永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(635)

2010年01月31日 | Weblog
2010.1/31   635回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(50)

 さらに大和守が落葉宮に申し上げますには、

「宮の内の事も見給へゆづるべき人も侍らず、いとたいだいしう、いかにと見給ふるを、かくよろづに思しいとなむを、げにこの方にとりて思う給ふるには、必ずしもおはしますまじき御有様なれど、さこそはいにしへも、御心にかなはぬ例多く侍れ、一ところやは世のもどきをも負はせ給ふべき。いと幼くおはしますことなり」
――ご邸内のお世話を任せる人もおらず、まことに不行き届きでどうしたものかと心配しておりましたが、夕霧の殿さまがこうしてお世話くださいますのを、なるほどこれを懸想という意味にとりますならば、ご帰邸なさるべきではないかも知れませんが、お心ならずも再婚なさったという例は昔からたくさんございます。どうして宮お一人だけが世間の誹りをお受けになることでしょう。余りにも稚ないお考えでございます――

 さらに続けて、

「たけう思すとも、女の御心ひとつに、わが御身を取りしたため、顧み給ふべきやうかあらむ。なほ人のあがめかしづき給へらむに助けられてこそ、深き御心のかしこき御掟も、それにかかるべきものなれ。君たちの聞こえ知らせ奉り給はぬなり。かつはさるまじき事をも、御心どもに仕うまつりそめ給うて」
――どんなに強がられても、女の身一つで、ご自分のことを万事処理し、何かとお心を配って行かれることがお出来になるでしょうか。やはり大切にあがめかしずいて下さる男君の後ろ盾があってこそ、深い思慮分別も定まっていくものです。こういうことをお側の女房たちがお教えしないのが悪い。しかも一方では余計なお手紙のお取り次ぎなどを勝手に始めたりして――

 と、一気に落葉宮に申し上げ、また、侍女の左近と小少将を責めるのでした。

 皆が一様に京へのご帰邸をお勧めになり、いよいよその日が参りました。侍女たちが美しい御衣裳をお着せしている間も、宮は、御髪を下ろしてしまいたいとの思いで、ご自分の髪を眺めながら、

「いみじのおとろへや、人に見ゆべき有様にもあらず、さまざまに心憂き身を」
――ああ、なんとみすぼらしいやつれ方ですこと。これでは夫を持てる容姿ではない。あれやこれやと辛い目に遭ってきたわが身の上なのに――

 と、思いつづけられて、またも臥せってしまわれました。「出発の予定時刻が過ぎました。夜も更けてしまいましょう」と一同は騒ぎたてます。外は時雨が風に吹き乱れ、何かにつけて物悲しい風情です。

◆たいだいしう=怠怠し=不都合だ、もっての外だ。

◆世のもどき=世間の非難、批判

ではまた。


源氏物語を読んできて(634)

2010年01月30日 | Weblog
2010.1/30   634回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(49)

 一方、夕霧はお心の内で、

「とかく言ひなしつるも、今はあいなし、かの御こころにゆるし給はむことは、むつかしげなめり、御息所の心知りなりけりと人には知らせむ、如何はせむ、亡き人に少し浅き咎はおほせて、何時ありそめし事ぞともなく紛らはしてむ」
――あれこれ落葉宮に言い寄ってみたけれど、こういうことでは駄目だ。承知なさることは難しそうだ。御息所はご承諾だったと人前は繕うことにしよう。どうにも仕方が無い。亡くなられた御息所が少し浅はかだった事にして、落葉宮との関係がいつから始まったとも分からないように誤魔化しておこう――

「さらがへりて懸想だち、涙をつくしかかづらはむも、いとうひうひしかるべし」
――今更あらたまって口説き直したり、涙を流して付きまとうのも、若者のようでおかしいだろうし――

 と、お心を決めて、落葉宮が本邸にお帰りの日を何日と定めて、大和守を呼んで当日の作法万端を仰せつけになります。しばらく留守であった一条邸は、女ばかりで手入れも行き届かぬ草深い住家でしたのを、修理清掃して、お部屋の飾りにもお心配りをしてご用意させます。

 落葉宮が本邸にお帰りになる日は、夕霧ご自身、先に一条邸に行っておられ、ご自分の使用人を小野に遣わせて、乗り物などを差し向けます。

 落葉宮は、

「さらに渡らじと思し宣ふを、人々いみじう聞こえ」
――(宮が)ゆめゆめ京へは移るまいとの決心をおっしゃるのを、女房たちが是非にとお勧め申し上げ――

 大和守も、

「さらにうけたまはらじ。心細く悲しき御有様を見奉り歎き、この程の宮仕えは、堪ふるに従ひて仕うまつりぬ。今は、国の事も侍り、まかり下りぬべし」
――(京にお帰りにならぬなどとは)絶対に承知できるものではありません。私は貴女の心細く悲しげなご様子にご同情して、これまで出来るだけのお役に立ってまいりました。今は任国のこともあり、下向せねばなりません――

