永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(44)

2018年03月29日 | 枕草子を読んできて
三一   心ゆくもの     (44) 2018.3.29

 心ゆくもの ようかきたる女絵の、ことばをかしうつづけておほかる。物見のかへさに、乗りこぼれて、をのこどもいとおほく、牛よくやる者の、車はしらせたる。白く清げなるみちのくに紙に、いと細くかかへてはあらぬ筆して、文書きたる。調半に調おほくうちたる。河舟のくだりざま。歯黒めのよくつきたる。うるはしき糸の、あはせぐりしたる。物よく言ふ陰陽師して、河原に出でて、呪詛の祓したる。夜寝起きて飲む水。
◆◆満ち足りた気持ちになるもの 上手に描いてある女絵の、絵詞をおもしろくつづけてたくさん書いてあるの。何かの見物の帰り道に、牛車に女房たちが、着物の袖口などがはみ出るほどいっぱい乗っていて、車副いの男たちが大勢付き添って、牛を上手に御する者が、車を走らせているの。白くてけがれのないみちのくに紙に、たいそう細かく、カカヘテハアラヌ筆で、手紙を書いたの。調半の遊びで調の目をたくさん打ち出したの。河舟が流れ下る様子。お歯黒が、上手についてるの。きちんと美しく整った糸の、取り合わせて繰ってあるの。雄弁な陰陽師に頼んで、河原に出て、呪詛の祓をしたの。夜、寝起きに飲む水。◆◆
        

■女絵(おんなえ)=白描または淡彩の大和絵ふうの女向きの絵をいうという。対して、彩色した唐絵を男絵という。
■をのこ=車ぞいの男たち。「をのこ」は中古では身分の低い男を表す。
■みちのくに紙=陸奥国紙。楮(こうぞ=通説、檀)の樹皮から作った厚手の紙。
■かかへてはあらぬ=意味不詳。
■調半(てうばみ)=底本仮名書き。双六の一種で、二つの賽で同じ目を出すのを争う遊び。同じ目を出すのを調、違うのを半というのによる名という。また一説には双六とは違う遊びで、中古の辞書に「蔵鉤」(手渡ししてまわす鉤がどこに隠されているかを当てる遊び)を「テウカハカ」(ン無表記)と訓ずるのを当てる。


 つれづれなるをりに、いとあまりむつましくはあらず、うとくあらぬまらうどの来て、世ノ中の物語、このごろある事の、をかしきも、にくきも、あやしきも、これにかかり、かれにかかり、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよく、ほこりかに語る、いと心行く心地す。神、寺などに詣でて、物申さするに、寺には法師、神は禰宜などやうの者の、思ふほどよりも過ぎて、とどこほりなく聞きよく申したる。
◆◆一人如才なくいるときに、そうたいそう親しいほどではなく、また疎ましいということでもない客が来て、世間話、このごろの出来事の、おもしろいのも、にくらしいのも、奇妙なことも、これやあれや、公私にわたって暗くなく、聞きづらくない程度に得意そうに話しているのは、たいへん満ち足りた心地がする。神社や仏閣に詣でて、願い事をお祈り申し上げさせるのに、寺では法師、神社では禰宜などというふうの者が、こちらの予想以上に、よどみなく聞きづらくなく願いを申し述べたの。◆◆

■物申さする=人をして願い事を神仏に言上して祈らせること。
■禰宜(ねぎ)=四段動詞「ねぐ」(神に祈る)の名詞形で神官をさす。


枕草子を読んできて(42)(43)

2018年03月25日 | 枕草子を読んできて
二九   心ときめきするもの   (42) 2018.3.25

 心ときめきするもの 雀の子。ちご遊ばする所の前わたりたる。唐鏡のすこし暗き、見たる。よき男の、車とどめて、物の案内せさせたる。よき薫物たきて一人臥したる。頭洗ひ化粧じて、香にしみたる衣着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほをかし。待つ人などある夜、雨のあし、風の吹きゆるがすも、ふとぞおどろかるる。
◆◆心がどきどきするもの 雀の子。乳飲み子を遊ばせている所を通るの。舶来の鏡のすこし曇っているのを見ておゐるとき。身分の高い男が、牛車を家の前に止めて、従者に何かの取り次ぎを頼ませているの。上質の薫香をたいて一人横になっているの。頭を洗い、化粧をして、香に染みている着物を着ているの。その場合、見ている人がいないような所でも、自分自身ではほんとうに快い。来るのを待っている男がある夜、格子や蔀に雨音がしたり、風が吹いてがたがたさせる音にも、はっとすることだ。◆◆

