永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(933)

2011年04月29日 | Weblog
2011.4/29  933

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(15)

 侍女たちが華やいで立ち騒いでいる中にあっても、弁の君はいっそう質素に身をやつして、

(弁の歌)「人はみないそぎたつめる袖のうらにひとり藻塩を垂るるあまかな」
――人はみな京へ移る準備をしていますのに、尼のわたしは、一人涙にくれております――(袖の浦は出羽の名所。「たつ」に「裁つ」、「浦」に「裏」をかけて「袖」の縁語とする)

 と、申し上げますと、中の君は、

(歌)「しほたるるあまのころもにことなれや浮きたる浪にぬるるわが袖」
――涙に袖をぬらしている尼のあなたと違いがありましょうか。私の袖も、当てにならない今後の生活への不安で濡れているのです――

 つづけて、

「世に住みつかむことも、いとあり難かるべきわざと覚ゆれば、さまに従ひてここをばあれはてじ、となむ思ふを、さらば対面もありぬべけれど、しばしの程も、心細くて立ちとまり給ふを見おくに、いとど心もゆかずなむ。かかる容貌なる人も、かならずひたぶるにしも耐へ籠らぬわざなめるを、なほ世の常に思ひなして、時々も見え給へ」
――京に移っても、あちらの生活に落ち着くことは難しそうに思えますので、事情によっては、こちらに帰って来ようかとも思っています。そうすればまたきっと逢うこともあるでしょうが、しばらくの間でもあなたが心細い気持ちで残るのを置いて行くと思うと、いっそう気が進まないのですよ。そのような尼姿の人だからといって、ひたすら引き籠もってしまう訳でもないでしょう。やはり世間並みに考えて、時々顔を見せてください――

 などと、たいそう優しくいたわってお話になります。亡き姉君のお使いになったもので、しかるべき御調度類はみな、この弁の君にお残しになって、中の君が、

「かく人より深く思ひ沈み給へるを見れば、前の世もとり分きたる契りもやものし給ひけむ、と思ふさへ、むつまじくあはれになむ」
――こうしてあなたが他の人以上に姉上のことを深く歎いているのを見ますと、前世も特別の御縁がおありだったのかしらと思われますが、そう思えば思うほどあなたのことが労しく悲しくてなりません――

 と、おっしゃられますので、弁の君は幼子が親を慕って泣くように、いよいよ堪え切れずに涙にかきくれるのでした。

では5/1に。


源氏物語を読んできて(932)

2011年04月27日 | Weblog
2011.4/27  932

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(14)

 弁の君はただぼおっとした様子ながら、昔はどこか由緒ある人だったので、その面影がうかがわれます。

(弁の君の歌)「さきに立つ涙のかはに身をなげば人におくれぬいのちならまし」
――先立つものは涙ですが、その川に身を投げますならば、大君にも死に遅れずにすみましたでしょうに――

 と、泣き顔のまま申し上げます。薫は、

「それもいと罪深かかなることにこそ。かの岸に到ること、などか。さしもあるまじきことにてさへ、深き底に沈み過ぐさむもあいなし。すべて、なべてむなしく思ひとるべき世になむ」
――身を投げることもたいそう罪深いことですよ。そのようなことでは彼岸(極楽)に渡ることなどどうして出来ましょう。そんな必要もない事で、奈落の底に沈みとおすことなどつまらぬことです。すべては、何事も無常と思って過ごすのが世の中というものでしょう――

 と、おっしゃって、歌とともに、

「『身を投げむ涙の川にしづみてもこひしき瀬々にわすれしもせじ』いかならむ世に、すこしも思ひなぐさむることありなむ、と、はてもなき心地し給ふ」
――「あなたが身を投げるという涙の川に沈んででも、私は恋しい折々毎に大君を決して忘れません」いったいいつになったら、少しでも心の晴れる日が来るのだろう、と、果てしも無い悲しみに沈んでいらっしゃる――

「かへらむ方もなくながめられて、日も暮れにけれど、すずろに旅寝せむも、人のとがむることにや、と、あいなければ、かへり給ひぬ」
――(薫は)京へお帰りになる気にもなれず、ぼんやりと物を思い続けておられますうちに、日がすっかり暮れてしまいましたが、うっかりこちらに泊まりでもしましたなら、匂宮からまた、あらぬお疑いをかけられようかと、それも味気ないので、すごすごとお帰りになりました――

