永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1033)

2011年11月29日 | Weblog
2011. 11/29     1033

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(4)

「守こそおろかに思ひなすとも、われは命をゆづりてかしづきて、様容貌のめでたきを見つきなば、さりとも、おろかになどは、よも思ふ人あらじ、と思ひ立ちて、八月ばかりと契りて」
――常陸の介こそ浮舟をいい加減にあしらうとも、自分は命に代えて大切にお世話をしていこう。姫君のご器量の素晴らしさを見たならば、どんな人でも粗略になど思う筈はないと思い決めて、ご縁組は八月頃にと約束したのでした――

「調度を設け、はかなき遊び物をせさせても、さまことにやうをかしう、蒔絵螺鈿のこまやかなる心ばへまさりて見ゆる物をば、この御方にと取り隠して、おとりのを、『これなむよき』とて見すれば、守はよくしも見知らず、そこはかとない物どもの、人の調度といふかぎりは、ただとり集めてならべすゑつつ、目をはつかにさし出づばかりにて、琴、琵琶の師とて内教坊のわたりより、迎へとりつつ習はす」
――(それからというものは)手廻りの道具類を調え、とりとめのない手遊びの道具を作らせるにしましても、趣向を格別に、出来栄え優れた蒔絵や螺鈿の、見栄えのするものは、この姫君の方へと隠しておいて、それより劣っている方を、「これがよろしゅうございます」と守に見せるのでした。常陸の介はよくわからないので、つまらない物でも、調度と名のつく物であれば、選り好みもせずに何でも買い集め、実の娘の部屋いっぱいに、やっと目を覗かせられる程に積み上げています。また、琴や琵琶の師匠といえば、内教坊(ないきょうぼう)あたりから、わざわざ招いて来て習わせています――

「手ひとつ弾き取れば、師を立ち居をがみてよろこび、禄を取らすることうづむばかりないて、もてさわぐ。はやりかなる曲ものなど教へて、師と、をかしき夕暮などに、弾き合せて遊ぶ時は、涙もつつまず、をこがましきまで、さすがに物めでしたり」
――娘たちが一曲習い上げますと、師匠を立ったり座ったりして拝んでよろこび、身体が埋まるほどに禄を与えて大騒ぎするのでした。調子が軽くて早い曲などを教えられ、風情のある夕暮れなどに、師匠と合奏するときは、傍目もはばからず涙を流し、愚かしいまでに感動しているのでした――

「かかることどもを、母君はすこし物のゆゑ知りて、いと見ぐるしと、思へば、ことにあへしらはぬを、『あこをば思ひおとし給へり』と、常にうらみけり」
――北の方は多少とも物事の心得があるので、守のなさり方を見ぐるしいと思って、格別相手にせずにいますのを、『わしの娘を馬鹿にしておられるのか』といつも恨んでいます――

◆うづむ=埋む=うずまる程

◆内教坊(ないきょうぼう)=宮中にあって舞姫をおき、節会などの際の女楽を調習するところ

では12/1に。


源氏物語を読んできて(1032)

2011年11月27日 | Weblog
2011. 11/27     1032

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(3)

「若うより、さる東の方の、遥かなる世界にうづもれて、年経ければにや、声などほとほとうち歪みぬべく、物うち言ふ、すこしだみたるやうにて、豪家のあたり恐ろしくわづらはしきものに憚りおぢ、すべていと全く透き間なき心もあり」
――(常陸の介は)若いころから東国の辺鄙な田舎に埋もれて、長年暮らしてきたせいか、声も濁声で、何か物を言うのにも田舎なまりで、都の権門のあたりに近づくのは、ひどく億劫がって怖気づいてはいますが、万事抜け目のない処世術は心得ているようです――

