永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(996)

2011年08月31日 | Weblog
2011. 8/31      996

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(57)

 中の君は、

「うしろめたく思ひきこえば、かくあやしと人も見思ひぬべきまでは、きこえ侍るべくや。年ごろこなたかなたにつけつつ、見知る事どもの侍しかばこそ、さま異なるたのもし人にて、今はこれよりなど、おどろかしきこゆれ」
――もし私が、あなたを不安に思いますならば、こうして人が変だと思うに違いない程親しくお話するでしょうか。長の年月、あなたのご好意を存じておりますからこそ、格別な御後見にもなっていただき、今ではこちらからご相談申し上げている位ではございませんか――

 と、おっしゃいますと、薫は、

「さやうなる折も覚え侍らぬものを、いとかしこきことに思しおきてのたまはするや。この御山里いでたちいそぎに、からうじて召し使はせ給ふべき、それもげにご覧じ知る方ありてこそは、と、おろかにやは思ひ侍る」
――私は、そのような折がありましたとは覚えておりませんが、たいそう大袈裟なおっしゃりようですね。この度の宇治行きのご準備に、やっと私をお召使いくださるとか、これも私の意をお汲みとりくださっての上のことと、嬉しく存じております――

 などと仰って、まだ何か物足りなく恨めしげではありますが、さすがに側に聞いている人がいますので、思いのままにはお話が進みません。

「外の方をながめいだしたれば、やうやう暗くなりにたるに、虫の声ばかりまぎれなくて、山の方をぐらく、何のあやめも見えぬに、いとしめやかなるさまして寄り居給へるも、わづらはし、とのみ内にはおぼさる」
――外の方を眺めてみますと、ようよう日も暮れかかって、虫の声だけがはっきりと聞こえ、庭の築山の方は暗くなってきて、物の見分けもつかなくなってきていますのに、薫がたいそうしんみりとしたご様子で、物に寄りかかっておられて、すぐにもお帰りになれそうもありませんのを、中の君は御簾の内で、まったく面倒なことよ、とお思いになっています――

「『限りだにある』など、いと忍びやかにうち誦じて、『思う給へわびにて侍り。音なしの里ももとめまほしきを、かの山里のわたりに、わざと寺などはなくとも、昔覚ゆる人形をもつくり、絵にも書きとりて、行ひ侍らむとなむ、思う給へなりにたる』とのたまへば」
――(薫は古歌の)「恋しき限りだにある世なりせば…」などと忍びやかに口ずさんで、
「つくづくつまらなくてなりません。泣いても声の聞こえない音無しの里へでも尋ねて行きたいものです。宇治の山荘の辺りに、わざわざの寺などではなくても、亡き大君に似せた人形(ひとがた)を作るなり、絵に描き取るなどして、勤行をしたいと、こう思うようになりました」とおっしゃいますと。

◆限りだにある=古今集「恋しさの限りだにある世なりせば年経て物は思はざらまし」
◆音なしの里=古今集「恋わびぬねをだに泣かむ声立てていづれなるらむ音無の里」
◆昔覚ゆる人形(ひとがた)=故人(大君)に似た人がた

◎都合で、9/1~9/10までお休みします。では9/11に。

源氏物語を読んできて(995)

2011年08月29日 | Weblog
2011. 8/29      995
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(56)

「げに誰も千年の松ならぬ世を、と思ふには、いと心ぐるしくあはれなれば、この召し寄せたる人の聞かむもつつまれず、かたはらいたき筋の事をこそ選りとどむれ、昔より思ひきこえしさまなどを」
――確かに古歌のいうとおり、誰一人千年の長寿を保つ人はいない人生だもの、と思いますと、痛ましくあわれな心地がして、召し寄せた少将の君が聞いているのも憚らず、人前では差し障りのあるところは省いて、昔からどんなにお慕いしていたかなどを――