「おもほしのたまへるさまを語りて、弁はいとどなぐさめ難くくれまどひたり。みな人は心ゆきたるけしきにて、物縫ひいとなみつつ、老いゆがめる容貌も知らず、つくろひさまよふに、いよいよやつして」
――(弁の君は)薫中将にお話しされたことを、中の君にも申し上げ、今更ながら大君のご逝去が悼まれて、ひとしお涙にくれるのでした。他の侍女たちは皆、浮き浮きと満足げに衣装などを裁ち縫いして、自分たちの盛りの過ぎた姿もかえりみず立ち騒いでは京へ行く準備に余念がないのでした――

では4/29に。


源氏物語を読んできて(931)

2011年04月25日 | Weblog
2011.4/25  931

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(13)

 薫は弁の君にいつものように昔の物語などおさせになって、

「ここには、なほ時々は参り来べきを、いたたづきなく心細かるべきに、かくてものし給はむは、いとあはれにうれしかるべき事になむ」
――私もこの山荘には今後も時々は伺う積りですし、誰もこちらに居なくては大そう頼りなく心細いでしょうに、あなたがこうしてここに居てくださるのは、まことに嬉しいことです――

 と、言い終わらぬうちにお泣きになります。弁の君は、

「いとふに栄えて延びはべる命のつらく、またいかにせよとて、うち棄てさせ給ひけむ、とうらめしく、なべての世を、思ひ沈むに、罪もいかに深く侍らむ」
――厭えば厭うほど、心ならずも生き延びる命がつらく、かえって恨めしくてなりません。大君はこの私にどうせよとのお気持で、私を残してお亡くなりになったのでしょうかと恨めしく、ただただ辛く、この世のことがすべて味気なく嘆かれますのは、さぞかし罪深いというものでしょう――

 と、申し上げる言葉にも、まるで薫のせいでもあるかのような訴えかたに、薫は老人の愚痴とはお思いになるものの、ねんごろに労られるのでした。

「いたくねびにたれど、昔きよげなりける名残をそぎ棄てたれば、額の程さまかはれるに、すこし若くなりて、さる方にみやびかなり。思ひわびては、などかかるさまにもなし奉らざりけむ、それに延ぶるやうもやあらまし、さてもいかに心深くかたらひきこえてあらまし、など、ひとかたならず覚え給ふに、この人さへうらやましければ、かくろへたる几帳をすこし引きやりて、こまやかにぞかたらひ給ふ」
――(弁の君は)たいそう老いてはいるが、昔は美しかった髪のなごりのところを、剃髪してしまって、額のあたりが少し変わって、かえって若返り、これはこれでなかなか雅やかである。大君がご臨終の頃、思いあぐねた末にでも、どうして尼姿にして差し上げなかったのだろうか。そうしたならば、命の延びることもあったかも知れない。そういうお姿で、しみじみと心ゆくまで語り合うことができなたなら……などと、薫はひとかたならずお思いになり、この弁の君までが羨ましくてならないので、隔ての几帳を少し引きのけて、細やかにお話になります――

では4/27に。


源氏物語を読んできて(930)

2011年04月23日 | Weblog
2011.4/23  930

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(12)

 つれづれのお慰みにも、また世の憂さの慰めにも、亡き大君が、心を留めて愛でておられた紅梅だったのに……などと中の君は胸いっぱいに悲しみがこみあげてきて、

(中の君の歌)「見る人もあらしにまよふ山里にむかしおぼゆる花の香ぞする」
――見る人もなくなり、嵐に吹き迷わされるこの山荘に、昔が思い出される紅梅の香がしています――

 と言うともなく呟やかれますと、薫はいっそうなつかしく口ずさんで、

(薫の歌)「袖ふれし梅はかはらぬにほひにて根ごめうつろふ宿やことなる」
――私が袖を触れた梅は昔と同じ香りながら、その梅の木が根ごと移る先は、もう昔の宿ではないのでしょうか(ちょっとお会いしたあなたは匂宮のところに移られて、もう私には縁がなくなるのでしょうか)――