◆さらがへり=更返り=今更後戻りして

ではまた。


源氏物語を読んできて(633)

2010年01月29日 | Weblog
2010.1/29   633回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(48)

 落葉宮は、このままこの小野で出家して、ここにお住みになりたいと決意しておられることを、そっと朱雀院に奏上した人がおりましたようで、朱雀院から、

「いとあるまじき事なり。げにあまたとざまかうざまに、身をもてなし給ふべき事にもあらねど、後ろ見なき人なむ、なかなか然るさまにて、あるまじき名を立ち、罪得がましきとき、この世後の世、中空にもどかしき咎負ふわざなる」
――(出家なさるのは)良くないことです。なるほど幾人も夫を持たれることはよくありませんが、世話をしてくれる人のいない女が出家などして、かえって浮名を立て、罪を作るときは、この世でもあの世でも中途半端で世間の非難をうけるものですから――

「ここにかく世を棄てたるに、三宮の同じごと身をやつし給へる、末なきやうに人の思ひ言ふも、棄てたる身には思ひ悩むべきにはあらねど、必ずさしも、やうのことと、あらそひ給はむもうたてあるべし。」
――私がこうして出家しましたところへ、女三宮が同じように姿を変えられたことを、子孫が絶えたように世間で噂をしていますが、出家の身で気にする訳ではありませんが、必ずしも皆が皆、同じように出家を競われるのは感心しません――

「世の憂きにつけて厭うは、なかなか人わろきわざなり。心と思ひとるかたありて、今すこし思ひしづめ、心すましてこそ、ともかうも」
――世の中が辛いからと言って出家するのは、却って人聞きが悪いものです。心から悟るところがあって、今少し心を落ち着かせてから、どうしたらよいかご判断なさい――

 と、度々申されますのも、落葉宮と夕霧との浮名をお聞きになってのことなのでしょう。落葉宮がこの事に悩まれて世間が厭になられたことも、朱雀院はご心配になりますが、かといって、夕霧の意のままに靡かれるのはまして気に入らぬこと。やはり干渉じみたことは慎むのがよいと、これ以上このことについては、お口には出されません。

ではまた。

源氏物語を読んできて(632)

2010年01月28日 | Weblog
2010.1/28   632回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(47)

 夕霧が「御息所の四十九日の忌中、大和守が一人でお世話しておりました」と申し上げますと、源氏は、

「院よりもとぶらはせ給ふらむ。かの御子いかに歎き給ふらむ。……、かの御子こそは、ここにものし給ふ入道の宮よりさしつぎには、らうたうし給ひけれ。人ざまもよくおはすべし」
――朱雀院からもお見舞いがあるでしょう。あの落葉宮はどんなに悲しんでおられることか。その落葉宮こそ、ここにおられる入道宮(女三宮)の次に可愛がっておられたのだからね。その落葉宮とおっしゃる御方のご様子も優れていらっしゃるのだろうね――

 夕霧は、

「御心はいかがものし給ふらむ。御息所は、こともなかりし人のけはひ心ばせになむ。親しううちとけ給はざりしかど、はかなき事のついでに、自ら人の用意はあらはなるものになむ侍る」
――(落葉宮の)お気立てがいかがでいらっしゃるかは存じませんが、御母君の御息所はご様子もご性格も一点の非もない方でいらっしゃいました。私には親しくお接しになりませんでしたが、ちょっとした折に、自然と人の気風は分かるものでございます――

 と申し上げて、

「宮の御事もかけず、いとつれなし」
――落葉宮の事には触れず、知らぬふりをなさっています――

 源氏は、

「かばかりのすくよか心に、思ひそめてむこと、いさめむにかなはじ、用ゐざらむものから、われさかしに言出でむもあいなし」
――(夕霧が)これほど真面目な気持ちで思いこんでいるのを諌めても仕方があるまい。聞き入れぬと分かっていて尤もらしく意見するのも詰まらない――

 と、お考えになって、そのまま口をつぐんでしまわれたのでした。

夕霧はその後の御法事も万端整えてさしあげましたこともあって、噂は自然に広まり、致仕大臣(柏木の父で落葉宮の義父)も聞きつけられて、

「然やはあるべきなど、女方の心浅きやうに、思しなすぞ理なきや」
――(夕霧が)そのようなお世話をする筈がない、きっと女方(落葉宮)の方が、お心が浅いからだと、思い取られるとは、宮にはお気の毒なことですこと――

