三一 心ゆくもの (44) 2018.3.29
心ゆくもの ようかきたる女絵の、ことばをかしうつづけておほかる。物見のかへさに、乗りこぼれて、をのこどもいとおほく、牛よくやる者の、車はしらせたる。白く清げなるみちのくに紙に、いと細くかかへてはあらぬ筆して、文書きたる。調半に調おほくうちたる。河舟のくだりざま。歯黒めのよくつきたる。うるはしき糸の、あはせぐりしたる。物よく言ふ陰陽師して、河原に出でて、呪詛の祓したる。夜寝起きて飲む水。
◆◆満ち足りた気持ちになるもの 上手に描いてある女絵の、絵詞をおもしろくつづけてたくさん書いてあるの。何かの見物の帰り道に、牛車に女房たちが、着物の袖口などがはみ出るほどいっぱい乗っていて、車副いの男たちが大勢付き添って、牛を上手に御する者が、車を走らせているの。白くてけがれのないみちのくに紙に、たいそう細かく、カカヘテハアラヌ筆で、手紙を書いたの。調半の遊びで調の目をたくさん打ち出したの。河舟が流れ下る様子。お歯黒が、上手についてるの。きちんと美しく整った糸の、取り合わせて繰ってあるの。雄弁な陰陽師に頼んで、河原に出て、呪詛の祓をしたの。夜、寝起きに飲む水。◆◆
■女絵(おんなえ)=白描または淡彩の大和絵ふうの女向きの絵をいうという。対して、彩色した唐絵を男絵という。
■をのこ=車ぞいの男たち。「をのこ」は中古では身分の低い男を表す。
■みちのくに紙=陸奥国紙。楮(こうぞ=通説、檀)の樹皮から作った厚手の紙。
■かかへてはあらぬ=意味不詳。
■調半(てうばみ)=底本仮名書き。双六の一種で、二つの賽で同じ目を出すのを争う遊び。同じ目を出すのを調、違うのを半というのによる名という。また一説には双六とは違う遊びで、中古の辞書に「蔵鉤」(手渡ししてまわす鉤がどこに隠されているかを当てる遊び)を「テウカハカ」(ン無表記)と訓ずるのを当てる。
つれづれなるをりに、いとあまりむつましくはあらず、うとくあらぬまらうどの来て、世ノ中の物語、このごろある事の、をかしきも、にくきも、あやしきも、これにかかり、かれにかかり、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよく、ほこりかに語る、いと心行く心地す。神、寺などに詣でて、物申さするに、寺には法師、神は禰宜などやうの者の、思ふほどよりも過ぎて、とどこほりなく聞きよく申したる。
◆◆一人如才なくいるときに、そうたいそう親しいほどではなく、また疎ましいということでもない客が来て、世間話、このごろの出来事の、おもしろいのも、にくらしいのも、奇妙なことも、これやあれや、公私にわたって暗くなく、聞きづらくない程度に得意そうに話しているのは、たいへん満ち足りた心地がする。神社や仏閣に詣でて、願い事をお祈り申し上げさせるのに、寺では法師、神社では禰宜などというふうの者が、こちらの予想以上に、よどみなく聞きづらくなく願いを申し述べたの。◆◆
■物申さする=人をして願い事を神仏に言上して祈らせること。
■禰宜(ねぎ)=四段動詞「ねぐ」(神に祈る)の名詞形で神官をさす。
心ゆくもの ようかきたる女絵の、ことばをかしうつづけておほかる。物見のかへさに、乗りこぼれて、をのこどもいとおほく、牛よくやる者の、車はしらせたる。白く清げなるみちのくに紙に、いと細くかかへてはあらぬ筆して、文書きたる。調半に調おほくうちたる。河舟のくだりざま。歯黒めのよくつきたる。うるはしき糸の、あはせぐりしたる。物よく言ふ陰陽師して、河原に出でて、呪詛の祓したる。夜寝起きて飲む水。
◆◆満ち足りた気持ちになるもの 上手に描いてある女絵の、絵詞をおもしろくつづけてたくさん書いてあるの。何かの見物の帰り道に、牛車に女房たちが、着物の袖口などがはみ出るほどいっぱい乗っていて、車副いの男たちが大勢付き添って、牛を上手に御する者が、車を走らせているの。白くてけがれのないみちのくに紙に、たいそう細かく、カカヘテハアラヌ筆で、手紙を書いたの。調半の遊びで調の目をたくさん打ち出したの。河舟が流れ下る様子。お歯黒が、上手についてるの。きちんと美しく整った糸の、取り合わせて繰ってあるの。雄弁な陰陽師に頼んで、河原に出て、呪詛の祓をしたの。夜、寝起きに飲む水。◆◆
■女絵(おんなえ)=白描または淡彩の大和絵ふうの女向きの絵をいうという。対して、彩色した唐絵を男絵という。
■をのこ=車ぞいの男たち。「をのこ」は中古では身分の低い男を表す。
■みちのくに紙=陸奥国紙。楮(こうぞ=通説、檀)の樹皮から作った厚手の紙。
■かかへてはあらぬ=意味不詳。
■調半(てうばみ)=底本仮名書き。双六の一種で、二つの賽で同じ目を出すのを争う遊び。同じ目を出すのを調、違うのを半というのによる名という。また一説には双六とは違う遊びで、中古の辞書に「蔵鉤」(手渡ししてまわす鉤がどこに隠されているかを当てる遊び)を「テウカハカ」(ン無表記)と訓ずるのを当てる。
つれづれなるをりに、いとあまりむつましくはあらず、うとくあらぬまらうどの来て、世ノ中の物語、このごろある事の、をかしきも、にくきも、あやしきも、これにかかり、かれにかかり、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよく、ほこりかに語る、いと心行く心地す。神、寺などに詣でて、物申さするに、寺には法師、神は禰宜などやうの者の、思ふほどよりも過ぎて、とどこほりなく聞きよく申したる。
◆◆一人如才なくいるときに、そうたいそう親しいほどではなく、また疎ましいということでもない客が来て、世間話、このごろの出来事の、おもしろいのも、にくらしいのも、奇妙なことも、これやあれや、公私にわたって暗くなく、聞きづらくない程度に得意そうに話しているのは、たいへん満ち足りた心地がする。神社や仏閣に詣でて、願い事をお祈り申し上げさせるのに、寺では法師、神社では禰宜などというふうの者が、こちらの予想以上に、よどみなく聞きづらくなく願いを申し述べたの。◆◆
■物申さする=人をして願い事を神仏に言上して祈らせること。
■禰宜(ねぎ)=四段動詞「ねぐ」(神に祈る)の名詞形で神官をさす。