「をかしきさまに琴笛の道端遠う、弓をなむいとよく引きける。直々しきあたりとも言はず、勢ひにひかされて、よき若人どもつどひ、装束ありさまはえならずととねひつつ、腰折れたる歌合せ物語、庚申をし、まばゆく見ぐるしく、遊びがちに好めるを、この懸想の君達、『らうらうじくこそあるべけれ、容貌なむいみじかなる』など、をかしき方に言ひなして、心をつくしあへるなかに」
――琴や笛の道には縁遠いけれども、弓にかけては大そうな名人です。たかだか受領風情の家柄ではありますが、若くて美しい女房たちも集まり、衣裳や扮装を並み以上に飾って、腰折れのような下手な歌合わせを催し、物語や庚申待ちなどもして、目にあまるほど派手派手しく遊びごとにふけっています。それを、この娘に思いを寄せている公達は、「きっと、姫は才気煥発であろうよ。器量もたいしたものだそうだ」と、浮舟を美人として取り沙汰している中に――

「左近の少将とて、年二十二、三ばかりの程にて、心ばせしめやかに、才ありといふ方はゆるされたれど、きらきらしう今めいてなどは、えあらぬにや、通ひし所なども絶えて、いとねんごろに言ひわたりけり」
――左近の少将といって、年のころは二十二、三歳で、性質もゆったりとした、学才のあるという点では、人にも認められている人がありました。きらびやかに当世風には生活できないせいか、前に通った女などとも縁が切れて、ずっと浮舟に言い寄っているのでした――

「この母君、あまたかかることいふ人々の中に、この君は人柄もめやすかなり、心定まりて物思ひ知りぬべかなるを、人もあてなりや、これよりまさりて、ことごとしき際の人はた、かかるあたりを、さいへど尋ね寄らじ、と思ひて、この御方に取り次ぎて、さるべき折々は、をかしきさまに返りごとなどせさせたてまつる。心ひとつに思ひ設く」
――母君は、多くの浮舟に求婚してくる男たちの中でも、左近の少将は人柄も穏やかそうですし、気持ちもしっかりしていて、分別もあるにちがいないし、人品もまんざらでもない、この人以上に重々しい身分の人が、またこの程度の家を、いくら何でも尋ね寄っては来ますまい、と思って、この文を浮舟に取り次ぎ、しかるべき機会にふさわしい返事などをおさせして、母君は自分の一存で婚礼のことを計画しておりました――

◆庚申をし=庚申の夜眠ると体内の「さんし」という虫が天に昇って祟りをするとの信仰から、一晩起きていて、いろいろな遊びをする。

では11/29に。


源氏物語を読んできて(1031)

2011年11月25日 | Weblog
2011. 11/25     1031

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(2)

「守の子どもは、母なくなりにけるなど、あまた、この腹にも、姫君とつけてかしづくあり、まだ幼きなど、すぎすぎに五、六人ありければ、さまざまにこのあつかひをしつつ、他人と思ひ隔てたる心のありければ、常にいとつらきものに守をうらみつつ、いかで引きすぐれて、おもだたしき程にしなしても見えにしがな、と、あけくれこの母君は思ひあつかひける」
――常陸の介の子女たちは、亡くなった母が産んだ者たち、すなわち、先妻の子などたくさんいて、さらに後妻であるこの中将の君の腹にも、姫君と呼んで大切にする子がいて、その他にも幼いお子が次々に五、六人はいます。守はそれぞれの養育をしながらなので、どうやら連れ子の浮舟だけを他人扱いにしている様子がみえるのでした。母北の方(中将の君)はそれを日頃から情けない夫の仕打ちと恨めしく思い、この八の宮の形見の姫君を、どうにかして他の子以上に面目ある程の縁につけても見たいものだと、朝夕に心をつくしてお世話していました――

「様容貌の、なのめにとり交ぜてもありぬべくは、いとかうしも何かは苦しきまでも、もてなやままし、同じごと思はせてもありぬべきを、物にもまじらず、あはれにかたじけなく生い出で給へば、あたらしく心ぐるしきものに思へり」
――浮舟の容貌が並み一通りで、他の子供たちと一緒にしておいても良いというのなら、どうしてこれほどまでに、心配するでしょうか。他人には同じ受領風情の娘と思わせても良い筈ですが、浮舟は他と紛れようもなく美しく成人なさったので、母君はこのまま田舎に朽ち果てさせるのが、いかにも勿体なくも惜しくもおもわれるのでした――

