永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(105)その3

2019年01月28日 | 枕草子を読んできて
九二   めでたきもの (105)その3  2019.1.28

 法師の才ある、すべて言ふべきにあらず。持経者の一人としてよむよりも、あまたが中にて、時など定まりたる御読経などに、なほいとめでたきなり。暗うなりて「いづら、御読経油おそし」など言ひて、よみやみたるほど、しのびやかにつでけゐたるよ。
◆◆法師で才学のあるのは、まったく言うまでもない。持読経が一人で読むよりも、大勢の中で、早朝・日中・日没・初夜(そや)・中夜・後夜・という六の時の勤行は一層立派である。暗くなって「どうした、御読経の灯明が遅い」などと言って、みなが読みやんでいる間、才学のある法師だけは声をひそめてあとの文句を空で読み続けて座っていることよ。◆◆  

■持経者(ぢきょうじゃ)=『法華経』を読むことを専門にしている僧。まつりなどしたる、



 后の昼の行啓。御産屋。宮はじめの作法。獅子、狛犬、大床子など持てまゐりて、御帳の前にしつらひすゑ、内膳、御へつひわたしたてまつりなどしたる、姫君など聞こえしただ人とぞつゆ見えさせたまはぬ。
◆◆供の女官・女房などの装いの美麗さが見える后の昼のお出まし。さまざまな儀式が行われる御産屋。立后の作法。立后の時には、御帳台の帷子の裾に据える獅子と狛犬の像、天皇の食膳を載せるための大床子(だいしょうし)などを持って伺って、御帳台の前に設け据え、内膳司が竈神の霊をお移し申し上げなどしているのは、以前姫君などと申し上げた普通の人とはまったくお見えあそばさない。◆◆

■御へつひ=竈(かまど=食事)の神。「竈つ霊(ひ)」の意という。后が天皇と同格であることを示すために后の膳司のほうに分祀するのだという。



 一の人の御ありき、春日詣で。葡萄染めの織物。すべて紫なるは、何も何もめでたくこそあれ。花も、糸も、紙も。紫の花の中には、かきつばたぞすこしにくき。色はめでたし。六位の宿直姿のをかしきにも、紫のゆゑなンめり。ひろき庭に雪の降りしきる。今上一の宮、まだ童にておはしますが、御をぢに、上達部などのわかやかに清げなるに、抱かれさせたまひて、殿上人など召し使ひ、御馬引かせて御覧じあそばせたまへる、思ふ事おはせじとおぼゆ。
◆◆摂政・関白の御外出や、春日明神への御参詣。葡萄染めの織物。すべて紫いろであるのは、何でもかでもすばらしくあることだ。花も、糸も、紙も。紫の花の中では、かきつばたは、形が少しにくらしい。色はすばらしい。六位の蔵人の宿直姿が素晴らしいのは、紫だからだろう。広い庭に雪がしきりに降ってるの。今上の一条帝の一の宮様で、まだ幼児でいらっしゃるのが、御おじに、その上達部などの若々しくきれいな方に、お抱かれあそばして、殿上人などをお召し使いになり、御馬を引かせて御覧あそばして、お遊びになっていらっしゃるのは、何の思うこともおありになるまいと思われる。◆◆

■一の人=摂政・関白。

■春日詣で=春日神社は藤原氏の祖、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭るから、藤原氏で摂関たる人は必ず参詣する。

■六位の宿直姿=六位蔵人の宿直姿は麴塵(きくじん)の法衣に紫色の指貫をつける。

■今上一の宮=一条帝第一皇子、敦康親王。母は定子中宮。長保元年(999)11月7日誕生。(翌年12月定子崩御)


枕草子を読んできて(105)その2

2019年01月25日 | 枕草子を読んできて
九二   めでたきもの (105)その2  2019.1.25

 御むすめの女御、后おはします、また、姫君など聞こゆるも、御使にてまゐりたるに、御文取り入るるよりうち始め、褥さし出づる袖口など、明け暮れ見し者ともおぼえず。
◆◆御娘である女御や后がおいであそばす所、また姫君などと申し上げる場合も、蔵人が主上のお使いとして参上していると、主上のお手紙を御簾の内に取り入れるのから始めて、敷物を差し出す女房の立派な袖口など、それに対する待遇ぶりは、今まで明け暮れ見知っていた者とも思われない。◆◆


