永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(720)

2010年04月30日 | Weblog
2010.4/30  720回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(7)


 薫は、何と素早い歌の詠みっぷりだと思われて、返歌

「『余所にてはもぎ木なりとやさだむらむしたに匂へる梅のはつはな』さらば袖ふれて見給へ、など言ひすさぶに」
――「余所目には無風流な男と決めているらしい、心の内には咲き匂っている梅の初花のような私を」それならば、袖にふれてごらんなさい、などと冗談をおっしゃると――

 女房達は、
「『まことは色よりも』と口々、引きも動かしつべくさまよふ」
――「本当は色よりもその薫りを」と口々に囁いて、お袖を引き揺りもしかねない程付きまとっています。(薫の詞を受けて、同じ古歌により、薫の身から高く香るのを仄めかした)――

 玉鬘が奥の方から出て来て、

「うたての御達や。はづかしげなるまめ人をさへ。よくこそ面なけれ」
――いやな女房たちね。極まりわるいほどご立派な堅人にまで。よくよく厚かましいこと――

 と、ひそかにたしなめていらっしゃるようです。薫はお心の中で、

「まめ人ごこそつけられたりけれ、いと屈じたる名かな」
――やれやれ、堅人(かたじん)とあだ名をつけられてしまった。まったく気の思い名だな――と思っていらっしゃる。

 玉鬘は、

「大臣は、ねびまさり給ふままに、故院にいとようこそ覚え奉り給へれ。この君は、似給へる所も見え給はぬを、けはひのいとしめやかに、なまめいいたるもてなしぞ、かの御若盛り思ひやらるる。かうざまにぞおはしけむかし」
――夕霧大臣は、お歳を重ねられますにつけて、故六条の院にいよいよ似てこられます。この君(薫)は源氏に似ていらっしゃるところもお見えになりませんが、ご様子のまことにしっとりとして、優雅な物越しなどは、故院のお若く盛りでいらした頃が思われて、きっとこんな風でいらしたに相違ない――

 などと、昔を思い出して涙ぐまれる。

◆まめ人=忠実人=まじめな人、実直な人。ここでは少し変人扱い。

ではまた。


源氏物語を読んできて(719)

2010年04月29日 | Weblog
2010.4/29  719回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(6)

 そのことについて、玉鬘は、

「女御なむ、つれづれにのどかになりたる有様も、同じ心にうしろみて、なぐさめまほしきを、など、かのすすめ給ふにつけて、いかがなどだに思ひ給へよるになむ」
――その弘徽殿女御さまが、「今では暇で所在なくのんびりしていますので、冷泉院と同じように、私どもの姫君の後見をいたしますことで、心を楽しませたいと思います」などとお勧めくださいますので、どうしたものかしらと、そこまで考えるようになったのでございます――

 この日、こちらにお出でになった方々は、続いて三條の宮(女三宮)の御邸にご挨拶に参上されます。朱雀院や源氏にお仕えなさった方々は、やはり入道の宮(女三宮)邸を素通りできないのでしょう。

 夕方になって、薫が玉鬘の邸に戻って来られました。たいそうご立派なご様子に、例によってすぐ大騒ぎする女房達が、

「『なほことなりけり。この殿の姫君の御傍には、これをこそさし並べて見め』と、聞きにくく言ふ。げにいと若うなまめかしきさまして、うちふるまひ給へる匂香など世の常ならず。姫君と聞こゆれど、心おはせむ人は、げに人よりはまさるなめりと、見知り給ふらむかし、とぞ覚ゆる」
――「やはり薫の君は、他の方々と違ってご立派ね。こちらの姫君の婿君としては、薫の君こそお似合いでしょう」などと、聞き苦しいほどに、囁き合っています。いくらお姫さまと申しても、物のわかる方なら、薫は他の人より立派らしいとお分かりになる筈と思われます――

 このとき、玉鬘は御念誦堂にいらっしゃいましたので、「こちらへ」と女房にご案内させます。薫は御簾の前に参られました。お庭先の梅の木もほつほつと蕾をつけ始めた頃で、鶯がたどたどしい声で鳴き初めています。女房が、

