永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(828)

2010年09月29日 | Weblog
2010.9/29  828

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(5)

 薫は弁の君に、

「おのづから聞き伝へ給ふやうもあらむ。いとあやしき本性にて、世の中に心をしむる方なかりつるを、さるべきにてや、かうまでもきこえ馴れにけむ。世人もやうやう言ひなすやうあべかるに、同じくは昔の御事もたがへ聞こえず、われも人も世の常に心とけて聞こえ通はばや、と思ひ寄るは、つきなかるべき事にても、さやうなるためしなくやはある」
――あなたも自然と耳にされる向きもあるでしょう。私は実に偏屈な性質で、現世に執着するつもりが無い筈なのに、前世の因縁からでしょうか、このような姫君に対して親しみを持ってしまったようです。世間もだんだんと私たちのことを噂してくるようで、同じ事なら八の宮のご意向にも背くことなく、私も姫君も世間並みに打ち解けておつき合いしたいと思いついたわけですが、それがたとえ不似合いであっても、そうした例が無いとでもいうのでしょうか――

 と、おっしゃって、その続きに、

「宮の御事をも、かく聞こゆるに、うしろめたくはあらじと、うちとけ給ふさまならぬは、内々に、さりとも思ほし向けたる事のさまあらむ。なほ、いかにいかに」
――匂宮のことも、私がいろいろとお薦め申し上げますのに、不安な事はあるまいと賛同なさるご様子もないのは、内々、やはり何かお考えになるご事情があるのでしょうか。
何ともまあ、どうしたものか――

 と、どうにも解せないという風におっしゃるのでした。

「例の、わろびたる女ばらなどは、かかる事には、にくきさかしらも言ひまぜて、言よがりなどもすめるを、いとさはあらず、心の中には、あらまほしかるべき御事どもを、と思へど」
――例によって、口さがない女達などは、このような場合には聞きにくい生意気なことも言い合って調子を合わせたりするもののようですが、弁の君は決してそうではなく、心の中ではどちらも結構なご縁だと思うものの、――

 弁の君は、薫に申し上げます。

「もとより、かく人にたがひ給へる御癖どみに侍ればにや、いかにもいかにも、世の常に何やかやなど、思ひ寄り給へる御けしきになむ侍らぬ。かくてさぶらふこれかれも、年頃だに、何のたのもしげある木の本のかくろへも侍らざりき」
――もともと(姫君たちは)人とは異なったお心癖でいらっしゃるようで、どうしてどうして、世の人並みに結婚の何のと、思いつかれるご様子には思えません。こうしてお仕えしています侍女たちも、八の宮の御在世中でさえ、何一つ頼みになるような身の寄せどころもございませんでした――

では10/1に。


源氏物語を読んできて(827)

2010年09月27日 | Weblog
2010.9/27  827

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(4)

 大君のお話は、

「げにかかる住ひなどに、心あらむ人は、思ひ残すことあるまじきを、何事にも後れそめにけるうちに、この宣ふめる筋は、いにしへも、さらにかけて、とあらばかからばなど、行く末のあらましごとにとりまぜて、宣ひ置くこともなかりしかば、なほかかる様にて、世づきたる方を思ひ絶ゆべくおぼし掟てける、となむ思ひ合せ侍れば、ともかくも聞えむ方なくて」
――こういう山里の住いなどでは、多感な人ならば、なるほど物思いの限りを尽くしましょうが、私は何事にも気が利かぬ生まれつきでございまして、その中でも特に、あなたがおっしゃる男女間のことは、父上の在世中も決して、こんな時にはこうしなさいなどと、将来のあり方に合せて教えてくださることもございませんでしたので、私はやはりこのまま一人でいるように、人の妻になることなど、思い断つようにお指図されたのだと思いますので、とにかく申し上げる言葉もございません…――

「さるは、すこし世籠りたる程にて、み山がくれには心苦しく見え給ふ人の御上を、いとかく朽木にはなしはてずもがな、と、人知れずあつかはしく覚え侍れど、いかなるべき世にかあらむ」
――ところで、まだ年も若く、このような山里には可哀そうに見える人(中の君)のことを、何とか朽木にしてしまいたくないと、ひそかに気になっているのですが、いったいどんなご縁に決まることでしょうか――