下襲の尻引き散らして、衛府なるは、いますこしをかしう見ゆ。みづから杯さしなどしたまふを、わが心にもおぼゆらむ。いみじうかしこまり、べちにゐし家の子の君達をも、けしきばかりこそかしこまりたれ、同じやうにうち連れてありく。うへの近く使はせたまふさまなど見るは、ねたくさへこそおぼゆれ。御文書かせたまへば、御硯の墨磨り、御団扇などまゐり、ただまつはれつかうまつるに、三年ばかりのほどを、なりあしく、物の色わろく、薫物、香などよろしうて、まじろはむは、言ふかひなきものなり。
◆◆下襲の裾を無造作に長く引いて衛府を兼ねている蔵人は、もう少しすぐれて見える。その家の主人みずから杯をさしなどなさるのを、蔵人自身の心にも、それは素晴らしいと感じられていることだろう。ひどく畏まって、かつてはその御傍から離れて自分は別の所に控えていた名家の若君に対しても、今は形ばかりはかしこまってはいるけれど、その若君たちと対等に連れ立って歩きまわる。主上が御身近くにお使いあそばす様子などを見るときは、ねたましく思うほどだ。主上がお手紙をお書きあそばすと、御硯に墨を磨り、御団扇などでおあおぎ申し上げ、ひたすらお傍に親しくお仕え申し上げるのに、その三年くらいの間を、身なりが悪く、衣服などの色が劣っていて、薫物や香などが普通の状態で、殿上の人の中に交わっているのは、言う甲斐もないものだ。◆◆

■べちにゐし=君達とは同席を避けて座った。

■三年ばかり=六位蔵人の任期は六年。「六」の誤写か。一説に、当時は三年ぐらいで叙爵退下するのが普通だった。」



かうぶり得て、おりむ事近くならむだに、命よりはまさりてをかるべき事を、臨時にその御給はりなど申して、まどひをるこそいとくちをしけれ。昔の蔵人は、今年の春よりこそ泣きたちけれ、今の世の事走りくらべをなむするとか。
◆◆

■かうぶり得て=六位蔵人は任期が満ちると五位に叙せられる。除爵。なお蔵人は六位でも昇殿できるが、蔵人を辞すると四位以上でなければ昇殿できない。



 才ある人、いとめでたしといふもおろかなり。顔もいとにくげに、下郎なれども、ことなる事なけれども、世にやんごとなきものにおぼされ、かしこき人の御前に近づきまゐり、さるべき事など問はせたまふ御文の師にて候ふは、めでめでたくこそおぼゆれ。願文もさるべき物の序作り出だしてほめらるる、いとめでたし。
◆◆才学のある人はとても立派だというのは当然である。顔がとても憎らしげで、身分も低い者で、これといって特筆するものはないけれども、世の中で尊重すべきものと高貴な人がおぼしめして、その御前に近く参上して、しかるべきことなどおたずねあそばされる御侍読として伺候するのは、とても素晴らしいと感じられる。願文も、またしかるべき詩歌の序を作り出して褒められるのは、とてもすばらしい。◆◆



枕草子を読んできて(105)その1

2019年01月22日 | 枕草子を読んできて
めでたきもの (105)その1  2019.1.22

 めでたきもの 唐錦。飾り太刀。作り仏のもくゑ。色合ひよく、花房長く咲きたる藤の、松にかかりたる。
◆◆たいそう素晴らしいもの。唐土渡来の錦。金・銀・螺鈿などで飾った太刀。彩色を施した仏像の木絵。色合いが良く、花房が長く咲いた藤が松に掛かっているの。

■めでたきもの=「賞で甚し(めでいたし)」が原義。非常に賞美すべきもの。すばらしいもの。

■もくゑ=木絵(もくえ)。彩色した小木片を貼って絵模様を表したものをいう。



 六位の蔵人こそなほめでたけれ。いみじき君達なれども、えしも着たまはぬ綾織物を心にまかせて着たる青色姿などの、いとめでたきなり。所衆、雑色などの、人の子どもなどにて、殿ばらの四位五位も司あるがしもにうちゐて、何と見えざりしも、蔵人になりぬれば、えもいはずあさましくめでたきや。宣旨持てまゐり、大饗の甘栗の使ひなどにまゐりたるを、もてなしきやうようしたまふさま、いづこなりし天くだり人ならむとこそおぼゆれ。
◆◆六位の蔵人こそはやはり立派なものだ。身分の高い若君たちではあるけれども、必ず着られるとはならない綾織物を、思いのままに着ている青色姿などは、とても立派である。元は、蔵人所の衆や、雑色などでどこかの人の子どもなどであって、殿さま方の家の、四位や五位の官職のある人の下にかしこまっていて、何とも見えなかった者も、蔵人になってしまうと、何とも言えないほど意外に立派なものだ。宣旨を持って参上したり、大饗のときの甘栗の使いなどに参上したりしているのを、主人の側で接待して饗応なさるありさまは、元はどこに住んでいた天降りの人なのだろうかとこそ、感じられる。◆◆

