永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1235)

2013年03月31日 | Weblog
2013. 3/31    1235

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その27

「盤渉調をいとをかしく吹きて、『いづら。さらば』とのたまふ。女尼君、これもよき程のすきものにて、『昔聞き侍りしよりも、こよなく覚え侍るは。山風をのみ聞きなれにける耳からにや』とて、『いでや、これはひがごとになりて侍らむ』と言ひながら弾く。今様は、をさをさなべての人の、今は好まずなりゆくものなれば、なかなかめづらしくあはれに聞ゆ」
――(中将が)盤渉調(ばんしきちょう=十二律の一)をたいそう上手に吹いて、「さあ、お琴もどうぞ」とおっしゃる。娘の尼君は、この人もかなりの風流人で、「貴方のは、昔の音色より素晴らしく思われますこと。山風ばかり聞きなれた耳のせいでしょうか」と言って、「ところで私の琴は調子はずれになっておりましょう」といいながら弾きます。現代としては、近頃和琴を嗜なまなくなっていますので、かえって珍しく面白く聞こえるのでした――

「松風もいとよくもてはやす。吹き合わせたる笛の音に、月もかよひて澄める心地すれば、いよいよめでられて、宵惑ひもせず起き居たり」
――松をわたる風の音も、まことによく琴の音色を引き立てます。吹き添える笛の音に、月も心を合わせて澄み渡る心地がしますので、大尼君はますます興が乗って、眠気もささず起きています――

「『媼は、昔吾妻琴をこそは、こともなく弾き侍りしかど、今の世には、かはりにたるにやあらむ、この僧都の、<聞きにくし。念仏よりほかのあだわざなせそ>と、はしたなめられしかば、何かは、とて弾き侍らぬなり。さるは、いとよく鳴る琴も侍り』と言ひ続けて、いと弾かまほしと思ひたれば、」
――(大尼君は)「わたしのような年寄りも、昔は和琴をまずまず無難に弾いたものでしたが、当世では弾き方が変ってしまったものでしょうか。ここの僧都が、「聞きにくい。念仏以外の無益なことはなさるな」と戒められましたので、何の、それなら弾くものかと思って、弾かずにいるのです。でも実はまことによい音色の琴もあります」と大尼君は言いつづけて、ひどく弾きたげですので――

「いと忍びやかにうち笑ひて、『いとあやしきことをも制しきこえ給ひける僧都かな。極楽といふなる所には、菩薩なども皆かかることをして、天人なども舞ひ遊ぶこそ尊ふとかなれ。行ひまぎれ、罪得べきことかは。今宵聞き侍らばや』とすかせば、いとよし、と思ひて、『いで、主殿のくそ、吾妻とりて』といふにも、しはぶきは絶えず。」
――中将はそっと笑いを押し殺して、「妙な止め立てをなさる僧都ですね。極楽という所では、菩薩なども皆こうして音楽を奏し、天人なども舞い遊んでいるとか、それが大そう尊いと承っておりますが。勤行が妨げられる罪になどなりますものですか。今晩は是非うかがいたいものです」とおだてると、大尼君はとても満足げに、「さあ、主殿(とのもり)の君、吾妻琴を持っておいで」とはしゃぐ、その間も絶えず咳き込んでいます――

「人々は、見ぐるしと思へど、僧都をさへ、うらめしげにうれへて言ひ聞かすれば、いとほしくてまかせたり。取り寄せて、ただ今の笛の音をもたづねず、ただおのが心をやりて、吾妻の調べを爪さわやかに調ぶ」
――人々は見ぐるしいことと思いますが、僧都から咎められたことをさえ、恨めしく思って、中将に不満げに言いますので、気の毒がってそのままにさせておきました。和琴を引き寄せて、今中将の笛の音がどんな調子かもおかまいなく、ただ心のゆくままに、爪音さわやかに弾いているのでした――

◆主殿(とのもり)のくそ=侍女の呼び名。「主殿(とのもり)こそ=主殿の君」

では4/1に。

源氏物語を読んできて(1234)

2013年03月29日 | Weblog
2013. 3/29    1234

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その26

「『過ぎにし方の思ひ出でらるるにも、なかなか心づくしに、今はじめてあはれと思すべき人、はた難げなれば、見えぬ山路にもえ思ひなすまじうなむ』と、うらめしげにて出でなむとするに、『など、あたら夜を御覧じさしつる』とて、ゐざり出で給へり」
――(中将は)「妻の生前中が思い出されるにつけましても、なまじ悲しみの種となりますし、といって、今あらためて情を寄せてくださりそうな方もなさそうですから、ここも世の憂さから逃れる山路とも思えません」と言って、残念そうにお帰りになろうとなさいます。尼君が、「あたらこの美しい月夜を、なぜまた見捨ててお帰りになるのでしょう」と言って、にじり出てこられます――