「女多かりと聞きて、なま君達めく人々もおとなひ言ふ、いとあまたなり。はじめの腹の二、三人は、皆さまざまにくばりて、おとなびさせたり。今はわが姫君を、思ふやうにて見たてまつらばや、と、あけくれまもりて、撫でかしづくことかぎりなし」
――この守の家には娘たちが大勢いると聞いて、あまり大したこともない公達めいた人々で、懸想文を寄せる者も多いのでした。亡き先妻腹の娘たち二、三人はそれぞれ縁づけて一人前にしましたので、今度こそわが姫君(浮舟)を理想通りに御縁づけ申したいと、明け暮れ目も離さずいたわり、かしずいて、大切に思うこと一方ではないのでした――

「守もいやしき人にはあらざりけり。上達部の筋にて、中らひも物きたなき人ならず、徳いかめしうなどあれば、程々につけては思ひあがりて、家の内もきらきらしく、物きよげに住みなし、事好みしたる程よりは、あやしう荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける」
――常陸の介の素性もいやしくはなく、上達部の血筋で、一族にも見苦しい人はなく、財産も相当に蓄えているというわけで、身分の割には思いあがってもいるようです。家の中も派手に飾り立て、手入れも行きとどいて暮らしてしましたが、風流好みの割には、妙に賤しく荒々しく田舎じみたところがあるのでした――

◆なま君達めく人々=ちょっと貴公子風の人々

では11/27に。


源氏物語を読んできて(1030)

2011年11月23日 | Weblog
2011. 11/23     1030

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(1)

薫(大将殿、右大将)      26歳 秋
女二の宮(姫宮、今帝の御子)
故大君(おおいぎみ、故八の宮の御長女)薫がいつまでも忘れられない人
匂宮(兵部卿の宮、宮)     27歳
中の君(宮の北の方。故八の宮の姫君)若君を産んでいる。 26歳
浮舟(御方、西の御方、若き人) 21歳
   宇治八の宮と中将の君の間に生まれた姫君
中将の君(母北の方、母君、浮舟の親)浮舟を連れ子として、常陸の介の後妻になる
常陸の介(守、守の殿)故先妻との間に、一男二女と中将の君との間に一女がいる。
夕霧(右大臣)    52歳
明石中宮(后の宮、大宮)

「筑波山を分け見まほしき御心はありながら、は山の繁りまであながちに思ひ入らむも、いと人聞き軽々しう、かたはらいたかるべき程なれば、おぼしはばかりて、御消息をだにえ伝へさせ給はず」
――筑波嶺に近く生いたった、あの中の君と腹違いの女君(浮舟)を、薫は、わが物にしたいとのお心持ちはおありになりますが、そんな端山の繁みの末のような(末々の身分の者)常陸の前司の継娘(ままむすめ)にまで、酔狂に懸想なさるのは、世間体も悪く、軽々しいことでもあろうし、気恥ずかしくも思われる相手ですので、自然遠々しくなさって、浮舟へのお便りさえお遣わしになりません――

「かの尼君の許よりぞ、母北の方に、のたまひしさまなど、たびたびほのめかしおこせけれど、まめやかに御心とまるべきこととも思はねば、たださまでもたづね知り給ふらむこと、とばかり、をかしう思ひて、人の御程のただ今、世にあり難げなるをも、数ならましかば、などぞ、よろづに思ひける」
――かの弁の尼君のもとから、浮舟の母へ、薫の御意向をたびたびほのめかしてみますが、先方ではどうも真面目な御執心とも受け取れず、ただ、それほどまでに浮舟をお尋ね知り下さることよ、と、それだけが身に沁みて、薫の御身分が今の世に稀なほど、高い方であると伺うにつけても、もし当方の身分が相応であったならと、母君はあれこれと考えるのでした――


源氏物語を読んできて(1029)

2011年11月21日 | Weblog
2011. 11/21     1029

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(90)