                              

三十   過ぎにし方恋しきもの   (43) 2018.3.25

 過ぎにし方恋しきもの 雛遊びの調度。をりかうし。二藍、葡萄染などのさいでの押しへされて、草子の中にありけるを見つけたる。あはれなりし人の文、雨などの降りてつれづれなる日、さがし出でたる。枯れたる葵。去年の蝙蝠。月の明かき夜。
◆◆過ぎ去ったものが恋しいもの 人形遊びの道具。ヲリカウシ。二藍、葡萄染などの切れ端が、押しつぶされて、綴じ本の中にあったのを見つけたの。しみじみと心に染みた手紙を、雨などが降って、一人やるせない日に、探し出したの。枯れている葵。去年使った蝙蝠扇。月の明るい夜。◆◆


■雛遊び(ひひなあそび)=「ひひな」は紙などで小さく作ったおもちゃの人形のこと。女の子の遊び道具。季節にかかわらない。

■をりかうし=意味不審。誤写か。

■二藍(ふたあい)=青みのある赤。呉藍(紅)と青藍とで染めた色。青みのある紫色。

■葡萄染(えびぞめ)=浅い紫色。

■蝙蝠(かはぼり)=川守の意という。開いた形がコウモリに似る夏用の扇。


枕草子を読んできて(41)

2018年03月22日 | 枕草子を読んできて
二八    暁に帰る人の    (41) 2018.3.22

 暁に帰る人の、昨夜置きし扇、ふところ紙もとむとて、暗ければ、さぐり当てむさぐり当てむと、たたきもわたし、「あやしあやし」などうち言ひ、もとめ出でて、そよそよとふところにさし入れて、扇引きひろげて、ふたふたとうち使ひて、まかり申ししたる、にくしとは世の常、いと愛敬なし。同じごと、夜ふかく出づる人の、烏帽子の緒強く結ひたる、さしも結ひかたまずともありぬべし。やをらさながらさし入れたりとも、人のとがむべき事かは。いみじうしどけなう、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがみたりとも、たれかは見知りて笑ひそしりもせむとする。
◆◆暁に女のもとから帰る人が、昨夜寝所に置いておいた扇や、ふところ紙を探すとて、暗いので、手探りでそこら中たたきまわりもして、「変だ、変だ」などと言い、やっと探し出して、ざわざわと紙をふところに差し込んで、扇を広げて、ぱたぱたと使って、それではお暇などとしているのは、にくらしいとは世間で言うのは当然、とてもまったく可愛げがない。こんな男と同じように、夜がまだ明けず暗いのに女のもとから出る人が、烏帽子の紐を強く結んでいるのは、そんなにきちんと結び固めなくてもいいであろうに。そっと静かに、紐を結ばないまま、烏帽子をあたまに差し入れるとしても、人が非難することがあろうか。ひどくだらしなく、見苦しく、直衣や狩衣などがゆがんでいるとしても、だれがそれを見て知って、笑ったり悪口を言ったりしようとするだろうか。◆◆



 人は、なほ暁のありさまこそ、をかしくもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起きがけなるを、強いてそそのかし、「明け過ぎぬ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆くけしきも、げにあかず、物憂きにしもあらむかしとおぼゆ。指貫なども、ゐながら着も敢へず、まづさし寄りて、夜一夜言ひつる事の残りを、女の耳に言ひ入れ、何わざすとなけれど、帯などをば結ふやうなりかし。格子押あげ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむ事なども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて名残もをかしかりぬべし。
◆◆人は、やはり暁の別れのありさまこそが、風流でこそあるはずである。分別を越えてしぶりしぶり起きにくそうにしているのを、女からけしかけられ、「とうに夜が明けてしまいました。ああみっともないこと」などと言われて、男が溜息をつく様子も、なるほどまだまだ満ち足りず、ほんとうに辛いのであろうと思われる。指貫なども、すわったままで、はき終えもしないうちに、女のところにさし寄って、昨夜から一晩中話したことの、残りあることを女の耳にささやき、何をするということでもなく、帯などを結ぶようである。格子を押し上げて、妻戸のある所は、そのまま女を一緒に連れて行き、このあとの昼には別れ別れでいて心もとない気持ちのことなど、口にしながらそっと女の家を出て行ってしまうのなどは、自然、女にとってはその男を見送るようになって、別れの名残も風情あるはずおことであろう。◆◆