■綾織物=綾は六位以下の使用を禁じたが、六位蔵人は許された。

■青色姿=麴塵(きくじん)の袍をつけた姿六位の蔵人は天皇の召し古しを賜って着ることがあった。

■大饗の甘栗の使ひ=大臣家の大きな饗応の時、天皇から甘栗を大臣に賜う使い。六位蔵人の役。

■もてなしきやうよう=「もてなしきやうおう」と同じ。饗応。



枕草子を読んできて(104)その8

2019年01月19日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その8  2019.1.19

 さて二十日まゐりたるにも、まづこの事を御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎりひきさげて持て来たりつる法師のやうにて、すなはちまうで来たりしが、あさましかりし事、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじく書きてまゐらせむとせし事など啓すれば、いみじく笑はせたまふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひける事をたがへたれば、罪得らむ。まことに、四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。その翁出で来て、いみじうてをすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。彼の里より来たらむ人に、かう聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近のつかひ、南の築地の外にみな取り捨てて、『いとたかくておほくなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけ、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。うへも聞こしまして、『いと思ひよりがたくあらがひたり』と、殿上人などにも仰せられけり。さてもそのうたを語れ。今は、かく言ひあらはしつれば、同じ事、勝ちにたり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「何せむにか、さばかりの事をうけたまはりながらは啓しはべらむ」など、まめやかに憂く、心憂くがれば、うへのわたらせたまひて、「まことに年ごろは、おぼえの人なンめりを見つるを、あやしと思ひし」など仰せらるるに、いとつらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いで、あはれ。いみじき世ノ中ぞかし。後に降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、『それあいなし』、とて『かき捨てよ』など候ひし」と申せば、「げに勝たせじとおぼしけるならむ」と、うへも笑はせおはします。
◆◆そうして、二十日に参内した時にも、真っ先にこの事を中宮様の御前ででも言う。「みな消えてしまった」と言って、蓋だけを引き下げて持って来てしまった法師のような格好で、すぐにこちらに参って来たのが意外であったこと、物の蓋に雪で小山を美しく作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなど申し上げると、中宮様はたいへんお笑いあそばす。回りの女房たちも笑うと、「こんなに心に入れて思ったことを、違わせてしまったのだから、きっと私は仏罰を受けているだろう。ほんとうに十四日の夕方、侍どもを行かせて取り捨てさせたのだよ。そなたの返事にそれを言い当てていたのこそ、たいへん面白かった。その庭木番が出て来て、一生懸命手をすり合せて言ったのだけれど、『これはお言いつけ事なのだよ。あちらの里からやってくる人に、言ってはならないぞ。もし言ったなら、家を壊させよう』と言って、左近の使いが、南の土塀の外に雪をみな取って捨てて、『たいそう高く、量も多かった』と言ったそうだから、まことに二十日まで待ってもそこにあって、悪くすると、今年の新春の初雪でも降って一段と積もってしまったかもしれない。主上もお聞きあぞばされて、『だれも考えつかないほど言い争ったね』と、殿上人などにも仰せられたのだった。それにしても、その歌を披露しなさい。今は、こう打ち明け話をしてしまったのだから、そなたが勝ってしまっているのど同じ事だ。さあ話しなさい」などと、御前におかれても仰せあそばし、女房たちも仰るけれど、「いったいどうしてこれほどのことを承っておきながら、申し上げましょうか」などと、全く芯から憂鬱で、情けなく思っていると、主上も渡御あそばされて、「年来、宮の気に入りの人であるようなのに、これでは変だなと思ったよ」などと仰せになるので、とても辛く、泣いてしまいそうであった。「全く本当に、なんて辛い世の中ですね。『それは無意味だ』ということで、『掻き捨てろ』などと仰せがございましたよ」と申すと、それをお聞きになって、「いかにも宮は勝たせまいとお思いになったのだろう」と、主上もお笑いあそばしていらっしゃる。◆◆