「かの御耳ひとつには心得させながら、人はかたはにも聞くまじきさまに、さまよくめやすくぞ言ひなし給ふを、げにありがたき御心ばへにも、と聞き居たりけり。何事につけても、故君の御事をぞつきせず思ひ給へる」
――女君(中の君)にだけお分かりになるようにしながら、人には感づかれないように上手にお話になりますのを、(少将の君は)なるほど世にも稀なお心遣いであることよ、と聞き入っています。何をおっしゃるにしても、薫の君は、亡くなった大君のことを、尽きることなく思っておいでになります――

 薫は、亡き大君のことを、

「いはけなかりし程より、世の中を思ひ離れて止みぬべき心づかひをのみならひ侍りしに、さるべきにや侍りけむ、うときものからおろかならず思ひそめきこえ侍りしひとふしに、かの本意の聖心は、さすがにたがひやしにけむ」
――私は幼少の頃から俗世を離れて世を終わりたいとの心遣いばかりし馴れて参りましたところ、前世からの因縁と申しますか、打ち解ける折とてなかったものの、並み一通りではなく大君をお慕い初めましたので、その一つのことで、折角の道心も揺らいでしまいました――

「なぐさめばかりに、ここにもかしこにも行きかかづらひて、人のありさまを見むにつけて、まぎるる事もやあらむ、など、思ひ寄る折々侍れど、さらに外ざまには靡くべくも侍らざりけり」
――大君を喪った悲しみに、せめてもと、あちこちの女に行きかかずらい、女たちの様子を見れば悲しさも紛れようかと思ってみました折々のありましたが、やはり他の女の人には心が動きそうにもありませんでした――

「よろづに思ひ給へわびては、心のひく方の強からぬわざなりければ、すきがましきやうに思さるらむ、と、はづかしけれど、あるまじき心の、かけてもあるべくはこそめざましからめ、ただかばかりの程にて、時々思ふ事をもきこえさせ承りなどして、へだてなくのたまひ通はむを、誰かはとがめ出づべき。世の人に似ぬ心の程は、みな人にもどかるまじく侍るを、なほ後やすくおぼしたれ」
――いろいろ思案に暮れては、一方では強く心惹かれるという人が居ないものですから、あなたは私をさぞかし浮気っぽいようにお思いになるでしょうと、恥ずかしいのですが、道ならぬ心が少しでもありましたら、怪しからぬことも言われましょう。ただこの位のことで、時折りあなたとお話をしたり、隔てなくお話を伺ったりしますのを、誰が咎めましょう。私は世間一般の普通の男とは違っておりますから、誰からも非難を受ける気遣いなどございますまい。どうぞご安心なさってください――

 と、恨んだり泣いたりなさいます。

では8/31に。

源氏物語を読んできて(994)

2011年08月27日 | Weblog
2011. 8/27      994

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(55)

 薫の悲嘆にくれたご様子に、いつぞやの夜のお二人のご様子を見知った侍女たちが、

「『げにいと見ぐるしく侍る』とて、母屋の御簾うちおろして、夜居の僧の座に入れ奉るを、女君、まことに心地もいと苦しけれど、人のかくいふに、けちえんならむも、またいかが、とつつましければ、もの憂ながらすこしゐざり出でて、対面したまへり」
――「なるほど薫の君の仰せのとおり、このような場所ではたいへん見ぐるしゅうございましょう」と、母屋の御簾を下ろして、廂の間の夜居の僧の座にお請じいれます。中の君は、本当にご気分がすぐれずお苦しいのですが、侍女たちがこのように言うのに、無愛想に断るのも気が負けますので、渋々ながら少しにじり出て対面なさいます――

「いとほのかに、時々物のたまふ御けはひの、昔の人のなやみそめ給へりし頃、先づ思ひ出でらるるも、ゆゆしく悲しくて、かきくらす心地し給へば、とみに物も言はれず、たまらひてぞきこえ給ふ」
――かすかなお声で、大儀そうにものをおっしゃるご様子に、薫は、亡き大君がご病気になられた頃の事が、まず思い出されて、不吉な予感がして悲しく、胸も塞がる心地がなさるので、急にはものも言えず、ややしばらくしてからお話をなさいます――