「いと好かせたてまほしきさまのし給へれば、人々はかなきことをいふに、言すくなに心にくき程なるを、ねたがりて、宰相の君と聞こゆる上臈の詠みかけ給ふ」
――何となくそそのかして上げたいような、薫のご様子なので、戯れごとを言いかけてみますが、相手は言葉少なに、憎らしいほど落ち着いていらっしゃるので、口惜しがって、宰相の君という上臈の女房が、歌を詠みかけます――

 宰相の君の(歌)

「折りて見ばいとどにほひもまさるやとすこし色めけ梅のはつはな」
――折ってみましたら一層匂いも勝るでしょうと思われます。もうすこし色っぽく咲け、梅の初花よ――(梅に薫をたとえて詠んだ)

◆ねたがりて=妬たがる=くやしがる。憎たらしい。妬ましい。

ではまた。

源氏物語を読んできて(718)

2010年04月28日 | Weblog
2010.4/28  718回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(5)

「正月の朔日ごろ、尚侍の御兄弟の大納言、「高砂」謡ひしよ、藤中納言、故大殿の太郎、真木柱のひとつ腹など参り給へり」
――正月の一日ごろに、玉鬘のご兄弟の大納言で、その昔、あの「高砂」をお謡いになった方(紅梅の巻の紅梅大納言・柏木の弟君)や、藤中納言、つまり亡くなられた髭黒大臣のご長男で、真木柱の姫君と同腹の方が、尚侍の御邸の許にお出でになりました――

「右の大臣も、御子ども六人ながら引き連れておはしたり。(……)世と共に、蔵人の君は、かしづかれたるさま異なれど、うちしめりて思ふことあり顔なり」
――右大臣(夕霧)も、ご子息たち六人を連れておいでになりました。(御子たちは皆ご容貌も優れ、年齢以上に官位も昇進なさっていて、何のご心配もなさそうにお見えになります)特に蔵人の少将は、大切にされておられるご様子ですのに、今日は塞ぎこんで、悩ましげなお顔でいらっしゃいます――

 夕霧は几帳越しに、玉鬘と当たり障りのないお話をなさっておりましたところ、玉鬘の方から、冷泉院から姫君を是非にとの御所望のありますことを、話し出され、

「はかばかしう、後見なき人のまじらひは、なかなか見苦しきをと、かたがた思ひ給へなむわづらふ」
――(大君の)ご入内には、夫も亡くなりまして、しっかりした後ろ楯が居りませんので、そのような人の宮仕えは、却って見苦しいものと、あれこれ思い煩っております――

夕霧は、

「内裏に仰せらるる事あるやうに承りしを、何方に思ほし定むべき事にか。院はげに、御位を去らせ給へるにこそ、盛り過ぎたる心地すれど、世に有難き御有様は、旧り難くのみおはしますめるを」
――今帝にもご入内の内意がおありと承っておりますが、お二方のうちのどちらへとお考えですか。冷泉院はなるほどご譲位なさったために、盛りを過ぎた感じがいたしますが、世に稀なご容貌は一向にお老けにならないご様子でございますが――

 私にも今の后、妃の中に立ち交じれるほどの娘がおりましたら、と残念でなりません、などと夕霧はおっしゃって、

「そもそも、女一の宮の女御はゆるし聞こえ給ふや。先々の人、さやうの憚りにより、とどこほる事も侍りかし」
――ただ、(冷泉院へのご入内は)女一の宮の御母でいらっしゃる弘徽殿女御が、そのご入内をご承知でございますか。前にもあの方へのご遠慮から、沙汰止みになったこともありましたよ――

◆女一の宮の御母でいらっしゃる弘徽殿女御=冷泉院と弘徽殿女御(故致仕大臣の姫君で柏木の妹君)の間の姫君で、女一の宮といいます。冷泉院の后である秋好中宮には、御子がいません。

ではまた。


源氏物語を読んできて(717)

2010年04月27日 | Weblog
2010.4/27  717回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(4)

「六条の院の御末に朱雀院の宮の御腹に生まれ給へりし君、冷泉院に御子のやうに思しかしづく四位の侍従、その頃十四、五ばかりにて、いときびはに幼かるべき程よりは、心おきておとなおとなしく、めやすく、人にまさりたる生ひ先しるく、ものし給ふを、かんの君は、婿にても見まほしく思したり」
――六条院(源氏)の末の御子で、朱雀院の姫君(女三宮)腹にお生まれになった方で、冷泉院の御子のように大事にされていらっしゃる四位の侍従(薫)は、その頃十四、五歳でいらっしゃいます。だれもが幼少で幼稚な筈のお年頃に比べて、思慮深く、人並み優れた将来が期待される方であると、尚侍の君(玉鬘)は、娘の婿としてお世話できたらと思っていらっしゃる――