名残も、思ひ出でどころあり、いときはやかに起きて、ひろめき立ちて、指貫の腰つよく引き結ひ、直衣、うへの衣、狩衣も、袖かいまくり、とろづさし入れ、帯つよく結ふ、にくし。
◆◆その名残の折も、男には他に思い出す女の所があって、たいそうきっぱりと起きて、支度にふらふらと立ち歩き、指貫の袴の腰紐を強く引き結び、直衣や袍や、狩衣も、その袖をまくりあげて、いろいろなものを全部ふところに入れて、帯をしっかりとむすぶ、こういう名残惜し気のない挙動は、にくらしい。◆◆



枕草子を読んできて(39)(40)

2018年03月17日 | 枕草子を読んできて
 二六    にくきもの、乳母の男こそあれ    (39) 2018.3.17

 にくきもの、乳母の男こそあれ。女子は、されど近く寄らねばよし。をのこ子は、ただわが物に領じて、立ち添ひうしろ見、いささかもこの御事にたがふ者をば詰め讒し、人にも思ひたらず。あしけれど、これがとがをば、心にまかせ言ふ人しなければ、所得、いみじき面持して、事行なひなどするよ。
◆◆にくらしいもの、乳母の夫こそそうである。稚児が女の子の場合は、そうはいっても近くによらないので良い。男の子の場合は、一途に自分の物としてしっかり独り占めして、つきっきりで世話をし、ほんの少しでも、この男の子のお気持ちに背くようなことをする者を、詰問し、言いつけなどもして、人を人とも思っていない。悪い奴だけれど、この男を非難すべき点を言いたいように正直に言う人がいないので、得意になって、偉そうな顔つきをして、万事を取り仕切ったりなどすることよ。◆◆



二七    文ことばなめき人こそ    (40)2018.3.17
 
 文ことばなめき人こそ、いとどにくけれ。世をなのめに書きながしたることばのにくさこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げにわろき事ぞ。されど、わが得たらむはことわり、人のもとなるさへにくくぞある。
 おほかた、さし向ひても、なめきは、などかく言ふらむと、かたはらいたし。まして、よき人などをさ申す者は、さるは、をこにて、いとにくし。
◆◆手紙の文句の失礼な人は、なんともひどくにくらしい。世間をいい加減に思って、書き流してある言葉の憎らしさといったら。かといって、たいしたことのない人の所に、あまりかしこまった言葉を使うのも、いかにもおかしいことだ。しかし、失礼な手紙は、自分が受け取っているような場合は当然のこと、人の所に寄こしてきているのまでが、にくらしい。
 だいたい、差し向かいでの会話に、失礼な言葉は、どうしてこんなふうに言っているのであろうかと、はたで聞いても聞くにたえない。まして、身分のある人に、そんな風に失礼に申し上げるのは、本人は利口ぶっていうのだろうが、実は愚か者で、ひどくにくらいい。◆◆

■をこ=ばか、おろか。



 男主などわろく言ふ、いとわろし。わが使ふ者など、「おはする」「のたまふ」など言ひたる、いとにくし。ここもとに「侍り」といふ文字をあらせばやと、聞く事こそおほかれ。
「愛敬な。などことばは、なめき」など言へば、言はるる人も笑ふ。かくおぼゆればにや、「あまり嘲弄する」など言はるるまであるも、人わろきなるべし。
◆◆男主人に対してよくない言葉づかいをするのは、とても劣ったしわざだ。自分が使っている召使い者どもが、自分の夫に、「おはする」「のたまふ」など、言っているのは、ひどくにくらしい。その言葉には、「侍り」という言葉を、代わりに置きたいものだと、聞くことが多い。
 (私が)「まあ、なんて愛敬のないこと。そんな言葉は。ぶしつけなこと」などと言うと、言われた人も笑う。こんなふうに感じられるからだろうか。人の言葉づかいを咎め立てをするので、「あまり馬鹿にしている」などと人から言われるときも、きっと自分がきまりが悪いからだろう。◆◆