■四日=中の四日。すなわち十四日。


枕草子を読んできて(104)その7

2019年01月14日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その7  2019.1.14

 里にても、明くるすなはち、これを大事にして見せにやる。十日のほどには「五六尺ばかりあり」と言へば、うれしく思ふに、十三日の夜、雨いみじく降れば、「これにぞ消えぬらむ」と、いみじうくちをし。「いま一日も待ちつけで」と、夜も起きゐて嘆けば、聞く人も物ぐるほしと笑ふ。
◆◆里にいても、夜が明けるとすぐにこれを大事なこととして、見せに使いを送る。十日ごろには、「五、六尺ほどありました」と言うので、うれしく思っていたところ、十三日の夜に雨がひどく降ったので、「きっとこれで消えてしまうだろう」と思うと本当にくやしい。「もう一日というところを待っていないで」と、夜も起きたままで嘆くので、それを聞いている人も気違いじみていると言って笑う。◆◆



 人も起きて行くに、やがて起きゐて、下衆起こさするに、さらに起きねば、にくみ腹立たれて、起き出でたるをやりて見すれば、「円座ばかりになりて侍る。こもりいとかしこう童べを寄せでまもりて、『明日明後日までも候ひぬべし。禄給はらむ』と申す」と言へば、いみじくうれしく、「いつしか明日にならば、いととう歌よみて、物に入れてまゐらせむ」と思ふも、いと心もとなうわびしう、まだ暗きに、大きなる折櫃など持たせて、「これに白からむ所、ひと物入れて持て来。きたなげならむは、かき捨てて」など言ひくくめてやりたれば、いととく、持たせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せはべりにけり」と言ふに、いとあさまし。
◆◆だれかが起きて行くので、私も起きて座っていて、下使いの者を起こさせるのに、一向に起きないので、憎らしく腹が立ってきて、起き出した者を遣わせて見させると、「円座ぐらいになっております。木守番とてもきびしく子どもを近寄らせないで守っていて、「明日、明後日までもきっと残っていることでございましょう。ご褒美をいただきましょう」と言っていました。」と言うので、すっかりうれしくなって、「早く明日になったら、急いですぐに歌を詠んで、入れ物に雪を入れて中宮様に差し上げよう」と思うのも、私にもとてもじれったく、やりきれない感じがして、まだ暗いうちに、大きな折櫃などを使いに持たせて、「これに白そうな所を、いっぱい入れて持ってこい。汚らしい所は掻き捨てて」などと言い含めて行かせたところ、とても早く、持たせてやった物を引き下げて、「(雪が)とうに無くなってしまったのでございました」と言うので、どうしてなのかとひどく意外である。◆◆

■円座(わらふだ)=藁などを丸く編んだ敷物。

■折櫃(をりびつ)=檜の薄板を折り曲げて作った箱のような物。

■言ひくくめて=こちらの言うことをよくのみこませて。

■いとあさまし=意外だ。あきれたことだ。



 をかしうよみ出でて人にも語りつたへさせむと、うめき誦じつる歌もいとあさましくかひなく、「いかにしつるならむ。昨日さばかりけむものを、夜のほどに消えぬらむ事」と言ひうんずれば、「こもりが申しつるは、『禄を給はらずなりぬる事』と、手を打ちて申しはべりつる」と言ひさわぐに、内より仰せ言ありて、「さて雪は今日までありつや」とのたまはせたれば、いとねたくくちをしけれど、「『年の内、ついたちまでだにあらじ』と人々の啓しらまひし、昨日の夕暮れまで侍りしを、いとかしこしとなむ思ひたまふる。今日までは、あまりの事になむ。夜のほどに、人のにくがりて、取り捨てたるにもたやなむ推しはかりはべる、と啓せさせたまへ」と聞こえつ。
◆◆面白く歌を詠んで人にも語り伝えさせようと、懸命にうんうん言って声に出して詠みあげた歌も、もうすっかり詠みがいもなく、「いったいどうなってしまったのだろう。昨日まではそのようにあったものを。夜のうちに消えてしまったとは」と言ってしょげていると、「庭の木守が申しますことには、『ご褒美をいただかずに終わってしまったことよ』とくやしさに手を打って申しておりました」と言って騒いでいると、宮中から中宮様の仰せ言があって、「そのままで雪は今日までちゃんとあったか」と仰せあそばしているので、敗北感からとてもいまいましく残念であるけれど、「『年内、新年の初めまでさえもあるまい』と人々が申しあげなさいましたのが、昨日の夕暮れまでございましたのを、とてもたいしたことだと、私は存じております。今日まで保つのは、度の過ぎたことでございまして……。夜のうちに、人がにくらしがって、取って捨てたのかも知れないと推量しております、と申し上げてください」とご返事を申し上げた。◆◆