 玉鬘のお屋敷と三條の宮(母女三の宮)の御住いが近いこともあって、若い公達同志
遊びがてら、しばしばこちらへお見えになります。姫君がおいでになる御住いなので、若い公達はみな気もそぞろで、うろうろなさっていらっしゃいますが、ひと際ご立派な方は蔵人の少将で、優雅な風情のある方は薫と、この御二方に似つかわしい人は一人もおられません。玉鬘は「なるほど、ご評判どおり綺麗な方」と薫を親しくおもてなしなさいます。

「院の御心ばへを思ひ出で聞こえて、なぐさむ世なう、いみじうのみ思ほゆるを、その御形見にも、誰をかは見奉らむ」
――源氏の御心立てをお偲び申し上げては、今でもただただ悲しく、辛く思っておりますが、そのお形見としてどなたをお眺め申したら良いでしょう――

 などと、玉鬘は姉弟同様に思っていらっしゃいますので、薫も姉君のお邸にあがるようなお気持で、気安くおいでになるのでした。

「世の常のすきずきしさも見えず、いといたうしづまりたるをぞ、ここかしこの若き人ども、くちをしうさうざうしき事に思ひて、言ひなやましける」
――(薫という方は)世間一般のような好色めいたところも見えず、たいそう落ち着いておいでになりますのを、あちこちの女房達は口惜しがったり、物足りなく思ったりして、薫を困らせるのでした――

◆きびはに=幼くて弱々しいさま、幼少

◆すきずきしさ=好き好きし=好色めいている。

◆くちをしうさうざうしき事=残念で寂しい=ここでは、気を引く機会とてなくつまらない。

ではまた。

源氏物語を読んできて(716)

2010年04月26日 | Weblog
2010.4/26  716回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(3)

 冷泉院からのお手紙は、たいそうご熱心で、玉鬘は思案にくれながらも、あの時の事を思い出して、恥ずかしくも、申し訳なくも考えておりますうちに、

「この世の末にやご覧じ直されまし」
――この生涯の終り近くになって、娘を差し上げることで、院のご機嫌をお直しいただこうかしら――

 などと、いよいよどうしたものかと迷っておられます。

「容貌いとようあはする聞こえありて、心かけ申し給ふ人多かり。右の大殿の蔵人の少将とか言ひしは、三條殿の御腹にげ、兄君達よりもひきこし、いみじうかしづき給ひ、人柄もいとをかしかりし君、いとねんごろに申し給ふ」
――玉鬘のご長女の大君(おおいぎみ)はたいそうご器量も優れていらっしゃるとの評判で、心を寄せ、お申込みをなさる方々がたくさんいらっしゃいます。右大臣(夕霧)の六男で、蔵人の少将とおっしゃる方は、三條殿(雲井の雁)腹で、兄君達より官位も上で、大切にされている方ですが、この方が熱心に大君をご所望になっていらっしゃいます。――

 雲居の雁も息子のために玉鬘にお文を差し上げておられますし、夕霧も、

「いと軽びたる程に侍るめれど、思しゆるす方もや」
――(蔵人の少将は)今はまだごく軽い身分ですが、大目に見てご承諾くださるお気持はございませんか――
 とお口を添えられます。が、玉鬘は、

「姫君をば、さらにただのさまにも思し掟て給はず、中の君をなむ、今少し世の聞こえ軽々しからぬ程に、なずらひならば、然もや」
――大君には、全く普通の結婚(臣下)などさせるお積りはなく、次女の中の君ならば、少将がもう少し世評も軽くないほどに釣り合うようになった頃に、許しても良い――
 