 殿上人、宰相などを、ただ名のる名を、いささかつつましげならず言ふは、いとかたはなるを、けぎよくさ言はず、女房の局なる人をさへ、「あの御前」「君」など言へば、めづらかにうれしと思ひて、ほむる事ぞいみじき。
 殿上人、君達を、御前よりほかにては官をのみ言ふ。また、御前にて物を言ふとも、聞しまさむには、などてかは「まろが」など言はむ。さ言はざらむにくし。かく言はむには、などてわろかるべき事かは。
◆◆殿上人や参議などを、ただその実名を、少しも遠慮なげに言うのは、ひどく聞き苦しいことであるが、躊躇なくそう言ったりしないで、女房の局に召し使われているような身分の女をまで、「あの御前」とか「君」などと言うと、めったにないことでうれしいと思って、そう言ってくれた人を褒めることといったら大変なことである。
 殿上人や若君達を言うときは、尊い御方の御前以外では、官名だけで言う。また、御前で公卿同士でものを言うときには、御前がお聞きにあそばすような時には、どうして自分のことを、「まろが」などと言おうか。そのように自分の官名を言わないのはにくらしい。こんな時に官名をいうのには、どうして悪いはずがあろうか。◆◆

■名のる=実名。
■まろ=「まろ」は自称の代名詞。男女とも使う。親しい間柄で用いる。




 ことなる事なき男の、ひき入れ声して、艶だちたる。墨つかぬ硯。女房の物ゆかしうする。ただなるだに、いとしも思はしからぬ人の、にくげごとしたる。
 一人車に乗りて物見る男。いかなる者にかあらむ。やんごとなからずとも、若き男どもの物ゆかしう思ひたるなど、引き乗せても見よかし。透影にただ一人かがよひて、心一つにまぼりゐたらむよ。
◆◆特にどう
ということもない男の、息をひき入れて作り声をして、艶めかしているの。墨ののらない硯。女房が何かと知りたがるの。たいして好ましいとは思えない人が、にくらしいことをしているの。
 一人牛車に乗って見物をする人。いったいどういう身分の男だろうか。陪乗の人がいつもいるような高貴は身分でなくても、若い男たちで見物したがっている人たちを、どうせ席があるなら乗せてやればよいものを。牛車の御簾の透影として、たった一人ちらちら(衣装を光らせ)して、心を集中して、一生懸命見つめて座っているようであるよ。◆◆


枕草子を読んできて(38)その2 その3

2018年03月10日 | 枕草子を読んできて
二五    にくきもの    (38)その2  2018.3.10

 また、酒飲みてあめきて、口をさぐり、髭あるは、それを撫でて、杯、人に取らすほどのけしき、いみじくにくし。なやみ、口わきさへ引き垂れ、「また飲め」など言ふなるべし。身ぶるひをし、童べの「こほ殿にまゐりて」などうたふやうにする。それはしも、まことによき人の、さしたまひしより、心づきなしと思ふなり。
◆◆また、酒を飲んでわめき、口中をまさぐり、髭のある人はそれを撫でて、人に杯を与えるときの様子はひどくにくらしい。泥酔して、口の両端を誰下げ、「もっと飲め」などときっと言うのであろう、身体を震わせて、こどもたちが、「こほ殿まいりて」などと歌うような恰好をする。それは実は、本当に身分の高い立派な人が、そうなさったので、(この場合)気に入らないと思うのである。◆◆

■「こほ殿まいりて」=こう殿(国府殿)。当時の俗謡らしが、未詳。



 物うらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、つゆばかりの事もゆかしがり聞かまほしがりて、言ひ知らせぬをば怨じそしり、また、わづかに聞きわたる事をば、われもとより知りたる事のやうに、ことごと、人に語りしらべ言ふもいとにくし。
◆◆人のことを羨み、自分の身の上を嘆き、人のことをあれこれ言い、ちょっとしたした事も知りたがり、聞きたがりして、話して言わない人を恨んで悪口を言い、また、ちょっと聞き知ったことを、まるで以前から知っていたかのように、あらいざらい、人に調子づいて言っているのも、とてもにくらしい。
◆◆


 物聞かむと思ふほどに泣くちご。烏のあつまりて飛びちがひ鳴きたる。しのびて来る人見知りてほゆる犬は、打ちも殺しつべし。
◆◆何か聞こうと思うのに泣く乳飲み子。からすが集まって飛びちがいながら鳴いてるの。忍んでくる人を見知っていて吠える犬は、打ち殺してしまいたいほどだ。◆◆



 さるまじう、あながちなる所に隠し伏せたる人の、いびきしたる。また、みそかにしのびて来る所に、長烏帽子さすがに人に見えじとまどひ出づるほどに、物に突きさはりて、そよろといはせたる、いみじうにくし。伊予簾などかけたるを、うちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。帽額の簾は、
ましてこはきもののうち置かるる、いとしるし。そばをやをら引き上げて出で入りするは、さらに鳴らず。
◆◆やむを得ず、無理な場所に隠して寝せておいた男が、いびきをかいているの。また、こっそり忍んで来る場所で、長烏帽子を、そうはいうものの、人に見つけられないようにしようと、あわてて出るときに、何かにぶつかって、がさりと音をたてているのは、ひどくにくらしい。伊予簾などを掛けてあるのを、くぐるときに、頭にかぶって、ざらざらっと音をたてているのも、ひどくにくらしい。帽額の簾は、まして固い物が下に置かれる音が、とてもはっきりしている。それは、端を静かに引き上げて出入りするときは、絶対に音はしないのだ。◆◆