 と、堪え切れぬ涙をぬぐわれて、言葉少なに、

「またもなほ、かやうにてなむ何事もきこえさせよかるべき」
――これからもまた、このように何事も隔てなくお話申し上げとうございます――

 と、おっしゃって座を立たれました。
薫は、中の君のお引越しにあれこれと必要な事を人々に指図して置かれ、この山荘の留守番役には、あの髭がちの宿直人が残る筈ですので、近くのご自分の荘園の者たちにも、何くれとなく心づけるようになど、細々したことまで懇ろにお定めになっておかれます。

 弁の君は、

「『かやうの御供にも、思ひかけず長き命いとつらく覚え侍るを、人もゆゆしく見思ふべければ、今は世にあるものとも人に知られ侍らじ』とて、容貌もかへてけるを、しひて召し出でて、いとあはれ、と見給ふ」
――「このようなお供で京に参りますにつけましても、思いもかけぬ長生きがたいそう辛く思われますので、また人も不吉と見るでしょうから、今はもう生きているとも人から知られないようにしとうございまして」と言って、髪を切ってしまいましたのを、薫は強いて弁の君をお召し寄せになって、いたわしいとご覧になります――

◆容貌もかへてけるを=尼姿となって髪も背中位まで短く切る。

では4/25に。


源氏物語を読んできて(929)

2011年04月21日 | Weblog
2011.4/21  929

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(11)

 薫のおっしゃるのをお聞きになって、中の君は、

「宿をばかれじ、と思ふ心深く侍るを、近く、などのたまはするにつけても、よろづにみだれ侍りて、きこえさせやるべき方もなく」
――私はこの邸を離れまいと思う心が深いのですが、あなた様までが、上京を促がされていずれ近くにお移りになるなどと仰っしゃいますので、ますます心が乱れて何と申し上げてよいのか分かりませんので――

 などと、途切れ途切れのお言葉をたいそう心細げにおっしゃるそのご様子に、薫は、

「いとよう覚え給るを、心からよそのものに見なしつる、といとくやしく思ひゐ給へれど、かひなければ、その夜の事、かけても言はず、忘れにけるにや、と、見ゆるまで、けざやかにもてなし給へり」
――なんと亡き大君に似ていらっしゃることか、それなのに自分の心一つで、これまで中の君を他人として見てしまったことよ、と、口惜しくお思いになりますが、今更甲斐のないことでもあり、あの夜、手違いで中の君と語り明かしたことなどまったく口に出されず、そんなことはお忘れになったかのように、さわやかに振る舞っていらっしゃる――

「御前近き紅梅の、色も香もなつかしきに、鴬だに見過ぐしがたげにうち鳴きて渡るめれば、まして春や昔のと、心をまどはし給ふどちの御物語に、折あはれなりかし。風のさと吹き入るるに、花の香も客人の御にほひも、橘ならねど昔思ひ出でらるるつまなり」
――庭先に近い紅梅の、色も香もなつかしい立木に、鶯さえこの里を見棄てがたげに鳴き渡るのは、まして「春や昔の春ならぬ」と亡き大君の思い出にお心を乱しておられる薫と中の君との御物語に、折からのあわれをひとしお添えるようです。風がさっと吹き込んでくるにつけて、花の香も客人(薫)の御衣裳の薫物も、「五月まつ花橘」ではありませんが、昔の方の袖の香のなつかしいきっかけとなっているのでした――


◆宿をばかれじ=古今集「今ぞ知る苦しきものと人待たむ里をばかれずとふべかりけり」

◆その夜の事=薫が大君の寝所と思って忍び込んだが、大君は逃げてしまった。何も知らず一緒に寝ていた中の君はびっくりする。薫は大君ではないと知って浮気は出来ぬと、一夜をただ物語などして明かした。中の君とは実事はなかった。しかし当時の男性優位の社会では、一緒に夜を過ごせば、男性は世評を有利に動かし、女性の言い分は通らない。
この場面では、薫は中の君を口説く材料でもありながら、ぐっとこらえた。

◆春や昔=伊勢物語・古今集「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」

◆橘ならねど=古今集「さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」

では4/23に。

源氏物語を読んできて(928)

2011年04月19日 | Weblog
2011.4/19  928

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(10)

