永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(94)

2008年06月30日 | Weblog
6/30 

【明石】の巻  その(6)

 入道は遠慮して源氏へ伺わないようにしながらも、望みを達しようと一層佛や神にお祈りをしています。

 この入道は、六十歳位で、お勤めのため痩せているのがかえって清らかで美しく上品で、頑固で老いぼれてはいますが、昔の世の中、政ごとのことなども見知っており、趣味がよく風流も交じっていますので、源氏にはつれづれの気の紛れになるのでした。

 ただ、入道は高貴な源氏にこのような、あのような話しをしたことに気が引けて、娘のためにはどうなのかと、母君と気を揉んでいるのでした。

娘自身は、
「正身(さうじみ)は、おしなべての人だにめやすきは見えぬ世界に、世にかかる人もおはしけりと見奉りしにつけて、身の程知られて、いと遙かにぞ思ひ聞えける。……」
――娘自身は、十人並の男さえめったに居ないこの地方で、この世にこれほど立派な方(源氏)がいらっしゃったのだとほのかに拝したにつけ、わが身の程の不釣り合いさを思い知られて、遙かに遠いお方とお思い申し上げています。(親たちがいろいろと目論んでいる様子を聞いても、及びもつかぬことと、はずかしく思い、何事も無かった昔より辛く悲しいのでした)――

 4月になりました。

 入道は、源氏の更衣(ころもがえ)の御装束、お部屋の几帳なども夏用に準備しますのを、源氏は、あまりなことと思われますが、入道の一生懸命さと人柄の良さに免じて、そのままに見過ごしておいでです。

 のどかに月が、海の上にくっきりと見えます。

 都の景色と、いいようのない人恋しさに果てしない思いでおられますが、ここからながめる景色はただただ淡路島だけなのでした。源氏は、久々に琴を取り寄せて、はかなげに掻き鳴らしていらっしゃるご様子です。

「広陵といふ手をある限り弾きすまし給へるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音に合ひて、心ばせある若人は身に染みて思ふべかめり。……」
――広陵散という手を精一杯の技術をつくしてお弾きになりますと、娘の住むかの岡辺の家へも、松風の音や、波風の音に響き合って聞えますので、情趣を理解する若女房たちは、身に染むばかりに思うようです。(何の音とも聞き分けられないような下人たちも、浮かれぎみに浜辺を歩いては風邪を引く有様です――

◆4月の更衣(ころもがえ)=現在の5月。夏物に衣裳はもちろん、室内の几帳なども夏用に替える。

◆写真は瀬戸内海(明治頃)

ではまた。


源氏物語を読んできて(上級女房以上の略装・小袿)

2008年06月29日 | Weblog
略装・小袿(こうちぎ)

 小袿とは、小形の袿の意で、形は袿や表着と同じですが、特に丈を短く仕立てたものをいいます。

 上臈女房以上の高貴な身分の女性達の間では、裳唐衣装束の略装として、唐衣・裳を省略して表着の上に小袿を重ねることがありました。これを小袿姿といい、男性装の衣冠(束帯に次ぐ準正装)に相当する装いとされました。

 長袴、単、五衣、表着、小袿を着て、桧扇を持ちます。(夏は「蝙蝠(かわほり)」という扇をもちました。)


源氏物語を読んできて(93)

2008年06月29日 | Weblog
6/29 

【明石】の巻  その(5)

 明石の浦は、想像以上に人が多くみえます。

 入道が持っている地所は、季節季節に応じて海辺には興を催しそうな苫屋を建て、山陰には勤行用の荘厳なお堂を建てて、念仏三昧をし、この世の生活の安泰のためには、稲を積んだ多くの倉を持って、どれも四季に合わせて見栄えのするように立派にしてあります。

 先日来の高波に驚いて、娘は岡辺の方に住まわせておりますので、源氏は浜に近いお屋敷に気楽にお暮らしになります。

入道は
「老い忘れ齢延ぶる心地して、笑みさかえて、先づ住吉の神を、かつがつ拝み奉る。」
――入道は老いも忘れ、命が延びるような心地で思わず笑みがこぼれるのでした。まづはねんごろに住吉の神を拝み奉ります――