「こよなく奥まり給へるもいとつらくて、簾の下より几帳をすこしおし入れて、例の、馴ら馴れしげに近づき寄り給ふが、いと苦しければ、理なしとおぼして、少将の君といひし人を近く呼び寄せて、『胸なむ痛き。しばしおさへて』とのたまふを聞きて、『胸はおさへたるはいと苦しく侍るものを』とうち歎きて居直り給ふ程も、げにぞ下安からぬ」
――(薫は)中の君があまりにも奥の方に身を寄せていらっしゃるのが辛く情けないので、御簾の下から手を差し入れて、几帳を少し押しのけて、先夜のように親しげに近づいていかれますと、女君は困りきって、仕方なく、少将の君という者をお側にお呼びになって、「胸が痛んでなりません。しばらく押さえていて」とおっしゃっているのを、薫はお聞きになて、「胸は押さえるほど、なおお苦しくなるものですのに」と、溜息をついて、居ずまいをお直しになる間も、いっそう内心は不安でいっぱいです――

 薫が、

「いかなれば、かくしも常になやましくは思さるらむ。人に問ひ侍りしかば、しばしこそ心地はあしかなれ、さてまたよろしき折あり、などこそ教へ侍りしか。あまり若々しくもてなさせ給ふなめり」
――どういうわけで、こういつもご気分がお悪いのでしょう。人に聞きましたら、ご懐妊中の人はしばらくの間は気分が悪くても、そのうち又具合の良い時がある、などと教えてくれました。あなたはあまり子供っぽくご心配過ぎではありませんか――

 と、おっしゃるので、中の君は恥ずかしくなって、

「胸は何時ともなくかくこそは侍れ。昔の人もさこそはものし給ひしか。長かるまじき人のするわざとか、人も言ひ侍るめる」
――胸が痛みますのは、いつということなく、このとおりなのです。亡き姉君もその通りでした。胸の病気は長生きしそうにない人がかかるものだとか、人も言っているようです――

では8/29に。

源氏物語を読んできて(993)

2011年08月25日 | Weblog
2011. 8/25      993

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(54)

「さすがに、浅はかにもあらぬ御心ばへ有様の、あはれを知らぬにはあらず、さりとて、心交わし顔にあひしらはむも、いとつつましく、いかがはすべからむ、と、よろづに思ひみだれ給ふ」
――中の君としても、さすがに薫の並々ならぬお心尽しの有難さが分からないわけではありません。といって、薫の心の内を知り顔に応対しますのも、なおの事慎まねばならないし、どうしたらよいものかと、あれこれ悩んでいらっしゃいます――

 侍女たちも、多少話相手になりそうな若い者は、みな新参者であり、昔からの馴染の者は、宇治の山荘以来の老女たちで、心を打ち明けて話しあえる人もないままに、亡き姉君を思い出さぬ日とてないのでした。

「おはせましかば、この人もかかる心を添へ給はましや、と、いと悲しく、宮のつらくなり給はむ歎きよりも、このこといと苦しく覚ゆ」
――もし亡き姉君(大君)が生きておられたなら、薫はこのわたしに対してこんな気持ちをお抱きになったであろうか、と、悲しくて、匂宮の宮のつれない作今を歎くよりも、このことが苦しくてお辛いのでした――

「男君もしひて、思ひわびて、例の、しめやかなる夕つ方おはしたり」
――男君(薫)も、どうにも堪えがたくなって、いつものように、しめやかな夕暮れに訪ねておいでになります――

「やがて端に御褥さし出でさせ給ひて、『いとなやましき程にてなむ、え聞こえさせぬ』と、人してきこえ出だし給へるを聞くに、いみじくつらくて、涙のおちぬべきを、人目につつめば、しひてまぎらはして」
――中の君は、侍女に早速簀子(すのこ)にお座布団を出させて、「たいへん気分がわるいものですから、お話申しあげられません」と侍女をとおして申し上げます。薫はそのことをお聞きになると、たまらなく辛くて、涙がこぼれそうになりますのを、女房たちの手前もありますので、強いて紛らわして――