枕草子を読んできて(104)その6

2019年01月09日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その6  2019.1.9
 
 雪の山は、まことに越のにやあらむと見えて、消えげもなし。黒くなりて、見るかひもなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずれど、「七日をだにえ過ぐさじ」となほ言へば、いかでこれ見果てむと皆人思ふほどに、にはかに三日内へ入らせたまふべし。「いみじうくちをし。この山の果てを知らずなりなむ事」とまめやかに思ふほどに、人も「げにゆかしかりつるものを」など言ふ。御前にも仰せらる。
◆◆雪の山は、ほんとうに歌にある「越の白山」であるかとように、消える気配もない。ただ黒くなって見るに堪えないようすではある。勝ってしまったような気持ちで、どうかして十五日を待ってそれに合わせたいと祈るけれど、「七日さえも過ごせないだろう」と女房たちがなおも言うので、どうにかしてこの結果を見たいものだと、皆で思っているところ、急に中宮様が内裏にお入りになられるということだそうだ。「ああ、残念だ。この山の状態を知らないままになってしまうとは」と本気で思っているうちに、女房たちも「ほんとうにそれがしりたかったのに」などと言う。また中宮様におかせられても、そのように仰せになる。◆◆

■越のにやあらむ=越の白山。古今集「消えはつる時しなければ越路なる白山の名は雪にぞありける」

■三日内へ=中宮が現在の「職の御曹司」の場所から内裏へ。



 「同じくは言ひ当てて御覧ぜさせむ」と思へるかひなければ、御物はこびさわがしきに合はせて、こもりといふ者も築地の外に廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼び寄せて、「この雪の山いみじくまもりて、童べ人などに踏み散らせこぼたせで、十五日まで候はせよ。よくまもりて、その日にあたらば、めでたき禄給はせむとす。わたくしにも、いみじきよろこび言はむ」など語らひて、常に台盤所の人、下衆などにこひてにくまるるくだ物や何や、いとおほく取らせたれば、うちゑみて、「いとやすき事。たしかにまもりさぶらはむ。童べなどぞのぼりはべらむ」と言へば、「それを制し聞かせざらむ者は、事のよしを申せ」など言ひ聞かせて、入らせたまひぬれば、七日まで候ひて出でぬ。
◆◆「同じ事なら、言い当ててその雪山をご覧あそばすようにおさせ申しあげたいものだ」と思うに甲斐がないので、御道具運びが騒がしい時に合わせて、木守という者が築地の外に廂を差し掛けて住んでいるのを、縁のそば近く呼び寄せて、「この雪の山をしっかり守って、子供や他の人などに踏み散らせ壊さぬように、十五日まで残るようにしておけ。よく番をしてその日になったら、結構な褒美をおくだしあそばそうぞ。私個人の立場でも十分なお礼を言おう」などと親しく話して、いつも庭木番が台盤所の女房や下僕などにせがんでは憎らしがられている果物や何やかやを、たいそうたくさん与えたところ、にこにこ笑って、「至極たやすいことです。きっとしっかり番をしましょう。子供などがのぼるでしょうから」と言うので、「それを制止して言い聞かせないような者があったら、事の次第をこちらに申し出よ」などと言い聞かせて、中宮様が内裏にお入りになられたので、七日までお仕えして里に退出した。◆◆


■こもりといふ者=木守。植木番のようなものか。
そのほどもこれがうしろめたきままに、おほやけ人、すまし、をさめなどして絶えずいましめにやり、七日の御節供のおろしなどをやりたれば、拝みつることなど、帰りては笑ひあへり。
◆◆その間にも、このことが不安で仕方がないので、宮仕えの者、すまし、長などを使って絶え間なく注意しに行かせ、七日の御節句のおさがりなどを与えたところ、庭木番が拝んだことなど、使いが帰っては、皆で笑っている。◆◆

