永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(121)その2

2019年05月24日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その2 2019.5.24

 さてゐざり出でさせたまひぬれば、やがて御屏風に添ひつきてのぞくを、「あしかンめり。うしろめたきわざ」と聞こえごつ人もあり。いとをかし。御障子のいとひろうあきたれば、いとよく見ゆ。うへは白き御衣ども、紅の張りたる二つばかり、女房の裳なンめり、引きかけて、奥に寄りて、東向きにおはすれば、ただ御衣などぞ見ゆる。淑景舎は北に少し寄りて、南向きにおはす。
◆◆さて、中宮様が御席へと膝行してお出ましあそばされてしまったので、私はそのまま御屏風にぴったり寄り添って覗くのを、「悪いでしょう。気がかりなやりようだこと」と中宮様にお耳に入るように言う女房もいる。たいへんに面白い。御襖障子がとても広く開いているのでよく見える。殿の北の方は白いお召し物を何枚か、紅の張った衣を二枚ばかりお召しで、(それは)女房の裳なのだろう、その裳をひきかけて、奥の方に寄って、東向きに座っておいでなので、ただお召し物などが見える。淑景舎は北に少し寄って、南向きにおいでになる。◆◆

■女房の裳なンめり=中宮の前なので臣下である北の方は女房の裳を着けたのであろう。


 紅梅ども、あまた濃く薄くて、濃き綾の御衣、すこし赤き蘇芳の織物の袿、萌黄の固紋の、わかやかなる御衣奉りて、扇をつとさし隠したまへる、いといみじく、げにめでたくうつくしと見えたまふ。
◆◆紅梅の内着を、たくさん濃いの薄いのを重ねて、それに濃い綾の単衣のお召し物、少し赤い蘇芳の織物の袿、萌黄の固紋の、若々しい御表着をお召しになって、扇をじっとお顔にさし隠していらっしゃるご様子は、とても素晴らしく、なるほど本当にご立派でおかわいらしいとお見えになる。◆◆


枕草子を読んできて(121)その1

2019年05月16日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その1  2019.5.16

 淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など、いかがは、めでたからぬことなし。正月十日まゐりたまひて、宮の御方に、御文などはしげう通へど、御対面などはなきを、二月十日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房なども、みな用意したり。夜中ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもなくて明けぬ。登華殿の東の二間に、御しつらひはしたり。
◆◆淑景舎が東宮の妃として入内なさるころのことなど、どうして、素晴らしくないことは何一つない。正月十日に(小右記では十九日)参上なさって、中宮様の御方に、お手紙などは頻繁に通うけれども、ご対面などはないのを、二月十日、中宮様の御方にお出でになるはずのご案内があるので、いつもよりもお部屋の飾りつけを特に心を入れて磨きをかけ、立派に整え、女房などもみな緊張して心構えをしている。夜中のころお越しあそばされたので、いくらの時もたたないうちに夜が明けてしまった。登華殿(とうかでん)の東の廂の二間に、お迎えするお飾り着けはしてある。◆◆

■淑景舎(しげいしゃ)=中宮の妹、原子。長徳元年(995)一月東宮(後の三条帝)に入内。
■東の二間=東の廂の、二つの柱間を仕切って一室にしたもの・



 つとめて、いととく御格子まゐりわたして、暁に、殿、うへ、一つ御車にてまゐりたまひにけり。宮は、御曹司の南に、四尺の屏風、西東にへだてて、北向きに立てて、御畳、御褥うち置きて、御火桶ばかりまゐりたり。御屏風の南、御帳の前に、女房いとおほく候ふ。
◆◆翌朝、とても早く御格子をお上げ申し上げて、夜明け前のまだ暗いころに、関白道隆(中宮、淑景舎の父)、奥方様(道隆の妻貴子)が、一つの御車にて参上なさったのであった。中宮様は、御部屋の南に、四尺の屏風を
西から東に隔てとして、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物を置いて、御火鉢くらいをお入れ申し上げている。御屏風の南や、御帳台の前に、女房がとても大勢伺候している。◆◆



