永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(63)

2008年05月31日 | Weblog
5/31  

【賢木】の巻 (11)

 そういえば、六條御息所とお別れしたのも、このような秋のことだったと、源氏は妙に同じような物思いをさせられるものだと、神を恨めしく思われるのですが、そのように思われる癖はほんとうに見苦しいかぎりです。
また、自由に朝顔の君に言い寄ることが出来たときには、のんびり構えておいでで、今になって未練がましいのは、まったく解せないお心ですこと。
朝顔の斎院も適当にとはいうものの、文通を続けられるのは、これもまた納得できないことです。
(このあたりは、第三者の感想のような口ぶりです)

 源氏は山寺に充分な御誦経の料やお布施をつくされて、お帰りになります。

 しばらく振りにご覧になる紫の上は、一段と大人びて可愛らしく美しくなられていらっしゃるものの、物思いの御ためか、少し愁いがちでいらっしゃいます。それというのは藤壺と源氏のご様子が気にかかるからでしょう。

 源氏は、藤壺のご参内を知りながら伺わないことにも、人聞き悪いと思われて、山で土産に手折った紅葉にこと寄せて、例の王命婦にお文を託します。文はこのようでした。
「春宮をお尋ねになったそうですが、お二人の御消息が分かりませんで、気になりながらも、仏のお勤めの予定を変更できず、このように日数がたってしましました。一人で見る紅葉の景色は味気なく…」

 藤壺は、みごとな紅葉に目が止まりましたものの、思わせぶりな結び文(恋文)に、さても、と人の目にも迷惑に思われて、紅葉の枝を瓶に入れるように指図されて、廂の柱のもとに押しやられます。

 源氏は今までも春宮のお世話をしてまいりましたのが、急によそよそしくなってと思われてもと、藤壺が内裏を退出される日を選んで参上されます。

 先ずは、朱雀院へ伺います。朱雀院は、故桐壺院にますます似てこられ、お優しく穏やかでいらっしゃいます。久しぶりのこととてお互いに懐かしく感じ合われて、さまざまな
お話をされたのでした。

朱雀院のこころ
「尚侍の君の御事も、なほ絶えぬさまに聞し召し、気色ご覧ずる折りもあれど、何かは……」
――朱雀院は朧月夜の君と源氏とが、今もなお切れていないように聞いておられますが、またその様に感じるときもあるものの、(参内する前からのことなので、二人は似つかわしくなくはないと、咎める気にはなれない)――

 ご兄弟(異母)とはいえ、ご学問のお話もありましたが、色めいた歌の話など、源氏も打ち解けたお気持ちになられたとはいえ、あの、斎宮の伊勢にお下りになる野宮での六條御息所との風情ある曙の思い出など、みなみなお話になったのでした。

◆尚侍(ないしのかみ)という立場は、帝のお側にあって、身の回りのお世話をする女官の長。内裏に上がるということは、当然朱雀院の寵を受けています。

◆写真は 御誦経(みずきょう)の料やお布施  風俗博物館より

ではまた。


源氏物語を読んできて(六條御息所)

2008年05月31日 | Weblog
六条御息所(ろくじょうのみやす(ん)どころ)

 桐壺帝時代の前東宮の妃で、六条京極付近に住まいを構えていることからこの名がある。光源氏の最も早い恋人の一人。

 大臣の娘に生まれ、16歳で東宮妃となるが、20歳で東宮と死別した。東宮との間に一女があり、その娘は後に斎宮となり、その後、冷泉帝に入内する(秋好中宮)。

 東宮の死後、年下の光源氏と恋愛関係におちいる(この間のなれそめが源氏物語では欠落している)。だが源氏は、美しく、気品があり、教養も知性も人に優れているために矜持の高い彼女をやがて持てあますようになり、逢瀬も間遠になってしまう。しかし源氏に惹かれ、またその矜持のゆえに素直な態度を男に見せることのできない彼女は、自分を傷つけまいと、本心を押し殺してしまう。