 薫が、

「なやませ給ふをりは、知らぬ僧なども近く参り寄るを、医師などの列にても、御簾のうちにはさぶらふまじくやは。かく人づてなる御消息なむ、かひなき心地する」
――ご病気の折には、見知らぬ僧などもお側近くに参られますのに、私は医師などと同じお扱いで御簾の内に伺候できないものでしょうか。このような取り次ぎを介してのご挨拶では、お伺い申した甲斐がございません――

では8/27に。


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2011年08月23日 | Weblog
綾(あや)
織面に経糸・緯糸により綾目が斜めに連なって現れる織物。経糸・緯糸、それぞれ三本以上の組織(三本の場合は「三枚綾」)がつくられるので平織に比べて緻密に厚くでき、風合いが柔らかく光沢に富む。ただ「綾」と言えば無地、「文綾」と言えば有文の綾地を指すこともある。

◆綾織物(あやおりもの)地紋織物の経(たて)糸と緯(ぬき)糸に、異なる色糸を使用して織りあげた織物のこと。綾織物の一種だが、地色と文様とが違った色で明快に表現される。二陪織物(ふたえおりもの)の地紋様などに用いられる。

参考:風俗博物館より

源氏物語を読んできて(992)

2011年08月23日 | Weblog
2011. 8/23      992

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(53)

「中納言の君はいとよくおしはかりきこえ給へば、疎からむあたりには、見ぐるしくくだくだしかりぬべき心しらひのさまも、あなづるとはなけれど、何かは、ことごとしくしたて顔ならむも、なかなか覚えなく見とがむる人やあらむ、と、おぼすなり」
――中納言の君(薫)は、中の君のそのお心内を、よくお察しになっていらっしゃるので、疎遠な間柄のところへは、有り合わせの物をごたごたと寄せ集めて贈るのは、心尽しの物でも見ぐるしいけれども、中の君を見下げるわけではなく、何の、大袈裟にわざわざ調えた風にするのも、却っておかしなことと見咎める人もあるだろうから、とお思い立ちになっての贈り物だったのでした――

「今ぞまた例の、めやすきさまなるものどもなどせさせ給ひて、御小袿織らせ、綾の料たまはせなどし給ひける」
――(薫は)この度はまた改めて美しい衣裳を調えさせて、小袿を織らせ、また綾の衣地なども添えて、いつものようにさりげなく贈ったりなさる――

「この君しもぞ、宮にもおとりきこえ給はず、さまことにかしづきたてられて、かたはなるまで心おごりもし、世を思ひすまして、あてなる心ばへはこよなけれど、故親王の御山住みを見そめ給ひしよりぞ、さびしき所のあはれさは様ことなりけり、と、心ぐるしく思されて、なべての世をも思ひめぐらし、深き情けをもならひ給ひにける。いとほしの人ならはしやとぞ」
――この君(薫)にしても、匂宮に劣り申さぬ位格別大切にご養育され、飽くまで気位が高く、世の中を悟りすまして高貴な御気質はこの上もありませんが、亡き八の宮の御山住みをご覧になってからは、世間から捨てられたお暮しの哀れさは格別であったと、お気の毒にお思いになって、広く世間のことにもお心をお配りになり、深い同情を持つようにもなられたのでした。まことに得難い感化を八の宮から受けられたわけです。(別訳:薫にとっては気の毒な八の宮の教化力だと言えるでしょうか)

「かくて、なほ、いかで後やすくおとなしき人にてやみなむ、と思ふにも従はず、心にかかりて苦しければ、御文などを、ありしよりはこまやかにて、ともすれば、しのびあまりたるけしき見せつつきこえ給ふを、女君、いとわびしきこと添ひにたる身、とおぼし歎かる」
――(薫は)このようにして、やはり、何とかして中の君のための後見人として、年長者らしく過ごそうとお思いになるのですが、ままならぬのは人の心、中の君への想いが余る時には、御文なども前々よりも心を込めて、ともすれば、切ない思いを仄めかして書いて差し上げますので、中の君は、いよいよ辛いことが重なって来るわが身よ、とお嘆きになるのでした――