「『何か、をちなる里も、こころみ侍りぬれば』と言ひすさみて、いたうすきがましからむも、さすがにびんなし、いとほのかに見えしさまの、目とまりしばかり、つれづれなる心なぐさめに思ひ出でつるを、あまりもて離れ、奥深なるけはひも所のさまにあはずすさまじ、と思へば、帰りなむとするを、笛の音さへ飽かずいとど覚えて」
――(中将は)「どういたしまして、この里もどんなに辛いか分かりましたから。(あの方のお気持も分かってしまいましたから)」などと冗談めかしておっしゃる。あまり好色らしいのも、さすがに具合悪い。ほのかに見えた姿が目に止まったばかりに、わびしい心を慰めようと思い出してやって来たものを、あの人があまりにもよそよそしく、引っ込み思案らしいのも、こうした山里にはそぐわない風情の無さに、中将がお帰りになろうとしますのを、尼君は中将の笛の音のいよいよ冴えて名残り惜しいので――

「『ふかき夜の月をあはれと見ぬ人や山の端ちかきやどにとまらぬ』となまかたはなることを、『かくなむ聞え給ふ』と言ふに、心ときめきて、『山の端に入るまで月をながめみむねやの板間もしるしありしやと』など言ふに、この大尼君、笛の音をほのかに聞きつけたりければ、さすがにめでて出で来たり」
――(尼君が)「夜半の月をしみじみと味わわない御方こそ、山裾のこの宿を見捨ててお帰りなのですか」と、あまり上手ではない歌を、「姫君がこう申されていますよ」と言いますのに中将は心ときめかせて、「では山の端に入るまで月を眺めていましょう。貴女に逢って、闇の縁にさす光に胸の痛みも薄れましょうかと」などとお答えになります。そうこうしていますうちに、この家の大尼君が笛の音をかすかに聞きつけて、心惹かれてにじり出ておいでになりました――

「ここかしこうちさはぶき、あさましきわななき声にて、なかなか昔のことなどもかけて言はず。誰とも思ひ分かぬなるべし。『いで、そのきんの琴弾き給へ。横笛は、月にはいとをかしきものぞかし。いづら、くそたち、琴とりて参れ』といふに、それなめり、とおしはかりに聞けど、いかなる所に、かかる人、いかでこもり居たらむ、さだめなき世ぞ、これにつけてあはれなる」
――ものを言う途中途中で咳をし、ひどい震え声で話をしますが、老人ですから昔の事など言いそうですのに、却って少しも言い出しません。きっとこの客人が誰ともはっきり分からないのでしょう。「さあ、その琴の琴(きんのこと)をお弾きなさいませ。横笛は月夜にはほんとうに良いものですよ。それそれ、そなた達も琴を持ってきて差し上げて」と言っています。あの老尼君らしいと中将は推察しながら、こういう老人が、またどうしてこんな所に引き籠もっていたのだろう。わが妻は若くして死んだとというのに、老少不定(ろうしょうふじょう)のこの世ではあることよ、としみじみあはれを催すのでした――

◆見えぬ山路にも=古今集「世の憂き目見えぬ山路に入らむには思ふ人こそ絆なりけれ」

◆あたら夜を=後選集「あたら夜の月と花とを同じくは心知られむ人に見せばや」

◆なまかたはなること=なま・かたはなること=余り上手でない

◆くそたち=「くそ」は「こそ」の転で、第二人称の敬称。皆さんの意

では3/31に。

源氏物語を読んできて(1233)

2013年03月27日 | Weblog
2013. 3/27    1233

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その25

「尼君、はやうは今めきたる人にぞありける、名残りなるべし、『秋の野の露わけきたるかりごろもむぐらしげれるやどにかこつな、となむ、わづらはしがりきこえ給ふめる』と言ふを、うちにも、なほかく心よりほかに世にありと知られはじむるを、いと苦しと思す心のうちをば知らで、男君をもあかず思ひ出でつつ、恋ひわたる人々なれば」
――尼君という人は、元は現代風な人であったので、その名残りでありましょうか、「貴方の狩衣は秋の野を分けて来たので濡れたのです、という歌のように、草深い私の宿のせいになさらないでください、と姫君(浮舟)も迷惑がっておいでですよ」とお返事なさるのを、御簾の内の尼たちもおなじく、浮舟が心外にもこうして生きていると知れはじめては困ると思っているお気持など察してあげようともなさらず、今でもこの中将をお慕いしていますの――、