ではまた。


源氏物語を読んできて(631)

2010年01月27日 | Weblog
2010.1/27   631回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(46)

 源氏は、未亡人になられた落葉宮の境遇をお聞きになって、もしも自分の方が先に死んでしまった場合の紫の上のことをご心配になって、そのことを紫の上にお話になりますと、

 紫の上はお顔を曇らせて、お心の中でお思いになりますには、

「さまでおくらかし給ふべきにや。女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし、物のあはれ折をかしきことをも、見知らぬさまに引き入り、沈みなどすれば、何につけてか、世に経る栄々しさも、常なき世のつれづれをもなぐさむべき」
――それほど私を後々まで生き残らせるおつもりなのかしら。女ほど、身の持ち方も窮屈で詰まらぬものはない。深くこころに触れることも、興のおもむくこともまるで知らないように人前にも出ず引き籠ってばかりいれば、一体何によって日々の生活の楽しさや面白さを味わい、世の無常をなぐさめたりできましょうか――

「そは、大方物の心を知らず、いふかひなきものにならひたらむも、生ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあるずや」
――そのように、世間の道理も分からず、ただ能のない詰まらない身になっていたのでは、丹精して育ててくださった親も、さぞ残念にお思いでしょう――

「心にのみ籠めて(……)あしき事よき事を思ひ知りながらうづもれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、よき程にはいかで保つべきぞ」
――思うことも一切言葉に出さず、(無言太子とか言って、僧たちが悲しい物語にしている昔の譬えのように)物の善悪をも心得ていながらじっと黙りこんでいるのも、まったくつまらないことです。自分でもどうしたら中庸を保って行けようか――

 とにかく、ご自分を保っておいでになれますのは、ただただ女一宮(明石の女御の第一姫宮)を可愛く、生き甲斐に思ってのことなのでした。

さて、

 夕霧が六条院へ参上されたついでがありましたので、源氏は夕霧がどう考えているのか知りたくてお呼び寄せになって「御息所の忌は明けたのですね。昨日今日と思っているうちに、三十年も昔のことになってしまう世の中ですからね。わたしもどうにかして出家しようと思いはしても、なかなか。まことに未練がましくて…」と、お話をあちらへ向けられます。

◆女一の宮(おんないちのみや)=明石女御の第一姫宮。子供に恵まれない紫の上は、明石御方がお産みになった源氏との御子・明石の姫君(後明石の女御)を養女として慈しみ養育した。

ではまた。


源氏物語を読んできて(630)

2010年01月26日 | Weblog
2010.1/26   630回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(45)

 日が高くなってから、小野からお返事が届きました。深い紫色の料紙をきちんと畳んで、例によって小少将が書いたものです。やはり落葉宮は何のお返事もなさらない由が書かれてあるのでした。夕霧はお心の中で、

「人の上などにて、かやうのすき心思ひ入らるるは、もどかしう現し心ならぬ事に見聞きしかど、身の事にては、げにいと堪え難かるべきわざなりけり、怪しや、などかうしも思ふべき心いられぞ」
――他人のことなら、こうして恋に溺れているのを見ると、もどかしく、正気の沙汰に思えなかったものだが、自分の事となると、なるほど堪え難く我慢の出来ないものだ。全く妙なことだ、なぜこうもいらいらしてしまうのだろうか――

と、反省なさいますが、やはりお心を抑えようもない。

 さて、このことを、六条院(源氏)もお聞きになって、

「いとおとなしうよろづを思ひしづめ、人の誹り所なく、めやすくて過ぐし給ふを、おもだたしう、わがいにしへ少しあざればみ、仇なる名をとり給うし面おこしに、うれしう思しわたるを、いとほしう何方にも心苦しき事のあるべきこと」
――(あの夕霧は)たいそう落ち着いていて、万事に思慮深く、人に非難される点もなく、無事に過ごしておられるのを、自分も面目に思い、自分が若いころ少し浮名を流した名誉回復ともなるなどと、嬉しく思っていたものを、これでは気の毒に、双方(雲井の雁と落葉宮か?)ともに困ったことが生じよう――

「さし離れたる中らひにてだにあらで、大臣なども如何に思ひ給はむ、さばかりの事たどらぬにはあらじ、宿世といふもののがれわびぬる事なり、ともかくも口入るべき事ならず」
――(落葉宮と雲井の雁は)全く赤の他人でもないのだから、致仕大臣などもどうお思いになるだろう。夕霧がそれほどのことに気がつかないことはないだろうに、運命というものは、逃れようとしても逃れられないものだ。とにかく自分などが口を挟むべきことではない――
 