「ひとへに知らぬ人ならば、あなものぐるほし、と、はしたなめさし放たむにもやすかるべきを、昔よりさま異なるたのもし人にならひ来て、今更に中あしくならむも、なかなか人目あやしかるべし」
――(中の君は)薫を全く知らない人ならば、何というはしたない事を、と、たしなめてでも突き放すのは容易いことですが、昔から薫とは格別に頼り先として親しんできて、今更仲違いするようなことでは、却って人に怪しまれることになろうし――

◆心しらひのさま=心を持ちいてるさま、

◆あなづる=侮づる=あなどる、軽蔑する。

◆はしたなめさし放たむ=はしたなめ・さし・放たむ=気づまりな思いをさせて振り放そう

では8/25に。

源氏物語を読んできて(991)

2011年08月21日 | Weblog
2011. 8/21      991

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(52)

「御覧ぜさせねど、前々も、かやうなる御心しらひは常の事にて、目馴れにたれば、けしきばみ返しなど、ひこじろふべきにもあらねば、いかがとも思ひわづらはで、人々にとり散らしなどしたれば、おのおのさし縫ひなどす」
――(侍女の大輔は)いちいち中の君の御覧には入れませんが、薫のこういうお心遣いはいつものことなので、すっかり見慣れていますので、今更わざとらしくお返しするなどと、あちこち引っぱりまわすことでもないと、特別案ずることもなく侍女たちに分け与えなどしましたので、それぞれが反物を刺したり縫ったりします――

 若い女房で中の君のお側に仕える者も、下仕えの者も、それぞれにさっぱりとした衣裳でいるのは気持ちの良い事。

「誰かは、何事をも後見かしづききこゆる人のあらむ。宮は、おろかならぬ御志の程にて、よろづをいかで、とおぼしおきてたれど、こまかなる内々のことまでは、いかがはおぼし寄らむ。限りもなく人にのみかしづかれて、ならはせ給へれば、世の中うちあはず寂しきこと、いかなるものとも知り給はぬ、ことわりなり」
――いったいどなたが、このようにお世話なさる方がいましょうか。匂宮は中の君に並々ならぬご厚意で万事をいかにしても、と思い決めていらっしゃいますが、このような細やかなところまではお気づきになれないのです。匂宮は何から何まで人にかしづかれ、大事にされる一方で過ごし馴れてこられましたので、世の中が思い通りになるわけでもなく見たされない寂ささが、どんなものかもご存知ないのでした。たしかに尤もではありますが…――

「艶に、そぞろ寒く花の露をもてあそびて、世は過ぐすべきもの、とおぼしたる程よりは、おぼす人の為なれば、おのづから折りふしにつけつつ、まめやかなる事までもあつかひ知らせ給ふこそ、あり難くめづらかなる事なめれば、『いでや』など、謗らはしげにきこゆる御乳母などもありけり」
――世の中はただ雅やかに、そぞろな寒さもいとわず花の露をもてあそぶように、風流に過ごすものだとばかりお考えになっておられます。その割には、愛する人(中の君)の為には、季節に合わせての生活の面倒も見てお上げになるという、この匂宮としては、いつにないお肩入れなので、「まあまあ、そんなことまでなさらなくても」と、匂宮の乳母たちが非難がましく申し上げたりもするようですが――

 中の君としては、この二条の院が立派過ぎて、わが身にふさわしからぬお住居も困ったもの、またみすぼらしい女童も混じっていたりと、人知れず恥ずかしくお思いになっておられましたが、この頃はそれどころではない。噂に高い六条の院の六の君の華やかなお暮らしぶりと比べて、匂宮の宮にお仕えになっている人々は、こちらを何と思っておられよう、さぞかしみすぼらしく思っておいでであろうと、あらたな物思いも加わって、辛くお心も乱れがちでいらっしゃる。

◆ひこじろふ=あちらへ引っ張り、こちらへひっぱり。引きずる。

では8/23に。


源氏物語を読んできて(990)

2011年08月19日 | Weblog
2011. 8/19      990

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(51)