と、心の中では思っております。

「ゆるし給はずば、盗みも取りつべく、むくつけきまで思へり。こよなき言とは思さねど、女方の心ゆるし給はぬ事の紛れあるは、音聞きもあはつけきわざなれば、聞こえつぐ人をも、『あなかしこ、過ち引き出づな』など宣ふに朽たされてなむ、わづらはしがりける」
――(少将は)お許しがなければ姫君を盗み出してでも……と、外目にも不気味なほど思いつめている様子も見えます。玉鬘は、この御縁をまんざら悪いとは思っておりませんが、女の側で承知せぬうちに間違いでも起こっては、世間でも軽々しく取り沙汰されて困ったことになりますので、少将のお文を取り次ぐ女房たちにも、「気をつけて、間違いを引き起こしてはならぬ」と厳しくおっしゃるので、女房達は気が重くなって、お取り次ぎも迷惑がるのでした――

◆ただのさま=詰まらない臣下などに

ではまた。

源氏物語を読んできて(715)

2010年04月25日 | Weblog
2010.4/25  715回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(2)

 玉鬘の血縁でいらっしゃる致仕大臣家のご子孫が、この世に時めいていますが、元来それほど親しくしていたわけでもなく、その上、髭黒が少し人情に薄く、ご気分にムラの多すぎる方だったので、人から敬遠されることがありましたせいか、玉鬘は今となっては親しくお付き合いするところも多くないのでした。

亡くなられた六条院(源氏)は、玉鬘を養女として後々のことまでをもご遺言なさっていらしたこともあって、夕霧はそのご遺志に従って、今でも何かの折毎に玉鬘をお見舞いなさっております。玉鬘腹の男君たちは皆元服を終えていますので、この先は自然に出世の道も開かれていくでしょうが、玉鬘としては、

「姫君達をばいかにもてなし奉らむ」
――この姫君たちのご結婚をどうして差し上げよう――

 と、悩んでいらっしゃるのでした。生前髭黒大臣が、必ず姫君たちを入内させたい旨を、今帝に申し上げておられましたので、そろそろ入内するようにとの仰せもありますが、

「中宮のいよいよ並びなくのみまさり給ふ御けはひに圧されて、皆人無徳にものしたまふめる末にまゐりて、遥かに目をそばめられ奉らむも、わづらはしく、また人に劣り、数ならぬさまにて見む、はた、心づくしなるべきを」
――(今帝には)明石中宮がいよいよ並ぶ者のないご様子で帝のご寵愛を得ておられるのに圧倒されて、そのほかの女御、更衣など皆いるかいないかのお扱いをうけていますのに、更にわが娘がその末席に連なって、はるか上席の中宮から目をそむけられる者と尻目にかけられたりすることも面倒なこと。そうかといって、他人にも劣っているような状態で、人の数にも入らぬ有様で居られるのを、いつまでもお世話するなどは、これもまた苦労なことであろう――

 と、すっかり思い悩んでおります。

そのような折、冷泉院より、まことにお心のこもったお言葉がありました。

「かんの君の昔本意なくて過ぐし給うしつらさをさへ、とりかへしうらみ聞こえ給うて」
――玉鬘が昔、冷泉院からご入内の御意がありながら、髭黒にさらわれるように結婚してしまわれたことの辛さを、今更に恨みがましく仰せになって――

さらに、

「今はまいてさだすぎ、すさまじき有様に思ひ棄て給ふとも、後やすき親に准へて、ゆづり給へ」
――(私は譲位をした)今は、ましてや年老いてしまい、(昔でさえ嫌われたのですから)あなたはもう私に興味もなくお見棄てになるとしても、姫君の為には頼りになる親と思って、あなたの姫君を私にお譲りください――

◆皆人無徳にものしたまふめる末にまゐりて=他の女御、更衣として入内なさった方方が、影の薄い存在に扱われて

◆さだすぎ=盛りの時が過ぎる。老いる。

ではまた。

源氏物語を読んできて(714)

2010年04月24日 | Weblog
2010.4/24  714回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(1)

物語は十年前にさかのぼって展開します。

薫(源侍従、中将、中納言)     14・5歳~23歳秋まで
夕霧(右大臣、左大臣)       40歳~49歳
大君(夕霧と雲居の雁腹の長女)東宮へ入内
源少将、兵衛の佐(夕霧と雲居の雁腹の男君)
明石中宮              33歳~42歳
匂宮(兵部卿の宮)         15歳~24歳
△髭黒太政大臣  急死
玉鬘(前の尚侍、髭黒太政大臣の未亡人)    47歳~56歳
大君(髭黒と玉鬘腹の長女)冷泉院に入内    16歳~25歳
中君(髭黒と玉鬘腹の次女)尚侍として今帝に上がる 14歳~23歳
左近の中将、右中弁、藤侍従(髭黒と玉鬘腹の男君たち)