「『かくはかなきついでにも、うち語らひきこえ給へらむに、心よりほかに、世にうしろめたくは見え給はぬものを、世の常なる筋に思しかけずとも、なさけなからぬ程に、御いらへばかりは聞え給へかし』など、引き動かしつべく言ふ」
――(尼たちは)「中将様は、このようなちょっとした機会にでも、あなたがお話相手をなさるのに、間違いをなさるような御方ではありませんよ。世間によくある色恋の意味にお考えなさらず、無愛想では無く、お返事だけでもなさってはいかがでしょう」などと、今にも浮舟を連れ出さんばかりに言います――

「さすがにかかる古代の心どもにはありつかず、今めきつつ、腰折れ歌を好ましげに、若やぐけしきどもは、いとうしろめたう覚ゆ。かぎりなく憂き身なりけり、と見はててし命さへ、あさましう長くて、いかなるさまにさすらふべきならむ、ひたぶるになきものと人に見聞き棄てられてもやみなばや、と思ひ臥し給へるに、中将は、おほかたもの思はしきころのあるにや、いといたくうち歎きつつ、忍びやかに笛を吹き鳴らして、『鹿の鳴く音に』などひとりごつけはひ、まことに心地なくはあるまじ」
――尼君たちは世捨て人とはいうものの、こうした当世風な下手な歌などをたしなんでは、若やいでいる様子に、姫君には、ひょっとして中将を引き入れたりせぬかと不安でならないのでした。この上なく不仕合せな身の上だったと、一旦は自ら見限った命だったものを、浅ましくも生き長らえて、この先もいったいどのように流離う身なのだろう、この世にまった亡い人だと誰からも忘れ去られてしまいたい、と思いながら横になっていますと、中将も折からひとしお物思いに沈んでいる様子で、深く溜息をつきながら、そっと笛を吹き鳴らして、「鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」などと、古歌を口ずさんでいるご様子は、まんざら情趣をわきまえない人ではなさそうです――

◆はやう=早う=以前は、元々は。(前から決まっていた事実を、今はじめて知った時に用いる言葉)

◆『鹿の鳴く音に』=古今集「山里は秋こそ殊にわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」

では3/29に。

源氏物語を読んできて(1232)

2013年03月25日 | Weblog
2013. 3/25    1232

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その24

「心地よげならぬ御願ひは、聞え交し給はむに、つきなからぬさまになむ見え侍れど、例の人にてはあらじ、と、いとうたたあるまで世をうらみ給ふめれば、残りすくなき齢の人だに、今はと背き侍る時は、いともの心細く覚え侍りしものを、世をこめたる盛りにては、つひにいかが、となむ見給へ侍る」と、親がりて言ふ」
――(尼君が)「沈みがちな人をお望みならば、お話相手としてはふさわしいかも知れませんが、普通の女の人のように縁づいたりはしまいと、かたくなまでに世を厭っていらっしゃるご様子なのです。人生に残り少ない私のような老人でさえ、いよいよ尼になろうとする時には、まことに心細い気がいたしましたものを、まだまだ行く末の長い御齢であってみれば、たとえ出家されたところで、そのまま通せるかどうかと心配しているのです」と親のような口ぶりで言うのでした――

「入りても、『なさけなし。なほいささかにても聞え給へ。かかる御住まひは、すずろなることも、あはれ知るこそ世の常のことなれ』など、こしらへても言えど、『人にもの聞ゆらむ方も知らず、何ごとも言ふかひなくのみこそ』といとつれなくて臥し給へり。客人は、『いづら、あなこころ憂。秋を契れるは、すかし給ふにこそありけれ』など、うらみつつ、『まつむしの声をたづねて来つれどもまたをぎはらの露にまどひぬ』」
――(尼君は浮舟の方へ行って)「それではあまりにも情け知らずというものですよ。ほんの少しでもお返事をなさいませ。このような心細いお暮らしでは、つまらないことでも、気を利かせて過ごすのが肝心なのです」などと、なだめすかすように言いますが、浮舟は、「人にものを申し上げる術も存じませんし、何ごとにつけても取り柄のない私ですもの」と、まったく素っ気なき様子で臥していらっしゃる。客人(まろうど)は、「さあ、どうでしたか。お返事の無いとは辛いことです。お約束のようなことをおっしゃったのは、さてはお騙しになったのですね」などと恨みながら、(歌)「尼君が待つと言われたのを頼みにして来ましたが、思う人のつれなさに、わたしはまた途方に暮れております」――

