざにこそ、など思ひつつ、人よりは心よせきこえ給へり」
――薫は、宮の君がたとえ中宮の御殿であるにせよ、宮仕えをするなどとは、非難したいくらいだ。つい作今まで東宮に女御して差し上げようかとなどと父宮がお思いになり、自分にも妻にしてはどうかとというような素振りをお見せになったその方を、(宮仕えなさるというような)そのような無情な世の移ろいを見るなら、いっそ川に飛び込んでも悪く言われずにすむことだ、などとお思いになって、薫は人一倍宮の君にご同情申されました――

◆裳ばかりひきかけ=一般の女房は裳と唐衣を着るが、宮の君は身分柄、裳だけを着けて宮仕えのしるしとしたのである。

では1/17に。

源氏物語を読んできて(1201)

2013年01月13日 | Weblog
2013. 1/13    1201

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その41

「皆人どもは往き散りて、乳母とこの人二人なむ、とりわきて思したりしも忘れがたくて、侍従はよそ人なられど、なほ語らひて、あり経るに、世づかぬ川の音も、うれしき瀬もやある、と頼みし程こそなぐさめけれ、心憂くいみじくもの恐ろしくのみおぼえて、京になむ、あやしきところに、このごろ来て居たりける」
――宇治では浮舟の死後、侍女たちは暇を取って去っていき、乳母とこの侍従と右近だけが残っていました。侍従はあとからここに来た女房でしたが、やはり乳母たちと仲良く暮らしていましたが、聞きなれない川の音も、やがては嬉しき瀬になるかと望みを掛けていた間は、慰めになったものの、今ではもう恐ろしく思えて、この頃、京のむさくるしい所に移って来ていたのでした――

「たづね出で給ひて、『かくてさぶらへ』とのたまえど、御心はさるものにて、人々の言はむことも、さる筋のことまじりぬるあたりは、聞きにくきこともあらむ、と思へば、うけひききこえず、后の宮に参らむとなむおもむけたれば、『いとよかなり。さて人知れず思しつかはむ』とのたまはせけり」
――その侍従を匂宮は探し出されて、「こちらにお仕えするように」と仰せになりますが、そのご親切はそれとして、ほかの女房達は何と思うかしら、何分にも亡き姫君とこちらの御方とは入り組んで面倒なことが絡んでいる邸であってみれば、聞くに堪えぬこともあるだろう、そう思うとお受けしかねて、中宮の御所へ出仕いたしとうございます、と申し上げますと、「それはよいことだ。そうしたうえで私がそっと目を掛けて使うとしよう」とおっしゃられます――

「心細くよるべなきもなぐさむや、とて、知るたより求めて参りぬ。きたなげならでよろしき下なり、とゆるして、人もそしらず。大将殿も常に参り給ふを、見るたびごとに、もののみあはれなり」
――侍従は、心細く頼り所のない気持ちも紛れるであろうと思って、伝手を頼って明石中宮にご奉公にあがりました。見ぐるしくない、頃合いの下仕えの女房だと、誰にも悪く言われずお仕えしています。薫殿も始終お出でになりますので、拝見するたび悲しくなるのでした――

「いとやむごとなき、ものの姫君のみ、多く参りつどひたる宮、と人も言ふを、やうやう目とどめて見れど、なほ見奉りし人に似たるはなかりけり、と思ひありく」
――大そう身分の高い姫君と呼ばれる程の人ばかり大勢お仕えしている御殿と聞いてはいましたが、だんだん気をつけて見ても、お仕えしていたあの浮舟程美しい人は居なかった、と思いながら小まめに立ち働いています――

では1/15に。