と、お思いになりますものの、女の側に立って見れば、どちらにも気の毒なことだと、当惑なさるのでした。

◆おもだたし=面立たし=名誉、晴れがましい。

◆あざればみ=戯ればむ=ふざけているように見える

◆仇(あだ)なる名をとり給うし面(おもて)おこし=仇(かたき)をとるように面目をほどこせる

◆さし離れたる中らひにてだにあらで=まったく赤の他人の関係ということでもない。
  雲井の雁の祖母(大宮)と落葉宮の祖父(桐壺帝)は兄妹

ではまた。


源氏物語を読んできて(和紙・料紙)

2010年01月26日 | Weblog
料紙
 
 宮廷文化の花開いた平安時代は、平仮名、片仮名など、かな文字文化の発達の時代でもあった。「かな料紙」はその時代に、書道のかな文字用紙として生まれたものである。女文字として生まれた優美なかな文字の歌や書が「かな料紙」に記されると、その美しさはいっそう引き立つのである。

 草木染めや刷毛染めで染色した和紙に、金・銀箔や雲母の砂などをちりばめ、下絵を施す。草木染めには地元産の楢、クヌギなどの皮や実、葉を使う。すべての工程が手作業で、1枚1枚違った色、絵模様が仕上がるのが特徴である。

源氏物語を読んできて(459)

2010年01月25日 | Weblog
2010.1/25   629回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(44)

 雲井の雁は、またお心の中で、

「われも、昔よりしかならひなましかば、人目も馴れて、なかなか過ぐしてまし、世の例にしつべき御心ばへと、親兄弟よりはじめ奉り、めやすきあえものにし給へるを、ありありては、末にはぢがましき事やあらむ」
――私も、昔からそのような状態に馴れてきたのでしたら(他の女や妾の多い夫に仕えてきていたのなら)煩わしい世間のことにも馴れて、それなりに何とか暮らしていけたでしょうに、なまじ夫の夕霧が、世間のお手本になるほどの品行方正な堅人であるとして、親兄弟をはじめ、皆が私のことを結構なあやかり者と褒めそやしてくださった分だけ、長い間連れ添った後の今となって、このような人聞きの悪い恥ずかし目に遭うとは――

 と、身も世もなく歎いていらっしゃる。
夜も明け方近くになって、

「かたみにうち出で給ふことなくて、背き背きに歎き明かして、朝霧の晴れ間も待たず、例の文をぞいそぎ書き給ふ」
――(夕霧は)雲井の雁とお互いに話し合うこともなく、夜はそれぞれ背中合わせに歎き明かされたのでした。それでいながら、夕霧は朝の霧が晴れない内から起きられて、例によって落葉宮に御文を急いでお書きになります――

 雲井の雁は癪にさわる思いがしますが、夕霧が細々とお書きになっては声をひそめて小声で確かめておいでになるのを漏れ聞いて、つなぎ合わせてみますと、

(歌)「いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢せめてとかいひしひとこと」
――夢の覚めた心地になった時に、とおっしゃった一言を、いつと思ってお訪ねしたらよいでしょう――

 とでもお書きになったようでした。落葉宮のお答えの無さに思い悩んでおられ、封をなさってからも、どうしたものかと呟いていらっしゃる。それから遣い人を呼んでお手紙を届けさせます。

 雲井の雁は、

「御返り事をだに見つけてしがな、なほいかなることぞと、気色見まほしう思す」
――この御文に対する宮からのお返事があるなら見たいもの、いったい実際はどうなのかしら、是非とも本当の事を知りたいとお思いになるのでした――

◆かたみに=互いに、かわるがわる、交互に。

◆しかならひなましかば=しか(然か=そのように)、ならひ(習ひ、慣らひ=慣れる事)なましかば(きっと……だったろう)。ましかば……まし。

ではまた。

源氏物語を読んできて(628)

2010年01月24日 | Weblog
2010.1/24   628回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(43)

 夕霧は帰る道々のあわれ深い空をながめては、十三日の月がまことに華やかに上ってきて、小暗いという意に言われます小倉山の辺りも迷わずに帰って行かれますと、その途中に一条の宮邸(御息所と落葉宮の都の御住い)があるのでした。