「いと心はづかしげになまめきて、またこのたびはねびまさり給ひにけり、と、目も驚くまで匂い多く、人にも似ぬ用意など、あなめでたの人や、とのみ見え給へるを」
――(薫は)こちらが恥ずかしくなる程の中の君の美しく優雅なご様子の、さらに、あの頃よりもやや大人びて、わが目にも驚くほど気品がただよい、とても他の人など及ばない素晴らしいお方と、お見受けになっておられますと――

 中の君は、お心の中で、

「面影さらぬ人の御事をさへ思ひ出できこえ給ふに、いとあはれ、と、見奉り給ふ」
――今でも始終面影がちらついている亡き姉君のことまでも、薫が思い出されては何かと申されますので、こちらでもしみじみとした思いでご覧になっております――

 薫は「亡き姉君の尽きせぬ思い出話など、あなたのお目出度い今日という日には言葉を慎むべきでしょうが」と申し上げながら、

「渡らせ給ふべきところ近く、この頃過ぐしてうつろひ侍るべければ、『夜中暁』とつきづきしき人の言ひ侍るめる、何事の折にも、うとからずおぼしのたまはせば、世に侍らむかぎりは、きこえさせ承りて、過ぐさまほしくなむ侍るを、いかがはおぼしますらむ。人の心さまざまに侍る世なれば、あいなくや、など、ひとかたにもえこそ思ひ侍らね」
――あなたがお移りになる筈の近くに、わたしも暫くして移る筈ですから、「夜中暁(よなかあかつき)」(親しい者同志は、夜中も暁も、時を問わず行き来する意。当時のことわざとみられる)と、世の人が言うそうですから、何事も親しく私にお言い付けくださいますならば、生き長らえています限りは、申し上げることも、承りもして参りたいと存じます。いかがでございましょう。もっとも、人の心は思い思いのものですから、こんな事を申してご迷惑ではないかとも考えて、決めかねてはおりますが――

◆いとどはかばかしからぬひが事もや=いとど・はかばかしからぬ・ひが事・も・や=たいそう・しどろもどろな・とんでもないお応えに・なりそうで

では4/21に。

源氏物語を読んできて(927)

2011年04月17日 | Weblog
2011.4/17  927

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(9)

 宇治にご到着なさって、例の客人用のお部屋に通されますにつけても、お心の中で、

「今はやうやう物馴れて、われこそ人より先に、かうやうにも思ひそめしか」
――大君が生きておられたならば、今頃はだんだんに馴染んでこられて、自分こそ匂宮より先に、大君をこのように京へ迎えようと思っていたのに――

 などと、

「ありしさま、のたまひし心ばへを思ひ出でつつ、さすがにかけ離れ、ことのほかになどは、はしたなめ給はざりしを、わが心もてあやしうもへだたりにしかな、と、胸いたく思ひ続けられ給ふ」
――大君の生前のご様子や、口にされたお気持のあれこれを思い出しながら、それでも大君は自分を避けて特別に恥ずかしめなどはされなかったものを、自分の心一つで妙に遠ざかってしまったことだったなあ、と、今更ながら胸いっぱいに後悔の念が広がっていくのでした――

 そして、

「垣間見せし障子の孔も思ひ出でらるれば、寄りて見給へど、この中をばおろし籠めたれば、いとかひなし」
――かつて、姫君たちを垣間見た襖の孔(あな)も思い出されて、そこに寄ってご覧になりますと、中の君のお部屋を御簾や壁代(かべしろ)ですっかり閉じてありますので、残念ながら覗くことがおできにならない――

 中の君のお部屋では、侍女たちが大君をお偲び申し上げてはお互いに泣いているようです。ましてや中の君は涙がとぎれることなく流れて、明日の京へのお移りのことにも、ぼおっとしていらっしゃるご様子です。薫が、

「月頃のつもりも、そこはかとなけれど、いぶせく思う給へらるるを、かたはしもあきらめ聞こえさせて、なぐさめ侍らばや。例の、はしたなくなさし放たせ給ひそ。いとどあらぬ世の心地し侍り」
――これといって格別のこともございませんが、しばらくの間に積もったお話でも、ほんの片端でもお打ち明け申し上げて気を紛らわせたいものですね。又いつものように極まり悪く冷淡にはおあしらいなさいますな。これではいよいよ思いもよらぬ他国に参ったような心地がします――

 と、おっしゃいますと……。

では4/19に。



源氏物語を読んできて(926)

2011年04月15日 | Weblog
2011.4/15  926

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(8)
 