 と、心乱れてのご心配の様子は、たいそうはかなげに痛々しい。
まだお若い女の身で、どうしててきぱきと大人っぽく利口そうなお返事ができようかと、薫は大君のお話を尤もともお思いになるのでした。

それから後、例の弁の君を呼び寄せて、お話をなさいます。

「年頃は、ただ後の世ざまの心ばへにて、進み参りそめしを、もの心細気におぼしなるめりし御末の頃ほひ、この御事どもを心に任せてもてなし聞こゆべくなむ宣ひ契りてしを、おぼしおきて奉り給ひし御ありさまどもにはたがひて、御心ばへどもの、いといとあやにくにもの強げなるは、いかに、思しおきつる方の異なるにやと、疑はしき事さへなむ」
――(私は)今まではただ後生を願う目的で、こちらに参上し始めたのだが、八の宮が心細げにおなりになった御晩年の頃、姫君方のことを思い通りお世話申すようにと御依頼になったのですよ。宮がお考えになられたのとは違って、姫君方のご意向が全く実に具合悪く強気でいらっしゃるのは、いったいどのようなお積りなのか、疑わしい気さえしましてね――

 さらにお続けになります。

◆朽木にはなしはてずもがな:朽木には―無し―果てず―もがな。朽木に果てるようなことはさせたくない。

では9/29に。

源氏物語を読んできて(826)

2010年09月25日 | Weblog
2010.9/25  826
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(3)

 薫自身の大君に対する恋心は、大君がこのように何かとお話をそらしてしまわれるご様子ですので、その先へとお心を打ち明けることもできず、極まり悪げに匂宮の御意中だけを、真面目にお話になります。

「さしも御心に入るまじきことを、かやうの方にすこしすすみ給へる御本性に、きこえそめ給ひけむまけじ魂にやと、とざまかうざまに、いとよくなむ御けしき見奉る。まことにうしろめたくはあるまじげなるを、などかくあながちにしも、もて離れ給ふらむ」
――匂宮はそれほどお気に召しそうもないことでも、こういう方面にかけましては、突き進むご性質ですから、中の君の事も一旦申し出された意地からではないかと、あれこれと宮のご意向を探ってみました。その点、匂宮については決してご心配になることはなさそうです。それなのに、なぜあなたはそうむやみに匂宮を無視なさるのですか――

「世のありさまなどおぼしわくまじくは見奉らぬを、うたて、とほどほしくのみもてなさせ給へば、かばかりうらなく頼みきこゆる心に違ひてうらめしくなむ。ともかくもおぼしわくらむ様などを、さわやかに承りにしがな」
――あなたは世の中のこと(男女の)などご理解無くはないでしょうに、妙に疎遠にばかりなさいますので、これほど心底からお頼りしています私の心とすれ違うのを怨めしく存じます。とにかくご分別の程を今日ははっきりお聞かせ頂きたいものです――

 と、畳みかけておっしゃいます。大君は、

「違へじの心にてこそは、かうまであやしき世のためしなるありさまにて、へだてなくもてなし侍れ。それをおぼしわかざりけるこそは、浅き事もまじりたる心地すれ」
――あなた様のお心に背くまいと思えばこそ、これ程風変わりな例ともなりそうな身の上でありながら、お親しく申しているのでございます。それが分かって頂けなかったとはあなたのお志に浅い点がおありのように思います――

 さらに大君はお続けになります。

では9/27に。

源氏物語を読んできて(825)

2010年09月25日 | Weblog
2010.9/23  825

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(2)