 また遣戸など荒くあくるも、いとにくし。すこしもたぐるやうにてあくるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子なども、ほめかしこほめくこそしるけれ。
◆◆引き戸などを荒々しく開けるのも、ひどくにくらしい。少し持ち上げるように引けば、鳴ることがあるだろうか。悪く開ければ、障子なども、がたがた、ごとごと音がするのが、際立つのである。◆◆
 

■伊予簾(いよす)=細かい篠を編んだ伊予産の粗末な簾(すだれ)。軽いから揺れやすい。
■帽額の簾(もかうのす)=すだれの上縁に飾りぎぬを横に長く引き渡して張ったもの。
■ほめかしこほめく=ほめかし=がたがたいわせる?用例がない語。こほめく=ごとごと音がする。


 ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声に名のりて、顔のもとに飛びありくは、風さへさる身のほどにあるこそいとにくけれ。
◆◆眠たいと思って横になっている時に、蚊がぶーんと細い声で名のって、顔のあたりに飛び回っているのは、羽風までも蚊のからだ相応であってかすかなのが、ひどくにくらしい。◆◆

                           

二五    にくきもの    (38)その3

 きしめく車に乗りてありく者。耳も聞かぬにやあらむと、いとにくし。わが乗りたるは、その車のぬしさへにくし。
 物語などするに、さし出でて、われ一人さいまんぐるる者。さしいらへはすべて、童も大人もいとにくし。
 昔物語などするに、われ知りたりけるは、ふと出でて言ひくたしなどする、いとにくし。鼠の走りありく、いとにくし。
◆◆ぎしぎしと音のする車に乗って歩き回る者。耳でも聞こえないのかしらと、ひどくにくらしい。自分が乗った車がそうなのは、この車の主までもがにくらしい。
 話などをするときに、出しゃばって、自分ひとり話の先回りをする者。出しゃばって言ったり返事をしたりするのは全部、子どもも大人もほんとうににくらしい。
 昔の話をするときに、相手が自分の知っていたことなので、ふっと出てきて、言いけなしなどする、ひどくにくらしい。鼠が走り回るの、全くにくらしい。


■さいまんぐるる者=さいまぐる者=人の話の前にまわって、話の先を言う。
■言ひくたし=けなす。けちをつける。



 あからさまに来たる子ども、童べをらうたがりて、をかしき物どもなど取らするにならひて、常に来てゐ入り、しやうちうしぬる、にくし。
 家にても、宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、空寝をしたるに、わがもとにある者どもの、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に、引きゆるがしたる、いとにくし。
◆◆ちょっと遊びにきている子供が、幼児たちをかわいがって、いろいろおもしろい物などを与えると、それに慣れて、いつもやってきて座り込み、「しやうちうしぬる」(増長する?)にくらしい。
 自分の家ででも、宮仕えしている所ででも、会わないですましてしまおうと思う人が来ている時に、寝たふりをしていると、自分のもとで使っている者が、起こしに近寄ってきて、いかにも寝坊だと思っている顔つきで、ひっぱってゆすぶっているのは、ひどくにくらしい。◆◆

■しやうちうしぬる=語意不審。一説に「じやうちう=増長」とよむべきとする。
■いぎたなし(寝汚し)=いかにも眠たがり屋



 今まゐりのさし越えて物知り顔に教へやうなる事言ひ、うしろ見たる、いとにくし。
 わが知る人にてあるほどの、はやう見し女のことほめ言ひ出だしなどするも、過ぎてほど経にたれど、なほにくし。まして、さし当たりたらむこそ思ひやらるれ。されど、それはさしもあらぬやうもありかし。
 鼻ひて誦文する人。おほかたの、家の男主ならで鼻高くひたる者、いとにくし。
 蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにするも。また、犬のもろ声に長々と鳴きあげたる、まがまがしくにくし。
◆◆新参者が、もとからいる人をさし越えて、物知り顔で教えるようなことを言い、世話をやいているのは、とてもにくらしい。
自分が今恋人としている人が、以前に関係のあった女のことを褒めて、口で言いだしたりするのは、過去のことではあっても、やはりにくらしい。まして、その関係が現在のことであったなら、そのにくらしさは思いやられる。けれど、時と場合によって、大したことでもないこともある。
くしゃみをしてまじないを唱える人。(呪文を唱えればそれで良いとおもうから)だいたい、一家の男主人でなくて、無遠慮に声高くくしゃみをしている者は、とてもにくらしい。
蚤もほんとうににくらしい。着物の下でおどりまわって、着物を持ち上げるようにするのも(にくらしい)。また、犬が声を合わせて長々と鳴きたてているのは、不吉な感じで、にくらしい。◆◆