 こなたにて御髪などまゐるほど、「淑景舎は見たてまつりしや」と問はせたまへば、「まだいかでか。積善寺供養の日、ただ御うしろをはつかに」と聞こゆれば、「その柱と屏風とのもとに寄りて、わがうしろより見よ。いとうつくしき君ぞ」とのたまはすれど、うれしく、ゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。紅梅の固紋、浮紋の御すそどもに、紅の打ちたる御衣三つぞ、ただ上にひき重ねて奉りたるも、「紅梅には濃き衣こそをかしけれ。今は、紅梅、着でもありぬべし。されど萌黄などのにくければ、紅には似はぬなり」とのたまはせれど、ただいまめでたく見えさせたまふ。奉りたる御衣に、やがて御かたちのにほひ合はせたまふぞ、なほことよき人もかくやおはしますらむとぞゆかしき。
◆◆こちらで中宮様の御髪などをお手入れ申しているとき、「淑景舎はお見申しあげていたか」とお尋ねあそばされますので、「まだどうしてお見申しあげましょう。積善寺供養の日に、ただ御後ろ姿をちらっと」と申し上げますと、「その柱と屏風とのそばに寄って、私の後ろから見なさい。とても可愛い方よ」と仰せあそばすので、うれしく、お見申しあげたさがつのって、早くその時がこないかなと思う。中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召し物の御裾に、紅の御打ち衣三枚を、ただ上にひき重ねてお召しになっていらっしゃるのも、「紅梅には濃い紅の打ち衣こそおもしろい。今は、紅梅を着ないでいるほうがきっとよいであろう。だけれど萌黄などが好きではないから、萌黄は紅には合わないのだよ」と仰せあそばすけれど、今の今、素晴らしくお見えあそばされる。お召しになっている御衣装に、そのままお顔のつやつやとしたお美しさが映え合っていらっしゃるのは、やはりもう一人の素晴らしい御方もこのようでいらっしゃるのだろうと、お見申し上げたい気持ちになる。◆◆

■御髪(みぐし)などまゐる=貴い方に御整髪をしてさしあげるの意。

■積善寺(しゃくぜんじ)供養の日=この前年の正暦五年(994)二月二十日道隆の主催で行われた。

■紅梅の固紋=紅梅の織色か。縦糸紫、横糸紅という。一説、襲の色目。表紅、裏紫。それを固くしめて織ったもの。

■浮紋=糸を浮かせて紋様を織り出したもの。

■紅の打ちたる御衣(おんぞ)=紅の綾を砧(きぬた)で打って艶を出したもの。
*この文のままでは紅梅の衣の上に紅の打ち衣三枚を着たと解いされるが、打ち衣は表着(うわぎ=ここでは紅梅の衣)の下に着るのが普通だとすれば、不審。ただ打ち衣は表着に用いたようにも見える。

■今は、紅梅、着でもありぬべし。……=紅梅は十一月から二月までの着用なので、二月十日の今は珍しげがないから着なくてもいいはずだとするのが通説だが、萌黄云々と考え合わせると、この年齢(中宮十九歳)ではもう着ないほうがよい、の意とする説に従うべきか。



枕草子を読んできて(120)

2019年05月07日 | 枕草子を読んできて
一〇七 雨のうちはへ降るころ (120) 2019.5.7
 
 雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使ひにて、式部丞のりつねまゐりたり。例の御褥さし出だしたるを、常よりも遠く押しやりてゐたれば、「あれはたれが料ぞ」と言へば、笑ひて、「かかる雨にのぼりはべらば、足がたつきて、いとふびんにきたなげになりはべりなむ」と言へば、「など。けんそく料にこそはならめ」と言ふを、「これは御前に、かしこう仰せらるるにはあらず。のぶつねが足がたのことを申さざらしかば、えのたまはざらまし」とて、かへすがへす言ひしこそをかしかりしか。
◆◆雨が引き続いて降るころ、今日も降るのに、帝の御使いとして、式部丞のりつねが中宮様の御方に参上している。いつものように御敷物を差し出してあるのを、普段よりも遠くに押しやって座っているので、「あれは誰が使う物ですか」と言うと、笑って「こんな雨の時に参上しますなら、足の跡がついて、たいへん不都合で汚らしくなってしまいましょう」と言うので、「どうしてでしょうか。ケンソク(不審)料にこそはなりましょうのに」と言うのを、「これはあなたさまが、上手く仰せになるのではない。(気が利いた言い方?)のぶつねの足の跡のことを申しませんでしたら、おっしゃれなかったでしょう」と言って、繰り返し繰り返し言うのこそはおもしろかった。◆◆