「いとどうちあばれて、未申の方のくづれたるを見入るれば、遥々とおろしこめて、人影も見えず、月のみ、遣水の面をあらはにすみなしたるに、大納言ここにて遊びなどし給うし折々を、思い出で給ふ」
――(一條の宮邸は)以前より一層荒れていて、未申(ひつじさる=西南)の垣の崩れた所から覗いて見ますと、見渡すかぎり格子を下ろして、人の気配も見えません。月ばかりが遣水の面をくっきりと示して、澄んだ光を投げていますのをご覧になって、亡き大納言(柏木)がここで管弦のお遊びなどを催された折々のことを思い出されるのでした――

(歌)「見し人のかげすみはてぬ池水にひとりやどもる秋の夜の月」
――柏木はすでに世を去ってしまったのに、秋の夜の月だけは池の面に影を映して、この邸を守っている――

 と一人口ずさんでお帰りになりました。ご自邸の三條邸にいらしても、月を眺めてはため息をおつきになって、心は空に漂っておいでのようで、侍女たちが、

「『さも見ぐるしう、あらざりし御癖かな』と、御達もにくみあへり」
――「なんと見苦しいこと。今までに無かった御癖(浮気心)がついたことですこと」と年増の女房達も悪口を言い合っています――

「上はまめやかに心憂く」
――(雲井の雁は)心底恨めしく――

 お心の内で、

「あくがれたちぬる御心なめり、もとよりさる方にならひ給へる、六条の院の人々を、ともすればめでたき例にひき出でつつ、心づきなくあいだちなきものに思ひ給へる、わりなしや」
――(夕霧は)まったく浮かれきったお心のようですこと。もともとそうした方(源氏)を守って暮らしてこられた二条院の婦人方の仲睦まじいことを、さも立派なお手本のようにおっしゃって、私を気に入らない無愛想な女だと思っておいでになるのは、あまりと言えばあまりにひどいこと――

◆うちあばれて=うち(接頭語)あばれて(荒れて)

◆御達(ごたち)=年増の女房たち

◆あいだちなきもの=あいだちなし=無愛想、遠慮が無い。語源に「愛立ち無し」「間(あはひ)立ち無し」の2説があるが確定的ではない。

◆写真:十三夜の月明かり


源氏物語を読んできて(627)

2010年01月23日 | Weblog
2010.1/23   627回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(42)

 また、小少将はつづけて、

「過ぎにし御事にも、ほとほと御心惑ひぬべかりし折々多く侍りしを、宮の同じさまに沈み給うしを、こしらへ聞こえむの御心強さになむ、やうやう物覚え給うし。」
――亡き殿(柏木)のご葬儀などでも、ほとんど正気を失くされるという折がありましたが、宮が同じように意気消沈されておりますのを励ましてさしあげようとの御心の張りで、だんだんに意識を取り戻されたのでございました――

 この度は、宮は悲嘆のあまり、人心地もなく茫然と暮らしていらっしゃることなども、小少将は涙をこらえながら、途切れ途切れに申し上げますと、夕霧は、

「そよや。そもあまりにおぼめかしう、いふかひなき御心なり。今はかたじけなくとも、誰をかはよるびに思ひ聞こえ給はむ。(……)いとかく心憂き御気色聞こえ知らせ給へ。よろづの事さるべきにこそ。世にあり経じと思すとも、従はぬ世なり。先づはかかる御別れの、御心にかなはば、あるべき事かは」
――それそれ。宮のそのお心も余りにも弱々しく不甲斐ない。今となっては畏れ多いことですが、他に誰を頼みとなされるでしょう。(御父宮の朱雀院も深山に世をお捨てになった御生活ですし、行き来されるのも難しい)これ程まで情れない宮の御態度を、あなたからご意見申し上げてください。すべては宿世の縁というものです。この世に生きていたくないと思われても、そうは行かない世の中ですよ。思いのままになる世でしたら、このような御死別があるはずがないでしょう――

 言葉をつくしていろいろと夕霧はお話になりますが、小少将は何も申し上げようもなくて、悲嘆にくれております。夕霧は何かれと宮へ御挨拶を申し上げますが、落葉宮は、

「今はかくあさましき夢の世を、少しも思ひさます折あらばなむ、絶えぬ御とぶらひも聞こえやるべき」
――今はこのように情けない夢を見続けているような有様でございますが、そのうち少しでもこの夢が覚めて現実に帰る折もございましたら、いつも絶えずお見舞いくださった御礼も申しあげましょう――

 とのみ、

「すくよかに言はせ給ふ。いみじういふかひなき御心なりけり、と歎きつつ帰り給ふ」
――(落葉宮は)素っ気ないお返事をおさせになります。(夕霧は)まったく張り合いのないお心だなあと歎きながらお帰りになるのでした。――

◆すくよかに=健よか=身体が元気で心がしっかりしている。ここでは、素っ気ない、無愛想。

◆写真:竜胆(りんどう)