弁の尼君が、

「しか仰せごと侍りしのちは、さるべきついで侍らば、と待ち侍りしに、去年は過ぎて、この二月になむ、初瀬詣でのたよりに対面して侍りし。かの母君に、おぼしめしたるさまはほのめかし侍りしかば、『いとかたはらいたく、かたじけなき御よそへにこそは侍るなれ』などなむ侍りしかど、そのころほひは、のどやかにもおはしまさず、とうけたまはりし、折、便なく思ひ給へつつみて、かくなむ、ともきこえさせ侍らざりしを、またこの月にも詣でて、今日帰り給ふなめり」
――(貴方様から)そのようにお言葉を承りました後は、適当な機会がありますならば、と待っておりましたところ、去年は過ぎてしまい、この二月に浮舟が初瀬詣でをされましたついでに対面しまして、あの方の母君に、貴方様がお考えになっておられます御趣旨を、それとなくお伝えしましたところ、母君は、「浮舟を大君におなぞらえとは、まことにまあ、畏れ多く勿体ないことでございます」などと申しておりましたが、その頃は貴方様の方が、(女二の宮との御結婚のことで)何やらお取り込み中のように承りましたので、時期が悪いとご遠慮申し上げ、そのこともお知らせ申し上げずにおりました。そのうちに、またこの月にもお参りなさいまして、今日がお帰りのようでございます――

「行き帰りの中宿りには、かく睦びらるるも、ただ過ぎにし御けはひをたづねきこゆるゆゑになむ侍める。かの母君は、さはることありて、このたびは、ひとりものし給ふめれば、かくおはしますとも、何かはものし侍らむとて」
――いつも往き帰りの中宿りに、浮舟がこうして親しく立ち寄られますのも、亡くなられた(お父上の)八の宮の御跡をお尋ね申すからでございましょう。浮舟の母親は差支えがあって、今日はお一人でお出でですので、こうして貴方様がお見えになっておいでになることも、別にお知らせしないでもと存じまして――

 と申し上げます。薫が、

「田舎びたる人どもに、しのびやつれたるありきも見えじとて、口かためつれど、いかがあらむ。下衆どもは隠れあらじかし。さていかがすべき。ひとりものすらむこそなかなか心やすかなれ。かく契り深くてなむ参り来あひたる、と伝へ給へかし」
――(浮舟の侍女や、供人を指す)田舎びた人たちには、このような微行姿(しのびすがた)を見られたくないと思って、邸内の人々には口止めをしたが、どうだろうか。下々の者どもには隠しおおせないだろう、さて、どうしたものか。浮舟が一人で来られたのは、却って気楽というものです。このように二人の宿縁が深ければこそ、参り合わせたのです、と、あちらへ伝えてください――

 と言いますと、弁の君は、

「『うちつけに、いつの程なる御契りにかは』と、うち笑ひて、『さらば、しか伝へ侍らむ』とて入るに」
――「だしぬけに、いったいいつの間に出来た御宿縁でしょう」と笑いながらも、「では、そのように申しつたえましょう」と言って、出て行きました。

そのときの、薫の歌、

「かほ鳥の声も聞きしにかよふやとしげみをわけて今日ぞ尋ぬる」
――浮舟の御顔も御声も、かつての大君に似通っているかと、草の繁みを分けて、今日こそお目にかかりたいものです――

 と、ほんの口ずさむようにおっしゃったのを、弁の君は奥に入って浮舟にお話になったとか。

◆四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 終わり。

では11/23に。


源氏物語を読んできて(1028)

2011年11月19日 | Weblog
2011. 11/19     1028

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(89)

「あはれなりける人かな、かかりけるものを、今までたづね知らですぐしけることよ、これよりくちをしからむ際の品ならむ、ゆかりなどにてだに、かばかり通ひきこえたらむ人を得ては、おろかに思ふまじき心地するに、ましてこれは、知られたてまつらざりけれど、まことに故宮の御子にこそはありけれ、と見なし給ひては、かぎりなくあはれにうれしくおぼえ給ふ」
――何と可憐な人かな、これ程の女であったのに、今まで尋ねのせずに過ごしてしまったとは。これよりも劣る身分の女でも、亡き大君のゆかりでさえあれば、これだけ似通っている人をいい加減には思うまい。ましてこの人は、認めてはいただけなかったにしても、真実八の宮のお子さんであったのだ、と薫はお考えになりますと、この上もなくあはれに、
うれしくお思いになるのでした――