「結びあげなるたたりの、簾のつまより、几帳のほころびに透きて見えければ、その事と心得て、『わが涙をば玉にぬかなむ』とうち誦し給へる、伊勢の御もかうこそはかりけめ、と、をかしくきこゆるも、内の人は、聞き知り顔に、さし答へ給はむもつつましくて、『物とはなしに』とか、貫之がこの世ながらの別れをだに、心細き筋にひきかけけむを、など、げに故言ぞ、人の心をのぶるたよりなりけるを、思ひ出で給ふ」
――ふとそのとき、糸繰り台が御簾の端の几帳を透かして見えましたので、薫は名香(みょうごう)の糸を造っておられるのだとお気づきになって、「より合せ泣くなる声を糸にしてわが涙をば玉にぬかなむ」と伊勢の古歌を口ずさまれます。姫君たちも折からのあわれに誘われて、伊勢の悲しみ(仕えていた后の崩御に詠んだうた)も、さぞかしこの通りであったろうと、お心に沁みるのでしたが、心得顔にさし出がましくお答えしますのも気が負けて、ただ心の内で、紀貫之が「糸による物ならなくに別路の心細くも思ほゆるかな」と死別ではなく生別であっても心細いと歌ったものなどを、なるほど古歌こそは人の心を慰めるこの上ないよすがであるとお思いになるのでした――

 薫は姫君たちに代わって、追善のために仏前で読み上げる御願文をしたためておられたそのついでに、

「(歌)あげまきに長きちぎりをむすびこめおなじ所によりもあはなむ」
――(歌)名香の糸を幾度も同じところに結び目が出あうあげ巻結びにするように、わたしもあなたと永久に逢える契りを結びたいものです――

 とご自分の意を書いて大君にお見せになりますと、またいつもの、と煩わしくはお思いになるものの、返歌に

「(返歌)ぬきもあへずもろき玉のをに長きちぎりをいかがむすばむ」
――(歌)つなぎとめも出来ずに散る涙の玉のようなはかない私の命ですのに、末長い契りなど、どうして結べましょう――

 と書かれてありました。薫は、片糸だけで縒り逢わないならば、生きる甲斐がないと、恨めしげに思い沈まれるのでした。

◆たたり=字は「絡垜」と書く。四角形の台に三本の柱を立てた糸繰り具。糸をよるときなどに使う。糸巻き。

◆伊勢(いせ)=平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。伊勢の守藤原継陰の女(むすめ)。宇多天皇の皇后温子に仕えた。その宇多天皇に愛され、行明(ゆきあき)親王を生んで伊勢の御(いせのご)と称された。歌風は上品で優美。歌集に『伊勢集』がある。

では9/25に

源氏物語を読んできて(824)

2010年09月21日 | Weblog
2010.9/21  824

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(1)

薫(中納言)    24歳8月~12月
匂宮(兵部卿の宮) 25歳
大君(おおいぎみ) 26歳 逝去
中の君(なかのきみ)24歳
明石中宮(今帝の后、匂宮の母君)43歳
女一宮(冷泉院の姫宮)
女一宮(今帝と明石中宮の姫宮)
夕霧(左大臣)   50歳
六の君(夕霧と藤典侍の娘)
弁の君(宇治の姫君たちをお世話する老侍女)
宇治の山寺の阿闇梨

「あまた年、耳馴れ給ひにし川風も、この秋はいとはしたなくもの悲しくて、御はての事いそがせ給ふ。大方のあるべかしき事どもは、中納言殿、阿闇梨などぞ仕うまつり給ひける」
――(故八の宮の姫君たちが)長年聞き馴れてこられた宇治の川風も、この秋は殊にどうしてよいか分からぬほど物悲しい中で、父君の一周忌の御法事の用意をなさいます。法事に必要なおおよその事は、薫中納言と、山寺の阿闇梨がお支度なさっておられます――

「ここには法服の事、経の飾り、こまかなる御あつかひを、人のきこゆるに従ひて営み給ふも、いとものはかなくあはれに、かかるよその御後見ならましかば、と見えたり」
――姫君のところでは、僧たちへの御布施になさる法衣のことや、経机の覆いなど、こまごまとしたご用意を、侍女たちが申し上げるに従って取り行われるにつけましても、薫や阿闇梨など、こうした他からのお世話がなかったならば、どんなに心細いことでしょうと、察せられます――

 薫ご自身も宇治に参上なさって、今日を限りと喪服を脱ぎ捨てられる折りのお見舞いを、お心を込めて申し上げられます。阿闇梨もこちらにお詰め申しております。

「名香の糸ひきみだりて、『かくても経ぬる』など、うちかたらひ給ふ程なりけり」
――(姫君たちは、奥の方で)ご仏前にお供えする名香(みょうごう)の飾り糸をお作りになりながら、「父宮に後れては片時も永らえまいと思っておりましたが、古歌にあるように、『かくても経ぬる…』、こんな風にしてでも月日はめぐってゆくものですね」などと、語り合っていらっしゃる――