「『あないとほし。これをだに』など責むれば、さやうに世づいたらむこと言ひ出でむもいとこころ憂く、また言ひそめては、かやうの折々に責められむも、むつかしう覚ゆれば、いらへをだにし給はねば、あまりいふかひなく思ひあへり」
――(尼君が)「まあ、お気の毒な。このお返事だけはなさいませ」などと浮舟に催促しますが、そのような色めいた返事をするのも厭ですし、また一度でも返事をしたならば、今度はそのたびごとに責められるのも厄介な気がしますので、そのまま黙っていらっしゃる。中将も尼君も何とも言いようもないのでした――

◆いとうたたあるまで=いと・うたたあるまで=全く厭になるまで。
古今集「花と見て折らむとすれば女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ」

では3/27に。


源氏物語を読んできて(1231)

2013年03月23日 | Weblog
2013. 3/23    1231

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その23

「出で給ふとて、畳紙に、『あだしのの風になびくなおみなへしわれしめゆかむ道とほくとも』と書きて、少将の尼して入れたり。尼君も見給ひて、『この御返り書かせ給へ。いと心にくきけつき人なれば、うしろめたくもあらじ』とそそのかせば、『いとあやしき手をば、いかでか』とて、さらに聴き給はねば、『はしたなきことなり』とて、尼君、『聞えさせつるやうに、世づかず、人に似ぬ人にてなむ。うつしうゑて思ひみだれぬをみなへしうき世をそむく草の庵に、とあり。こたみは、さもありぬべし、と、思ふゆるして帰りぬ』
――(中将は)帰りがけに、懐紙を取り出して、(歌)「美しい姫君よ、他の男に靡いてくれるな。私が通って来て契りを結ぼう、道は遠くとも」と書いて、少将の尼に言付けされました。尼君もご覧になって、浮舟に、「このお返事はお書きなさいませ。中将の君はたいそう心の行き届いた人柄のかたですから、ご心配なことはありませんよ」とすすめますが、浮舟は、「ひどく不調法な字ですもの、どうしてそのようなことを…」と言って、どうしても承知なさらないので、尼君は、「それではあまりにも失礼ですから」と言って、尼君が、「先に申しましたように、並みの人とは違って世慣れぬところのある人でしててね。(歌)この庵に移り住んで以来、あの方は物思いに沈んでばかりいるのです。と申し上げます。中将は、この度ははじめての事だから仕方がない、と諦めて帰って行かれました――

「文などわざとやらむはさすがにうひうひしう、ほのかに見しさまは忘れず、もの思ふらむ筋何ごとと知らねど、あはれなれば、八月十余日の程に、小鷹狩のついでにおはしたり。例の尼呼び出でて、『人目見しより、しづ心なくてなむ』とのたまへり。いらへ給ふべくもあらねば、尼君、『待乳の山の、となむ見給ふる』と言ひ出し給ふ」
――わざわざ文などを送るのは、さすがに気恥かしく、そうかといってほのかに見かけた面影も忘れられず、何か物思いの多い様子と聞いたのが、どのような事情なのか詳しくは分からないままに心に掛るので、中将は、八月十日過ぎの頃、小鷹狩のついでに小野の庵に出掛けて行きました。いつものように少将の尼を呼びだして、「あの人を人目見てから、心が落ち着かなくなって…」などとおっしゃいます。浮舟は今度もお答えになりそうもありませんので、尼君は、「昔のお方でも『待乳の山』かと存じますが。(この方には愛する人があるらしくおもわれます)」と申し上げます――

「対面し給へるにも、『心ぐるしきさまにてものし給ふ、と聞き侍りし人の御上なむ、残りゆかしく侍る。何ごとも心にかなはぬ心地のみし侍れば、山住みもし侍らまほしき心ありながら、ゆるい給ふまじき人々に、思ひ障りてなむ過ぐし侍る。世に心地よげなる人の上は、かく屈したる人の心からにや、ふさはしからずなむ。もの思ひ給ふらむ人に、思ふことを聞こえばや』など、いと心とどめたるさまに語らひ給ふ」
――(中将は)尼君に対面なさるについても、「お気の毒なお身の上とか伺いましたお方の、一部始終をお聞きしたいと存じます。私とて、世の中が何一つままならぬ心地ばかりして、山にでも籠りたいとは思いながらも、親たちがお許しくださる筈もありませんので、こうして過ごしているのです。結婚生活に満足しているらしい妻は、私がこうして塞ぎこんでいるせいか、不似合いな気がします。物思いがちなあのお方に、私の心の内を申し上げたいのです」などと、ひどくご執心の様子でお話になります――

◆いと心にくきけつき人=いと・心にくきけ・つき・人=たいそう奥ゆかしいところのある人

◆小鷹狩(こたかがり)=秋、小鷹を使って行う狩の催し

◆待乳の山(やつちのやま…)=新古今集「誰をかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし」

では3/25に。


源氏物語を読んできて(1230)