 薫は、

「人々のけはひなどの、なつかしき程に、萎えばみためりしを、と、思ひやり給ひて、母宮の御方に参り給ひて、『よろしき設けの物どもやさぶらふ。使ふべき事なむ』と申し給へば」
――中の君の侍女たちの衣裳が古くなっていて、糊けも落ちていたなあ、と思い出されて、母の三條の宮に参上なさって、「ちょっとした用意の衣裳がございますでしょうか。必要が生じまして」と申し上げます――

 母の女三宮が、

「例の、たたむ月の法事の料に、白きものどもやあらむ。染めたるなどは、今はわざともし置かぬを、いそぎてこそせさせめ」
――来月(九月)の法事に使うために白いものならありましょう。染めたものなどは、今のところ仕立ててもありませんが、急いで仕立てさせましょう――

 とおっしゃいますと、

「(薫は)『なにか、ことごとしき用にも侍らず。さぶらはむにしたがひて』とて、御匣殿などに問はせ給ひて、女の装束どもあまたくだりに、細長どもも、ただあるに従ひて、ただなる絹綾などとり具し給ふ」
――「いいえ、そんな大したことではないのです。有り合わせで結構です」とて、御匣殿(みくしげどの)などにお問い合せになって、女の衣裳を幾重ねも、それに小ざっぱりとした細長(ほそなが)や白い掻練(かいねり)、染めてない絹や綾なども取り添えて、あり合わせのままお贈りになりました――

「みづからの御料とおぼしきには、わが御料にありける、紅のうち目なべてならぬに、白き綾どもなど、あまたかさね給へるに、袴の具はなかりけるに、いかにしたりけるにか、腰のひとつあるを、引き結び加へて」
――中の君への御衣裳とおもわれるものには、ご自分のお召し物の中から、紅のうち目のすぐれた絹に、白の綾などをたくさん重ねて差し上げましたが、男の衣裳なので袴の付属品はありませんのに、どうしたわけでしょう、裳の引腰(ひきこし)が一つありましたのを、引き結んで装束に添えて――

(薫の歌)「むすびける契りことなる下紐をただひとすぢにうらみやはする」
――わたしとしては、他人と縁を結んでしまわれたあなたを、今更どうして一途に恨みなどいたしましょう――

 と、大輔の君という、年とった侍女で、中の君と親しそうな人にあてて、「とりあえず差し上げますので、見ぐるしいところはよろしいように、お取りはからいください」などとしたためて、お届になります。
中の君への御料は、目立たぬようにではありますが、箱に入れて包みも別にしてあります。

◆御匣殿(みくしげどの)=本来は内裏貞観殿内にある衣料調達の官。摂関、大臣家などの大貴族でも、そのような所を持っていた。

◆あまたくだり=数多の領(りょう)、襲(かさね)。=領(りょう)、襲(かさね)は、装束などの一そろいを数える語。

では8/21に。

源氏物語を読んできて(989)

2011年08月17日 | Weblog
2011. 8/17      989

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(50)

 匂宮は、日頃からなにやら怪しいと、折に触れ証拠になりそうな物をお探しになっていて、

「ただいとすくよかに言ずくなにて、なほなほしきなどぞ、わざともなけれど、物にとりまぜしてもあるを、あやし、なほいとかうのみはあらじかし、と疑はるるには、いとど今日は安からずおぼさるる、ことわりなりかし」
――ただ、ごく正真面目で、ありふれた御文などが、大事そうにでもなく、無造作に置かれてあったりしましたのを、「おかしいな、そんな筈はあるまい」と疑っていましたところ、今日のようなことがありました訳で、いっそう不安をお覚えになったとしても、まあ無理のないことでしょう――

「かの人のけしきも、心あらむ女の、あはれと思ひぬべきを、などてかは、ことの外にはさしはなたむ、いとよきあはひなれば、かたみにぞ思ひかはすらむかし、と思ひやるぞ、わびしく腹立たしくねたかりける。なほいと安からざりければ、その日もえ出で給はず」
――(匂宮はお心のなかで)かの人(薫)の姿、ご容貌などの見事さは、少しでも情趣のわかる女なら心を動かされずにはいられまい。何で中の君が拒絶などしようか。あの二人はよく似合っている間柄だから、お互いに思いを交わしあうだろうよ、と想像なさると、にわかにやるせなく、腹立たしく、また、妬ましいのでした。そして、どうしてもお心が収まらないので、この日も中の君の二条院からお出ましにならないのでした――