「ただ今もはひ寄りて、世のなかにおはしけるものを、といひなぐさめまほし。蓬莱までたづねて、かんざしのかぎりをつたへて見給ひけむ帝は、なほいぶせかりけむ。これは異人なれど、なぐさめどころありぬべきさまなり、とおぼゆるは、この人に契りのおはしけるにやあらむ」
――たった今でも浮舟のそばに這い寄って、「あなたはまあ、生きていらしたのですね」と慰めてさしあげたい。道士をやって蓬莱山まで尋ね、形見のかんざしだけを手に入れてご覧になった玄宗皇帝は、それだけではやはり胸が晴れ晴れとはしなかったであろう。浮舟は大君ではないけれど、きっと気晴らしになるに違いないという気がするのは、この人に前世からの宿世がおありにあったのでしょうか――

「尼君は物語すこしして、とく入りぬ。人のとがめつる香を、ちかくのぞき給ふなめり、と心得てければ、うちとけごともかたらはずなりぬるなるべし」
――弁の君は、しばらく物語などをして、すぐに自室に戻ってしまいました。先ほど浮舟の女房たちが不審に思ったあの香りから、近くに薫が忍んでおいでになると心得ましたので、くつろいだ話もせずじまいだったのでしょう――

「日暮れもて行けば、君もやをらいでて、御衣など着給ひてぞ、例召しいづる障子口に、尼君呼びて、有様など問ひ給ふ」
――日もようやく暮れかかりましたので、薫もそっとそこを出られて、御衣などをお重ねになり、いつもお呼び出しになる障子口に尼君を呼んで、あちらの様子などをお訊ねになります――

「折しもうれしくまで来合ひたるを、いかにぞ、かのきこえしことは」
――ちょうどよい折に来合わせたものだが、いつぞや言って置いたことは、どんなものだろう――

 と、言いだされます。

では11/21に。

源氏物語を読んできて(1027)

2011年11月17日 | Weblog
2011. 11/17     1027

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(88)

「尼君は、この殿の御方にも、御消息きこえいだしたりけれど、『御心地なやましとて、今の程うちやすませ給へるなり』と、御供の人々心しらひて言ひたりければ、この君をたづねまほしげにのたまひしかば、」
――弁の君は、薫の所へもご挨拶を申し上げましたが、「ご気分が悪いとおっしゃって、今お寝みになっております」と、お供の者が気を利かせて言いますので、さてはこの君(浮舟)にお逢いしたいとおっしゃっておいででしたので――

「かかるついでに物いひ触れむ、と思ほすによりて、日くらし給ふにや、と思ひて、かくのぞき給ふらむとは知らず、例の御庄のあづかりどもの参れる、破籠や何やと、こなたにも入れたるを、東人などにも食はせなど、事どもおこなひおきて、うち化粧じて、客人の方に来たり」
――きっと、こうした機会に近づいてお話でもしたいと思われて、日暮れまでいらっしゃるおつもりかしら、と思って、まさか薫がこうして覗き見をなさっているとは知るよしもありません。例の薫の荘園の管理人たちが大将のために調進した破子(わりご=弁当)やそのほかの物を、弁の方にも寄こしたものを、東の人々にも食べさせたりして、いろいろもてなしの指図をしてから、ちょっと身仕舞をして客人(浮舟)のところへやって来ました――

「ほめつる装束、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。『昨日おはしつきなむと待ちきこえさせしを、などか今日も日たけては』といふめれば、この老人、『いとあやしく苦しげにのみせさせ給へば、昨日はこの泉川のわたりにとどまりて、今朝も無期に御心地ためらひてなむ』といらへて、おこせば今ぞ起き居たる」
――なるほど先刻ほめていたとおり、尼君の衣裳はさっぱりとして、顔かたちも由ありげで小ぎれいです。「昨日ご到着になられますかと、お待ち申し上げておりましたのに。今日はまたどうして、こんなに日が高くなってからいらしたのでしか」と言いますと、年のいった女房が、「姫君が何ともひどく苦しそうにしていらっしゃいましたので、昨日はあの泉川のあたりに泊まり、今朝もいつまでもご気分がはっきりしませんでしたので」と答えてお起こししますと、やっと初めて起き上がられました――