「これは、源氏の御族にも離れ給へりし、後の大殿わたりにありける、わる御達のおちとまり残れるが、問はず語りしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど、かのおんなどもの言ひけるは、『源氏の御末々に、ひが事どもの交じりて聞ゆるは、われよりも年の数つもり、惚けたりける人の、ひが言にや』などあやしがりける。何れかはまことならむ」
――これからの物語は、源氏の御一門とも少し縁遠くなった髭黒大臣の邸に仕えていました口の悪い女房たちの中で、後まで生き残った者が、問わず語りに話し置いたことです。それは紫の上の女房の物語とはどうも違うようですが、「源氏のご子孫について、間違った言い伝えがありますのは、私たちより歳をとって耄碌(もうろく)した紫の上方の女房の言い違いかしら」などと不思議がっております。さてどちらが本当でしょうか――

 玉鬘の尚侍(たまかずらのないしのかみ)とおっしゃる方で、髭黒大将の後の北の方になられた方には、御子が男3人、女2人いらっしゃいます。

「さまざまにかしづき立てむ事を思し掟てて、年月の過ぐるも心もとながり給ひし程に、あへなく亡せ給ひにしかば、夢のやうにて、いつしかといそぎ思しし御宮仕へもおこたりぬ」
――(髭黒太政大臣は)姫君たちをそれぞれ立派に養育する方針を立てられて、いずれは宮仕えにと年月の過ぎますのも待ち遠しく思っておられます内に、何とまあ突然にお亡くなりになりましたので、玉鬘はまったく夢をみているようで、一日でも早く姫君の入内をとご準備されておりましたことも、そもままになってしまったのでした――

「人の心、時にのみよるわざなりければ、さばかり勢ひいかめしくておはせし大臣の御名残、内々の御宝物、領じ給ふ所々など、その方のおとろへはなけれど、大方の有様、引きかへたるやうに、殿の内しめやかになりゆく」
――世間の人の心は、その時々の権勢に靡くものですから、あれほど勢い盛んであられた髭黒大臣の亡くなられた後の御邸は、なる程今は、お持ちの宝物や、あちこちの荘園など、財政の面ではご不自由なことはありませんが、大方のご様子は、昔と打って変わって、邸内はひっそりとしていくばかりです――

◆わる御達(悪ごたち)=口の悪い女房達

◆おちとまり残れる=後まで生き残ったのが

ではまた。


源氏物語を読んできて(713)

2010年04月23日 | Weblog
2010.4/23  713回

四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(7)

 紅梅大納言は、源氏程の方ではないけれど、わが娘の縁組先としては匂宮しか見当たらないと、心に決めて、大夫を御つかいに歌に紅梅を添えて持たせられます。匂宮は、

「大納言の御心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれと、聞き合せ給へど、思ふ心は異にしみぬれば、この返事けざやかにも宣ひやらず」
――大納言のおつもりでは、自分を実子の中君の婿にと思っているらしいと、その歌から承知されますが、自分としては別の人(宮の御方)に打ち込んでいるので、お返事もはかばかしく出されない――

 やっと頂いた匂宮からのお返事には、

(歌)「花の香にさそはれぬべき身なりせば風のたよりを過ぐさましやは」
――あなたのお望みに添える筈の私でしたら、あなたのお便りをいつまでもそのままにいたしましょうか。(私はとてもその資格はありません)――

 大納言は、「にくらしい事をおっしゃるなあ」とご覧になります。その後も匂宮からは打ち解けぬご返事ばかりですので、気を揉んでいらっしゃる。

「宮の御方は、物思し知る程にねびまさり給へれば、何事も見知り、聞きとがめ給はぬにはあらねど、人に見え、世づきたらむ有様は、さらに、と思し離れたり」
――宮の御方は、物の判断もしっかりおできになるほどに大人でいらっしゃって、何事も理解し、意にとめられぬわけではありあせんが、夫を持って、世の女たちのように暮らすことは絶対にしまいと、お心に決めていらっしゃいます――