 この自己抑圧が、以降物語のなかで御息所を生霊、死霊として活躍させることになる。押し殺した妬心が、抑制のうしなわれるたびに、身からあくがれでて、源氏の愛する女君たちに、あだを成すようになるのである。

◆写真 薪能 六條御息所  岡崎市観光協会より


源氏物語を読んできて(閼伽)

2008年05月30日 | Weblog
閼伽(あか)奉る

仏前に供える清らかな水(閼伽の水)。
閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。サンスクリット語のargha(アルガ)の音写で、功徳水(くどくすい)と訳される。閼伽井から汲まれた水に香を入れることがあり、閼伽香水とも呼ばれることもある。

 インドでは古く、来客に対し足をそそぐための水と食事の後口をすすぐための水が用意されたといい、それが仏教に取り入れられ、仏前や僧侶に供養されるようになったものである。

 閼伽を汲むための井戸を「閼伽井」、その上屋を「閼伽井屋」、「閼伽井堂」と称される。また、閼伽を入れる瓶(びん)を水瓶(すいびょう=軍持)と称し、閼伽を入れる器を「閼伽器」、閼伽を供える棚を「閼伽棚」と称される。

◆写真は閼伽棚 風俗博物館より

源氏物語を読んできて(62)

2008年05月30日 | Weblog
5/30  

【賢木】の巻 (10)

 源氏は、天台六十巻の経文をお読みになり、納得行かないところなど、学問のある法師たちを召し集められて、議論なさいます。場所が場所だけに、一層深く世の無常をお感じになるものの、一方では「うき人しもぞ」――つれないお方よ――とつらく思い出すのでした。

 明け方から法師たちが閼伽奉る(あかたてまつる)とて、さまざまな営みがはじまります。源氏には、仏道のお勤めは退屈なこともなく、あの世へも頼もしい行いにお見えになります。それにひきかえて、何と自分はつまらない身をもてあましていることよ。

 律師が「念仏衆生摂取不捨」と声を長くのばして行いをされるのを、うらやましくも尊く、何故自分は出家できないのかとお考えになるにつけても、
「まづ、姫君の心にかかりて、思ひ出でられ給ふぞ、いとわろき心なるや」
――真っ先に紫の上の事が心にかかって、思いだされますとは、全く始末の悪いご料簡ですこと――

 長いご滞在になったので、紫の上には文通をたびたびなさいます。
源氏は、出家ができるかどうかと試みに来てみましたが……、などと書き送りますと、
紫の上のうた「風吹けばまづぞみだるる色かはる浅茅がつゆにかかるささがに」
――……移り気なあなたを頼りにしている私は、何かにつけて苦労が絶えません――

なかなかに字も上達したものだ、良くお教えした甲斐があって、私の字に似ている上に、女らしさも加わって、何不足なく私の好みに添ってきている。と源氏はご満足の様子です。

 ここ雨林院と賀茂の斎院とは近いので、源氏は朝顔の斎院にもお文を、例の中将の君に託されます。
こんな文面でした。「あなたへの思いからこうした旅の空に迷い出たのですが、あなたはお気づきになりませんでしょうね。神に仕えるお方に申すのもなんですが、便りを交した昔の秋が思い出されます。」

斎院のお返事は
「そのかみやいかがはありしゆふだすき心にかけて忍ぶらむゆゑ、近き世に」
――心にかけて忍ぶとのことですが、以前どんなことが二人の間にあったというのでしょう。まして近い世には覚えがありませんが――

源氏は、ほほえまれてご覧になり、草書の字もなかなかに、大分大人びてこられ、容貌(おかお)もきっと年齢と共に美しさの加わったであろうと思いめぐらされるのも、
「ただならず、恐ろしや」
――源氏のただごとではない御こころ、神に対して怖れおおいことよ――