 薫からも、中の君が御禊(ごけい)に出られるためのお車や、御前駆(さき)の人々や、陰陽博士などを差し上げられました。

薫の歌「はかなしやかすみの衣たちしまに花のひもとくをりも来にけり」
――儚いものですね。あなたが喪服を着けられたのは、ついこの間とおもいましたのに、花が開いてもう平常着に着かえられる時になりました――

 と、なるほど「花のひもとく」とあります通り、ご衣裳をさまざまに仕立てて差し上げられました。

「御わたりのほどのかづけものどもなど、ことごとしからぬものから、品々にこまやかに思しやりつつ、いと多かり」
――京にお移りになる際にと、侍女たちにくださる品など、仰山ではないけれども、身分身分に応じて調えてあります――

 侍女たちが、

「折につけては、忘れぬさまなる御心寄せのありがたく、はらからなども、えいとかうまではおはせぬわざぞ」
――折につけ、こうして昔をお忘れにならぬ薫中将の御親切はたぐい稀でいらっしゃいます。兄弟などでもこうまではなされないものですよ――

 と、中の君にご納得がいくように申し上げます。齢かさの侍女たちはこのような経済面を特に申し上げ、若い侍女たちは薫をいつも拝していましたので、中の君がいよいよ匂宮の所へ行かれることが残念で、「本当は、薫の君はどんなにか中の君を恋しくお思いになっていらっしゃることか」と、囁き合っているのでした。

 薫自身は、中の君の京へお移りになられるのが明日という日の、未明に宇治にご到着なさいました。

 薫のことばに、中の君は、

「はしたなしと思はれ奉らむ、としも思はねど、いさや、心地も例のやうにも覚えず、かきみだりつつ、いとどはかばかしからぬひが事もや、と、つつましうて」
――何もあなたに極り悪い思いをおさせしようとは決して思ってはおりませんが、さあ、どうしたものでしょうか、気分がすぐれませんので、このような取りみだした心地では、
なおいっそう、とんでもないことでも申し上げそうで、と、気が負けまして――

 と、お困りのご様子です。それをお側のだれかれが、「このままでは薫の君にお気の毒です」とお口添えする者がいて中の君は、障子口のところで御対面になられます。

では4/17に。



源氏物語を読んできて(925)

2011年04月13日 | Weblog
2011.4/13  925

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(7)

「かしこにも、よき若人童などもとめて、人々は心ゆき顔にいそぎ思ひたれど、今はとてこの伏見を荒らしはてむも、いみじう心細ければ、歎かれ給ふことつきせぬを、さりとても、またせめて心ごはく、堪え籠りてもたけかるまじく」
――宇治でも、美しく若い侍女や、女の童などを探し出して準備をし、人々は嬉しそうに上京を急いでいますが、中の君はいよいよこの山荘を離れて行くのを寂しくも心細くもお嘆きになりますが、そうかといって、強情を張って宇治にじっと籠っていたところで、どうなることでもなく――

 匂宮からも、

「『浅からぬ中の契りも、絶えはてぬべき御すまひを、いかに思し得たるぞ』とのみ、うらみきこえ給ふも、すこしはことはりなれば、いかがすべからむ、と思ひみだれ給へり」
――「浅からぬ二人の縁も、絶えてしまいそうな不便なお住いですが、どうご決心がつきましたか」とばかり、恨みをこめて催促されますのも、なるほどとも思われ、どうしたものかと思い乱れていらっしゃいます――

「二月の朔日頃とあれば、程近くなるままに、花の木どものけしきばむも、残りゆかしく、峰の霞のたつを見棄てむことも、おのが常世にてだにあらぬ旅寝にて、いかにはしたなく人わらはれなる事もこそ、など、よろづにつつましく、心ひとつに思ひ明かし暮らし給ふ」
――中の君を京へお迎えになるのは、二月の一日頃ということで、その日が近づくにつれて、桜のつぼみの膨らむのにも未練が残り、峰に立つ霞を見棄ててゆくというのも、言い古された歌の「春霞立つを見棄ててゆく雁は花なき里に住みやならへる」の雁のような心地がするのでした。京に行っても中の君にとりましては、永久の住処にでもない旅住いで、どんなにかきまり悪く物笑いになることもあろうかと、万事に気が負けてお心一つに思いあぐねて過ごしていらっしゃるのでした――