2013年03月21日 | Weblog
2013. 3/21    1230

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その22

「禅師の君、『この春初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ聞き侍りし』とて、見ぬことなればこまかには言はず。『あはれなりけることかな。いかなる人にかあらむ。世の中を憂しとてぞ、さる所には隠れ居けむかし。昔物語の心地もするかな』とのたまふ」
――禅師の君が、「この春に尼君たちが初瀬の寺に詣でての帰りに、不思議なことで見つけた人だと聞きました」とだけ言って、わが目で見たのではないので、それ以上の詳しいことは言いません。中将が、「不憫なことですね。どのような生い立ちの人であろうか。世間が厭だという訳で、そのような宇治(憂し)に隠れ住んでいたのだろうか。昔物語にでもありそうな心地がするものだ」とおっしゃる――

「またの日帰り給ふにも、『過ぎ難くなむ』とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さま異なれど、をかし。いとどいや目に、尼君はものし給ふ。物がたりのついでに、『忍びたるさまにものし給ふらむは、誰にか』と問ひ給ふ」
――次の日お帰りになる時にも、「素通りも、致しかねまして」と言って、お立ちよりになりました。ここ小野でも心づもりをしていましたので、おもてなしも故姫君が思い出されるように整え、少将の袖口は今では鈍色と変ってはいますが、それも風情があります。尼君はまたも涙ぐまれた目でおいでになります。話のついでに中将が、「人目を忍んでいるようにお過ごしのお方は、どなたですか」と訊ねられます――

「わづらはしけれど、ほのかにも見つけ給うてけるを、隠し顔ならむもあやし、とて、『忘れわび侍りて、いとど罪深うのみ覚え侍りつるなぐさめに、この月ごろ見給ふる人になむ。いかなるにか、いとものおもひ繁きさまにて、世にありと人に知られむことを、苦しげに思ひてものせらるれば、かかる谷の底には誰かはたづねきこえむ、と思ひつつ侍るを、いかでかは聞きあらはさせ給ひつらむ』と答ふ」
――(尼君は心の中で)面倒なことではあるけれども、ちらとでもお眼に止まったからには、隠し通せることでもないと思って、「亡き娘のことばかり忘れかねて、この世に未練を残すのも罪深いことと思いつづけておりましたが、その心の慰めにもと、近頃お世話している人でございます。どのような事情がありますのか、たいそう物思いの多い様子で、この世に生きていると人に知られることを、ひどく辛そうに思っておられるようです。このような山奥に居れば誰にも気づかれまいと思っておりましたのに、どうしてお聞き出でになられたのでしょう」とお答えになります――

「『うちつけ心ありて参り来むだに、山深き道のかごとは聞えつべし。まして思しよそふらむ方につけては、ことごとに隔て給ふまじきことにこそは。いかなる筋に世をうらみ給ふ人か。なぐさめきこえばや』など、ゆかしげにのたまふ」
――(中将は)「ほんの気まぐれで参上したとしましても、このような山奥までわざわざお訪ねして来たのですから、感謝こそされても、疎まれることはないでしょう。ましてや、亡き姫君の身代わりとまでお思いなら、私にもまんざら他人とは思えません。どういう訳で世を厭っていらっしゃるのでしょう。お慰め申し上げたいものです」などと、詳しく知りたい風におっしゃる――

では3/23に。

源氏物語を読んできて(1229)

2013年03月19日 | Weblog
2013. 3/19    1229

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その21

「『心憂く、ものをのみ思し隔てたるなむいとつらき。今はなほ、さるべきなめり、と思しなして、はればれしくもてなし給へ。この五年六年、時の間も忘れず、恋しくかなしと思ひつる人の上も、かく見たてまつりてのちよりは、こよなく思ひ忘れにて侍る。思ひきこえ給ふべき人々世におはすとも、今は世に亡きものにこそ、やうやう思しなりぬらめ。よろづのこと、さしあたりたるやうには、えしもあらぬさざになむ』と言ふにつけても」
――(尼君が)「悲しいことは、あなたがなぜか私に隔てをおいていらっしゃることで、いっこうに打ち解けてくださらないことです。今はもうこうした運命だとお考えになって、もっと晴れやかにお暮らしなさいませ。亡き娘のことも、この五、六年というもの片時も忘れず、恋しく悲しいとばかり思って暮らしてきましたが、こうして貴女をお迎えしてからというもの、すっかり諦められるようになりました。あなたを心にかけておられる方が世にあおりとしても、今はもう亡くなられたものと、段々諦めてこられたでしょう。何ごともその当座の気持ちがそのままずっと続くものではありませんもの」と、説き聞かされるのでした――