◆名香の糸ひきみだりて=一説には行香机の四隅に結び垂れる糸。二説には様々な香を紙に包んで五色の糸で結びかけたもの。

◆『かくても経ぬる』=古今集の「身を憂しと思ふに消えぬものなればかくても経ぬる世にこそありけれ」

◆総角(あげまき)=ひもの結び方の一つ。左右に輪をだし、中を石だたみを組むように結んで、房を垂らす。御簾、文箱などの飾りに用いる。あげまき結び。

では9/23に。

源氏物語を読んできて(結び)

2010年09月21日 | Weblog
◆結び
 
有史以前から人は「結び」を生活の中に取り入れてきました。日本では藤原時代以降急速に発展し、他の国に比べてその種類や用途、呼称も多種多様で、さまざまな「結び」があります。
 中でも「総角(あげまき)結び」は平安時代につくられた公家故実(くげこじつ:公家社会の礼法、装飾、調度などの慣習や取り決めを定めたもの)の中で、調度品の装飾、衣服の紐飾りとして数多く用いられました。源氏物語ミュージアムに展示されている几帳(きちょう)などの平安貴族の日用品にも、総角結びがふんだんに使われています。

 また、鎌倉時代以降の武家社会においても、武士の象徴でもある兜の後部の飾りとして使われるなど、弓馬、武具関係などの飾りにも多く用いられました。数多い結びの中でも「総角結び」はいわば、装飾結びの代表格と言えます。

◆写真:御簾の下に取り付けたあげ巻結び

源氏物語を読んできて(823)

2010年09月19日 | Weblog
2010.9/19  823

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(42)

 「またゐざり出でて、『かの障子は、あらはにもこそあれ』と、見おこせ給へる用意、うちとけたらぬさまして、よしあらむと覚ゆ。頭つき、かんざしの程、今すこしあてになまめかしきさまなり」
――もう一人の姫君(大君)がいざり出て来られて、「あちらの障子は、向こうから丸見えかもしれませんよ」と、こちらに目を向けられるお心遣いは油断のないご様子で、なかなか奥深い人に思われます。頭つき髪の生え際などは、先の人より今ひときわ上品で雅やかにみえます――

 侍女が、

「『あなたに屏風も添へて立てて侍りつ。急ぎてしものぞき給はじ』と若き人々何心なく言ふあり。『いみじうもあるべき業かな』とて、うしろめたげにゐざり入り給ふほど、気高う心にくきけはひ添ひて見ゆ」
――「でも、あちらには屏風も添えて立ててございます。(薫中納言が)すぐ覗いてもごらんになりますまい」と若い女房が事もなげに言っています。「覗かれては大変なことですよ」と、不安そうにいざり入られるご様子は、心憎いほど気高く趣深い――

「黒き袷一襲、同じやうなる色合いを着給へれど、これはなつかしうなまめきて、あはれげに、心ぐるしう覚ゆ。髪さはらかなる程に落ちたるなるべし、末すこし細りて、色なりとかいふめる、翡翠だちていとをかしげに、糸をよりかけたるやうなり」
――(大君は)黒い袷(あわせ)を一重ね召して、妹君と同じような色合いのお召物を着ていらっしゃいますが、こちらの方はいっそう優しく上品で、あわれぶかく痛々しいほどに見えます。髪がさわやかな程に少なくなっているのは、この程の御苦労に抜け落ちたのでしょうか。末の方は少し細って緑の黒髪とでもいうのでしょうか、翡翠のように美しく、絹の糸をよりかけたようです――

「紫の紙に書きたる経を、片手に持ち給へる手つき、かれよりも細さまさりて、痩せ痩せなるべし。立ちたりつる君も、障子口に居て、何事にかあらむ、こなたを見おこせて笑ひたる、いと愛敬づきたり」
――紫の紙に記した経文を片手に持ったお手つきは、妹君より少し華奢で細々としていらっしゃる。立っていらっしゃるお方も、障子口に佇んで、何を言われたのか、姉君(大君)の方にお笑いになっておられるのが、ほんとうにあでやかでいらっしゃる――