■七日の御節供=正月七日、七草粥を奉る日。

■おほやけ人、すまし、をさめなど=宮中に仕える公人。「すまし」は湯殿や厠掃除の役。「をさめ」は下仕え女官の長。


枕草子を読んできて(104)その5

2019年01月03日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その5  2019.1.3

 ついたちの日、また、雪おほく降りたるを、「うれしくも降り積みたるかな」と思ふに、「これはあいなし。はじめのをば置きて、今のをばかき捨てよ」と仰せらる。うへにて局にいととうおるれば、侍の長なる者、柚の葉のごとある宿直衣の袖の上に、青き紙の、松につけたる置きて、わななき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば、「斎院より」と言ふに、ふとめでたくおぼえて、返りまゐりぬ。
◆◆正月一日に、また、雪がたくさん降っているのを、「うれしいことに降り積もっていることだ」と思っていると、「この雪はだめだ。初めに積もったのはそのままにして、新しいのはかき捨てよ」とお命じあそばす。その夜は上の局に侍して翌朝早く下の局に下がっていると、侍の長である者が、柚の葉のようである濃緑の宿直衣の袖の上に、青い紙の、松につけてあるのを置いて、ふるえながら出て来た。「それはどこからか」とたずねると、「斎院から」と言うので、とっさに素晴らしいことと感じられて、中宮様の御もとに立ち帰り参上した。◆◆

■ついたちの日=長保元年正月一日、雪降るとある。
■斎院より=賀茂の斎院。当時は村上帝皇女選子内親王。文雅の中心のお一人。



 まだ御とのごもりたれば、母屋にあたりたる御格子を碁盤などかきよせて、一人念じてあぐる、いとおもし。片つ方なれば、ひしめくに、おどろかせたまひて、「などさはあする」とのたまはすれば、「斎院より御文の候はむには、いかでかいそぎ上げはべらざらむ」と申すに、「げにいとかかりけるかな」とて起きさせたまへり。御文あけさせたまへれば、五寸ばかりなる卯槌二すじを、卯杖のさまに、頭包みなどして、山橘、日陰、山菅など、うつくしげなるに飾りて、御文はなし。「ただなるやうあらむやは」と御覧ずれば、卯杖の頭包みたる小さき紙に、
  やまとよむをののひびきをたづぬればいはひの杖の音にぞありける
◆◆中宮様はまだ御寝すみになっておられたので、母屋の前に当たっている御格子を、碁盤などを引き寄せて、それを踏み台として、一人で我慢してもち上げるのでひどく重い。持ち上げるのは片方なので、ぎしぎし音がするので、中宮様が御目覚めになって、「どうしてそんなことをするのか」と仰せあそばされるので、「斎院からお手紙がございましたからには、どうして急いで上げないわけにまいりましょう」と申し上げると、「なるほど、一心にこうしたわけだったね」とおっしゃってお起きあそばしていらっしゃる。お手紙をお開けになっていらっしゃると、五寸ほどの卯槌二本を、卯杖のように、頭の所を紙で包みなどして、山橘、日陰、山菅などのかわいらしげなので飾って、お手紙はない。「何もないはずはない」というわけで御覧あそばすと、卯杖の頭を包んでいる小さい紙に、
(歌)山も鳴り渡る斧の響きを何かと探し求めると、卯の日の祝いの杖を切る音だったのでした。
◆◆

■片つ方なれば、…=一人なので片一方だけ持ち上げるから、ぎしぎし音がするのに。
■卯槌(うづち)=端午の節供の邪気払いの作り物。槌には五色の糸を結び垂らす。
■卯杖(うづえ)=正月上の卯の日に諸衛府から禁中に奉る、邪気払いの杖。
■山橘、日陰、山菅など=藪柑子(やぶこうじ=正月の縁起物)、しだの一種、実を正月の縁起物とする
■山とよむ=「とよむ」は、音や鳴き声が響きわたること。「いはいの杖」は、卯杖をさす。柊(ひいらぎ)・梅・桃などで作る。



 御返り書かせたまふほどもいとめでたし。斎院には聞こえさせたまふも御返りも、なほ心ことに書きけがしおほく、御用意見えたり。御使ひに白き織物の単衣、蘇芳なるは、梅なんめりかし。雪の降りしきたるに、かづきてまゐるもをかしう見ゆ。このたびの御返りを知らずなりにしこそくちをしかりしか。
◆◆中宮様のお返事をお書きあそばすご様子もたいへんすばらしい。斎院に対しては、こちらからお差しあげあそばすお手紙もお返事も、やはり特別にお気をつけなさって、書き損じも多く、お心遣いが表れている。斎院からのお使いにくだされた禄は、白い織物の単衣、蘇芳色なのは、きっと梅襲ねのように思われる。雪の降りしきる中、肩に担いで帰参して行くのもおもしろく見える。中宮様からのこのたびのお返事(御返歌)を知らずに終わってしまったことこそ残念であった。◆◆