「御服もかぎりあることなれば、脱ぎ棄て給ふに、御禊ぎも浅き心地ぞする。親一所は、見奉らざりしかば、恋しきことは思ほえず。その御かはりにも、この度の衣を深く染めむ、と、心にはおぼし宣まへど、さすがにさるべきゆゑもなきわざなれば、あかず悲しきことかぎりなし」
――喪服を着る期間にも期限のあることですので、(姉妹の服喪は三カ月)喪服を脱ぐとき、河原に出てする禊ぎも、姉君に薄情な気がなさいます。中の君は母君をご存知なく育ちましたので、母を恋しいと思うことはありませんでしたが、代わりに姉君に対しては、母君の喪のお代わりとしても、今度の喪服は濃い色に染めようとお思いになりましたが、やはりそのような理由はなりたちませんので、悲しいこと限りない思いでいらっしゃいます――

◆今はとてこの伏見を荒らしはてむも=古今集「いざここにわが世は経なむ菅原や伏見の里の荒れまくも惜し」

では4/15に。

源氏物語を読んできて(924)

2011年04月11日 | Weblog
2011.4/11  924

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(6)

 匂宮が、中の君を近いうちに京へお移し申そうとなさることについて、薫にご相談になりますと、薫は、

「いとうれしきことにも侍るかな。あいなくみづからのあやまちとなむ思う給へらるる、飽かぬ昔のなごりを、またたづぬべき方も侍らねば、おほかたには、何事につけても、心寄せきこゆべき人となむ思う給ふるを、もし便なくや思召さるべき」
――それはまことに嬉しゅうございます。あのままでは、どうも私の落度のようで気が咎めておりました。諦めきれない大君の形見としては、中の君の外にはいらっしゃいませんので、恋人などではない普通の間柄として、万事につけてお世話申すべき人と存じておりますのを、ひょっとしてそれをまた怪しからぬこととお取りになっていらっしゃるのではないかと…――


 とおっしゃって、

「かのこと人とな思ひ分きそ、とゆづり給ひし心おきてをも、すこしは語りきこへ給へど、いはせの森の呼子鳥めいたりし夜のことは、残したりけり」
――大君が、中の君をご自分とは別人と思ってくださいませんように(私と思って)とおっしゃってお譲りになった御意向についても、匂宮には少しはお話申し上げましたけれども、意に反した結果の(大君に募る思いで寝所に行きながら、その人は居ず、中の君と一夜をただ語りあっただけの)はかない宇治でのことは、とてもお口には出せませんでした――

 薫は、そのお心の内では、

「かくなぐさめ難き形見にも、げにさてこそ、かやうにもあつかひきこゆべかりけれ」
――これほどまでに、気持ちを抑えきれない亡き大君の形見としては、まったくのところ自分こそが中の君をお迎えして、お世話申し上げるべきであった――

 と、

「口惜しきことやうやうまさり行けど、今はかひなきものゆゑ、常にかうのみ思はば、あるまじき心もこそ出で来れ、他がためにもあぢきなくおこがましからむ、と、思ひ離る」
――次第に口惜しさが込み上げてくるのでしたが、もう今となっては仕方がない。だがいつもこのように思っていては、とんでもない心が起こってもこよう、そんなことにでもなれば、誰にでも不愉快で馬鹿なことになってしまう、と、薫は中の君を思い切るのでした――

 匂宮の御為にも、中の君の御為にも、お世話を申し上げるのは自分以外には居ようか、と思い定めて、薫は京へのお引越しの段取りを心準備なさる。

◆おほかたには=大方には=一般的。普通に。ここでは恋人としてではなく通り一片の関係として。

◆かのこと人とな思ひ分きそ=かの・こと人と・な・思ひ・分き・そ=あの大君が、中の君を異人(別人)と思ってはくださるな。

◆いはせの森の呼子鳥=岩瀬の森、今の奈良県生駒郡斑鳩町龍田に有る森。呼子鳥やほととぎす、紅葉の名所。引歌は不明「恋しくば来ても見よかし人づてにいわせの森の呼子鳥かも」呼子鳥は、今の郭公か、ほととぎすともいわれ、諸説がある。
ここでの引用は「目的と違った。」意か。

では4/13に。