◆ゐざる=姫君達はこの時代、膝行で移動する。膝で歩く。

◆髪さはらか=髪爽らか=髪がすっきりとしている

◆色なりとかいふめる=当時「色なる髪」といって、光沢があって乱れない髪について言う語。後世の「緑の黒髪」と同じ。

◆翡翠だちて=かわせみの羽に似て。

◆写真:宇治の「椎本」の古蹟跡

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 終わり。

では9/21に。

源氏物語を読んできて(822)

2010年09月17日 | Weblog
2010.9/17  822

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(41)

「ここもとに几帳を添へ立てたる、あな口惜し、と思ひて、ひき帰る折しも、風の簾をいたう吹きあぐべかめれば、『あらはにもこそあれ。その御几帳おし出でてこそ』といふ人あり」
――丁度そこには隔ての几帳が立ててあるのでした。薫は、ああ残念だ、とお思いになって引き返そうとなさった折も折、一陣の風が御簾を荒々しくふきあげました時に、「外から丸見えですよ。その几帳を外のほうに立ててください」という侍女がいます――

 薫は、愚かな事を言うものだと思いながらも、これぞ幸いと覗いていらっしゃると、

「高きも短きも、几帳を二間の簾におし寄せて、この障子に向かひて、あきたる障子より、あなたに通らむとなりけり」
――高い几帳も低い几帳も、(廂の間に二柱間を区切って設けた一つが)仏間の御簾のところに押しつけて、薫の所の襖に向かって開いている襖から、あちらへ通ろうとしているのでした――

「まづ一人たち出でて、几帳よりさしのぞきて、この御供の人々の、とかう行きちがひ、涼みあへるを見給ふなりけり。濃き鈍色のひとへに、萱草の袴のもてはやしたる、なかなかさまかはりてはなやかなりと見ゆるは、着なし給へる人柄なめり」
――先ず一人のお方(中の君)が立ち出でて、几帳の透き間から外に目をやり、薫のお供たちがあちこち往き来して涼んでいるのを眺めておられます。濃い鈍色の単衣に萱草色(かんぞういろ)の袴がふさわしく引き立ち、却って風変わりで華やかに見えますのは、着ていらっしゃる方のお人柄にもよるのでしょう――

「帯はかなげにしなして、数珠ひき隠して持給へり。いとそびやかに、様体をかしげなる人の、髪、袿にすこし足らぬ程ならむと見えて、末まで塵のまよひなく、艶々とこちたううつくしげなり」
――帯を形ばかりに結んで、数珠を隠し持っていらっしゃる。背丈がすらりと高く姿の美しい人で、髪は袿にすこし足りない位で、先の方まで塵ほどの乱れもなく艶々と梳き流され、多すぎるほど見事でいらっしゃる――

「かたはらめなど、あならうたげと見えて、にほひやかに、やはらかに、おほどきたるけはひ、女一の宮も、かうざまにぞおはすべき、と、ほの見奉りしも思ひ比べられて、うち歎かる」
――横顔なども、実に愛らし人に見えて、肌えは艶やかに、しなやかで大様な物腰など、恐らく帝の女一の宮もこのようでいらっしゃるに違いあるまいと、昔ちらっと垣間見たお姿に思い比べられて、薫は思わず溜息をお洩らしになるのでした――

◆萱草(かんぞう)の袴=紅の黄ばんだ色の袴

◆こちたう=言痛し・事痛し=大げさ、沢山、仰山

◆かたはらめ=傍ら目=横から見た姿、横顔

◆女一の宮(おんないちのみや)=今上帝と明石中宮腹の第一皇女。

◆屏 風(びょうぶ)
 室内に立てて物の隔(へだて)として使われた。室内装飾と しての役割も高く、表面に は山水(せんずい)などの絵が描かれ、色紙形という空白部に詩歌 が書かれることもあった。 使用しない時は畳み寄せたり、袋に入れて保管した。

では9/19に。


源氏物語を読んできて(大和絵)

2010年09月17日 | Weblog
◆平安時代の大和絵(やまとえ)