◆「念仏衆生摂取不捨」とは、感無量寿経に、阿弥陀如来の光明は、あまねく十万世界を照らし念仏の衆生を摂取して捨て給わずという。

◆写真は 上賀茂神社の立砂(神のよりしろ)

ではまた。

源氏物語を読んできて(61)

2008年05月29日 | Weblog
5/29  

【賢木】の巻 (9)

しかし、故桐壺院の東宮への並々ならぬご遺言を思い出されるにつけても、東宮にお会いにならぬうちに、形を変えることが寂びしまれますので、目立たぬように参内されます。
(実の御子でも、東宮という立場の養育は内裏でなされます)

 東宮(6歳)は、大層可愛らしくご立派になられ、藤壺はご自分の出家は難しいとも思われますが、内裏もかつてと違って居心地が悪いのもお辛いようです。

 母藤壺が「御覧ぜで久しからむ程に、容貌の異ざまにてうたてげに変わりて侍らば、いかが思さるべき」と申し上げますと、
――しばらくお会いしないうちに、私の姿が嫌な風に変わりましたら、どうお思いになるでしょう、と、申し上げますと――

東宮は「式部がやうにや。いかでか然(さ)はなり給はむ」と笑みて宣ふ。
――この式部のように醜くくか?(東宮に奉仕する老女房か?)、どうしてそうなりましょう、と、ほほえみながらおっしゃいます――

藤壺「それは、老いて侍れば醜きぞ。然はあらで、髪はそれよりも短くて、黒き衣などを着て、夜居の僧のやうになり侍らむとすれば、見奉らむ事もいとど久かるべきぞ」とて、泣き給へば……
――それは、老いれば醜くなりますよ。そうではなくて、髪を短くして、黒い衣を着て、僧のようになりましたら、お逢いすることもまれになるということですよ、と、お泣きになりましたので…――

 東宮は、急に真面目になられて、久しくお会いできないのは悲しい、と涙をこぼされます。その横顔が源氏のお顔とそっくりで、女にしてお見上げしたいほど清らかでお綺麗です。源氏に似ておられるのが、この場合は玉に疵と、世間のうるささが空恐ろしく思われます。

 さて、源氏はと申しますと、もちろんのこと東宮を大切にお思いではありますが、
「あさましき御心の程を、時々は思ひ知るさまにも見せ奉らむと念じつつ過ぐし給ふに……」
――あきれるほどの藤壺の無情さを、時には反省なさるような目にお合わせしようと、東宮に参るのを我慢しておいでですが、(どうも人聞き悪く、わびしいので、秋の野を見がてら雨林院に詣でられます。故母の御兄の律師が籠もっておられる坊で、教典を読み、行いをするべく、二、三日滞在しようかと。紅葉して秋の野の趣深い景色をしみじみご覧になりますと、なじみの女の所も忘れてしまいそうに思われます。


◆律師(りっし)=りしともいう。僧網(そうごう)の一つ。
   
 僧網とは、僧尼を取り締まったり、法務を処理したりする僧官。僧正、僧都、律師の三階級がある。律師は官吏の五位に準ぜられた。

ではまた。


源氏物語を読んできて(雨林院)

2008年05月29日 | Weblog
雨林院(うりんいん) 
 
 元は、淳和天皇が紫野に建立された離宮でした。その後、常康親王が当地で出家されて、離宮を寺とし、貞観11年(869)に千手観音をお祀りして、雲林院と号しました。
 
 源氏物語などの書物に登場する、当時は閑静な寺院だったようです。現・北区紫野雲林院町

源氏物語を読んできて(60)

2008年05月28日 | Weblog
5/28 

【賢木】の巻 (8)

源氏は「見だに向き給へかし」
――せめて見向きぐらいはしてください――

と腹立たしく辛く、引き寄せようとしますと、藤壺は衣をすべり落として逃げようとされますが、御髪と共に又引き寄せられておしまいになりました。
「いと心憂く、宿世の程思し知られて、いみじと思したり」
――藤壺はわびしい思いに、宿縁を思い知られて、ひどく悲しくお思いになりました――