「尼君をはぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよく見ゆ。まことによしあるまみの程、かんざしのわたり、かれをも、くはしくつくづくとしも見給はざりし御顔なれど、これを見るにつけて、ただそれと思ひ出でらるるに、例の、涙おちぬ。尼君のいらへうちする声けはひ、宮の御方にもいとよく似たりときこゆ」
――尼君がいらっしゃるので、恥ずかしそうに横を向いているお顔が、(薫の方から)よく見えます。まことに品のある目もと、お髪のかかり具合などが、亡き大君のお顔もしみじみとは御覧になったことはないけれども、この人(浮舟)を見るにつけて、まったく亡き御方とそっくりだと思い出されますので、またいつものように、涙がこぼれるのでした。尼君に答えたりする声や物腰は、宮の御方(中の君)にもよく似ているようだとお思いになるのでした――

◆げにいとかはらかにて=かはらか=さっぱりしているさま。

◆みめもなほよしよししく=眉目も一層・よしよししく=由由し=由緒ありげである。

では11/19に。


源氏物語を読んできて(1026)

2011年11月15日 | Weblog
2011. 11/15     1026

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(87)

「やうやう腰いたきまで立ちすくみ給へど、人のけはひせじ、とて、なほ動かで見給ふに、若き人『あなかうばしや。いみじき香の香こそすれ。尼君の焚き給ふにやあらむ』とおどろく」
――(薫)そろそろ腰が痛くなるまで立ち尽して見ておられましたが、人の気配をさせまいと、そのままじっと動かずにいらっしゃると、若い女房が、「なんとよい匂いでしょう。素晴らしい香の薫りがしますよ。尼君が焚いていらっしゃるのかしら」と驚いて言います――

「老い人、『まことにあなめでたの物の香や。京人はなほいとこそみやびにいまめかしけれ。
天下にいみじき事とおぼしたりしかど、東にてかかる薫物の香は、え合わせ出で給わざりきかし。この尼君は、住ひかくかすかにおはすれど、装束のあらまほしく、鈍色青色といへど、いときよらかにぞあるや』などほめゐたり」
――老女房が、「ほんとうに何とまあ結構な香りですこと。さすがに京の人は尼になっても、やはり雅やかで華やかですね。常陸守の北の方は、ご自分こそは世にもたいした暮らしぶりだと思っておられましたが、東国ではとてもこのような薫物など、調合なさることはできませんでしたよ。こちらの尼君は、御住いはささやかでいらっしゃるけれども、お召し物は素晴らしく、鈍色や青色のお召し物も、ほんとうに垢ぬけしていらっしゃる」などと、誉めております――

 向こうの簀子から女童がやってきて、「お薬湯でも差し上げてくださいまし」と、折敷などを次々に運び入れます。女房たちは果物を取り寄せなどして、

「『ものけ給はる。これ』などおこせど、起きねば、二人して、栗などやうの物にや、ほろほろ食ふも、聞き知らぬ心地には、かたはらいたくて退き給へど、またゆかしくなりつつ、なほ立ち寄り立ち寄り見給ふ」
――女房が、「もしもし、これを召し上がれ」などと姫君をお越しになりますが、お目覚めになりませんので、女房が二人して、栗などでありましょうか、ほろほろと音をさせて食べています。そんな音など聞いた事もない薫は、はしたなく思って居たたまれず立ち退かれましたが、なお未練が残って、何度も立ち寄られては御覧になっております――

「これよりまさる際の人々を、后の宮をはじめて、ここかしこに、容貌よきも心あてなるも、ここらあくまで見あつめ給へど、おぼろげならでは、目も心もとまらず、あまり人にもどかるるまで、ものし給ふ心地に、ただ今は、何ばかりすぐれて見ゆることもなき人なれど、かく立ち去りがたく、あながちにゆかしきも、いとあやしき心なり」
――(薫は)この女(浮舟)より優れたご身分の方々、明石中宮をはじめとして、あちこちでご器量の良い方、気品の高い方など、大勢見飽きるほど見ておられますので、余程の美人でなければ、目にも心にもとまらず、それではあまりのことと、人から非難されるほど謹直でいらっしゃるご性分ですのに、今日という今日は、それほど優れているとも思えない人を、このように立ち去りがたく、無性に気になっていらっしゃるのは、何とも妙なお心というものです――