「いとど涙ぐみて、『隔てきこゆる心も侍らねど、あやしくて生きかへりける程に、よろづのこと夢のやうにたどられて、あらぬ世に生まれたる人はかかる心地やすらむ、と覚え侍れば、今は、知るべき人世にあらむとも思ひ出でず、ひたみちにこそむつまじく思ひきこゆれ』とのたまふさまも、げになに心なくうつくしく、うち笑みてぞまもり居給へる」
――(すると浮舟は)「隔てを置く気はございませんが、不思議にも生き返った際に、すべてが夢のようにおぼろに霞んでしまって分からなくなりまして、知らぬ世界に生まれた人はこんな気持ちがするものかしらと思います。今では私を知っている筈の人が世にいようとも思い出されず、ひたすらあなたさまをお頼り申し上げております」とおっしゃいます。そのご様子がいかにも無心で愛らしいので、尼君はいとおしげに微笑んで浮舟を見つめていらっしゃいました――

「中将は山におはし着きて、僧都もめづらしがりて、世の中のものがたりし給ふ。その夜はとまりて、声尊き人々に経など読ませて、夜一夜あそび給ふ」
――中将は山の横川にお着きになりました。僧都も久しぶりになつかしく、しみじみと世の中の物語などなさいます。その夜はそこに泊まって、声のよい法師たちに経などを読ませて、夜一夜を音楽を奏でてお遊びになります――

「禅師の君、こまかなるものがたりなどするついでに、『小野に立ち寄りて、ものあはれにもありしかな。世を棄てたれど、なほさばかりの心ばせある人は、かたくこそ』などのたまふ、ついでに『風の吹きあげたりつる隙より、髪いと長くをかしげなる人こそ見えつれ。あらはなりとや思ひつらむ、立ちてあなたに入りつる、うしろでなべての人とは見えざりつ。さやうの所に、よき女は置きたるまじきものにこそあめれ。あけくれ見るものは法師なり。おのづから目なれて覚ゆらむ、不憫なることなりしか』とのたまふ」
――弟の禅師の君と四方山話をなさるついでに、中将は、「小野に立ち寄って、しんみりとしてしまったことだ。あの尼君は世を捨ててはいられるが、やはり、あれほど嗜みの深い人はめったにあるまい」などとおっしゃって、「風が御簾を吹きあげたその隙間から、髪のたいそう長く、いかにも美しげな人が見えた。外から見られるとおもったのか、立って奥の方へ入って行かれたが、後ろ姿がただの人とも見えなかった。あんな山里に美しい女を住まわせておくなは感心しない。朝夕に見るものといったら尼法師ばかりだからね。それを見馴れているうちに、自分も尼じみてしまうだろうに、気の毒なことだ」などとおっしゃる――

では3/21に。


源氏物語を読んできて(1228)

2013年03月17日 | Weblog
2013. 3/17    1228

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その20

「姫君の立ち出で給へりつるうしろでを、見給へりけるなめり、と思ひて、ましてこまかに見せたらば、心とまり給ひなむかし、昔人はいとこよなうおとり給へりしをだに、まだ忘れがたくし給ふめるを、と、心ひとつに思ひて、『過ぎにし御ことを忘れ難く、なぐさめかね給ふめりし程に、覚えぬ人を得たてまつり給ひて、あけくれの見ものに思ひきこえ給ふめるを、うちとけ給へる御ありさまを、いかでか御覧じつらむ』といふ」
――(少将の尼は)姫君が御簾近くに出られた時の後ろ姿をご覧になられたのであろうと、思って、ちょっと見ただけでその美しさはなるほどと、ましてはっきりお見せしたならば、きっとお気に召すであろうと思うのでした。亡きこちらの御方は、この姫君よりもご器量はずっと劣っておいでになりましたが、それでさえも未だに忘れかねておられるのですもの、と、少将の尼はひとり心に決めて、「こちらの尼君さまは、亡き御方(娘)のことが忘れられす、嘆き明かしておいでになりましたが、思いがけぬ人をお引き取りになりまして、明け暮れの慰めにお世話をしていらっしゃるのでございます。その方がくつろいでおられたところを、多分ご覧になられたのでしょう」と申します――

「かかることこそはありけれ、とをかしくて、何人ならむ、げにいとをかしかりつ、と、ほのかなりつるを、なかなか思ひ出づ。こまかに問へど、そのままにも言はず、『おのづから聞こし召してむ』とのみ言へば、うちつけに問ひ尋ねむもあさましき心地して、『雨も止みぬ。日も暮れぬべし』と言ふに、そそのかされて出で給ふ」
――(中将は)こんな耳寄りな事があったのだ、と興味がわいてきて、どういう人なのだろう、なるほどたいそうな美人であった、と、ちらっと見ただけに、かえって心に残って思い出されるのでした。中将は事細かに尋ねますが、少将の尼はありのままには事情を話さず、「そのうち自然にお分かりになるでしょう」とだけ言いますので、中将は無理矢理聞き出すのも見ぐるしいことのようでもあるが、と思っているところに供人が、「雨も止みました。日も暮れましょうから」と言うのに促がされて、中将はお立ち出でになります――