「男も、ここら世をもてしづめ給ふ御心みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづの事を泣く泣くうらみ聞え給へど」
――源氏は長年押さえてこられた思いに、すっかり乱れて正気のようでもなく、思いの限りを泣く泣く訴えられますが――

「まことに心づきなしと思して、答も聞え給はず、ただ、心地いとなやましきを、かからぬ折りもあらば聞えてむ、と、宣えど、つきせぬ御心の程を言ひ続け給ふ」
――藤壺は心から厭わしいと思われて、お答えになりません。源氏はなおも限りない思慕の心をくどくどと訴えられます――

 藤壺は、心の奥では源氏に惹かれるものの、あの過ちを繰り返すことは大変に口惜しいので、なんとかうまく言い逃れなさるのでした。源氏も受け入れてもらえないのは残念ながら、藤壺の拒絶の立派さにもなるほどと、思われます。ただ、ときどきこのようにしてお目にかかれれば……とかなんとか、藤壺を油断おさせになるような物言いなどなさっておいでになるお二人の間柄は、他に類のない特別なご関係のようです。

 そうこうしているうちにすっかり夜が明けてしまいました。女房二人が言いにくいことなど申し上げ、源氏は源氏で気味悪いくらいの思いを藤壺にお持ちですが、藤壺は失神されているような具合です。
「…人の思さむ所もわが御為も苦しければ、われにもあらで出で給ひぬ」
――長居をしては宮のご困惑も、自分自身の為にも良くないので、不本意ながらお発ちに
なりました――

その後の源氏のこころ

 源氏は、藤壺がご自分ををあのように、つれなくなさったことを気の毒と悟られるまでは、と、文も差し上げず、あまりにもひどいお心だ、人前にも恥ずかしく、悲嘆にくれて、理性も意志もなくなってしまわれたのか、内裏にも参内せずに籠もっておいでです。この世は辛いことばかり、いっそ出家をと、またお考えになるものの、あの紫の上が私を頼りにしていることを思うと、それもできない。

 藤壺は、あの後のご健康がすぐれずにおられます。源氏を無下に振り捨てては、東宮をお頼みしている身ではあるし、ご自分のなさったことで、この世を味気ないものに思われて出家でもなされはしないかと気遣われます。こんなことが長引くならば、
「いとどしき世に、浮き名さへ漏り出でなむ……」
――ただでさえうるさい世に、つらい評判まで出ることでしょう。(故帝の在世をあのように罪深く過ごしてきたことを思いますと、この上は、大后に誹謗されている中宮の位も返上して退いてしまおうと次第にお心を決められます。)――

◆忍んでの女との逢瀬は夜で、明け切らぬうちに誰とも分からぬように帰ります。
 日中に帰るのは、きまり悪いことでした。
   
◆写真 御帳台の広さ    風俗博物館より

ではまた。

源氏物語を読んできて(御簾)

2008年05月28日 | Weblog
御簾(みす)
 
 細かく割った竹を編んだ障屏具で、母屋(もや)ならびに廂(ひさし)の間(ま) 、また廂と簀子(すのこ)の柱間や妻戸口(つまどぐち)などに垂らし、日光の遮断や外部から見通されないための隔てとして使われる。

 内裏(だいり)や貴人の殿舎では、文(もん)を染めた絹で縁取り、上部に「帽額(もこう)」という絹を引き渡した。簾を巻き上げる際には、 「鉤丸緒(こまるお) 」という飾り房のついた半円形の「鉤(こ) 」 という金具に懸けるが、『源氏物語絵巻』には鉤も鉤丸緒も描かれていないので、模型では紐のみとした。

◆ 写真は御簾  風俗博物館より


源氏物語を読んできて(御帳台)

2008年05月28日 | Weblog
御帳台(みちょうだい)