「六条の院には、御文をぞ二度三度たてまつれ給ふを、『いつの程につもる御言の葉ならむ』とつぶやく老人どもあり」
――(匂宮は)六条の院の六の君に御文を二度も三度も差し上げます様子に、「いつの間にああもお言葉が積もるのかしら」と、そのことで呟く老女房もいるのでした――

 さて、

「中納言の君は、かく宮のこもりおはするを聞くにも、心やましく覚ゆれど、わりなしや、これはわが心のをこがましく悪しきぞかし、うしろやすく、と思ひそめてしあたりのことを、かくは思ふべしや、と、しひてぞ思ひかへして、さは言へどえ思し棄てざめりかし、と、うれしくもあり」
――中納言の君(薫)は、こうして匂宮が二条院の中の君のところに籠っていらっしゃるとお聞きになりますにつけても、妬ましい気がしますが、仕方がない、これは自分の心が馬鹿げていて良くないのだから、御後見のつもりでお世話しはじめた中の君のことを、こんな風に慕ってよいものか、と、強いて反省しては、そうかと言って、匂宮が中の君を決してお思い棄てにはならない筈だともお思いになり、それは喜ばしいこととも思うのでした――

◆さは言へどえ思し棄てざめりかし=さ・は言へど・え・思し棄て・ざめり・かし=そうはいっても、まさか思い棄てになることはないでしょう。

では8/19に。

源氏物語を読んできて(988)

2011年08月15日 | Weblog
2011. 8/15      988

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(49)

 匂宮は、

「ともかくも答へ給はぬさへ、、いとねたくて」
――(中の君が)何ともお答えにならないので、なお癪にさわって――

(匂宮の歌)「また人に馴れける袖のうつりがをわが身にしめてうらみつるかな」
――あなたが別の人に親しんで、袖に移し取ったその香を、私は身にしみて恨んでいますよ――

「女は、あさましくのたまひ続くるに、言ふべき方もなきを、『いかがは』とて」
――中の君は、匂宮のあまりのおっしゃりように、言葉の続けようもなくて、「どうしてまあ、そのように」とお思いになって――

(中の君の歌)「みなれぬる中の衣とたのみしをかばかりにてやかけはなれなむ」
――親しみ馴れた間柄とお頼り申していましたのに、こんな移り香くらいのことで、御縁が切れてしまうものでしょうか――

 と、おっしゃりながら泣いているお姿の、なんとも可憐なご様子をみるにつけ、匂宮はやはりこれ以上恨みきれるものではないと、こんどはなだめたりなさっておいでになります。

「これを兄弟などにはあらぬ人のけ近くいひ通ひて、事にふれつつ、おのづから声けはひをも聞き馴れむは、いかでかただにも思はむ、必ずしか覚えぬべきことなるを、と、わがいとくまなき御心ならひに、おぼし知らるれば、常に心をかけて、しるきさまなる文などやある、と、近き御厨子小唐櫃などやうの物をも、さりげなくて、さがし給へど、さる物もなし」
――こんなに美しい人を、兄弟ではない男が側近くで物を言い交わして、何かにつけては自然と声や気配を聞いたり見たりし馴れるならば、どうしてそのままにして過ごせよう、きっと薫も惹かれるに違いない、と、匂宮はご自分の抜け目のない色好みなお心癖から、常々推し量っておられたのでした。そんなわけで、いつも注意深く、なにか証拠になるような御文などがありはしまいかと、そこらの御厨子(みずし)や小唐櫃(こからびつ)のようなものを、それとなくお探しになりますが、そうした物は未だに見つからないのでした――

◆御厨子(みずし)=棚式の物

◆小唐櫃(こからびつ)=小さな箱物

では8/17に。