「前近きをみなへしを折りて、『何ににほらむ』と口ずさびて、ひとりごち立てり。『人のもの言ひを、さすがに思しとがむるこそ』など、古代の人どもは、ものめでをしあへり」
――(中将は)庭先の女郎花(おみなえし)を折って、「…ここにしも何にほうらむ」と古歌を口ずさみながら、このような尼の侘び住まいに美しい若い女が居ようとは、と思って佇んでいらっしゃる。何も知らない古風な人たちは、尼ばかりのところに立ち寄られたことに、中将自身が極まりわるく思ってのことと、勘違いして、「さすがに人の噂を気になさるところは奥ゆかしい」などとほめそやしております――

「いときよげに、あらまほしくもねびまさり給ひにけるかな、おなじくは、昔のやうにても見たてまつらばや、とて、『藤中納言の御あたりには、絶えず通ひ給ふやうなれど、心もとどめ給はず、親の殿がちになむものし給ふ、とこそ言ふなれ』と尼君ものたまひて」
――本当に美しく、貫録も申し分なく整っていらっしゃったこと。同じ事なら、昔のように婿君としてお迎え申し上げたいものです、と尼君がおっしゃって、「(現在の妻の父である)藤中納言の邸にはよく伺っているようですが、肝心のあちらの姫君にはそれほど熱心ではないらしく、その方は親御さまのお邸に居られることが多いそうですよ」と尼君がおっしゃって、ついでに…――

◆何ににほらむ=拾遺集「ここにしも何にほふらむ女郎花人の物言ひさがにくき世に」で、浮舟を女郎花に譬えてこの歌を引いた。

では3/19に。

源氏物語を読んできて(1227)

2013年03月15日 | Weblog
2013. 3/15    1227

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その19

「姫君は、われはわれ、と思ひ出づる方多くて、ながめ出だし給へるさま、いとうつくし。白き単衣のいとなさけなくあざやぎたるに、袴も檜皮色にならひたるにや、光も見えず黒きを着せたてまつりたれば、かかることどもも、見しには変りてあやしうもあるかな、と思ひつつ、こはごはしういららぎたるものども着給へるしも、いとをかしき姿なり」
――浮舟は、わたしはわたし、とわが身の昔を思い出すことが多く、物思いにふけっておいでになるご様子がまことに美しい。白い単衣の大そう無風流でごわごわしたものに、袴も黒ずんだ檜皮色をこの山里では着慣れているせいか、艶もないものをお着せしていますので、このような服装についても昔とは違って、妙な姿になったものと思いながらも、ごわごわとこわばった物などを召していられるのが、却ってまたこざっぱりとして見えます――

「御前なる人々、『故姫君のおはしまいたる心地のみし侍るに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。おなじくは、昔のさまにておはしまさせばや。いとよきあはひならむかし』と言ひあへるを、あないみじや、世にありて、いかにもいかにも人に見えむこそ、それにつけてぞ昔のこと思ひ出でらるべき、さやうの筋は、思ひ絶えてわすれなむ、と思ふ」
――お側の人々が、「この方は、亡き姫君のお生まれ変りとばかり思っておりますので、中将さまに並べて拝しますと、ひとしおあわれも深う存じます。おなじことなら、昔のようにして中将様をお通わせしたいものです。ほんとうにお似合いのお二方のようですのに」などと言い合うのを、浮舟は、まあとんでもないこと、この世に生きていて、この先どんなことがあろうとも、人に縁ずくことだけはすまい、そんなことにでもなれば、辛かった昔のことも思い出されにちがいない、そうした結婚などということは、いっさいこの身から捨て去ってしまいたい、とおもうのでした――

「尼君入り給へる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将といひし人の声を聞き知りて、呼びよせ給へり。『昔見し人々は、皆ここにものせらるらむや、と思ひながらも、かう参り来ることも難くなりにたるを、心浅きにや、誰も誰も見なし給ふらむ』などのたまふ」
――尼君が奥に入られた間に、客人は雨の晴れ間を待ちあぐねて、以前少将の尼の声を覚えていられたので、その人をお呼び寄せになり、「昔仕えていた人々は、皆ここにいられるのかと思いながらも、公務が忙しくなってついついこうしてお訪ねすることも難しくなったことを、薄情のせいかとどなたもお思いでしょうね」とおっしゃいます――