■うちはへ=長引いて。引き続いて。
■のりつね=後の文では、「のぶつね」とあり、不審。「のぶつね」は藤原信経で、長徳3年(997)正月式部丞(式部省の三等官)になっている。


 「あまりなる御身ぼめかな」とかたはらいたく、「はやう、大后の宮に、ゑぬたきといひて名高き下仕へなむありける。美濃の守にて失せにける藤原の時柄、蔵人なりける時、下仕へどもある所に立ち寄りて、『これやこの高名のゑぬたき。などさも見えぬ』と言ひける返事に、『それときはに見ゆる名なり』と言ひたりけるなむ、『かたきに選りても、いかでかさる事はあらむ』と、殿上人、上達部までも、興ある事にのたまひける。またさりかるなンめりと、今までかく言ひ伝ふるは」と聞こえたり。「それまた時柄と言はせたるなり。すべて題出だしからなむ、文も歌もかしこき」と言へば、「げにさる事あることなり。さらば、題出ださむ。歌よみたまへ」と言ふに、「いとよき事。一つは何せむに、同じうはあまたをつかまつらむ」など言ふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし。まかり出でぬ」とて立ちぬ。「手も、いみじう真名も仮名もあしう書く、人も笑ひなどすれば、かくしてなむある」と言ふもをかし。
◆◆「あまりなご自慢ぶりよ」と聞き苦しく、「ずっと以前の事、大后の宮に、えぬたきといって名高い下仕えの者がありました。美濃の守在任中に亡くなってしまった藤原の時柄(ときから)が、蔵人であった時、この下仕えたちがいる所に立ち寄って、『これがこの名高いえぬたきか。どうしてそんなふうにも見えないが』と言ったのに対してえぬたきの返事に、『それは時柄―時次第―ではなく、常盤に―いつも―見える名前です』と言ったのだったのこそ、『わざわざ競争相手に選んでも、どうして、こんなうまい出会いがあるだろうか』と殿上人や上達部までも、興あることとしておっしゃったのでした。実際、またそうだったことでしょう。今にいたるまでこう言い伝えるのは」とのぶつねに申し上げた。するとのぶつねは「それはまた時柄―その時次第―で、そうした人に言わせているのです。すべて題のだしよう次第で、詩文も歌もうまくできるのです」というので、「なるほどそういうことはあることです。それならば、題を出しましょう。歌をお詠みください」と言うと、「それは大変なことだ。一つではどうしようもないから、同じ事ならばたくさんお詠みもうしあげましょう」などといううちに、中宮様から御題が出てきてしまったので、「ああ恐ろしいこと。退出いたしてしまいます」と言って、立って行ってしまった。「筆跡も、漢字も仮名もひどく下手に書くのを、人も笑などするので、筆跡を隠しているのよ」と女房たちが言うのもおもしろい。◆◆

■ゑぬたき=下仕えの名。「ゑぬ=恵奴、又犬と同じ」とあるのから、「犬抱き」「犬たぐり」を当てて命名が考えられる。


作物所の別当するころ、たれがもとにやりけるにかあらむ、物の絵様やるとて、「これがやうにつかまるべし」と書きたる真名のやう、文字の、世に知らずあやしきを見つけて、それがかたはらに、「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々取りて見て、いみじう笑ひけるに、大腹立ちてこそうらみしか。
◆◆のぶつねが作物所の別当をしていたころ、だれのところに届けたのか、工作する物の絵図面を送るということで、「これのとおりに調達申し上げよ」と書いてある漢字の書風や字体が、世にもおかしく変なのを見つけて、そのそばに、「これのとおりに調達もうしあげるなら、さぞかし異様な物が出来上がるに違いない」と書き添えて、殿上の間に届けたところ、人々がそれを手に取って見て、ひどく笑ったので、のぶつねは大層立腹して恨んだことだった。◆◆

■作物所(つくもどころ)=宮中の調度類を調達したり細工をしたりする役所。別当はその長官。