 寝殿(しんでん)の母屋(もや)にすえる天蓋付(てんがいつ)きのベッド。本来 は座臥のための施設であったが、のちには権威の象徴となった。
 
 皇后などの場合には、浜床( はまゆか)と いう黒漆の台を置くが、ふつうには板敷きの上 に、繧繝縁(うんげんべり)の畳二帖を並べて敷き、四隅に柱を 立て、その上に、白絹張(きぬばり)の明障子 (あかりしょうじ)をのせる。四隅と前後左右正面に帳(とばり)を垂らし、上部四方の外側に帽額(もこう)(横幅の裂)をめぐらす。
 
 帳の中は、日中は三方に几帳(きちょう)を立て、その高さまで帳を巻き 上げる。
 畳の上には、中敷の畳・表筵(おもてむしろ)・龍鬢地鋪(りゅうびんぢしき)・茵(しとね)を重ねる。
 前面の左右の柱には、水気除けに犀(さい)の角または木で作られた角形をかけ、 後方の左 右の柱には、魔除けの八稜鏡(はちりょうきょう)をかけた。

 内部には四尺几帳を三本、南・東・西に立て(したがって北側が出入り口になります)、三方の五幅の帷子を几帳の横木の高さに合わせて巻き上げます。
 
◆参考と写真 風俗博物館より

源氏物語を読んできて(59)

2008年05月27日 | Weblog
5/27  

【賢木】の巻 (7)

 「まねぶべきやうなく聞え続け給へど、宮いとこよなくもて離れ聞え給ひて、はてはては御胸をいたう悩み給へば……」
――ここに書きようもないぼどに源氏は巧みに申し上げなさいますが、中宮は決してお聞き入れなさらず、ついには胸痛を訴えられるので、(命婦や弁たちが、言いようもない気持ちで介抱されます)――

 源氏の方も正気も失せてしまわれ、夜も明けきっていてお帰りにもなれず、中宮の御発病にお屋敷も人々が騒がしくなりましたので、急ぎ女房たちは源氏を塗籠(ぬりごめ)に押し込めて、この場を繕ったものの、大変なことになったと心配です。兄上の兵部卿宮や中宮大夫(ちゅうぐうだいぶ)、僧侶も駆けつけられて、夕方になってようやく快方に向われました。

 中宮は、源氏がこのような所に隠れていらっしゃるとはつゆ知らず、女房たちも源氏がまだ、おいでになるとお伝えして又失神でもされたらと、申し上げることができません。
その後、中宮は少しご気分が良くなられたようで、昼の御座(ひのおまし)に膝行(しっこう=膝で進退する)でおいでになっています。

源氏はお近くには女房が少ないのを見計らって、

「君は、塗籠の戸の細めにあきたるを、やをらおしあけて、御屏風のはざまに伝ひ入り給ひぬ。めづらしくうれしきにも、涙はおちて見たてまつり給ふ」
――源氏は塗籠の戸が少し開いているのを、そろそろと押し開けて、屏風との間に御身を滑らせます。思いがけないうれしさに、涙がこぼれ落ち、じっと見入っていらっしゃいます。――

 それと知らぬ藤壺は「なほ、いと苦しうこそあれ。世やつきぬらむ」
――ああ、とても苦しいこと、死んでしまうのかしら――

 源氏のこころ
 
 藤壺の、外を眺める横顔のなんとなまめかしいことよ。この上ないお顔のお美しいこと。かんざし、御髪のご様子、特にお顔はあの紫の上にそっくりだ。しばらくお逢いしていなかったが、このようなとんでもない形ででもお逢いできて気持ちが晴れるというものだ。紫の上とそっくりとはいうものの、やはり中宮を昔からお慕いしていたせいか、ご年齢とともにその美しさは、別格だ。

 と、だんだん気持ちが高揚してきて我慢できなくなって、御帳台の中に紛れ入って、藤壺の衣の褄を引かれます。
 藤壺は、衣裳の香で、すぐの源氏と察せられたので、なんとあさましいことと思われ、うつ伏してしまわれます。

ではまた。