 匂宮は、このように万事に遠慮がちに引込んでおられるのを、この人こそは自分に似つかわしいと人も言い、ご自分でも、ますます心から思うようになられるのでした。真木柱としても娘の婿として匂宮をお世話申したい程末頼もしくお見えになりますものの、しかし、

「いといたう色めき給ひて、通ひ給ふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御志浅からで、いと繁う参うでありき給ふ。たのもしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえ給ふ」
――(匂宮は)ひどく好色とのご評判で、お通いになる忍び所も多く、宇治の八の宮の姫君達にも気のあるようで、しげしげと訪うていらっしゃるとか。少し頼りがいのない浮ついたご様子をお聞きになりますにつけても、気懸りなことに思われて、心の奥では断念しておりながら、娘へのお気持はもったいなく、真木柱ご自身が差し出がましいようですが、お返事申されました(その気の無いことを)――

◆ねびまさり=大人びている

◆あだあだしさ=誠実でない、浮ついている。

◆この巻は、源氏亡きあとの、致仕大臣家(源氏時代の頭の中将や柏木など)の様子を
 説明しているだけで、何の発展もない。

【紅梅(こうばい)の巻】終わり。

ではまた。

源氏物語を読んできて(712)

2010年04月22日 | Weblog
2010.4/22  712回

四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(6)

 大納言はさらに熱心に、「あなたの琵琶の音色をときどき伺いますが、どうか今お弾きになりませんか。西の対の人(中の君)にもどうぞ気を入れて琵琶を教えてあげてください」とおっしゃいながら、昔を思い出されて、

「故六条の院の御伝へにて、右の大臣なむ、この頃世に残り給へる。源中納言、兵部卿の宮、何事にも昔の人におとるまじう、(……)いで遊ばさむや。御琴まゐれ」
――亡き六条の院(源氏)の御伝授で、今の世に残っておいでの琵琶の名手は右大臣(夕霧)です。薫の君、匂宮も何事につけても人に劣るまいと思われ、(才能に恵まれて熱心に励んでいらっしゃいますが、撥(ばち)さばきの少しお弱いところが、夕霧には劣っておいでです。(あなたの琵琶の音は夕霧にそっくりですよ)さあ、お弾きになりませんか。だれか琵琶をお持ちしなさい――

 若い上臈の女房は、大納言に顔を見られまいとして、奥の方に座ったまま動こうとしませんので、

「侍ふ人さへかくもてなすが、安からぬ」
――全く侍女さへこの通り言うことを聞かぬ振る舞いとは、怪しからぬ――

と、腹を立てていらっしゃる。そこに若君がおいでになったので、笛と合奏するように、宮の御方に責め立てますので、宮は迷惑なご様子ながら、指先で実によく調子を合わせて掻き鳴らしますと、大納言は武骨にも口笛で合せていらっしゃる。

丁度、この東の対のお庭先に紅梅が美しく匂っていますのを、匂宮へ差し上げようと一枝折らせて、大納言が

「あはれ、光源氏といはゆる、御盛りの大将などにおはせし頃、童にてかやうにてまじらひ馴れ聞こえしこそ、世と共に恋しう侍れ。この宮達を、世の人もいとことに思ひ聞こえ、げに人にめでられむと、なり給へる御有様なれど、端がはしにも覚え給はぬは、なほ類あらじと、思ひ聞こえし心のなしにやありけむ」
――ああ、昔、光源氏とおっしゃって栄誉ある大将であられた頃、私は殿上童(てんじょうわらわ)で、丁度、この大夫が匂宮に伺っているように、親しく源氏にお仕えしていたことが、歳をとるにしたがって懐かしい。匂宮達を、世間も特別に考えて、いかにも人に褒められたご様子なのは、やはり源氏ほどの人はあるまいと思い知ってる心のせいであろうか――

 私でさえ、こんなに寂しいものを、親しくなさって今でも生きておられる方は、よくよく長命に生まれついた方であろうと、昔の源氏を思い出されて、しみじみと感慨に沈み込んでいらっしゃる。

◆琴(こと)=弦楽器の総称。筝の琴、琵琶の琴、などという。

◆上臈の女房(じょうろうの女房)=貴族や身分の高い家から上がった女房たちで、
  自然、下端の仕事はしない。女房には、上臈、中臈、下という身分差があった。
  最も低い者は「尿・便」を始末する。

ではまた。