 アジア一帯に強力な政治的・文化的影響を及ぼした唐は、9世紀末には国力が衰え、10世紀初頭には崩壊した。アジア諸地域ではこの頃から中国の影響を離れ、文化の地方化が進んだといわれている。

 日本においては894年に遣唐使が中止され、10世紀には唐の影響を脱した、いわゆる国風文化が栄えるようになった。漢字をもとに仮名が考案され、和歌や物語文学が興隆し、和様書道が成立したことなどがその具体的な現れであり、大和絵の出現もこの頃と推量される。
 
 唐絵に対する「やまと絵」の語の初出は、藤原行成の日記「権記」の長保元年(999年)10月30日条とされ、そこには「倭絵四尺屏風」に、当時能書として評判の高かった行成が文字を書き入れたことが記録されている。同じ頃(10世紀末 - 11世紀初)の成立である『源氏物語』「絵合」の巻には『竹取物語』『宇津保物語』『伊勢物語』などの物語絵が登場する。むろん『源氏』はフィクションであるが、当時の宮廷や貴族社会において日本の物語を題材にした絵画が享受されていたことが『源氏』にも反映されていると見てよいであろう。  
 
 現存する平安時代の大和絵の遺品としてまず挙げられるのは絵巻物である。四大絵巻と称される『源氏物語絵巻』『伴大納言絵詞』『信貴山縁起』『鳥獣人物戯画』はいずれも平安時代末期12世紀の制作とされている(ただし『鳥獣人物戯画』4巻のうち2巻は鎌倉時代制作)。小画面の絵巻のほかに屏風、障子などの大画面の大和絵も多数作られたことは記録からは明らかだが、現存する遺品は非常に少ない。

◆写真:平等院 中品上生 東扉


源氏物語を読んできて(821)

2010年09月15日 | Weblog
2010.9/15  821

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(40)

「その年三條の宮焼けて、入道の宮も六条の院にうつろひ給ひ、何くれとものさわがしきに紛れて、宇治のわたりを久しうおとづれ聞こえ給はず」
――その年、三條の宮(女三宮の御殿)が火災で焼けて、母宮も六条院にお移りになったりで、薫は何かと身辺があわただしく、忙しさに紛れて、宇治へは随分御無沙汰しておしまいになりました――

「まめやかなる人の御心は、またいとことなりければ、いとのどかに、己が物とはうち頼みながら、女の心ゆるび給はざらむ限りは、あざればみ情けなきさまに見えじ、と思ひつつ、昔の御心わすれぬ方を深く見知り給へ、とおぼす」
――(薫は)実直で生真面目なご性格で、世間の男たちとは違って格別で、しごくのんびりと、大君をご自分の物とは信じ込みながらも、大君のお心がお解けにならない以上は、ふざけて情趣のない風には思われないようにと思いつつも、どうか自分と八の宮との御旧情を忘れておりませんことを、深く御理解くださるように、と、念じていらっしゃるのでした――
 
 この年の夏は、常よりも暑苦しくて、京の人々は難儀をしていました。薫は宇治の川岸はさぞかし涼しいだろうと思い立って、急にお出掛けになります。朝の涼しい間に京を出立なさいましたので、宇治にお着きになる頃は日差しも強く、故宮のおられた西廂の間に宿直人をお召しになってお休みになりました。

「そなたの母屋の仏の御前に、君達ものし給ひけるを、け近からじ、とて、わが御方にわたり給ふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみぢろぎ給ふほど、近う聞こえければ、なほあらじに、こなたに通ふ障子のはしの方に、かけがねしたる所に、穴のすこしあきたるを見置き給へりければ、外に立てたる屏風を引き遣りて見給ふ」
――(姫君たちは)そちらの母屋の仏間においでになりましたが、(薫のお部屋)とはあまりに近すぎると思われて、ご自分のお部屋にお移りになります気配が、つつましやかに、身じろがれるお具合が、とても身近に聞こえます。薫はこのままでは居られないお気持で、こちらに通じる襖の端の掛金の所に、穴が小さく開いているのをかねてから知っておりましたので、襖の外側に立ててある屏風を脇へのけて、覗いてご覧になりますと――

では9/17に。