三十三帖【藤裏葉(ふじのうらは)の巻】
09.5/13 385回 その(13)
源氏は、このような御仲を快いものにお思いです。またご自分が生きておられる内に、姫君入内のことも立派になし終え、長い間結婚せずに世間体の悪かった夕霧も、心配なく安心な状態に定まりましたので、今こそと出家のお志を持たれますものの、
「対の上の御有様の見棄てがたきにも、中宮おはしませば、おろかならぬ御心よせなり。この御方にも、世に知られたる親ざまには、先づ思ひ聞こえ給ふべければ、さりともと思しゆづりけり」
――対の上(紫の上)の事が気になりますが、それも秋好中宮がおられますので、大きな味方となってくれましょう。この御方(明石の姫君)にしましても、表向きの親としては紫の上を第一の御母上として立てられる筈と、源氏は出家しても大丈夫だと安心されます――
故葵の上の親代わりでいらした花散里には、夕霧がおり、みなそれぞれに不安はないと段々にお考えになっております。
源氏は来年四十歳になられますので、そのお祝いのことを、朝廷はじめ、世を上げて大掛かりに準備されております。
その秋、源氏は太上天皇に准ずる御位をいただき、封戸(ふこ)が加わり、年官(つかさ)、年爵(こうぶり)などもお受けになりました。それでもまだ帝は、御位を世間を憚られて源氏にお譲りになれないことを、残念にお思いで、朝夕御悩みなのでした。
内大臣は太政大臣に、夕霧は宰相の中将から中納言に、それぞれ昇進されました。夕霧のいよいよ光輝く御容姿と何不足のない御有様に、舅の太政大臣は、
「なかなか人に押されまし宮仕えよりは」
――(雲井の雁にとっては)人に負かされるような中途半端な宮仕えをするよりは、この人を婿にして良かった――
と、しみじみ思われのでした。
ではまた。
09.5/13 385回 その(13)
源氏は、このような御仲を快いものにお思いです。またご自分が生きておられる内に、姫君入内のことも立派になし終え、長い間結婚せずに世間体の悪かった夕霧も、心配なく安心な状態に定まりましたので、今こそと出家のお志を持たれますものの、
「対の上の御有様の見棄てがたきにも、中宮おはしませば、おろかならぬ御心よせなり。この御方にも、世に知られたる親ざまには、先づ思ひ聞こえ給ふべければ、さりともと思しゆづりけり」
――対の上(紫の上)の事が気になりますが、それも秋好中宮がおられますので、大きな味方となってくれましょう。この御方(明石の姫君)にしましても、表向きの親としては紫の上を第一の御母上として立てられる筈と、源氏は出家しても大丈夫だと安心されます――
故葵の上の親代わりでいらした花散里には、夕霧がおり、みなそれぞれに不安はないと段々にお考えになっております。
源氏は来年四十歳になられますので、そのお祝いのことを、朝廷はじめ、世を上げて大掛かりに準備されております。
その秋、源氏は太上天皇に准ずる御位をいただき、封戸(ふこ)が加わり、年官(つかさ)、年爵(こうぶり)などもお受けになりました。それでもまだ帝は、御位を世間を憚られて源氏にお譲りになれないことを、残念にお思いで、朝夕御悩みなのでした。
内大臣は太政大臣に、夕霧は宰相の中将から中納言に、それぞれ昇進されました。夕霧のいよいよ光輝く御容姿と何不足のない御有様に、舅の太政大臣は、
「なかなか人に押されまし宮仕えよりは」
――(雲井の雁にとっては)人に負かされるような中途半端な宮仕えをするよりは、この人を婿にして良かった――
と、しみじみ思われのでした。
ではまた。
唐楽(1)
唐楽(とうがく)というのは 中国の楽曲 および 中国経由で日本に伝わったとされる楽曲で、左楽ともいい、広義の唐楽には 中国本土に由来する演目の他、胡楽や林邑楽など西域,インド,ベトナムを起源とする楽舞も含まれるのだそうです。
赤い装束を着て、打楽器の羯鼓(かっこ),管楽器の笙(しょう),竜笛(りゅうてき),篳篥(ひちりき)を それぞれ演奏しています。
唐楽(とうがく)というのは 中国の楽曲 および 中国経由で日本に伝わったとされる楽曲で、左楽ともいい、広義の唐楽には 中国本土に由来する演目の他、胡楽や林邑楽など西域,インド,ベトナムを起源とする楽舞も含まれるのだそうです。
赤い装束を着て、打楽器の羯鼓(かっこ),管楽器の笙(しょう),竜笛(りゅうてき),篳篥(ひちりき)を それぞれ演奏しています。