 
■今まゐり=新参者
■鼻ひる=鼻汁を勢いよく飛ばす。今のくしゃみをいう。くしゃみをするとすぐに呪文を唱えないと不吉だと言われていた。



枕草子を読んできて(36)(37)(38)その1  

2018年03月07日 | 枕草子を読んできて
 二三    たゆまるるもの  (36)  2018.3.7

 たゆまるるもの 精進の日の行なひ。日遠きいそぎ。寺に久しく籠りたる。
◆◆つい、自然に気がゆるんでしまうもの 精進(毎月六斎日。八、十四、十五、二十三、二十九、三十日。肉食飲酒を絶って勤行する)の日のお勤め。当日までに長い期間がある準備。寺に長い間籠っているの。◆◆


二四    人にあなづらるるもの  (37)  2018.3.7

 人にあなづらるるもの 家の北面。あまりに心よきと人に知られたる人。年老いたる翁。また、あはあはしき女。築地のくづれ。
◆◆人にばかにされるもの 家の北側。あまりにも気が良いと人に知られている人。年をとっている爺さん。かるがるしい女性。土塀の崩れ。◆◆


二五    にくきもの    (38)その1  2018.3.7

 にくきもの いそぐ事あるをりに、長言するまらうど。あなづらはしきほどの人ならば、「後に」など言ひても追ひやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくし。
 硯に髪の入りて磨られたる。また、墨の中に、石のこもりて、きしきしときしみたる。
◆◆にくらしいもの 急用のある時にやってきて、長話をするお客。それが軽く扱ってもいい人ならば、「後で」などと言って追い帰えしてしまうこともできるけれど、どうしても気のおける立派な人の場合は、ひどくにくらしい。
 硯に髪の毛が入って磨られているの。また、墨の中に石が入っていて、きしきしときしんでいるの。◆◆

■心はづかしき人=こちらが気恥ずかしくて、気おくれを覚えるような、すぐれた人



 にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所にはあらで、ほかにある、たづねありくほどに、待ち遠ほに久しきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、このごろ物の怪に困うじにけるや、ゐるすなはち、ねぶり声になりたる、いとにくし。
◆◆急に病人があるので、修験者を探し求めると、いつもの所にはいないで、別の所にいるのを探し回っているうちに、待ち遠しくて長い時間がたって、やっと待ち迎えて、よろこびながら加持にをさせるのに、このごろ物の怪の調伏に疲れ切ってしるのか、座るやいなや、読経が眠り声になっているのは、まったくにくらしい。◆◆



 なでふことなき人の、すずろにゑがちに物いたく言ひたる。火桶、炭櫃などに手のうらうち返し、皺押しのべなどして、あぶる者。いつかは若やかなる人などの、さはしたりし。老いばみうたてある者こそ、火桶のはたに足さへうちかけて、物言ふままに押しすりなどもすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、ゐむとする所、扇して塵払ひ掃き捨てて、ゐもさだまらずひろめきて、狩衣の前、した様にまくり入れてもゐるかし。かかる事は、いふかひなきいはにやと思へど、すこしよろしき者の、式部大夫、駿河の前司などいひしが、させしなり。
◆◆とるにたりない平凡な人が、わけもなくしきりににこにこ顔をして物をさかんにしゃべっているの。火鉢の火や囲炉裏などに手のひらを裏返し裏返しして、皺を押し伸ばしなどしている者。いったいいつ若々しい人が、そんな見苦しいことをしていたか。年よりじみてみっともない人こそ、きまって火鉢のふちに足までもひょいとかけて、物を言いながら、足をこすったりするようだ。そんな無作法な者は、人の所にやって来て、座ろうとする所を、扇で塵を払って掃き捨てて、座る場所も定まらずにふらふらと落ち着かず、狩衣の前の垂れを、膝の下の方にまくり入れでもして座るのである。こうしたことは、身分の低い者がするのかと思うけれど、少し身分のある者で、式部の大夫とか、駿河の前司などといった人が、そうしたのである。◆◆