◆なほいとこそ=なほ・いと・こそ=すべて強調

◆ものけ給はる=ものうけたまわるの意

では11/17に。


源氏物語を読んできて(1025)

2011年11月09日 | Weblog
2011. 11/9     1025

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(86)

「『例の御こと。こなたはさきざきもおろし籠めてのみこそは侍れ。さてはいづこのあらはなるべきぞ』と、心をやりて言ふ。つつましげに下るるを見れば、先づかしらつき様体細やかにあてなる程は、いとよくもの思ひ出でられぬべし。扇をつとさし隠したれば、顔は見えぬ程こころもとなくて、胸うちつぶれつつ見給ふ。車は高く、下るるところはくだりたるを、この人々はやすらかに下りなしつれど、いと苦しげに、ややみて、ひさしく下りてゐざり入る」
――女房が、「またいつものことを。こちらはいつお出でになっても、格子が全部下ろしてございます。それなのに、どころか見られるとおっしゃるのですか」と、心得顔で言っています。浮舟が恥ずかしそうに降りてくるのを見ますと、まず頭の形から体つきが細っそりとして上品なところは、あの亡き大君にそっくりです。扇をかざしたままですので、お顔が見えないのが気が気ではなく、薫は旨をときめかしながら御覧になっています。車は高く、降りるところは低いのですが、女房たちはさっと降りましたが、この方はひどく辛そうに手間どって、長いことかかってやっと降りて、奥の方へゐざり入るのでした――

「濃き袿に、撫子とおぼしき細長、若苗色の小袿着たり。四尺の屏風を、この障子に添へて立てたるが、上より見ゆる孔なれば、残るところなし。こなたをばうしろめたげに思ひて、あなたざまに向きてぞ、添ひ臥しぬる」
――(浮舟は)濃い紅の袿(うちぎ)に、撫子(なでしこ=表紅、裏青又は薄紫)色かと思える細長(ほそなが)を襲ね、若苗色(わかなえいろ)の小袿を着ておられます。四尺の屏風がその障子に添えて立ててあるものの、穴はその上なので、何もかもすっかり見えるのでした。その人は障子を気にしながら、あちら向きに添い臥しています――

「『さも苦しげに思したりつるかな。泉川の船わたりも、まことに今日はいと恐ろしくこそありつれ。この二月には、水の少なかりしかばよかりしなりけり。いでや、ありくは、東路思へば、いづこか恐ろしからむ』など、二人して、苦しとも思ひたらず言ひ居たるは、主は音もせでひれ臥したり」
――「(姫君は)随分お辛らそうでございましたね。泉川(現在の木津川)の渡し船も、まことに今日は怖うございました。この二月には水が少なかったのでよろしうございましあたが、でもまあ、旅も東国のことを思えば、何の恐ろしいことがございましょう」などと、二人の女房が、さして苦しそうにもなく話をしていますが、当の主人は疲れて口もきかず、ぐったりと臥せっております――

「腕をさし出でたるが、まろらかにをかしげなる程も、常陸殿などいふべくは見えず、まことにあてなり」
――その手枕にしている腕が、ふっくらと美しく見えますのも、常陸介殿の娘という東国育ちには見えず、まことに上品です――

◆5日間お休みします。では11/15に。

源氏物語を読んできて(牛車その1)

2011年11月07日 | Weblog
◆八葉車(はちようくるま)

網代車(あじろぐるま)の屋形や袖に八つの葉の装飾文様(八曜とも)をつけたもの。文様の大小により、大八葉車とか小八曜車などがある。前者は親王や公卿、高位の僧が用い、後者は少納言・外記(げき)などの中流貴族、女房(にょうぼう)などが乗車した。
浮舟の乗ってきた車は、種類が分からないが、中流の姫君なので、このあたりかと。