 まるで月と日の光を手に入れたような心地で、一身に源氏にお仕えなさるのはごもっとものことです。入道のお住いは、なるほど都の高貴な方々と違わず、奥ゆかしくきらびやかな様子は、むしろかえって勝っているように見えます。

 少し落ち着かれた源氏は、都にお文をしたためて、先の使者に託します。
親しくしていた祈祷師たちにと、また、もっともなつかしい藤壺には、不思議にも九死に一生を得たことを。二條院の紫の上には、先のご返事として、ことに細々とお書きになりつつ涙をぬぐうのでした。供びともそれぞれふるさとへ書いているようです。

 源氏は、明石のにぎやかさを厭うものの、ここはまた須磨とは様子が違っていて興を引かれることも多く、心が慰められるようです。

 明石の入道が一生懸命勤行なさるのは、ただこの娘ひとりの行く末を気の毒な程案じてのことで、ときどきそれとなく源氏に愚痴をこぼします。

源氏は
「御心地にもをかしと聞きおき給ひし人なれば、かくおぼえなくてめぐりおはしたるもさるべき契りあるにやと思しながら、なほかう身を沈めたる程は、行いより外のことは思はじ、都の人も、ただなるよりは、いひしに違ふと思さむも心はづかしう思さるれば、気色だち給ふことなし。事にふれて、心ばせ有様なべてならずもありけるかな、とゆかしう思されぬにしもあらず」
――源氏は、内心ではそれとなく、かつて(若紫の巻、良清から)美人と聞いておられた人なので、こうして思いがけなくここに来られたのも、その女と何か深い縁があるのかと思われますが、今はこうして身を落としている間は、仏道修行より外のことは思うまい、都の紫の上もそんなことがあれば、約束と違うとお思いになると思うとはずかしく、そんな素振りをお見せになさらない。もっとも何かにつけて、気立ても容姿もなみなみではないのだなと、お心が惹かれない訳でもないのでした――

◆写真:絵画 明石の浜

ではまた。


源氏物語を読んできて(92)

2008年06月28日 | Weblog
6/28 

【明石】の巻  その(4)

入道の話は、こうでした。

 去る朔日の日の夢(上巳の御祓いの日)に、お告げがありまして、十三日に霊験を現そう。船を用意して風雨が止んだら須磨の浦に寄せよ、と前もってありましたので、試みに船を用意して待っておりました。……、この日に船出をしましたところ、不思議な追い風によってこの浦に着きましたことは、まことに神の御道しるべかと存じます。またこちらにも思い当たることもおありかと存じまして、どうぞこの事を、源氏の君に申し上げてください。

 良清の話に源氏は、こう思います。

 先日来の夢現(ゆめうつつ)の慌ただしきことがらを思い合わされて、夢の「ここを立ち去れ」という言葉に従ったならば、後々の物笑いにもなりそうで不安でもある。かといって入道の言う神のお導きが真実ならば背きにくい。慎重に年長者や地位の高い人には従っておくもののようだ。全くこのような命がけの危険に遭い、世にまたとないひどい目を見尽くした今、今後の悪評などは、そう大したことではない。夢の中の父上の御言葉もあったことなので、何を疑うことがあろうか。

源氏のお返事

 「知らぬ世界に、珍しき憂への限り見つれど、……うれしき釣り船をなむ。かの浦に静やかにかくろふべき隈(くま)侍りなむや」
――知らぬ異郷で、珍しいほどの憂き目のかぎりを見ましたが、(都の方から訪ねてくださる方もいません。当てもなく空の月、日の光を眺めて暮らしておりました。)釣り船を漕ぎ寄せてくださったとは。明石の浦に静かに隠れ住む場所があるでしょうか――

 入道の喜びは限りなく、お供の四、五人をも一緒にお乗せして、夜が明けないうちにと、須磨を発ち、明石の浦に着きました。ほんの近くとはいうものの、気味の悪いほどの追い風よろしく、飛ぶようでした。


ではまた。


源氏物語を読んできて(住吉神社)

2008年06月28日 | Weblog
住吉神社
 
「住吉造」(住吉神社)大阪住吉区住吉大社ともいう
 全国の住吉信仰の中心地(山口県下関、福岡市博多区、長崎県芦辺町)
 海上守護の神として信仰されている。

 ◆物語の住吉明神はどの地の明神を指しているのか、分かりません。