枕草子を読んできて(35)その3  その4

2018年03月04日 | 枕草子を読んできて
二二    すさまじきもの   (35)その3  2018.3.4
 
 除目に司得ぬ人の家。今年はかならずと聞きて、はやうありし者ども、ほかほかにありつる、片田舎に住む者どもなど、みなあつまり来て、出で入る車の轅もひまなく見え、物詣です供にも、われもわれもとまゐりつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず。あやしなど、耳立てて聞けど、さき追ふ声々して、上達部などみな出でたまふ。
◆◆除目に官職(国司)を得ない人の家。(これは興ざめだ)今年は必ず任官すると聞いて、以前仕えていた者たちで、あちこち余所に行ってしまっている者や、片田舎に住む者たちなどが、みな、この家に集まってきて、さらに、出入りする訪問客の牛車の轅も隙間がないほどに見え、任官祈願の物詣でをする供にも、われもわれもと伺って奉仕し、物を食い酒を飲み、大騒ぎし合っているのに、任官の詮議が終わる夜明け方まで、吉報をもたらして門をたたく音もしない。「おかしい」などと、耳をすまして聞くけれど、先払いの声がいくつもして、上達部などがみな宮中から出ていらっしゃる。◆◆


 物聞くに宵より寒がりわななきをりつる下衆をのこなど、いと物憂げに歩み来るを、をる者どもは問ひだにもえ問はず。ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまへる」など問ふ。いらへには「なンの前司にこそは」と、かならずいらふる。まことにたのみける者は、いみじう嘆かしと思ひたり。
◆◆物を聞くことのために、前夜からお役所のそばで、寒さにぶるぶる震えながら控えていた下男などが、ひどく疲れた格好で歩いてくるのを、こちらに控えている者たちは、「どうだったか」と問うことさえできない。よそから来ている者などが、「殿は何におなりになっていらっしゃるのか」などと尋ねる。応答としては、「何々の国の前司ですよ」と、必ずおうじる。本当に頼みにしている者は、まったく情けなく溜息をつきたいような気分である。◆◆


 つとめてになりて、ひまなくをりつる者も、やうやう一人二人づつ、すべりつつ出でぬ。ふる者の、さもえ行き離るまじきは、来年の国々を手を折りてかぞへなどして、ゆるぎありく、いみじういとほしう、すさまじげなり。
◆◆翌朝になって、隙間のないほど居た者たちも、次第に一人二人と、そっと滑り出てしまう。古くから仕えている者で、そうそうあっさりと離れて行ってしまえそうもない者は、来年の除目に任官できそうな国々を、指を折って数えたりして、ひょろひょろあたりを歩き回っている。その様子はひどく気の毒で、興ざめに見える。◆◆


                        

二二    すさまじきもの    (35)その4  2018.3.4

 よろしくよみたりと思ふ歌を、人のがりやりたるに、返しせぬ。懸想文はいかがせむ。それだにをりをかしうなどあるに、返しせぬは心おとりす。また、さわがしう時めかしき所に、うち古めきたる人の、おのがつれづれと暇あるままに、昔おぼえてことなる事なき歌よみしておこせたる。
◆◆一通り詠んであると思う歌を、人のもとに贈ったのに、返事がないの。恋の手紙は相手にその気がなければどうにも仕方がない。でも、それでさえも、季節の風情などに贈った手紙に返事がないのは、劣る気がする。また、忙しく時勢にあって栄えている人のところに、ちょっと古めかしい人が、自分に暇があって所在ないのにまかせて、昔風で、特別どうということもない「歌詠み」をしてよこしているの。◆◆


 物のをり、扇いみじくと思ひて、心ありと知りたる人に取らせたるに、その日になりて、思はずなる絵などかきて得たる。
◆◆何かの行事の折、扇を大切にと思って、その方面に趣味があると知っている人に渡しておいたのに、その当日になって意外な絵などを描いてあるのを自分のものとしたの。◆◆


 産養。馬のはなむけなどの、物の使ひに禄など取らせぬ。はかなき薬玉、卯槌など持てありく者も、かならず取らすべし。思ひかけぬ事に得たるをば、いと興ありと思ひたる。今日はかならずさるべき使ぞと、心ときめきして来たるに、ただなるは、まことにすさまじ。
◆◆産養や、旅立ちの餞別などの、物を持ってくる使いにご祝儀などを与えないの。ちょっとした薬玉や、卯槌などを持って歩き回る者にも、かならず与えるべきである。思いがけないことで貰ったのは、たいへん興のあることだと思っている。だが、今日は必ずご祝儀がいただける筈の使いだと、胸をどきどきさせて来たのに、何もないのは、全く興ざめである。◆◆