「使うまつり馴れにし人にて、あはれなりし昔のことどもも思ひ出でたるついでに、『かの廊のつま入りつる程、風のかわがしかりつるまぎれに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背き給へるあたりに、誰ぞとなむ見おどろかれつる』
とのたまふ」
――この少将の尼は、むかし、中将夫妻に親しく仕えた人なので、懐かしいその頃の事などを思い出して昔話をし、そのついでに、中将の君が「先ほど私があの廊をこちらに入って来た時に、風がひどく吹いて、簾の乱れたその隙間から、並々の美しさではなさそうだった方の、垂れ下げ髪が見えましたが、出家なさった方々の中に、一体どなたかと見て驚きました」とおっしゃる――

◆おはしまいたる=「おはしましたる」のイ音便。会話ではよく言う。

◆檜皮色(ひわだいろ)
1 染め色の名。黒みがかった蘇芳(すおう)色。
2 浅葱(あさぎ)または縹の縦糸と、赤または蘇芳の横糸とを用いた織り色。

では3/17に。

源氏物語を読んできて(1226)

2013年03月13日 | Weblog
2013. 3/13    1226

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その18

「尼君障子口に几帳立てて、対面し給ふ。先づうち泣きて、『年ごろのつもりには、過ぎにし方いとどけ遠くのみなむ侍るを、山里の光になほ待ちきこえさすることの、うち忘れずやみ侍らぬを、かつはあやしく思ひ給ふる』とのたまへば」
――尼君は、障子口に几帳を立てて対面なさいます。まず泣きながら、「年月が経つにつれまして、過去のことがいよいよ遠くなってゆくように思われますのに、この山里の光栄として、今もなお、あなたのご来訪をお待ちうけすることが、当たり前のようにも思い、また一方では、何とも不思議な気もいたします」と申しますと――

「『心のうちあはれに、過ぎにし方のことども、思ひ給へられぬ折なきを、あながちにすみ離れ顔なる御ありさまに、おこたりつつなむ。山籠りもうらやましう、常に出で立ち侍るを、《おなじくは》など、慕ひまとはさるる人々に、さまたげらるるやうに侍りてなむ。今日ははぶき棄ててものし侍りつる』とのたまふ」
――(中将は)「しみじみとあわれな昔の思い出の尽きることとてありませんが、一途にこの世を離れたいご様子に、ついご無沙汰しております。弟の禅師の山籠りが羨ましく、いつも出掛けてゆきますが、それなら一緒に、などと後を追って離れなさらぬ人々に妨げられて、ままならぬ次第です。今日は一切を断ってこちらへ参りました」とお答えになります――

「『山籠りの御うらやみは、なかなか今やうだちたる御ものまねびになむ。昔をおぼし忘れぬ御心ばへも、世に靡かせ給はざりける、と、おろかならず思う給へらるる折多く』など言ふ」
――(尼君は)「山籠りを羨ましいなどとおっしゃるのは、(かえって御本心では無く)どうやら今様の御物言いのようにも伺えます。こうして昔を忘れずにお訪ねくださるお心遣いこそ、時流にお従いにならない御懇情と、平素から有難く存じ上げております」などとおっしゃる――

「人々に水飯などやうのもの食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば、馴れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地して、村雨の降り出づるにとどめられて、物語しめやかにし給ふ」
――(尼君が)お供の人々に水飯(すいはん)のようなものを振る舞い、中将にも蓮の実などをさしあげますと、かつては妻の生前通いなれた所とて、格別食事なども遠慮のいらない感じで、丁度村雨の降りだしたのに引きとめられて、しめやかに物語などなさるのでした――

「いふかひなくなりにし人よりも、この君の御心ばへなどの、いと思ふやうなりしを、よそのものに思ひなしたるなむ、いと悲しき、などわすれがたみをだにとどめ給はずなりにけむ、と、恋ひしのぶる心なりければ、たまさかにかくものし給へるにつけても、めづらしくあはれに覚ゆべかめる、問はず語りもし出でつべし」
――むなしく死んだ娘のことはとにかくとして、この中将の君のお気だてなどが実に申し分なかったのに、今は他人のものとなっているとは、ひどく悲しくて、なぜせめて二人の間に子供なりと残しておかれなかったのだろう、と尼君は心の内で昔を恋偲んでいますので、偶然こうして中将が訪ねてこられたことにつけても、珍しくもあわれ深くて、つい浮舟のことも問わず語りに話出しそうな様子です――

◆水飯(すいはん)=飯を水漬けしたもの。夏に供す。

では3/15に。