■産養(うぶやしなひ)=出産後、三・五・七.夜の祝い。
 
■薬玉=端午の節供の邪気払いのつくりもの

■卯槌(うづち)=正月上卯日(かみのうのひ)の邪気払いのつくりもの。



 婿取りして、四五年まで産屋のさわぎせぬ所。大人なる子ども、ようせずは、むまごとも這ひありきぬべき人の親どちの昼寝したる。おほかた、童べなるほどの心地にも、親の昼寝したるは、寄り所なくすさまじくぞありし。寝起きてあむる湯は、腹立たしくさへこそおぼゆれ。師走のつごもりの長雨。百日ばかりの精進の懈怠とやいふべからむ。八月の白襲。乳あえずなりぬる乳母。
◆◆婿取りをして、四、五年になるのに産屋の騒ぎをしない所。成人した子どもがいて、悪くすると、孫どもが這い回っているような親同士が昼寝をしてるの。だいたいが子供だったころの気持ちにしても、親が昼寝をしているのは、なんとも頼りないものであった。寝て起きてすぐにあびる湯は、興ざめ以上に腹立たしいことであった。十二月の末の長雨。こういうのを百日ばかりの精進の怠りとでもいうのであろうか。秋八月に着る白襲。お乳が出なくなってしまっている乳母。◆◆


枕草子を読んできて(35)その2

2018年03月01日 | 枕草子を読んできて
二二    すさまじきもの  (35)その2    2018.3.1
 
 ちごの乳母の、「ただあからさま」とていぬるを、もとむれば、とかく遊ばしなぐさめて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵はえまゐらじ」とて、返しおこしたる、すさまじうのみにもあらず、にくさわりなし。
◆◆乳飲み子の乳母が、「ちょっとの間出てきます(家に帰る)」といって出かけていったのを、乳飲み子が乳母を探すので、とにかくどうにか遊ばせていて、「早く帰って来い」と言ってやったのに、「今夜は帰ることができません」ということで、そうした返事をこちらに寄こしているのは、興ざめなだけでなく、なんともにくらしい。◆◆


 女など迎ふる男、ましていかならむ。待つ人のある所に、夜すこしふけて、しのびやかに門をたたけば、胸すこしつぶれて、人出だし問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすすさまじといふ中にも。
◆◆愛人である女性を呼び迎える男が、こんな目にあったら、ましてどんな気がするだろう。また、待つ人のある女の家で、夜が少し更けてから、しのびやかにそっと門をたたくので、胸がどきどきして、人を使って訊ねさせれば、それではない、別のつまらない者が名のってやって来ているのも、かえすがえすも興ざめだという中でも、とりわけて……。◆◆


■愛人である女性を呼び迎える男=男は女のもとに通うのが普通であるが、事情によっては逢引の場などに女を呼び出すことがあった。萩谷氏は、女の家に通っていた男がいよいよ女を自分の家に迎え入れる段になって拒否される場合を考える、とする。




 験者の、物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせて、せみ声にしぼり出だしよみゐたれど、いささか去りげもなく、護法もつかねば、あつまりて念じゐたるに、男女あやしと思ふに、時のかはるまでよみ困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あないと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまに、かしらさくりあげて、欠伸をおのれうちして、寄り臥しぬる。
◆◆修験者が、物の怪という人にとりついて病気などのたたりをする死霊・生霊・妖怪を調伏するといって、たいへん得意顔で、「憑座(よりまし)」に独鈷や数珠などを持たせて、蝉のような声に、絞り出して経を読んで座っているけれど、「物の怪」は少しも退散する様子もなく、「憑座(よりまし)」に護法童子もつかないので、一家中集まってじっと祈念して座っているのに、そして男も女も一家中が変だと思ううちに、刻限のかわるまで二時間も読みつづけて疲れて、「いっこうに憑かない。立ってしまえ」といって、憑座(よりまし)から数珠を取り返して、「ああ、ひどく効験がないなあ」といって、額から上の方に頭を手でしゃくるようにかきあげて、欠伸を自分からして、物に寄りかかって寝てしまうの。◆◆


■護法=護法童子。仏法守護のために使役される、人の目に見えぬ鬼神。